報いを受けるべき者は
まもなくして部屋の入口に現れたのは、兵士に囲まれた捕虜の姿だった。屈強な男たちの隙間からダークブロンドが見えるや否や、ミレイユが動いた。すぐ傍に控える騎士アルヴィンが、制止する間も無い。先刻まで優雅に身を屈めていたはずの彼女は、ひらりと身を翻した。金の巻き髪が乱れるのも構わず、つかつかと駆け寄ると小さな唇を震わせる。
「セシル様……!」
俯いていた青年は、はっとして顔を上げた。日に焼けた赤い額には、まだ生々しい紫のあざが刻まれている。腫れ上がった瞼の下の、虚ろな瞳が少女を映し出す。と、ややあってから彼は困ったような眉尻を下げ、ゆっくりと口の端を持ち上げた。ひび割れた唇からじわりと血が滲む。
「……ミレイユ。」
名を呼ばれ、少女はぱっと蕾が花開くようにほころんだ。兵士の隙間から青年を見上げる。彼女は、数十年もの歳月を隔てたような感慨深さを噛み締めていた。
「本当に、こちらにいらっしゃったのですわね。ああ……おいたわしいですわ。なんて惨いお姿ですの。……よくぞ無事でいらっしゃいました。……よかった。本当に、よかったですわ。」
透き通るような青の双眸は、すでに瞼の縁まで涙を湛えていた。金の睫毛が瞬きに合わせて動いた瞬間、目尻から涙が溢れ出る。それを皮切りに、雫は次から次へと頬を伝って滑っていった。
「ああ……申し訳、ありません。わたくし、そんなつもりじゃ―」
慌てて両手で顔を覆うが、小さな掌では全て覆いきることも出来そうにない。指の隙間から溢れた涙は、次から次へと滴り、手首まで濡らしている。セシルはかける言葉も見つからず、途方に暮れていた。
事情を知らぬ者が見れば、見るからに感動の再会といった雰囲気だ。だが、アル・シャンマール側からすれば、喜べるはずもなかった。何せこの捕虜は、つい数時間前まで地下牢に監禁していた大罪人である。彼が新王妃へ刃を向けた罪は、どうあっても覆らない。
「あんな奴でも、生きてりゃ喜んでくれる相手もいるなんてね。」
アイシャが冷ややかな目を向けていると、ラジャブは複雑そうな顔で窘めた。
「まあ、そう言いなさんな。どんな悪人でも、誰かの大事な人間だったりするもんだ。」
そんな周囲の視線もいざ知らず、当人達はお互いの姿を眼に焼き付けるように随分と長い間見つめ合っていた。
「……わざわざあなたが、ここまで来る必要はなかったのに。」
やがて、青年から漏れ出た一言を聞いた瞬間、少女は息を呑んだ。目元を覆っていた掌は、口元を押さえるためにさっと下がる。大きな目は、驚愕のあまりますます大きく見開かれた。瞬きと共に跳ね上がった睫毛からは、大粒の涙がはらはらと零れる。
「どうしてそんな酷いことを仰いますの?! わたくしは……わたくしは、こんなにもあなた様の身を案じておりましたのに……!」
「……僕、を?」
セシルは何を言われたのか理解できないといった様子で、面食らったようだった。後ろ手に縛られた腕が、痙攣したようにぴくりと動く。彼はただ、茫然と目前の可憐な少女を凝視していた。
一方のザイドと言えば、暫し彼らの様子を見守っていた。セシルを見た瞬間、名状しがたい憎悪が湧き上がってきたのは言うまでもない。けれども、彼が今すべきことは激情をぶつけることではない。努めて何の感情も出さぬよう両手を組み、見定めるように静かな眼差しを注ぐ。それから、頃合を見計らっていたかのような間を置いた後、口を開いた。
「―セシル・オルコット。お前が知っていることを全て教えろ。場合によっては、お前の帰還を前向きに検討しよう。」
途端に、捕虜がこちらを向いた。再会にゆるみかけていた頬は、警戒するように強張っている。すぐさま、アルヴィンは眉間に皺を寄せたまま異を唱えた。
「待て。殿下の帰還は、陛下きってのご要望だ。まさか、約束を違えるつもりではあるまいな?」
「違えるも何も、そちらが勝手に言い出したことだろう。忘れてもらっては困る。《《ここはアル・シャンマールだ。》》」
騎士は尚も何か言いたげだったが、腰に手をかけたところで剣がないことに気づくと、渋々引き下がった。続いて、ミレイユが半ば懇願するように促した。
「わたくしからもお願いしますわ。そろそろわけを教えてくださいまし。あなた様に……何があったのですか?」
セシルは兵士たちに追い立てられるようにして、ザイドの前に立った。ほつれたシャツから伸びる腕は、切り傷と痣だらけで何とも惨たらしい。よろけるように足踏みした彼は、絨毯に沈むようにして膝を付いた。あたかも大人しく敗北を認め、降伏を示すかのようだった。
「……わかりました。あなたが言うのなら、仕方ありません。」
生来の優しげな顔には、朗らかな笑みの方がずっと似合うだろうが、今の彼とは程遠い面構えだった。惨めな捕虜の姿を見ても溜飲が下がるどころか、なぜか哀れみを覚えた。
***
セシル・オルコットは語った。生まれはアレス王国の東の辺境、シルティグアイムの領主の家であったこと。十年前にアレス王国がカティーフを征服した際、移住を強制されたこと。数ヶ月ののち、カティーフが取り返された際に追い出されたこと。そして、両親はアレス王にすべての責任を擦り付けられた末に自殺し、自身はオルコット公爵に拾われたということも。
「じゃあ、アレか。お前さん、カティーフに送られた領民ってことは……カラムと同じだったんだな。……そうか。すまんかったなあ。あんとき、助けてやれなくてよお。」
鷲鼻の横をくしゃくしゃにしたラジャブは、今にも咽び泣きそうな勢いで声をかけた。けれどもセシルは彼の善意を鼻で笑っただけだった。
「助ける、ですか。……ああ、そうか。そんなに密偵が欲しかったんですか?」
「っ!」
人のいい大男は、突如向けられた悪意にたじろいだ。傍らのアイシャは睨むような視線で青年を牽制する。
「言っとくけど、うちに仕えると決めたのはあいつ自身だよ。」
しかしながら、どんな弁明を聞いたところで、理解に努める労力も使いたくもないのだろう。セシルは肩をすくめるのみだった。
「アレスの民を救うためだのなんだの言って、結局そちらも都合のいい手駒が欲しかっただけですよね。救ってもらった奴は勝手に恩を感じて、喜んでそちらに仕えるでしょうね。僕にとってのそれが、オルコット公爵だったというだけです。」
それから彼はすらすらと手紙を読み上げるように、淀みなく語り始めた。あれほど沈黙を守っていたことがまるで嘘だったかのようだ。
「両親に濡れ衣を着せた陛下にも、僕らを追い出したシャンマールにも同じ目に遭ってもらわなきゃいけない。あの人の願いを叶えるのはそのついででした。陛下を直接この手で殺められれば何よりですが、僕にはそんな力はなかった。……なら手始めに、王の大切なものを最も有用な形で壊してやろうと思ったんです。」
セシルの話を聞くにつれて、ザイドの中にはふつふつと憤りが溜まっていった。咎があるとすればアレス王だけで、娘のシエナには何の責任もない。にもかかわらず、その血を引くというだけで復讐に利用されるなどあっていいはずがない。気づけば、彼は苦々しい思いで口を挟んでいた。
「だから、姫君を手にかけようと? ……己の欲のために、随分と身勝手なものだな。」
「使えるものは何でも使いますよ。それに、あなただって同じでしょう。殿下を人質にしたのは、陛下との交渉が目的だったんですよね。あなたと僕とで、何が違うんです?」
「……」
図星を突かれた。己のためか、国のためか。目的は違えど、ザイドもまたシエナを利用しようとしたことに変わりはない。咄嗟に返す言葉も浮かばなかった。
「あんな辺境に大事に匿って、情報も伏せられていた第十三王女。顔を知っているのも陛下と一部の人間だけ。オルコット公爵の根回しがあったとはいえ、教育係として潜り込むのには苦労しました。」
「……姫君の話と少し違うな。本人は自身を冷遇されている捨て駒だと称していたが。」
「陛下は嘘つきなんですよ? 冷遇というのは見せかけだけで、本当は離宮でそれは大事に育てた箱入り娘なんでしょう。……いえ、たとえそうでなくとも構わなかった。彼女はやっとの思いで見つけた、陛下への足がかりだったんですから。」
そこまでして見つけた足がかりを、なぜすぐには狙わなかったのか。憎いのなら、教育係として潜り込んだ時に殺せばいいものである。その理由について考えを巡らせるうちに、ザイドはある憶測に辿り着いた。
「……まさか、とは思うが。我々に彼女を攫わせたのは、お前の思惑だったのではあるまいな?」
思い当たる節は幾つかあった。あの日―シルティグアイムの峡谷に向かった日。カラムが仕入れてきた情報はやけに具体的だった。「昼頃、王女と護衛騎士の乗った粗末な馬車が峡谷を通る」と。そもそも、セシルが初めからシエナを攫わせるために仕組み、情報を流したのだとしたら、納得がいく。
「こちらに姫君が奪われたとわかれば、アレス王の面目は丸つぶれだ。おまけに彼女が敵国で命を落としたとなれば、敵に非がある状況が作れる。何かと理由をつけて執拗に我が国を狙うアレス王が、そんな好機を逃すはずがなかろう。そして、どちらの国にも混乱を招ける、と。姫君に刃を向けた時も確か、そんなことを言っていたな。」
そこで、無言を貫くアルヴィンの方を一瞥する。威圧感を纏った元騎士団長が、カティーフで何をしたかは鮮明に記憶に残っている。だがセシルの思惑が働いていたとなれば、あれを単なる偶然で済ませるわけにはいかない。
「お前はカティーフに攻め込んだ時、姫君を手にかけようとしていたな。確か『王女と名乗る者だろうと構わない、殺せ』という王令が下ったとか。」
「……ああ。」
たとえ捨て駒だったとしても、アレス王が娘である王女を進んで殺させるはずがない。彼女は末の王女―政略結婚の最後の駒だ。敵国に殺させて戦を仕掛けるより、小国にでも嫁がせた方がよほど国益となるだろう。
「ロベール・オルコットは、アレス王の側近であったらしいな。彼の協力があれば、印章を偽造し王令を捏造することも不可能では無かろう。」
「……。」
肯定しない代わりに否定もしない。アルヴィンは思うところがあるのか、押し黙りつつも目が泳いでいた。この男は、自分の意志で動くような者ではない。忠実に、上からの命令を遂行するのみである。その内容について思うことはあれど、王令そのものを疑うことはしないだろう。加えて、新しく仕えることになった王は、先のオルコット公爵だ。主君に不利な証言をするわけにはいかないのだ。この場での沈黙は金だろう。
「そもそも、当初から姫君が奪われると見越していたのだから、予め騎士団を東に集めておいたのだろうな。」
ザイドに畳みかけられても、セシルの反応は至って落ち着いたものだった。
「……さあ。辺境騎士団と王国騎士団の合同演習も、いつもより早く着いた王令も……きっと偶然でしょう。」
「それでも姫君を殺すには至らず、先日の婚儀で直接手を下そうとした、と。」
「『蛮族の王を殺せ』、という陛下の命令は本当ですよ。まあ僕らは前座で……新しい武器のお試し役でしたね。近いうちに、本命としてもっと大規模な派兵を計画していたようですけれど。」
けれどもその派兵は来ていない。と言うことは、手配の途中でアレス王が退位したため、中止となったのだろう。両国に混乱を招いたセシルの計画はアレス王の隙を作り、結果的にオルコット公爵の即位を助けることにもなったというわけだ。
ミレイユはあちらこちらへと顔を向けてこの問答を聞いていたが、不意におずおずと声を上げた。
「……わたくしは。」
さっと全員の視線が集まると、彼女はびくりと身をすくませた。小動物のように怖気づくと、きょろきょろとせわしなく周囲を見回し、俯く。
「……続けてくれ。」
ザイドが努めて優しく促すと、ミレイユは自らを奮い立たせ、きっと前を見据えた。
「……わたくしは。本物の、姫様が本来乗られるはずだった、王宮からの迎えの馬車に乗りましたの。護衛が何人も付いた煌びやかな馬車でしたわ。わたくしは……姫様の替え玉となりましたの。」
「脅されていたのか? それとも、金で?」
少女はそれだけは違うといわんばかりにふるふると激しく頭を振った。
「わたくしは……ただ、セシル様のお役に立ちたくて。こんな大ごとになるだなんて……思ってもみなくて。ずっと……嘘をつき続けるのが苦しくて。」
「アレス王はいつ、あなたが替え玉であることに気づいたのだ?」
「王宮に着いてからも、長らく謁見には呼ばれませんでしたわ。ようやく呼ばれた際、陛下は驚いたようにわたくしを見ておられました。あれは確かに、わたくしが姫様ではない、と気づかれたようでした。ですが、何も言われず……何事もなかったかのように、姫様として扱われましたわ。しばらくして王宮は騒がしくなり……それどころではなくなってしまったようでしたけれども。」
「……混乱を避けるために、あえて情報を伏せたのかもしれないな。そして、セシル・オルコットにとっては―あなたを替え玉にすることで、姫君をこちらに引き渡す時間稼ぎになったようだ。」
ふと、疑問が残る。第十三王女の代わりとなったミレイユが、なぜ今も王女を名乗っているのか。考えられる理由は一つだ。
「オルコット公爵に実子はおらず、養子のみだと聞いているが……あなたもそうなのか?」
「わたくしがロシェルにいる間に、両親は事業に失敗し、借金を苦に蒸発したらしいのですわ。……オルコット公爵は即位された際、帰る家のないわたくしを憐れんで下さいまして。ご厚意で、養女として引き取って頂くことになりましたの。」
「ではそこの者とは、血の繋がらない兄妹ということになるのだな。」
「……そう、ですわ……ね。」
どうにも歯切れが悪い。まるで口にしたくない事実かのように、彼女の一言は重かった。それでも、受け入れざるを得ないことはわかっているのだろう。震える頬には、筋のような涙の跡がくっきりと残っていた。
「ここに参ったのは、わたくしが無理にセシル様を探しに行きたいとお願いしたからですの。あんなにもお傍におりましたのに。……わたくしはセシル様の考えていることを、何一つ知りませんでしたわ。虚しい、ものですわね。」
「……。」
セシルはばつが悪そうに下を向いた。鈴を転がしたような声は、今にも消え入りそうなほど儚く揺れている。
「……違いますわね。聞くのが怖かったのです。あなた様が、わたくしから離れて行ってしまう気がして。ずっとずっと……苦しかったですわ。姫様でもないのに姫様の振りを続けて。挙げ句、あなた様の妹になる、だなんて。……そんな形でも傍にいたいと思う自分の浅ましさにも嫌気が差しましたわ。こんなことになるならずっと、あの辺境で、姫様にお仕えする身として、ささやかな日々を暮らしていたかったものですわね。」
「……ミレイユ。違うんです。僕は……本当は、あなたに何不自由ない暮らしをさせてあげたくて―」
セシルは水色の目を細めると、柔らかな笑みを作った。あざだらけで痛々しいのを除けば、すべての乙女を恍惚とさせるような甘い笑顔だ。けれども、ミレイユは苦痛を堪えるような表情になった。目前の笑顔に潜む偽りには、とっくに気づいていたのだろう。彼女は引きつった頬を持ち上げるように、無理やり微笑んでみせた。
「良いのですわ。……もう、良いのです。身の程くらいはわきまえているつもりですわ。あなたさまがわたくしを見ていないことなど、存じております。わたくし、あなた様のお役に立てるなら……お傍にいられるなら、それだけで幸せでしたもの。ですから……もう、あなた様のお優しい言葉など、必要ありませんわ。」
「―っ!」
潤んだ青の瞳は、もはや彼を映していなかった。彼女はピンクのドレスの裾を翻すと、それっきり彼に背を向けた。きっぱりとした拒絶を突きつけられ、セシルは狼狽えたようだった。水色の瞳に僅かばかり残っていた生気は、みるみる失われていった。支えとなっていたつま先から力が抜け、無様に床へ崩れ落ちる。
「でも……それでも、わたくしは。……あなた様をお慕いしておりましたわ。」
項垂れるダークブロンドの頭に向かって、ミレイユは呟くような一言を投げかけた。しかし、彼に届いたかどうかは定かではなかった。




