エピローグ『濡羽色の少女』
鉄剣が振るわれ、肉が爆ぜた。
直後、小鬼だったものは無数の肉片と大樹の幹にこびり付いた赤い染みへと成り下がる。
「……やっぱダメだ」
シオンは手に持った鉄剣へと視線を落とす。
背後からもう一匹の小鬼が飛びかかって来たが、彼女はそちらへと無意識に拳を叩き込む。
すると小鬼は胴体を残し、頭部を爆散させて絶命する。
シオンは手に付着した血液や肉片を魔法で落とし、再度鉄剣を観察する。
彼女の手には何の変哲も無い片手剣。
剣身の長さは平均的な約60センチメートル。
材質は鋼。
値段は銀貨二枚と相場の範囲内。
武器屋で特に考えもせずに選んだ数打ちの一つだが、かといって鈍という訳でも無い。
この等級の武器ならば、銀級の下位程度までは十分に使う事のできる品だ。
ただ、その剣身は大きく湾曲している。
柄の部分もシオンの握力に耐え切れなかったのか砕けてしまっていた。
次に一匹目の小鬼へと視線を向ける。
振りの速度に鉄剣が付いて来られず、剣身が湾曲したことにより斬撃の威力が拡散。
"斬る"というよりも"叩く"に近い攻撃となったため、衝撃を諸に受けた小鬼の肉体は耐えきれず、その身を破裂させる結果となった。
夜叉の引き起こしたスタンピードから三日。
ウォーデスの町の復旧は徐々に進んでいた。
王都の冒険者組合本部から派遣された人員によって町周辺の安全は速やかに確保され、負傷者の治療も行われる。
森に隣接する門や外壁は夜叉の『薙雲』によって壊滅したが、幸い倒壊した家屋は少なく、魔法によって新たな壁が建造されている最中だ。
討伐した魔物の死骸、並びに戦死者は、放置すると病の温床となるため早急に解体・埋葬された。
魔物の死骸は戦いの中で損傷が酷いものも多いが、中には素材や魔石が入手できるものも少なくないため、それらを売却した資金によって復興費が賄われる事になる。
そして戦いの傷が癒えたシオンは、現在『黒の魔境』の深部に位置する森の一角へと足を運んでいた。
夜叉との激闘を終えたシオンは、一時魔力の欠乏から意識を失ったが、ノアールの介抱もあって今ではすっかり回復した。
目覚めるまでに丸一日、調子が戻るのに更に一日を要したが、十分な休息の甲斐あってとても清々しい気分だった。
むしろ、以前よりも身体が軽い気さえする。
そこで肩慣らしも兼ねて適当な鉄剣を見繕たのだが、結果はご覧の通り。
夜叉との戦闘で培われた剣技を確認する以前に、武器の耐久性が圧倒的に不足している。
ならば鉄剣よりも等級の高い武器を購入すれば良いかと言えばそうとも限らない。
ヴァーノルドの愛用する戦鎚は真魔鋼と聖霊銀の合金だが、シオンの水準からすると鉄剣と然程変わらない。
それ以上を求めるならば迷宮から出土された物や蒐集家のコレクションが偶然オークションなどで世に出る機会を待ち、落札する他無い。
かといって魔力で武器を強化しているようでは話にならない。
確かに武器を強化すればシオンの身体能力に耐えることは可能だろう。
だが、強化が可能な幅にも限界があり、等級が低い鉄剣などでは精々真魔鋼と同等の強化しか施せず、長時間魔力を流し続ければ結局は耐えきれずに自壊してしまう。
加えて、夜叉と同程度かそれ以上の魔物との戦闘を考慮した場合、等級の低い武器では心許ない。
二匹の小鬼の死骸を魔法で焼却しつつ、シオンが武器の当てに苦悩していると、俄に森が騒がしくなる。
木々が騒ぎ、魔物たちが鳴りを潜める。
直後、上空を巨大な影が通り過ぎた。
その正体は全長20メートルにも及ぶ竜――正確には亜竜に分類される風竜の一種。
風竜の等級は幻影級上位相等に指定されている。
翼と腕が一体化しているそのフォルムは正に空の王者と呼ぶに相応しいもの。
だが、残念なことに真なる竜種には及ばない。
竜種は最低でも深淵級上位相等の戦闘力に加え、高い知性と複数の高位魔法を同時に行使する事が可能な莫大な魔力を保有する。
とは言え、人間種にとっては竜種も亜竜種も脅威であることには変わりない。
天鵞絨に輝く鱗は堅く、天を翔る両翼は暴風を生み、成熟した個体は高密度の魔力を収束させた『息吹』を放つ。
天災と言っても差し支えの無い魔物。
『黒の魔境』でも上位に位置する風竜だが、飛行する様子は些か奇妙だった。
その疑問は風竜を追うように森から現われた存在によって解消されることとなる。
藪を掻き分け姿を見せたのは、シオンの従魔であるシリウス。
彼女は夜叉の攻撃からシオンを庇った事によって瀕死の重傷を負ったが、それも今では問題なく完治している。
シリウスが影魔法によって作り出した十数本の『影槍』を上空に向けて放つ。
風竜も迎撃のために『風槍』を放つが、複雑な軌道を描き襲い掛かる『影槍』を撃ち落とすことは叶わない。
迎撃が不可能だと悟った風竜は自身の周囲に風を纏いながら『影槍』の追跡を振り払おうと飛行する。
ループや旋回、急上昇・急下降などアクロバティックな機動を繰り広げる様は、さながらドッグファイトを見ているようだ。
中々胸の熱くなる戦いにシオンが興奮している間にも、『影槍』の一つが風竜の片翼の皮膜を貫いて見せた。
バランスの崩れた風竜は木々を薙ぎ倒しながら森へと墜落する。
決着が付いたかに思われた戦いだが、土煙の向こうで一つの輝きが生まれる。
風竜の『息吹』だ。
攻撃の予兆を察知したシリウスは即座に影の荊を生み出し防御を試みる。
厚く張り巡らされた影の荊だが、熱線にも似た『息吹』前には紙切れにも等しい。
数秒と持たずに影の荊が焼き切られる。
『息吹』が終息した後の地面は高温によって赤熱化し、一部はガラス質に融解していた。
だが、『息吹』が貫通した影の荊の先にシリウスの姿は無い。
風竜の落とした影を媒介とし、無数の影の荊が天へと伸びる。
それらは胴体や翼脚、頭部を悉く貫き、続いて影から顕現した巨大な顎門が風竜を一呑みにする。
入れ替わるようにして影から飛び出るシリウス。
その表情はどこか満足げなものだった。
シオンと出会った当初、シリウスの茶に赤が混ざったような赤銅色の体毛は今では深紅となり、体高も一回り大きくなり100センチを越えた。
その種族も、今では兇賊餓狼の特異固体から、全く別の新種へと変化している。
これは魔物が他の生物を喰らうことで生物としての格を上げる存在進化とも呼べるもので、シリウスの等級は既に深淵級上位相等、下手をすると燼滅級最下位に達していた。
次いで現われたのは、純白の鎧が目を引く魔導人形のノアール。
シオンは剣の試し斬りを行うに当たり、周辺の魔物の一掃を頼んでいたのだ。
シリウスとノアールはスタンピード以降、積極的に魔物を狩るようになった。
どうやらシオンと夜叉の戦闘に思うところがあったらしく、シリウスは格を上げるため、ノアールは戦闘経験を積むために昼夜を問わず頻繁に森へと出入りしている。
二人が揃ったところでシオンは使い物にならなくなった鉄剣を『収納』の中へと仕舞う。
どうやら武器の当てに思い当たったようだ。
鉄剣の代わりに取り出したのは夜叉の角と魔石。
シオンが行おうとしているのは錬金術の到達点の一つである『魔導錬成』。
必要な知識は何時ぞやに入手した魔導書に全て記載されているので問題ない。
第一段階として手元に魔力を圧縮していく。
そして生み出されたのが、白銀に輝く一抱え程の大きさをした球体。
次に球体へと夜叉の角と魔石を放り込む。
武器が無いのならば創ればいいと考えたシオンは、魔導錬成によって等級の高い武器を創造するという結論に至ったのだ。
事実、魔王級にも迫る実力を持っていた夜叉の素材を使えば、シオンの身体能力を十全に生かすことのできる武器を創造することも可能である。
圧縮された莫大な魔力と素材が魔術的な反応を起こす。
稲妻にも似た閃光が周囲を駆け巡る。
錬成は最終段階に入った。
残る行程は球体を武器の形状に落とし込む事のみ。
求めるのは最強の武器。
シオンの心象を体現するかのように、球体はその形を変化させていく。
彼女が思い浮かべたのは夜叉の振るっていた黒刀だ。
黒刀から繰り出される斬撃は、彼女が身に纏う高密度の魔力で編まれた外套の防御力さえ貫通して見せた。
(あんな感じの武器が欲しいな)
幸いにも夜叉の一部を素材として流用するため、刀を創るには適している。
武器の基礎が固まったところで形状を近づけていく。
このまま魔力を注ぎ続ければ、シオンの思い描いた武器が完成する。
――何かが足りない
シオンが感じたのは些細な違和感。
そして、このままでは自分が求める武器を創造することはできないという確信。
決定的な何かが欠如している。
確かに夜叉の角と魔石は武器の素材としてこれ以上無い優秀な物だ。
錬成を続けたとしても十分な性能を有した武器が仕上がるだろう。
だが、本当にそれでいいのだろうか?
求めるのは"それなり"ではなく"至極"。
その為には、この材料だけでは不十分と判断せざるを得ない。
疑問を覚えたシオンが行動するのは早かった。
右手に『幻月』を顕現させ、自らの左手首を斬り裂く。
滴る鮮血。
鼻を付く鉄の臭い。
主の突然の行動に二人が動揺する気配を感じるが、当の本人であるシオンは気にも留めない。
錬成途中の武器に血を落とし、追加で『幻月』も混入させる。
白銀に輝く魔力は黒く染まり、その一部が周囲へと溢れ出し天変地異を引き起こす。
空には不気味な黒雲が立ち籠め、生暖かい風が吹き荒れる。
唐突に錬成の途上であった筈の武器が弾け飛んだ。
シオンの足元に黒い水溜まりが出来上がる。
錬成が失敗したのかに思われたが、水溜まり――高濃度の魔力の集合体はその場に留まり一向に消えようとはしない。
むしろ黒い魔力は、付近にある岩や樹を呑み込みつつも拡大を続ける。
シオン達の足元にも魔力が這うが然したる害は無い。
小さな水溜まり程の大きさだった魔力溜まりは瞬時に池の様な大きさへと成長し、かと思えば拡大を続けていた様子から一転、中心に向かって収束を始める。
再びシオンの目の前に集まった魔力。
その形は酷く歪で、まるでどの様な姿を取るのか思案するかのように蠢動していた。
魔力の動きが止まる。
最終的に魔力は元の球体の形を取った。
直径100センチ程の漆黒の球体。
その表面に無数の罅が生まれる。
一連の変化を例えるならば孵化だろうか。
球体を突き破ったのは濡羽色の髪をした少女。
10代前半と思しき幼い外見の彼女は、生まれたままの姿で己の身体を掻き抱くように宙を浮いていた。
その肌は病的なまでに白く、細い手足は触れれば折れてしまいそうな細さ。
どこかシオンと似た顔付きは、魔導錬成の際に血液を混ぜたからか。
髪色は対称的だが、二人が隣に並べば姉妹のように見えるに違いない。
そして最も特徴的なのが、少女の額から生えた二本の小さな白い角。
――鬼
不意にそれまで瞼を閉じていた鬼の少女が目を覚ます。
鮮やかなワインレッドの瞳がシオンの姿を認めると同時に、少女は桜色の唇に笑みを浮かべ、透き通るような美声を響かせた。
「初めまして、主殿」
第一章 哮る覇王のレゾンデートル 完
To be continued――