ノルトハイム夫妻の結婚式(1/1)
翌日から、ノルトハイム城は結婚式の準備で大賑わいだった。
皆に妻の晴れ姿を見せびらかそうと、無意識の内に派手さを追求してしまうシルヴェスター。一方で、慎ましやかな式でいいと言い張るマリアンネ。
二人の意見は中々一致しなかったものの、どうにかこうにか折衷案を見つけ、実際に挙式が行われたのは一月も半ばになってからだった。
ノルトハイム城の庭園に建つプライベートチャペル。堂内は色とりどりの花で飾られ、キャンドルの明かりが床に優しく影を落としている。
座席には、先生方に引率された孤児院の子どもたちが行儀良く座っていた。その中に混じり、母の姿もある。今日は体調がいいらしく、いつもより健康そうに見えた。左右を固めているのは、彼女の話し相手の中でもお気に入りの子どもたちだ。
シルヴェスターは身廊の一番奥、赤い絨毯の先に立っていた。
真っ白な礼服を身につけたシルヴェスターはいつにもまして気品があり、荘厳な会場の空気も相まって、まるで絵画から抜け出てきたようである。
近寄りがたく感じられるほどの完璧な美しさ。けれど、顔に浮かべている幸せな花婿そのものの表情が、その厳めしい雰囲気を見事に中和していた。
シルヴェスターの視線は、隣に立つ妻に注がれている。
いつもは暗めの色合いの服ばかり着ているマリアンネだが、今日はシルヴェスターとお揃いの白い衣装だった。裾に控えめにあしらわれたレースが初々しい。素晴らしく清楚なその姿に、シルヴェスターは天使を前にしているような心地になる。
シルヴェスターがうっとりとマリアンネを見つめると、彼女も潤んだ視線を返した。立会人の前でシルヴェスターは宣誓する。
「私、シルヴェスター・フォン・ノルトハイムは、マリアンネ・フォン・ノルトハイムを永久に愛することを誓います」
シルヴェスターは、自分がほんの二ヶ月前までとは全く違う人間になったと感じていた。
結婚式で愛の誓いを立てる。そんな行為は、かつての自分には理解不能だっただろう。
けれど今は違う。先ほどの宣誓にどれだけ重い意味が込められているのか、シルヴェスターははっきりと理解していた。
「わたし、マリアンネ・フォン・ノルトハイムは、シルヴェスター・フォン・ノルトハイムを永久に愛することを誓います」
マリアンネも宣誓し、シルヴェスターは彼女のベールをそっと引き上げる。そして、妻の唇にふんわりと自分の口を重ねた。それは、今まで交わしたどの接吻よりも特別に感じられるキスだった。
挙式が終わると、披露宴が始まった。城内に会場を移し、参加者を交えての無礼講の宴が始まる。
「シルヴェスターさま、マリアンネさま、おめでとうございます!」
子どもたちは結婚祝いの品として、二人の似顔絵を描いてプレゼントしてくれた。マリアンネが「嬉しいわ」と微笑む。
「お城の廊下にでも飾ろうかしら? ねえ、シルヴェスター様?」
「実は、私からも贈り物があるんだ」
シルヴェスターは、マリアンネに大ぶりな包みと、それよりは少し小さめの包みを渡す。マリアンネが大きなプレゼントの包装紙を解くと、中には彼女の肖像画が入っていた。
「父のお気に入りだった画家に描かせたものだ」
シルヴェスターが言った。
「子どもたちが絵のプレゼントを用意していると聞いて、私も同じものを贈ろうと思ったんだ」
「当事者のシルヴェスター様が、わざわざプレゼントなど用意しなくてもよろしかったのに……。これではわたし一人だけ祝われているようで申し訳ないです」
「気にするな。好きでしたことだ」
「でしたら、わたしも今度何かを贈りますね。大きなケーキでも焼きましょうか……」
やはりマリアンネは自分の欲しいものをよく分かっている、とシルヴェスターは感心した。
「……あら。こちらは子どもが描いたものでしょうか?」
マリアンネは小さい方の包みの中身を見て首を傾げる。
「きっと幼少クラスの子ですね。……これは誰が描いたの? とっても上手よ。お礼を言いたいから、出てきてちょうだ……どうしたの、ボリス」
周囲に声をかけていたマリアンネは、自分のドレスをクイクイと引く少年を見て、怪訝な顔になった。
「もしかして、これはあなたが描いたの?」
「……シルヴェスターだよ」
ボリスは気まずそうに言った。
「オレはやめといた方がいいって言ったんだ。でも、シルヴェスターが聞かなくて……」
「ま、まあ!」
マリアンネが少し狼狽えた。
「ええと……慣れないにもかかわらず、絵に挑戦してくださってありがとうございます、シルヴェスター様。とっても……独特の世界観ですね。まるで童心に返るような……」
「私が本格的な絵画を描くのはこれが初めてだとよく分かったな。流石はマリアンネだ。喜んでくれて嬉しい。よければ君の居室にでも飾っておいてくれ」
「ええ、そうですね……。……あっ!」
不意にマリアンネは目を見開いた。
人混みの中に気になるものを見つけたようで、プレゼントを使用人に預けると、そちらへ駆け寄る。
「どうしてこんなところに……!」
「ああ、お嬢様ったら立派になって!」
マリアンネが話しかけたのは、人のよさそうな顔をした中年女性だった。マリアンネの姿を認めると、女性は目に涙を浮かべる。
「あんなに病気がちで弱々しかったのにねえ……! それが今じゃ一人前の奥方様だなんて!」
「私が呼んだんだ」
シルヴェスターは二人の会話に割って入った。
「彼女がいると、マリアンネが喜ぶと思ったから」
この中年女性は、マリアンネの元乳母だった。幼い頃の彼女が慕っていた人物である。
マリアンネの晴れ姿を見て欲しくて、シルヴェスターがこっそりと住所を調べ上げ、招待状を出しておいたのだ。
「あなたにまた会えるなんて思っていなかったわ!」
マリアンネは口元を押さえている。
「わたし、話したいことがたくさんあるの!」
「ええ、ええ。何でもお聞きしますとも」
乳母がにこやかに笑い、マリアンネの顔が華やぐ。シルヴェスターはそっと二人の傍を離れた。
しばらく他の参加者たちと歓談していると、今度は乳母が彼の元にやって来た。
「素敵な式に呼んでいただいてありがとうございます、ノルトハイム様」
「こちらこそ来てくれてありがとう」
シルヴェスターが礼を返すと、乳母が目を細めた。
「お嬢様は本当に幸せ者ですわ。先ほど話していても、ずっとシルヴェスター様、シルヴェスター様って。あの方を大事にしてくださっているのですね」
「マリアンネは今どこに?」
「お庭ですよ。雪が降ってきたとかで、子どもたちに連れ出されたんです」
視線を遣ると、屋外から歓声が聞こえてくる。マリアンネが子どもたちと一緒に雪の玉を転がしているところだった。
「いつまでもそんなところにいると、体を冷やすぞ」
シルヴェスターが呼びかけても、「はーい」という生返事と子どもたちのはしゃぎ回る声しか返って来ない。後で外套を持って行ってやらなければ。
「お嬢様、本当に楽しそう」
乳母が微笑ましそうな顔になる。
「ノルトハイム様、お嬢様を今後も変わらずに愛してあげてくださいね」
「ああ、もちろんだ」
式で立てた愛の誓いを反故にする気など、シルヴェスターにはさらさらない。
「これからも、何があっても私はマリアンネを愛し続ける。絶対に」
シルヴェスターは、雪だるまの胴体に腕代わりの木の枝を刺す妻を見つめる。
しんしんと降り続ける雪が、そんな彼女の体を花嫁衣装と同じ色に染めていた。