言ノ葉
眩耀蜂蜜を無事に入手したシオンとシリウスは、ウォーデスに程近い森の中にある小径にいた。
ノアールとは町に近づく前に別れている。
シオンとノアールは対外的に無関係なので、二人が共に行動していることを知られないための措置だ。
先にノアールが町の門を潜り、しばらく時間を置いた後でシオンも町に入る。
今頃ノアールは、冒険者組合に依頼の完了を報告し、組合内の冒険者たちは大騒ぎになっている事だろう。
本来ならば『眩耀蜂蜜の納品』は、数日掛けて惨毒大蜂の追跡、巣の位置の特定が行われる。
その依頼を半日足らずで完了させ、さらに一回の採集で小瓶数本分しか入手できない眩耀蜂蜜を五本も回収する手際のよさ。
それらを単身で行ったとなれば、誰しもが実力を認めるだろう。
また、今回の眩耀蜂蜜の品質は最高級と呼べるものであり、最低でも通常の売却額の三倍は固い。
多少シオンが助力したものの、本来ノアールの実力があれば十分依頼を遂行することは十分に可能だった。
そう考えると、自らの子とも呼べるノアールが称賛を受けることは、シオンにとっても喜ばしく思えた。
若干足取りが軽い事を自覚しつつ、シオンはウォーデスの町の門に近づく。
「嬉しそうだな、シオン」
軽鎧に身を包み、鋼鉄製の槍を持った門番をしている二人の兵士、その内の一人がシオンへと話しかける。
彼の名はロイと言い、通行人と気安く会話している光景をよく見る好青年だ。
昨日も、浮浪者同然のシオンを見た目で判断せず、正規の手続きの上で町へと入る許可を出した実直な人物でもある。
「薬草の群生地でも見つけたか?」
「まあ、そんなところかな」
「そりゃよかった。お前はひょろっちいから、シリウスがいても装備が整うまで、魔物との戦闘は極力避けるようにしろよ?」
会話の最中にもシオンが手渡した冒険者証の確認を行い、ロイは通行者の記録表に書き記していく。
冒険者の入市税は基本的に組合が負担してくれる。
昨日の場合は先にノアールが検問を受け、その際に手頃な魔石を門で売却した後に、『収納』の魔法経由で小金を手に入れたシオンも検問を受けた。
表への記載が終わった所でロイに別れを告げ、シオンは町へと入る。
向かう先は組合だ。
予想通り、組合内の冒険者連中はノアールの依頼達成で話しは持ちきりで、実に賑やかな様相を呈していた。
シオンは裏手に回り、依頼の薬草――蒼翠草を四束に加え、採集の途中で襲いかかってきたゴブリンの魔石と討伐証明部位の耳を提出する。
蒼翠草は一株で黒貨二枚。
一束は三十株なので、合計120株の買取額は銅貨二枚と鉄貨二枚。
ゴブリンは一匹あたりの討伐報酬・魔石の売却額がどちらも銅貨一枚。
提出したのは三匹分なので銅貨六枚。
報酬は占めて銅貨八枚と鉄貨二枚になった。
蒼翠草を探していた時間は実質一時間ほどなので、時給にすれば割のいい仕事に思えるかも知れない。
だが実際、冒険者が活動するのは、死と隣り合わせでいつ魔物に襲われるかも分からない森の中だ。
一時間の活動でこの報酬と考えると、この世界の命はとても安いようにシオンには思えて仕方がない。
ましてやシオンの場合はシリウスの助力もあって、蒼翠草を見つけるのに苦労は無かったが、本来この数の蒼翠草を採集しようと思えば倍の時間は掛かる。
それでも自分で稼いだ報酬を受け取るのは気分がよかった。
シオンの在籍していた高校は、校則でアルバイトが禁止されていたため、これが始めて金を稼ぐという経験だ。
受け取った硬貨を握りしめ、シオン達は組合を後にする。
時刻は昼過ぎ。
昼食を食べ損ねたシオンだったが、今から食べると夕食に差し支えるが、小腹を満たす程度ならいいだろう。
大通りを歩きながら手頃な出店で探していると、魔物肉の串焼きを売る店を見つけた。
これなら量も丁度いいと考え、シオンは串焼きを購入することを決める。
「オーク肉の串を二本……やっぱり六本で」
「こんな時間に肉串六本って、坊主、夕飯食えんのか?」
シオンが串焼きを注文すると、炭を追加していた店員の中年男性が野太い声で問い掛けてくる。
坊主とシオンが呼ばれているのは、フードを目深に被り、魔法で声を変化させているからだ。
すると、低めの身長なのも相まって、少々ハスキーな声音をした少年の様に見える。
「六本全部は流石に食えないよ。その内の四本はコイツの分」
そう言ってシオンはシリウスを指差す。
屋台から乗り出してシリウスの姿を認めた店員は納得すると、慣れた手つきで肉を切り分け、六本分の串を焼いていく。
塩や醤油ダレと言った調味料は無いようだが、代わりに香草とすり下ろした果実を合わせたタレを付けている。
滴る脂が食欲を誘う香りを漂わせ、思わずシオンが生唾を飲み込んだとき、ようやく店員が串を火から上げた。
代金の鉄貨数枚と引き換えに、シオンは串を受け取る。
大通りを少し進み、通行人の迷惑にならない場所に来ると、息を吹きかけて冷まし、肉串にかぶり付く。
オーク肉は少し固い豚肉といった食感をしていた。
甘い脂とタレの辛さが調和し、互いの味を引き立て合う。
噛めば噛むほど、肉から染み出す旨みが口の中に広がり、気付けばシオンは一本目の肉串を完食していた。
待たせても悪いので、シリウスにも肉串を渡す。
シリウスは影魔法を器用に使い、肉串から肉を引き抜くと口へ運んだ。
これといって表情に変化は無いがお気に召す味だったのだろう。
肉を咀嚼している現在、シリウスの尻尾は左右に揺れていた。
出店の多い区画に幾つも設置されているゴミ箱へ食べ終えた串を捨て、街道を再び歩き出す。
腹ごなしも済んだところで、次にするのは買い物。
古着屋で手頃な服を見繕い、忘れていたシリウスの首輪と従魔であることを示すタグを探したりと、必要なものを買い求めていく。
ここまで、店の位置が分からなかったり、お目当ての品が見当たらなかったりと多くの時間を費やしたが、幸いまだ日は暮れていない。
最後に訪れたのは雑貨屋。
ここでシオンは、タオルや皿、簡単なウエストポーチの様な鞄を買い求めたいと考えていた。
冒険者として活動する中でタオルは何かと役に立つし、シリウスの食事を出すための皿はあると便利だ。
また、今日の依頼では、採集した薬草を仕舞っておくことのできる鞄の様なものが必要だと考えた。
『収納』は高位の魔法なので、人前で使うにはリスクが高い。
その隠れ蓑として鞄を持ち歩くことにしたのだ。
雑貨屋の商品棚には、食器や小物、軽い食料などの日用雑貨に加え、魔法道具――魔石を燃料に発光するランプや、ライターの様なものが置いてあったりと、見慣れない商品も販売している。
心躍る光景ではあるが、魔法の使えるシオンにとっては無用の長物でしかないので、手早く必要なものを手に取っていく。
――ふと感じる魔力の波動
シオンは一つの本に目が留まる。
革で作られたカバーに達筆な文字のタイトル。
単行本サイズのそれはしっかりとした丁装が成されており、どこか辞典を思わせるような造りをしていた。
「その本が気になるかい?」
本に目が釘付けになっていたシオンに、カウンターで寛いでいた店主が話し掛けてきた。
彼は本を手に取ると、ページを軽くめくっていく。
「若い子は知らないかもしれないけど、それはこの国の建国記……一番初めの王様の冒険を書いた物語なんだよ――」
懐かしい思い出を想起し、表情を緩める店主。
「この挿絵なんて、王様と戦う魔物がリアルすぎて、子供の頃に読んだときは泣いたよ」と、一つの挿絵をシオンに見せた。
――なぜ、今まで気付かなかったのだろうか?
疑問に思う機会は幾らでもあった。
購入する品物の精算を終わらせ、シオンは雑貨屋を出る。
その手には、買い取った本が抱えられている。
(なんで私は、この世界の言葉を話すことができる?)
文字通り、違う世界に来たというのに、シオンはウォーデスで生活して不自由に感じたことはなかった。
ロイに話し掛けられたとき、その言葉の意味を瞬時に理解し、返答することができた。
組合では字が読めない者のために、小間使いが代読を買って出ていたが、全く必要なかった。
言葉が分かる。
文字が読める。
それは大した事ではない様に思えるかもしれないが、この場合は異常だった。
気付かせてくれたのは一冊の本。
店主が薦めてくれたその本は、冒険譚でも、ましてや建国記でもなかった。
巧妙な隠蔽の魔法が何重にも重ね掛けされ、別の著書に見えるように偽装された魔導書。
タイトルは『サルでも分かる魔法入門』。
時代遅れ臭がどことなく漂う、ありふれた読者への掴み文句に、魔法という怪しげな文言を添えた一冊。
店主の見せたページには、剣を振るう英雄の姿も、恐ろしげな魔物の姿も見当たらなかった。
代わりに、夥しい量の複雑な魔方陣が幾重にも描き記されていた。
その本の作者は『タイガ』。
だが、最も気にするべき問題は、タイトルのセンスでも作者の名のどちらでもない。
物思いに耽るシオンの後を、心配そうな足取りでシリウスが付いていく。
ぼんやりと宿への帰路に着くシオン。
その手に持つ本のタイトルは、"日本語"で書かれていた。
秘密が明らかになるのは、物語がもっと進んでからです




