凶兆は静かに
シオンが雑貨屋にて、日本語によって書かれた書籍を手に入れ一週間が経った。
結局、なぜ自分が異世界の言葉や文字を理解する事ができるのか、書籍の作者はどういった人物であるのかといった疑問は解消しなかった。
思えば転生そのものが、そもそも不可思議な事象なのだ。
死んだ佐藤愛の肉体は、魂はどうなったのか。
シオンと名乗り、今現在使っているこの肉体は、どの様にして誕生したのか。
考えれば考えるほど、思考の泥沼に引きずり込まれていく。
その間にも、依頼を遂行する合間や就寝前にも書籍に目を通したところ、これが魔導書であることが分かった。
そしてこの魔導書には、基本的な属性魔法に限らず、様々な知識が記載されていた。。
秘伝とされる第十階位の魔法。
武具に刻むことで、その性能を格段に上昇させる付与術式。
高位の魔物の素材を素材とした魔法道具の作成。
ルーン、アルカナといった神秘文字の使用法。
その他、錬金術や占星術、果ては陰陽術や忍術までも、魔導書は詳しく解説していた。
いまだ、その全てを把握した訳ではないが、この中に転生にまつわるヒントが隠されているとシオンは直感する。
同時に、手元にある情報が少ないことも実感しはじめていた。
石厳大蜥蜴の亡骸の上に座るシオン。
石厳大蜥蜴は「等級:禍災級」の最上位に指定される魔物だ。
竜の名で呼ばれているが、実際は亜竜の一種に分類されるため、本物の竜ほど強くはない。
それでも、竜の名を冠し、組合から禍災級に指定されるだけあって、その力は強大だ。
全体のフォルムとしては、巨大なオオトカゲと言えば分かるだろう。
毒や邪視など、これといった特殊能力は持たないが、石厳大蜥蜴の一番の武器はその堅さにある。
10メートルを超えるガッシリとした巨体は、岩を思わせる堅牢な鱗で覆われており、その強度は聖霊銀が使われた武器でも傷付けるのがやっと。
さらに、その重鈍そうな見た目に反して動きは素早く、巨体から繰り出される突進、尻尾のなぎ払いは特に注意が必要だ。
なぜ、シオンがこの魔物に跨がっているのかは、例によって例のごとくノアールが関係する。
平時の石厳大蜥蜴は、岩に擬態することによって身を隠し、近くを通りかかった人や魔物を襲うのだが、これを見つけられなかったノアールがシオンに泣き付いたのだ。
この一週間の間にも、ノアールは何度かシオンの助力を請うている。
強靱な翼で黒の魔境の上空を飛び回る風竜の討伐。
草に擬態し、引き抜いた者をその声で死に至らしめる人根草の納品など、どうやらノアールは索敵が苦手らしかった。
対してシオンは、ノアールの持ってくる依頼は手応えのある魔物を狩ることができ、かつ刺激的な冒険もできる良い機会だったので、迷惑どころかむしろ喜んで参加していたのだが。
頬杖をつきながらどこまでも広がる蒼穹を眺めていたシオンは、ふと思いついたように呟く。
「旅、かな」
『旅ですか?』
「?」
話の脈絡が見えてこず、聞き返すシリウス。
石厳大蜥蜴の血抜きを行っていたノアールは、シオンの呟きに反応して小首をかしげた。
「哲学っぽい話になるけど、私はこの世界のことを何も知らない。人間が何か、生命とは何なのか、魔法が存在する理由は何か?」
「??」
『すみません。私にはお答え致しかねます』
シオンの問に対する答えを、シリウスもノアールも持ち合わせてはいない。
特に二人をいじめる意図はなかったので、シオンは「聞いてみただけ」と、項垂れる二人を慰める。
現状シオンも無知である事について、さしたる不自由を被った覚えは無い。
しかしだからと言って、このまま無知であっていい理由にはならないのだ。
ここは一体どのような世界なのか。
転生がもたらすディメリットについて。
魔法の存在する意味とは。
知っていれば解決策が立てられる。
仮に解決策が無かったとしても、代案を考える事はできるはずだ。
しかし、何も知らなければ?
前世では当たり前だったことが、この世界では当たり前で無なかったとしたら。
ある日突然、転生したことによる代償を払わなければならないとしたら。
魔物との戦闘中に魔法が使えなくなったとしたら。
恐ろしいとシオンは考える。
無知とは危機感の欠如だ。
知らないことに甘んじて、知る機会があるにも関わらず行動しなければ、大いなる流れから取り残される。
何かが起こったとき、知らなかったでは済まされないのだ。
愚かさの代償は、いつか必ず支払わなければならない時が来る。
「――だから、ひとまずこの国の首都に行ってみようと思う」
「!」
『異論ありません』
賛同してくれた二人に礼を言って、シオンは旅の計画を立てる。
この一週間で、シオンの冒険者階級は鋼級から一つ上、銅級に昇格し、晴れて初心者を脱却した所だ。
ノアールも依頼の達成率や貢献度から、本日の午後に聖霊銀級に昇格する試験を受けることが決定しており、報酬と魔物の素材を売却する事によって莫大な利益が得られている。
旅の資金としては十分だろう。
ノアールにはこのまま冒険者の最高位である神煌金級を目指してもらい、地位と情報の収集に役立ってもらう予定だ。
シオンの方も今後数年掛けて冒険者階級を金級に上げる計画を立てていた。
金級になれば、日常生活に不自由ない金と身分が保障されるから。
幸いにして、力は持っている。
力が全てのこの世界では、強者であれば大抵のことはどうにかなるので、旅をするのに不都合は生じない。
求める情報がこの国に無ければ隣の国へ、その国にも無ければ別の国へと旅を繰り返す。
中々悪くないとシオンは考えていた。
血抜きの終わった石厳大蜥蜴をシオンが『収納』に回収する。
組合に提出するときは、ノアールとの感覚共有から合図を送ってもらい、そこへ死骸を出現させるといった方法をとっている。
少し手間が掛かるが、ノアールは魔法を使うことができないので仕方ない。
血の後始末などを終えたシオン達は帰路へと就いた。
◆◆◆
――堕獄の樹海 深度4
『堕獄の樹海』――通称『黒の魔境』は、その深さによって、大きく六段階の『深度』が振り分けられている。
深度0が外縁部。
魔物の殆どが下級程度の力しか持たず、数も少ないため、これといった危険は無い。
深度1がウォーデスの町を含む、魔境に少し踏み入った場所。
ここも比較的安全だが、下級の魔物の生息数は一般的な他の生息地よりも多く、稀に戦災級に指定される魔物も確認される。
そして、組合内でも真に『黒の魔境』と恐れられているのは、深度2以上の深さからだ。
ここからは戦災級、禍災級の魔物の生息域と化し、ベテランとされる金級冒険者でさえ、踏み入れば高い確率で帰ってこない。
最低でも、聖霊銀級以上の実力が要求され、深度3以上ともなれば、最高位冒険者である神煌金級でも探査が困難になる。
『黒の魔境』の最奥である深度5は、一説によると深淵級や燼滅級などの魔物でひしめき合っており、最深部に位置する『楽園の湖』付近には、国家間で魔王級と恐れられる最上位等級の魔物ですら近づかないとされている。
その様な魑魅魍魎が跋扈する、黒の魔境でも最奥に近い場所に、一体の魔物は居た。
冒険者組合はその存在を殆ど認知できてはいないが、『黒の魔境』は四体の魔物によって統制されている。
白化した巨樹が幾本も立ち並ぶ『白の森』を生息域に、そこへと踏み入った生物を見境無く捕食する『邪神樹』。
『楽園の湖』の底を根城とし、ごく稀に姿を見せては『黒の魔境』全域に嵐をもたらす、真正の竜種『深淵竜』。
神出鬼没でそれを見た冒険者は幸運になれると言われ、攻撃した者は百雷に貫かれるとされる『麒麟』。
そして、数多の魔物を従え、実質的に『黒の魔境』の頂点に君臨する『夜叉』。
これら、四体の魔物が絶妙な均衡を保つことにより、黒の魔境の生態系は安定し、周辺国家に向かうはずの魔物の数も抑えられていた。
しかしこの日、長らく続いていた仮初めの平和は崩れ去ることになる。
『夜叉』が拳を天へと突き上げ、鬨の声を上げる。
呼応するのは無数の魔物。
ゴブリンやオーク、オーガや、それらの上位個体であるジェネラルやキング。
それだけではない。
ミノタウロス、トロル、サイクロプス、ラミア、ハーピィ――亜人系に属する魔物が『夜叉』に呼応し、天を割らんばかりの怒号を上げる。
『夜叉』が指し示すのはただ一点のみ。
鮮血を連想させる真紅の刀を振り上げ、魔物たちへと王命を下す。
地響きを立て、我先にと動き出した魔物たちが雲霞の如く森を突き進む。
向かう先は人族の町――ウォーデス。
今、スタンピードが起こった




