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アレス武勇詩(ハマーサ) ~捨て駒姫は自由に焦がれる~  作者: 桜井苑香
Ⅵ. 泡沫の恋愛抒情詩(ナスィーブ)
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尖塔の牢獄

 アル・シャンマールの街は四方をぐるりと壁に囲まれている。壁を隔てた先に広がるのは、一面の砂漠だ。北側の壁沿いの外で街を見下ろすのは、件の中央神殿である。一方、街から少し離れた西側には、砂漠の中にぽつんとそびえたつ尖塔があった。街から見て東側から来る敵を警戒するような位置取りだが、その役割は単なる物見台ではない。尖塔の螺旋階段を下った地下には、罪人を収監する牢獄があるのだった。

 砂漠をじりじりと照り付ける太陽とは裏腹に、塔の内部は薄暗い。ひんやりとした石造りの壁には、赤々と燃えるランタンの炎の影が落ちている。そんな中、砂埃にまみれた階段を踏みつけ、上から下へ向かう足音が高らかに響き渡っていた。

 騒音を振りまく当事者は、耳下で切りそろえた短髪を揺らし、肩をいからせた少女である。赤い上衣にはコルクのように細長い形のボタンが留められ、揃いのズボンの裾には黄色い蔦模様が刺繍されている。丸い襟首からは相変わらず包帯がちらりと覗いているが、当の本人は痛がる様子もない。それどころか、ずんずんと足を早める動きに合わせ、腰の矢筒ががちゃがちゃとうるさく鳴っている。彼女の手には、その背丈を優に超えた弓があった。ぴんと張られた弦は、矢が番えられるのを虎視眈々と待ち構えているようだ。

 ほつれたサンダルのつま先が最下段に着くやいなや、弓使いの少女―レイラはつぶらながらも鋭い赤茶の目を吊り上げた。光の差し込まない地下には、錆びた鉄格子が奥まで続いている。見張りの兵士たちは彼女に気づくと、驚いたように慌てて頭を垂れた。だが彼女は我関せぬ様子で彼らの前を通り過ぎると、迷いなく奥へと進んでいった。


「―おい、アレス野郎。」


 砂漠と言えども、湿っぽいカビた匂いが鼻につく。レイラは顔をしかめながら、地下空間の中心まで進み、ある牢獄の前で立ち止まった。赤い鉄さびを隔てた暗がりには、使い古された毛布の中にうずくまる何かがいる。


「カラムと通じてたってのは、てめえか。……おひいさんをやろうとしたのも、てめえなんだろ。どうなんだよ?」


 薄汚れたダークブロンドの癖毛が、砂だらけの床に広がっている。上半身のシャツはどこもかしこも擦り切れて、床の砂埃と同化し黄土色に染まっていた。裸足の足首には鎖をつけられているが、彼はぴくりとも動かない。いや、動こうともしない、といった方が正しいのだろうか。


「……だんまりかよ。ちっ。」


 少女は細い眉をひそめると、弓を鉄格子に立てかけた。それから、ガタガタと騒がしく錠前を鳴らす。ほどなくして、きしんだ音を立てて鉄格子が開いた。けれども、捕虜はなおも身動ぎしなかった。彼女は構わず、ずかずかと牢獄の中へ足を踏み入れる。


「あのなあ。てめえ、ザイド様が優しいからって調子に乗ってると、痛い目見るぞ? あたしはアレス人が大っ嫌いなんだよ。」


 彼女はうずくまる青年のそばにしゃがみこむと、躊躇いなくそのダークブロンドを掴んで引き上げた。覗き込んだ水色の瞳には、何の感情も浮かんでいない。あたかも髪を引っ張られていることにも気づいていないかのようだ。


「そういや、殺すなとは言われたけど、痛めつけるなとは言われてねえもんな。さーて、どうっすっかあ? 歯一本ずつ抜くか? 指一本ずつ切り落とすのもいいかもなあ?」

「……。」


 いくら脅し文句を並べたとて、眉ひとつ動かさぬ捕虜に、レイラは鼻を鳴らしてみせた。


「ま、命乞いしねえだけ大したもんじゃねえか。褒めてやるよ。っし、そんじゃあ手始めに一発殴らせろよな!」


 いかにも実行に移しかねない語気に、青年の目が僅かに揺らぐ。その反応を確かめた途端、彼女の目は鼠を見つけた猫のように爛々と光った。刹那、小さな唇が愉悦に歪む。


「まずは、カラムをやったぶんと……あたしをイラつかせた分。それから、アイシャ様の分と、おひいさんの分。あとはあたしを待たせた分。ってことは、ひいふうみい……六発か? いや、五発か。ま、何でもいっか。」


 片手で数えたあと、彼女は乱暴に手を離した。青年の頭は力なく地面に叩きつけられたが、それはただの始まりの合図に過ぎなかった。レイラは拳を固め、勢いよく振りかぶる。全体重を乗せ、迷いなく相手の右頬を狙った打撃は、彼を牢獄の後方まで吹っ飛ばした。目が回るほどの衝撃に、さすがの彼もたまらず呻き声をあげる。


「……っ!」

「何だ、声出せるんじゃねえか。へっ、待ってろよ。今からもっと沢山声を出させてやるから、な!」


 間髪入れず、荒々しい拳が顎にめり込む様に叩き込まれる。続けて、少女の踵が腹部めがけて振り下ろされ、青年は膝を抱えるようにのたうち回った。童顔は苦悶に歪み、額には脂汗がうかんでいる。げほげほとむせるあまり、床に鮮血が吐き出されても、レイラは冷酷に見下ろしていた。


「おいおい、これくらいで死ぬんじゃねえぞ、軟弱野郎。死ね……じゃなくて、死ぬな、 か。っは、意外と難しいもんだな、こりゃ。……おらよっと!」


 彼女は平然と指の関節を鳴らし、次の強打に備える。次々と襲ってくる衝撃に、青年の優し気な眉も、白い頬も、瞬く間に赤く腫れ上がっていった。かさかさに乾ききった唇の端からは、赤い糸のように血が垂れている。その様子は見るも無様で、かつてのような活気はどこにもなかった。


「っは。あはははははは! こんなんで済むと思うなよ! まだ始まったばかりだから、な!」

 

 対するレイラは、腹の底から大笑いしている。どうやら、捕虜を痛めつけることを心底楽しんでいるようだ。転がったままの彼の膝を勢いよく蹴り飛ばし、なおも拳を打ち付けていると、ふと階段からコツコツと何者かの足音が響き渡った。


「―やりすぎですよ、レイラ。」

「ああ?」


 舌打ち混じりに後ろを振り返った少女だったが、声をかけてきた人物を認めた途端、渋々拳を止めた。が早いか、みるみるうちに苦虫を嚙み潰したようになる。

 

「……んだよ、ゼフラか。はあ、せっかくいいとこなのによお~。」

「あなたのそれは、口を割らせるためではなく、ただ己の鬱憤を晴らすためではありませんか。それよりも、もっと良いものを持ってまいりました。ささ、こちらです。」


 来訪者は、彼女と同じ赤茶のつぶらな目をした少女―ゼフラだった。身に着けた前合わせの立襟に細身のワンピースの裾には、紫の花の刺繍が施されている。彼女は恍惚とした笑みを浮かべると、細長いガラス瓶をゆっくりと掲げてみせた。中に入った透明な液体はランタンに透かされ、妖しく橙色に光っている。


「『あけすけの毒』……これを口にすれば、そちらのお方もきっと何でもお話ししたくなること請け合いです。さあ、早くどいてください。」

「……まーた妙なもんをこしらえたな。つーかそれ、人間が口にして大丈夫なやつか? 下手したらこいつ死ぬんじゃね? ザイド様に怒られても知ーらねえ、っと……」


 双子の姉があきれたように肩をすくめる中、ゼフラは意気揚々と右に左に頭を振った。その動きに合わせて、頭の上で二つに丸められた髪が、ぴょこんと角のように動く。


「そんな、まさか。砂鼠への実験は大成功だったのですから、きっと人間にも有用なはずです。」

「はーん? ま、そいつがどんな目に遭おうとあたしの知ったこっちゃねえか。試しにやってみればいいんじゃね?」


 適当な返答にも、医師の少女は嬉々として頷く。かと思うと、まるで病人を介抱するように、恭しく捕虜の傍に跪いた。そのつぶらな目は双子の姉と同様、新しいおもちゃをみつけたかのように、爛々と輝いている。彼女は腫れあがった青年の顎を持ち上げると、有無も言わさずに顔を近づけ、無理やり視線を合わせた。


「当然です。さあ、アレスのスパイさん。大人しくしていてください。おそらく人間には苦い代物ですが、『良薬口に苦し』とも言いますでしょう。あなたにどんな秘密があるかは存じませんが、全て一人で抱え込むのは体に毒というものです。ささ、これを飲んで、何もかも洗いざらい吐いてくださいな。」

「いかにも医者らしいこと言っといて、ほんとは新種の毒を試したいだけだろ……」


 レイラがぼやく傍ら、青年の薄い唇にガラス瓶を近づける。大人しくされるがままになるかと思いきや、どこにそんな力が残っていたのだろうか。次の瞬間、彼は勢いよく顔をそむけた。


「ああっ!」


 ゼフラの指からガラス瓶が滑り落ちる。パリン、と木っ端みじんに割れたガラスは、四方八方に散らばった。破片の中に飛び散った液体を見て、彼女の顔にはありありと落胆の色が浮かんだ。


「そんな……貴重なサンプルが!」

「てんめえ……! 自分の立場がわかってんのか? てめえに拒否権なんてねえんだよ。いいからさっさと大人しく、あたしらの言うこと聞いてろってんだ、このクソ野郎!」


 レイラは素早く捕虜の胸倉を掴むと、獣が唸るような剣幕で脅してみせた。が、実際のところは、妹を悲しませたからというよりは、憎き宿敵を少しでも痛めつけたいだけだろう。何とも悲しそうな面持ちのゼフラは、ふるふると首を振ると、ゆっくりと立ち上がった。


「良いのです、レイラ。忙しさにかまけて、もう一本用意しなかった私の落ち度でもありますから。……もう一本、作ってまいります。」

「―あいにく、その必要はなさそうだよ、ゼフラ。」


 咄嗟に、双子が顔を見合わせる。二人が同時に鉄格子を振り返ると、逃げ道を塞ぐように佇んでいたのは、長身の女だった。背中を流れる一纏めの長髪は、燃えるような赤である。割れた腹筋も露わな上衣と、裾にかけて膨らんだズボンも、負けず劣らずの紅色だ。腰に両手を当てた姿は堂々たるものだが、右腕は二の腕からひじにかけて、包帯が巻かれている。そのせいか、動きには少々ぎこちなさがあった。


「アイシャ様?! お、お身体のほうは……もう大丈夫なんですか?」

「国がこんな状況じゃあ、あたしだけゆっくり休んでるわけにもいかないからね。それよか、あんたたちはこんなところで何をしてるんだい?」


 彼女の彫りの深い顔立ちはいつにもまして険しい。きりりとした眉の角度がきつくなるのを察して、いち早く頭を下げたのはゼフラの方だった。


「申し訳ありません、アイシャ様。不出来な姉が捕虜に何かしでかさないかと、監視のつもりで来たのですが……つい出来心で実験をしたくなってしまい。」

「ああ?!」


 レイラはこそこそと妹を小突いて抗議をするものの、聞き入れられる気配は微塵もない。


「このところ看病と治療ばかりで毒……いえ、薬を試せずに判断力が鈍ってしまっていたようです。どうか、寛大なお心でご容赦願います。」


 アイシャは切れ長な目を双子に向けた。しばらく、彼女たちを測るようにまじまじと見つめていたが、やがて呆れかえったように嘆息してみせる。


「あんたの探求力には恐れ入るね。まあ、そのおかげで痛みも少なく治りかけてるんだから、あたしもうるさいことを言えないが……こいつに試すのはやめておきな。万が一があっちゃ、困るんだからね。」


 それから、鋭い視線は隣の短髪の少女へと移った。


「で、レイラ。あんたはいったいどういうつもりで、捕虜をぼこすか殴っていたんだい?」

「だって! このアレス野郎はアイシャ様を殺そうとしたんですよ?! カラムも、おひいさんも、あたしも……こいつにやられた! 少しは痛い目見たほうがいいんですよ!」


 途端に、琥珀色の目が揺らぐ。彼女は傷を負った方の腕をゆっくりと一瞥し、沈思黙考していた。部下からの熱意に悪い気はしないが、感情的な問題で片付けて良い話ではないのだ。ややあってから、彼女は諭すように口を開いた。


「……憂さ晴らしってわけかい。まあ、あんたの気持ちもわからんわけじゃない。おひいさんは無事だったけど、あたしたちは相当痛い思いをさせられたしね。けど、考えなしに痛めつけたところで、こいつが口を割るはずないだろう? ちっとは頭を使いな。」

「いや! それは……これから拷問して、爪を剥いだりして、口を割らせようと思ってた、つーか……」


 対するレイラは、いかにも不服そうに口をへの字に曲げている。彼女は俯きながらも、横たわった捕虜を憎々しげに見やると、唇を嚙み締めた。


「けどよお……許せねえ……ですよ。あいつらは好き放題やってるってのに、こっちはこんだけ仲間やられといて、思う存分ぶん殴ることもできねえなんて―」

「あんたのストレス解消のためにこいつを殺しちゃあ、本末転倒だよ。あたしたちは、原因を探らなきゃいけない。第一、こいつの素性もいまいちよくわかってないんだ。それに……なぜこいつがおひいさんを殺そうとしたのか、あんたは全部わかっているのかい?」

「……。」


 二の句が継げなくなったレイラをよそに、アイシャは背後を振り返った。十人はいるだろうか、ずらりと控えた兵士たちに向かって、声をかける。


「あの男を、ひとまず王宮へ連れていきな。ちょいと面倒なことになったんだ。」

「……面倒なこと、と言いますと?」


 ゼフラが怪訝に首をかしげた。その間にも、兵士たちは手早く青年の鎖を外し、今度は手首を縛りあげている。両脇から小突かれるようにして、彼はよろよろと立ち上がった。


「まあ、あんたたちも来てみればわかるさ。なんでも《《アレスの王女》》とかいう子が来てるんだよ。」

「……アレスの王女? はあ? おひいさん……じゃ、ねえってことか?」

「おひいさまは第十三王女でしたよね。未婚の王女は他にはいないはずですが……おひいさまのお姉さま、ということでしょうか?」


 次から次へと投げかけられる質問に、アイシャは表情を曇らせた。彼女もいまいち理解できていないのか、どこから話したものかと考えあぐねているようだ。


「目的は、その男なんだと。まあ、詳しいことは……後で聞かせるさ。」


 刹那、力なくうなだれていた青年は、水色の目をわずかに見開いた。その様子は誰にも気取られることはない。兵士に囲まれたまま、傷だらけの足でふらふらと歩くその唇は、微かに上がっていた。


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