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見果てぬ夢のアスタ  作者: 匿名Xさん
第0章 夢見る少女のトーデストリープ
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知らない誰か 知っている声


『死』の定義とは何だろう?


心臓を貫かれた時?

頭蓋を砕かれた時?

それとも、精神(こころ)が失われた時?


どれも正解に思える


でも、その全てが違うとも理解()かってる


そうでしょ?



決定的な何かが欠如している


足りない要素は?

線引きは何処に必要?


思案の果て

自問に次ぐ自問

その答の在処は何時だって掌の中にある


そう、それ

あなたも持っているじゃない


見ることも、ましてや触れることも叶わない真理


誰もが欲して止まず

けれど、誰一人として手に入れたことのない代物



きっと『ソレ』は――




◆◆◆




 脇腹に感じた強い衝撃で愛は我に返った。


 同時に自分が一瞬、完全に気を失っていたことを悟る。



 頬に触れる冷たい骨の感触。


 思い出した様に息を吸い込むと、愛は胸の辺りに何かが這いずり回るような違和感を感じる。


 堪えがたい不快感に喉の奥から込み上げてくるもの吐き出すと、目の前の地面が真っ赤に濡れた。


 かなりの量の吐血に驚きつつも、愛は俯せに倒れた姿勢から跳ね上がるようにして身体を起こす。


 だが、途中で失敗して自らの吐いた血溜まりに顔を(うず)める結果となる。



 身体の整合性が取れない。


 加えて地面を掴もうとする左手が、何度やっても空を切る。


 初めは何が起こっているのか全く理解できなかった。


 しかしそちらに視線を向け、ようやくこの不可思議な現象の正体に気が付く愛。



 左肘から先が無かった。


 その断面は歪で、強い力が加わったことによって千切れ飛んだ事が分かる。



 そこまで考えて、ようやく愛は自身に何が起きたのかを理解できた。


 意識を失う直前に見た光景。


 白く巨大な蜘蛛――冥朧鏖喰蟲(トードシュピネン)が無造作に歩脚の一つを掲げたその後、愛は身体の左半分に強い衝撃を受けた。


 そこまではどうにか思い出すことができた。


 記憶が曖昧なのは、攻撃が加えられた瞬間に意識を失ってしまったからだった。 



(いや、あれは攻撃じゃないか)


 愛は自らが受けたの脚の一振りを思い返す。


 あの一撃には微塵も殺気が込められていなかった。


 人間で例えるならば、五月蠅く飛び回る蚊やハエを手で追い払う仕草に近いだろう。


 愛は自分が飛ばされてきた方向へと視線を向ける。


 すると件の冥朧鏖喰蟲が、八本の脚を器用に動かしながら愛の蹲っている方へと近づいてくるところだった。


 愛は自分が打ち付けられた巨木の幹に手を添え、足をよろめかせながらも立ち上がる。


 再び喉の奥を迫りあ上がってきた血を吐き出す。 



 そうこうしている内に、冥朧鏖喰蟲()は愛のすぐ側までやって来ていた。


 怪我の具合からして、とてもではないが逃げることなど不可能。


 失血によって視界がぐらつく中、立ち上がれたのは奇跡と言っていい。



 だが、それ以上の奇跡は訪れない。



 抵抗しようにも、足はおろか指一本すら動かない。


 極度の倦怠感が全身を襲い、慢性的な吐き気が愛を襲う。


 持って数分の命だろう。


 そう結論付けた愛だが、最期までの短い時間さえも冥朧鏖喰蟲は待ってくれないらしい。


 突き出された一本の脚が愛の胸部を貫通し、背後にある巨木へと愛を縫い留める。



 刺突の衝撃は愛の心臓を破裂された。


 飛び散った鮮血が巨木の幹をキャンバスに、花火の様な放射状の模様を描く。


 穿たれた胸の孔から血液が滴り、無地の貫頭衣を赤黒く染め上げた。



 愛の全身から力が抜けていく。


 首や四肢が重力に従って力なく垂れ下がり、瞳からは徐々に生気が失われていく。


 冥朧鏖喰蟲は愛の身体を持ち上げると咀嚼をするべく、幾重にも鋭い牙の立ち並んだ口腔へ、ゆっくりと運ぶように動かし――






――つまらない




 混濁する視界と意識の中、愛の耳には誰かがため息を吐く声が聞こえたような気がした。


 それはどこか懐かしく、そして親しみ深い響きをしていた。


 決して忘れることのない、大切な……



(あれ? これって、誰の声なんだっけ?)




◆◆◆




 ハッとして、机に突っ伏した姿勢から上体を起こす愛。


 思わず胸の辺りを弄るが、冥朧鏖喰蟲に開けられた孔など何処にもない。


 代わりに、下着に縫い付けられた小さなリボンの感触があるだけだった。 


 千切れ飛んだはずの左腕もそこに存在しており、頬や肩などに出来た擦り傷や切り傷、土や血糊などの汚れも消え去っていた。


 置かれている状況に呆然とする愛だが、周囲に目を遣り、さらに困惑することとなる。



(学校?)


 そこは死ぬ前に愛が通っていた高校。


 その教室の一つ、愛の所属するクラスのホームルームだった。


 気付けば、愛が身に纏っている衣服も貫頭衣から見慣れた制服へと変化している。



 黒板に汚い文字で書かれた日付。


 黒板の上に掛けられ、少し斜めに傾いた時計。


 半ば忘れかけていた、春にクラスメイト全員で決めた学級目標。



 それら一つひとつの備品、思い出達がとても懐かしく感じた。


 夕焼けに染まる教室内。


 日の傾きからして、時間帯は放課後のようだ。



 夜に比べれば十分な照度があるにもかかわらず、電気の消えた室内は赤とオレンジと黒を足して割った様な色合いに包まれている。


 その光景は見る者に昏い印象を与え、言い知れない不安感を煽る。


 遠くから野球ボールを打つ金属バットの甲高い声が鳴り響き、体育館の床を滑るスニーカーの合唱が微かに聞こえる。


 しかし、それらの音はどこか別の世界の出来事のように感じられ、さらに愛の孤独感を掻き立てる。


 自分が死んだことも、転生したことも。


 森の中を彷徨い、影梟(シャドウ・オウル)に追われ、冥朧鏖喰蟲に命を絶たれたその全てが、机の寝心地の悪さがもたらした悪夢であった気さえする。


 だが、肩に加わる長い髪の確かな重みと、窓ガラスに反射した自分の西洋人形の如き現在の姿が、どれも現実であることを意味していた。



――随分と呆気ない最期じゃないの?



 突如、教室内に響く声。


 それは酷いノイズ混じりで、男か女かすら判別できず、ましてや一人とも多人数とも分からない、不明瞭な声だった。


 投げかけられた声に愛の肩が跳ね上がり、咄嗟に室内を見渡す。


 だが、人影はどこにも見当たらない。




――最初なんて、あれだけ泣き喚いていたのに



 声は教室の中を反響しているため、発生源を特定することはできない。


 辛うじて分かるのは、話の内容からして、愛が転生した直後と冥朧鏖喰蟲に殺されたことについて言及していることだけだった。




――あの決意は一体何だったの?



 決意。


 愛が新たに手に入れた(チャンス)を、最大限に生かそうと決めたあの時。



『死にたくない』


 ただそれだけを胸に抱いて、得体の知れない森へと歩を進めた。


 

 生きるためにひたすら歩いた。


 がむしゃらになった影梟に立ち向かった。


 駄目だと分かったら必死になって逃げ回った。



 言葉にすれば、たったこれだけのこと。


 時間で言えばたった数日のちっぽけな抵抗。


 けれど、その内容は称えられさえすれ貶められるものではないと、愛は身を以て証明したと思っていた。



 だが、声の主は、愛の行動が気に入らないと考えているようであった。


 それを表すかのように、聞こえてきた声には呆れや落胆、不快感、怒りなどの感情が多分に含まれている。




――守りたい誇りも、貫くと決めた信念も、死んだら全部無駄になっちゃう


――究極的には『過程』よりも『成果』が重要だよね


――でも、『何を成したか』『何を残したか』みたいな議論するのはもっと無意味


――過去に囚われているようでは、未来はもちろん、今だって変えられはしない




 聞こえてくる声は次第に鮮明さを増し、発生源も近づいてくる。


 その種類も、どこか幼さの残る声が聞こえたと思えば、次に聞こえるのは溌剌とした別人の声。


 気怠げな声もあれば、凜々しさを感じさせる声と様々だ。



――分かっているはずだよ、目の前の現実から目を背け続けていることを


――それどころか、自分に嘘を吐き続けていることも




 聞き覚えのない声たちが教室に木霊する。


 ただ、最後に聞こえた声だけは、愛がよく知る声だった。



(また、この声だ)


 この教室で目が覚める直前に聞こえた声。


 懐かしく、親しみがあり、なぜか耳に残る声。



 そして次の瞬間、愛は二重の意味で驚愕することになる。



 一つは、愛だけしか居ない教室に、いつの間にか一人の少女が佇んでいたことだ。


 愛と同じ制服に身を包み、肩口に届かないくらいの長さの黒髪は、さして特徴のないショートヘア。


 雑踏に紛れてしまえば記憶にすら残らないだろう、平凡な少女。


 ただ一点を除いては。



 少女を異質たらしめている点。


 それは顔だ。


 本来なら目や鼻のあるべき部分はそこだけ綺麗に塗り潰されでもしたかのように、のっぺりとした白。


 一見すると出来の悪い現代アートにしか見えない彼女でだったが、他ならぬ愛はこの顔のない少女が誰であるかが分かった。


 否、分かってしまった。



佐藤愛(わたし)?」


 少女の存在しない目と愛の目が合う。


 すると平らだった少女の顔に亀裂が奔り、口を象った。



「正解だ、私」


 愛が驚くのも無理はない。


 何故なら、視線の先にいる少女は、つい先日まで自分が動かしていた、生前の『佐藤愛』の肉体そのものなのだから。



 自分という存在が二人居る状況に、何が起きているのか理解できず、ただただ唖然とする愛。


 そんなことはお構いなしとばかりに、もう一人の愛は言葉を紡いだ。



「久し振り、と言うほど久し振りでもないね。一昨日まではそっちの佐藤愛が肉体(コレ)を動かしていたんだから」


 もう一人の愛がクツクツと笑い声を上げる。


 自分以外から聞く自分の声は、録音された音声を立体音響(ステレオ)で再生しているかのようで、自ら声を発した時との差異が愛の不快感をより強調した。



「何で、私が二人もいるの?」

「その表現は正しくないよ。佐藤愛はオリジナルの佐藤愛(おまえ)ただ一人であって、私という存在は謂わば、お前のイミテーションでしかない。詰まるところ、偽物だよ」


 何が面白いのか、もう一人の愛は不気味な笑顔を絶やすことなく、淡々と質問に答える。



「聞きたいことが一つあるんだけど?」

「私が答えられる範囲内なら答えよう」

「……()()()誰だ?」


 愛は"ソレ"の答えを信用していない。


 転生などと言う非科学的な体験を経た今であっても、目の前にいる"ソレ"が佐藤愛(自分自身)であると断定できないからだ。


 建前では。


 本当の理由は、言葉にできない違和感を感じたから。



――"コレ"は自分ではない


 自分の中の本能がしきりに語りかけてくる。




 愛の言葉を聞いた途端、もう一人の愛は浮かべていた笑みを一段と深くした。


 その瞬間、世界に激震が奔る。


 愛の全身を途轍もない重圧が襲いかかった。


 窓ガラスに無数の罅が入ったと思えば粉々に砕け、椅子や机が急速に朽ち、原型を維持できずにひしゃげる。


 掛け時計が狂ったように逆回転を始め、黒板や壁の塗装は剥げ落ち、小さな粒になって崩れていく。


 室内だけではない。


 遠くに見える建物も倒壊し、緑は枯れ、空気は濁り、美しかったはずの夕焼けは気味の悪いマーブル模様を描く。



 不意に、愛の立っていた部分の床が抜けた。


 瓦礫とともに落下する愛。


 世界が音を立てて崩壊した。



 行く先は、完全なる"無" 。


 音も光も、空気も、何一つとして存在しない、空虚な闇だけが広がっていた。 


 黒いそれが何か、愛は知っていた。


 "死"だ。


 不気味で、絶対的で、全ての事物に訪れる終着点。


 飲み込まれたが最後、全ては"無"に染まる。


 愛は"ソレ"から逃れるため、体勢を立て直そうと身を捩る。


 前の肉体ならいざ知らず、現在ならば落下物を足場に跳躍を繰り返し、崩れていない大地に戻る事は可能だ。


 そう考え、近くのコンクリート塊に脚を掛けたその時、愛の背中を軽い衝撃が襲う。


 振り向くと、薄ら笑いを浮かべたもう一人の愛の姿がある。



「私からも一つ聞こうか。……なぜ、魔法を使わない?」

「何を言って――」

「ありふれた韜晦は私の望む答えじゃない。その術は最初から持っているはずだ」


 胸から腕が生えていた。


 痛みはない。


 それでも、体内に異物があるという不快感は拭えない。


 艶やかな赤に濡れる腕。


 その手には白く輝く物体が握られている。


 どうにかして距離を取ろうにも、まるで金縛りに遭ったかのように全身が動かない。



「名残惜しいけど、そろそろお別れの時間みたいだね」

「待て」

「佐藤愛は新たなる"キミ"という存在に生まれ変わらなくちゃならない。そのためにも彼我の境を設ける必要がある。……ああ、丁度良いモノがあるじゃないか」



"シオン"



 世界の崩壊する音の中で、その声はハッキリと愛の耳に届いた。


 その声を引き金(トリガー)に、もう一人の愛――いや、佐藤愛にも変化が生まれた。


 マネキンのように何もなかった顔が端から少しづつ崩れ、置き換わるようにして本来の佐藤愛の顔が再構築されていく。



「さようなら、シオン。願わくば、その行く先に幸あらんことを――」


 それだけ言うと、もう一人の愛はひと思いに腕を抜き去った。


 支点を失った愛の身体が再び落下を始める。


 逆光が愛の顔を隠す。


 シオンは崩れ落ちる瓦礫とともに、底知れない闇の中へと落下していく。



魔法


一般的に魔法とは物理法則を無視した超常的な力。

時に人の限界を超えた怪力を発揮したり、何も存在しない虚空に炎を発生させたりと種類は様々。

その起源は古く、一説によると神が与えた力であると言われている。

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