秘められた本音
「じれったいですね。何をやっているんですか~?」
その時、唐突に聞き覚えのある声が飛び込んできた。凄惨な現場などいざ知らず、朗らかで気の抜けるような口調は、張り詰められた緊張を削いだ。
「オルコット卿?! なんで、ここに―」
騎士の背後から颯爽と現れたのは、癖のあるダークブロンドの小柄な青年―かつての教育係、セシル・オルコットだった。何もかも変わってしまったリュシアンとは対照的に、彼はいつも通り親しみやすい笑みを浮かべていた。ベージュのベストはボタンがいくつか取れており、白いシャツの袖やグレーのズボンの裾は擦り切れ、土汚れていた。胴や手首にはなぜか縄が巻き付いていたが、どこかそれすら楽しんでいるかのようににこやかだ。
「遅いですよ~、リュシアン。僕の方はもう終わっちゃったじゃないですか~。」
セシルの場にそぐわぬ明朗な態度は、何ともちぐはぐで薄気味が悪い。困ったように下がった眉尻も、今は相手を嘲笑うかのようだ。水色の優し気な瞳は、どす黒く濁った煙を映し出していた。
「姫様が蛮族に騙されてご乱心だ。説得に時間がかかりそうだ。」
「……そうですか。」
耳打ちを受けた教育係は退屈そうに嘆息すると、どこからともなく同じような筒を取り出す。そして、あろうことかその先端をかつてのあるじへと向けていた。子供が玩具で遊ぶように無邪気に、それでいて淡々と指先が動く。何が起こるのかと刮目している暇もなかった。強烈な爆発音と共に目前が白く霞む。あっと叫んだ頃には、目と鼻の先を小さな火花がよぎり、むせかえるような煙が鼻腔を突き刺した。刹那、赤い何かがゆっくりと揺れるように視界の端をゆらめいた。
「―ぐっ……がはっ!」
かと思えば、すぐ隣にいたはずのアイシャがだらりと右手を下げ、膝から崩れ落ちていた。瞬きをする。何が起こっているのかわからずに、いや薄々わかりたくない、とすら思いながらも、今しがた目前で起こったことを思い起こす。筒の先が火を噴き、アイシャが倒れた。その事実がいまいち結びつかず、シエナはうろたえていた。
「なっ……?! 何を―」
弓なら矢を番え振り絞る時間が必要だというのに、一瞬の出来事だった。おそるおそる振り返ると、床に倒れ伏した女戦士は片腕を押え、額に脂汗を浮かべていた。
「うっ……!」
苦痛のあまり床に爪を立てる彼女は、痛みを逃すように必死にゼエゼエと浅い呼吸を繰り返す。だらだらと腕から溢れ出す血は、押えた指の間からも絶え間なく滴り、目を覆いたくなるほど惨たらしかった。
「おっと、外しちゃいましたか。的が遠いと難しいですね。」
「どうして……! なんてことするのよ。彼女は関係ないでしょう!」
あたかもゲームをしているような能天気な口ぶりに、シエナはかっと頭に血が上った。対するセシルは心底不思議そうに首を傾げていた。リュシアンと同様、何を言っているのか理解が及ばないといった様子だ。
赤毛の先に血の雫が濡れている。彼女は苦悶に歪みながらも、尚も這うようにして立ち上がろうとよろめいた。右腕の傷跡はカラムと同じように穿たれたようなものだ。喉の奥で何かがつかえたように、息が止まる。惨たらしいと思うのに、シエナは目を背けることが出来なかった。
「アイシャ……。」
まるで傷を受けたのが自身であるかのように、言葉を失う。アイシャは赤い唇の端を無理やり上げると、震える手を王女へ伸ばした。
「おひいさん、これぐらいどうってこと、ないさ。だからそんな顔しないでおくれ。」
「何を言ってるの。酷い傷だわ。早く手当しないと……」
「ははっ……こんなの……戦士にとって、ただのかすり傷さ。……だから、気にせず……逃げておくれ。それくらいの時間なら、あたしにだって……。」
彼女の肩はがくがくと震え、頬は痛みに引きつっていた。激痛をこらえ、相当な無理をしているのが伺える。けれども、気丈に立ち上がろうとする女戦士に向かって、無慈悲にも突き放すような一言が降ってきた。
「アイシャ、利き腕をやられてはまともに戦えない。このままでは足でまといだ。早く下がれ。」
「あんたと……おひいさんに、危険が迫ってるんだ。……そんなわけには、……いかないだろ! まだ動けば―」
「仲間をこれ以上失うわけにはいかないんだ。わかってくれ、アイシャ!」
彼女たちに背を向けたまま、ザイドは声を荒らげていた。シエナは床にへたり混んだまま、剣にかけられた彼の手を見つめた。今すぐにでも敵に切りかかりたい衝動を堪えているのか、彼の指は強ばっていた。憤りに任せて剣を引き抜くのは容易いが、実際のところ賢い選択とは言えないだろう。何しろ、一瞬のうちに次の餌食になってもおかしくはないのだ。
「どういうつもりだ、セシル。あれでは姫様にあたってしまうだろう。」
一方の騎士と言えば、眉を寄せセシルに詰め寄っていた。あと一歩ずれていたら、床に崩れ落ちていたのは間違いなくシエナの方だっただろう。そのような危険を冒してまでアイシャを狙う必要があったのかと言えば、はたまた疑問だ。
「ああ、ごめんなさい。殿下を蛮族に近づけたくない一心で。」
へらへらとした薄ら笑いを浮かべた童顔の青年は、先程の凶行はあくまでも戯れであったとでも言いたげに肩をすくめてみせた。
「今のは、そう。……警告ですよ。次は外しません。この武器はますますアレスに広がるでしょうね。そうすれば、シャンマールを討つことなど容易いはずです。」
そう言い切った童顔の青年は、朗らかな印象は嘘だったのかと思えるほどの冷淡さを湛えていた。
なぜ、セシル・オルコットがここに。武闘派とも思えぬ彼が、どうして直接手を下すに至ったのか。その理由を考えたところでわかるはずもなく、シエナの自問自答は自らの尾を追いかける犬のようにぐるぐると回り続けていた。彼女の中でのセシルは、知的で探求熱心で、朗らかすぎるのが玉に瑕の教育係だった。リュシアンと同様、以前の彼とは似ても似つかない。それとも、まさかこちらが本性だったとでも言うのだろうか。
「さあ、早く姫様をこちらへ。」
リュシアンの言葉で我に返る。もはや説得は無駄だと先ほど思い知らされたばかりだったが、彼女は尚もこの局面を切り抜ける方法を必死に考えていた。そこで、はたと思い当たる。先刻、騎士は不穏な一言を放っていなかっただろうか。
「……リュシアン。あなた、さっき言ってたわよね。彼―ザイドを殺すつもりだ、って。本気なの?」
「はい。その男を―次期アル・シャンマール王を殺すよう、陛下から命を受けております。」
ザイドを殺し、アレス王から貰い受けたシエナを自由にする―。先程の言葉に偽りはないのだろう。事実、リュシアンはなんでもない事のように言ってのけた。
シエナはザイドの後姿を食い入るように見つめていた。鼓動が全身に響くほどにバクバクと跳ね上がる。何としてでも、彼を守らなければ。殺されるようなことがあってはならない。気付けば、彼女は無意識のうちに一歩、また一歩と歩を進めていた。
「……そんなの、許せないわ。」
「待ちな。……おひいさん、どこへ行くんだい!」
アイシャの静止も耳に入らず、彼女はザイドのすぐ隣に立った。慣れない靴で立ち続けていたせいもあり、足の裏はとっくに限界を迎えていた。膝が震えている。ともすればこのまま床へへたり込みたくなるのを必死にこらえ、彼女はまっすぐにかつての仲間を見つめた。
「聞いて、リュシアン。それに、オルコット卿。」
「姫君、待ってくれ。」
横から止める声が聞こえようとも、構わず続ける。
「この人たちは……この人は、アル・シャンマールの国にとっても、私にとっても大切な人なの。だから、どうか手を出さないで。」
信じがたいことを耳にしたとばかりに、リュシアンは息を呑むと、憮然と拳を握り締めていた。その脳内には、いかにしてあるじを洗脳から解くか、その方法を考えあぐねているのだろう。一方のセシルと言えば、彼女の言うことをまるで意に介していない様子だった。異なった世界の不思議な生き物を見るかのように、大きな目をますます大きくして小首を傾げている。
けれども、彼らが異を唱えるよりも早く口を切ったのは、傍らの若き蛮族の王だった。
「……姫君。何か勘違いしているようだが……俺はあなたのことを愛するつもりなどない。だからその気持ちには応えられない。」
「……え?」
「姫君はわが国の利益になるから、利用しただけだ。だが、今は自分の命が惜しい。それゆえ、アレス王国に狙われた今、再び取引に利用させてもらおう。」
その瞬間、シエナに頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。心臓を鷲掴みにされているように、胸が苦しい。何か言おうにも、相応しい言葉が浮かばない。呼吸もままならないほど息が詰まる。
「―っ!」
ザイドのことが大切だと口にした後だからこそ、余計に惨めな気分だった。それでも、彼もまたアレス国王と同じで、自らを駒のように見ていると、何度も言われてきたのだ。今更傷つくなんておかしな話だと思いながら、シエナは呟くように自嘲していた。
「……何よ、それ。」
「彼女はそちらへ返そう。騎士リュシアン。騎士であることすら捨てたお前の覚悟はしかと受け取った。姫君を連れて速やかにこの場を立ち去るがいい。俺の首はまた改めて取りに来い。」
自らの隣から聞こえるザイドの声は、淡々としていて隙が無い。まるで以前から決まり切っていた宣告を読み上げるように、彼の感情はどこからも伝わってこなかった。シエナは縋るように彼を見上げた。彫刻のような横顔は平然としていて、彼女にとっては憎たらしいほど落ち着き払っていた。
「……口ではどうとでも言える。所詮、自分の命の方が惜しかったようだな。」
「いいでしょう。では、蛮族の王。殿下をおひとりでこちらまで来させてください。」
リュシアンが侮蔑まじりに吐き捨てると、セシルはにこやかに促した。その場にいる全員の視線がシエナに集まる。背後からのいたわしげな目も、前からの焦燥に駆られた目も、彼女の青緑の瞳には映らなかった。彼女は尚もザイドを見つめたが、いくら視線を投げかけても、目が合うことはない。そこでようやく悟った。
「……そう。やっぱり、私はあなたにとってただの捨て駒だったのね。あなたもお父様と同じだわ。……最低。冷血で、人でなしね。」
「……。」
異国の男はなじられたところで、何も答えようとしない。沈黙を守ったままだ。
シエナの脳裏には、彼との記憶がよぎっていた。無理やりにでも水を呑ませようと抱き止められた時も。皮肉交じりながらも、どこか彼女をいたわる物言いも。涙を拭うように撫でる無骨な手も。こちらを見つめる、憂いを帯びた深い青の双眸も。だからこそ彼女は、ザイドの優しさに触れる度に「駒だと言うのも口先だけのことだ」、と心のどこかで信じきっていた。胸の奥がじりじりと熱く焦がれる。ほとばしるように頬を伝う雫は、怒りなのか悲しみ故なのかもわからなかった。
「―ならどうして私に優しくしたの? どうせなら、初めから冷たくしてくれればよかったのに。……ねえ。こっちを見て。答えてよ、ザイド!」
あれら全部が嘘だったとでもいうのだろうか。嘘と言う割にはあまりにも真摯な眼差しだった。それとも、彼女が現実を認めたくないあまり過去を美化しているのだろうか。神殿の入口から差し込む陽の光は、彼の表情を隠すように燦燦と照らしていた。
「自惚れるな。俺が敵国の王女に惹かれるわけが無いだろう。さあ、行け。」
頭では動かなければとわかっているのに、彼女の身体は動かなかった。踵の先はべったりと床に張り付いているかのよう。茫然と立ち尽くしていると、ザイドの手が背に触れた。背中を押されているのだと気づくと、シエナはようやくよろけるように一歩、また一歩と踏み出した。
(何よ。……ようやく私に価値がないことに気付いたのね。それくらい……わかって、いたわよ。)
頭の中で悪態を突く。彼女がいよいよ次の一歩を踏み出そうとすると、背後から彼の声が耳に入った。いつもの堂々とした彼らしからぬ、か細く縋るような囁きだった。
「悔しいが、このままではあなたを守ることが出来そうにない。……許せ。」
彼女との別れを惜しむような、切なげな声色。聞き間違いかと驚いて振り返ると、王女が捉えたのは彫りの深い面立ちに影を落としたザイドの姿だった。きりりとした眉に皺を寄せ、形のいい唇はぎゅっと引き結ばれている。あたかも今にも張り裂けそうな胸の痛みを耐えているかのようだ。群青の眼の先には、涙に濡れて何ともひどい顔をした自身がいた。はっとする。彼はもしや、本当は引き留めたいと願っているのではなかろうか。そう気づいた時には、すでに遅かった。




