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アレス武勇詩(ハマーサ) ~捨て駒姫は自由に焦がれる~  作者: 桜井苑香
Ⅴ. 血濡られた酒楽詩(ハムリヤート)
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豪傑の悔恨

 アル・シャンマールの豪傑と聞いて、民が思い浮かべる人物と言えば、ただ一人。十年前の戦で一騎当千を成し遂げたと言われる大男である。横も縦も常人の倍はあろうかという巨体で大剣を振り回し、戦場を駆け回る姿は荒れ狂う熊のよう。民を守り王の右腕として忠義を尽くす生き様は、アル・シャンマールの国中で称えられてきた。

 そんな豪傑―ラジャブ・バスリーが決まってする話と言えば、自らの武勇伝でも苦労話でもない。あろうことか、取り逃がした敵国の女子供をいたく気にしていたのであった。


「ああ~、畜生! なんであん時、取り逃がしちまったんだろうなあ……」 

「……子供と言っても、十二、三歳だろう。他に大人がいたんなら、上手く逃げおおせて今も生きてるはずだ。」


 首都ハイヤートの王宮。そのとある一室で、水差しと酒瓶を挟んで向かい合っている相手は、次期国王ザイドである。艶やかな黒髪は闇に溶け合い、神妙な面持ちは国中のどの彫刻もその魅力を写し取ることはできないだろう。


「ん~……そうだといいんだけどなあ。今となっちゃ顔もよく思い出せなくてなあ……カラムたちにこっそり探らせようにも、手の打ちようがねえんだよ。確か、あいつの古い知り合いって聞いたんだけどなあ。」


 親子ほどの年の差のある二人だが、彼らの間に流れる空気は穏やかで、互いに信頼を置いているのが見て取れる。ザイドはこの後に続く一連の話など、とうにわかった上で付き合ってやっていた。

 と共に、彼の中にもまた悔恨があった。あの時何もできなかったのはまだ少年だった彼も同じだった。兄二人が戦いに出たからと言って、若すぎる彼には剣を握らせてなど貰えなかった。結果、兄王子たちは命を落とし、父王は重傷を負った。まだ成人にも満たない少年にできたことと言えば、怪我人の救護やはぐれたアレス人の保護だった。そんな中、ラジャブがとあるアレス人の子供を保護しようとしたところ、逃げられてしまったというのだ。


「お前に救われた、という者はアレス人にも多いだろう。アイシャたちも、大層感謝してるんだ。そう気にするな。」


 慰めの言葉を掛けた途端、赤ら顔には大粒の涙が光る。豪傑は行き場のない苛立ちをぶつけるように、グラスを叩きつけるようにして置いた。毛むくじゃらの手の甲に滴る雫は、涙か、かたまた溶けかけた氷のせいかも見当がつかない。


「ああ、そういえばあいつもだったか。……悪いなあ。妹さんのこと、助けてやれなくてよお……。陛下―親父さんの怪我もなあ、元はと言えば俺のせいなんだ。ああ、畜生! 俺が深追いしすぎたせいで……!」

「父……陛下の怪我は、元々体調が良くなかったせいだ。お前が気に病む必要はない。」

「そうだけどよお……!」


 こうなればもう手のつけようがない。いわゆる泣き上戸である。尚も後悔をぶちまけようとする大男を前に、黒髪の青年もやりきれない思いを噛み締めていた。

 己が初めて戦場に立った十年前は、今も目に焼き付いている。赤々と燃えるカティーフの街を歩きながら、煤けた匂いに咳き込んだ記憶。地獄があるとすればあのような光景なのだろうか。罪のない女子供が泣き叫び、同胞だろうと構わず火をつける銀の鎧をまとった騎士たち。彼が絶望し、心を痛めるには十分すぎた。戦場の至る所で、獅子と薔薇を象った国旗を見るたびに、血に飢えた獣が舞い踊っているようで、吐き気を覚えたものだ。


「……ラジャブ、お前はよくやってくれている。お前があの時そばにいなかったら、今の俺はいない。他の者だってそうだ。流石父上の右腕だな。……感謝している。」

「かー、いつのまにかこんなに偉くなっちまって。あーんなに小さな坊ちゃんだったのによお―なんて、言っちゃいけねえか。お前さんは、もう立派な王様になるんだもんな。」


 その瞬間、ザイドはどこか困ったような腑に落ちない表情を浮かべた。どちらかと言えば寡黙で、表情を表に出す方が珍しい彼だが、付き合いの長いラジャブはすぐに異変を察知したらしい。


「……どうした? すっきりしねえ顔だなあ。」

「俺が王、か……。」

「そりゃ血統重視のアレス王国とは違ってうちは実力主義だけどよお。こればっかりは、譲れねえ。民だってそうだ。お前さん以外に王にふさわしい男は国中のどこを探したっていねえんだぞ? もっと自信持てや。」


 期待も責任も感じている。だからこそ彼は思うのだ。こんなに容易く王位を受け継いでもいいものか、と。自分ではなく、死んだ兄たちの方がよほど勇敢で、威厳があり、民にも慕われていた。彼らの方がずっと王にふさわしいのではないかと思うと、実のところ腰が引けていたのだった。


「なあ。……俺は、甘いのだろうか。」

「ああ? なんだってんだあ? 藪から棒に。」

「王なら私情を挟んではならない。何がアル・シャンマールのためになるのか。それだけ考えるなら、あの時も―」


 荒れ果てた地で、自国に見捨てられたアレスの子供たちを見た時、咄嗟に救わなければ、と感じた。けれども、これがアレス王ならきっと容赦なく皆殺しにしただろう。子供と言えども敵は敵だ。生きながらえば禍根を残し、いずれ牙を向けられかねないからだ。

 しかしながら、恐怖で支配するような政治は尽く長続きしないことも知っている。歴史上にも冷血王と呼ばれる支配者はいたが、その末路は揃って悲惨なものだった。そうでなくとも、王であることに胡座をかけば容易く足元を掬われるのは、目に見えている。


「おいおい。あのガキ殺しときゃよかった、なんて言わねえだろうなあ? うおー、やめてくれよ。そんな蛮族の王様なんざ、家来としてはゴメンだぜ?」

「……恨みの種が残ったとしても、それが俺の甘さなら受け入れるさ。」

「お前さんが甘いってんなら、そういうとこだぞ。おひいさんを未亡人にする気かあ? よせよせ! 男やもめなんざ、俺一人で十分だ。」


 そこでザイドの表情が固まった。重々しい沈黙が流れる。白金の髪に青緑の釣がちな瞳の少女を思うと、なぜか胸の奥がざわついて仕方がない。つい先日も、赤の衣装に包まれた彼女が唇を引き結び、ヴェールの向こうで涙をこらえていた様を思い出す。自分は果たして、彼女の前で上手く振舞えているだろうか。情を掛けぬようにきっぱりと線を引いたつもりだったが、予想以上の嫌われように傷ついていないと問われれば噓だった。


「姫君……か。」


 峡谷で邂逅した時は、護衛一人に粗末な馬車で、王女だというのはにわかには信じ難かった。蛮族と見下されることは予想していたが、いざ目の当たりにすると、アレス王国の侮蔑意識が垣間見えるようで苛立った。また、無知で世間知らずな籠の鳥かと思えば、捨て駒だと自嘲する姿は憐れだった。とはいえ、同情するつもりはない。初めから利用してやるつもりで近付いたのだ。彼女に深く踏み込むつもりなど毛頭なかった。いらぬ情を抱けば、何かと計画に支障が出るのだから。


「……あ? おいおい、どうしたんだよ。まさかあの娘と何かあったんじゃあねえだろうな?」

「……いや。彼女に問題があって離縁されたと思われるよりは、死別の方がかえって都合がいいかもな。」


 皮肉交じりの独り言だった。だが次の瞬間、どん、と肩に急激な重みがかかった。はっと我に返ると、アッシュグレイのひげを震わせた大きな顔が肩を掴み、必死の形相でまくし立てていた。


「こんの馬鹿野郎! てめえが死ねば丸く収まるってか。それで、おひいさんは誰が守るんだよ! 残された民はどうなる! 親父さんもお前さんにそんなことを望んで王位を譲るわけじゃねえだろうよ!」


 ザイドは、軽率に口を滑らせたことを後悔していた。あまりに責任感に欠けていたと自覚する。熱気のこもった大男を落ち着かせようと、彼は深く息を吐き、ゆっくりと毛むくじゃらの手を叩いた。


「ラジャブ……そうだったな。俺が悪かった。」

「いや、俺の方こそ……すまんな。つい熱くなっちまった。……死に別れってのは、幾つになっても辛えもんだ。おひいさんには、そんなこと経験させたくねえって言う老婆心よ。なあ、お前さんは俺たちの希望なんだ。だからよお、くだらんやり方で自分を犠牲にするんじゃねえ。お前さんはもう十分民のことを考えてくれてるじゃねえか。あとは、玉座にふんぞり返ってくれてるだけでいいんだぜ。」


 ひとしきり笑った後、豪傑はグイっと杯を煽った。その小さな目は安心したのかすっかりとろんとして、夢見後心地でさまよっている。


「んあ~……けどまあ、『こんの馬鹿野郎~』は、ちと言い過ぎたかあ? おいおい。まさか不敬罪で投獄……なんてこたあないよな?」

「お前は俺の育ての親だからな。何より、俺が間違っていたんだ。だからこの場での発言は大目に見てやるよ。」

「……っく。寛大な王さまに感謝だあ。……それでこそ……親父さんの、子だよ。」


 にかっと白い歯を見せ笑みを浮かべた後、彼はゆっくりと卓上に沈んだ。この巨体を寝台まで運ぶのは無理に等しい。翌日文句を言われようとこのままにするほかないかとザイドが深いため息をついていると、不意にランタンに照らされた人影が近づいてきた。


「―ザイド。」


 低くかすれたような女の声が迫る。急ぎの用件かと判断し、彼は長い赤毛の女戦士へと向き直った。


「……アイシャか。どうした、こんな時間に。」

「またラジャブに付き合ってたのかい。まあ、それはいいとして……あんた、カラムがアレスに行ってるのは耳に入っているんだろう?」

「ああ。騎士たちの様子を探ってもらっているが……何か問題でもあったか?」

「問題と言うか……レイラのことなんだけどねえ。」

「レイラが……?」


 弓使いの少女を思い浮かべる。東方の出身で双子の片割れ。喧嘩っ早いが、弓の腕はアルシャンマール随一だ。若くして弓部隊の隊長にまで昇格したが、早とちりゆえに度々問題を引き起こしているのも事実である。アイシャが彼女のことでしょっちゅう頭を痛めているのは、彼もよく知るところだった。


「あの子のアレス嫌いはいつものことなんだけどさ。ここんところ、カラムがアレスに行ってるのに何かとケチをつけてねえ。裏切り者だ、って騒いでるんだよ。おひいさんの情報を得た時だって、そうだったろう? 妙に正確な割に他の情報は少ない。それでいて、情報提供者のことは絶対に教えてくれないもんだから……。」


 恐らく、最初にシエナを見付けた峡谷の情報のことだろう。仮にも一国の王女が、粗末な馬車であの場所を通るなどと誰が予想できただろうか。あの情報を持ってきたのはカラムだったが、確かに誰から聞いたかに関しては、断固として口を割ろうとしなかった。彼のことは密偵として絶対的な信頼を置いているから、裏切りについては心配などしていない。けれども、内部の団結が崩れれば、敵に付け込まれてしまう。以前からレイラとカラムの折り合いは良くなかったため、ザイドも彼らの扱いにはほとほと手を焼いていた。


「まあ、カラムもカラムで説明は面倒がるだろうしな。あの二人には俺が直接会って話をしておこう。」

「そうしてくれると助かるよ。ったく、胃が痛いったらありゃしない。こっちはもうすぐ式を控えてるってのに……」


 考えることはまだまだある。式の前にあらかた片付けなければ、とザイドが執務途中の書類の束を見やると、ふとアイシャが真剣な眼差しをこちらへ向けていた。


「おひいさんのことだけどさ。あの子を妃にして、その後離縁するつもりなんだろ?」

「……そうだが、何か問題でも? 姫君は自由になりたがっているんだ。両者ともに何も問題はないと思うが。」


 女戦士はみるみるうちに、苦虫をかみつぶしたように眉根を寄せると、きりりとした面立ちを歪めたまま吐き捨てた。


「あんたがやっているのはどうしようもなく残酷なことだよ。おひいさんの気持ちは考えてみたことがあるのかい? あれは、あんたに惚れてるんだよ。」


 そんなことがあるだろうか。幾度思い返すたびに、王女の涙が瞼の裏に焼き付いている。あれはどう考えても、蛮族に嫁ぐ屈辱以外の何物でもない。あれほど蔑まれてきたのだ。こちらがいくら丁重に扱ったところで、しょせん彼女もアレス人。生きてきた常識も何もかもが異なる。一時的に婚姻を結んだとしても、それはかりそめのことだ。そうお互い割り切っているのだから、彼がそれ以上の考えに及ぶはずもなかった。


「……まさか。万が一そんなことがあれば、異国の地で頼りになる者がいないからだろうな。そのうちこの国から離れて冷静になれば、じきに勘違いであったことがわかるだろう。」

「あたしは納得できないよ。……今は、あんたの中ではそうかもしれないけどさ。」


 アイシャは先ほどのザイドにも負けずとも劣らない深いため息をつくと、すらりと長い褐色の腕を組んだ。


「まあ、当日のおひいさんの護衛はあたしに任せな。とにかく、あの子を悲しませるんじゃないよ。」

「随分とあの姫君に入れ込んでいるようじゃないか。」

「……さあね。妹が生きていたらあれくらいだから、何かと世話を焼きたくなるのさ。」


 ちょうど、ラジャブと十年前の戦場について、語り合っていたところだった。アイシャもまた、妹をアレス人に殺された。随分と長い間、妹の話をするのも嫌がっていたが、シエナが来てからと言うものの、少しずつ口にする機会も増えてきた。きっと彼女の中で妹の死を受け入れ、前に進む準備ができたのだろう。近頃は、何かとシエナのことを気にかけている気がする。切れ長な琥珀色の瞳は、心なしか穏やかで、それでいて決意に満ちているように見受けられた。


「……そうか。姫君のこと、頼んだぞ。」


 もし、俺に何かあれば―と言いかけて、ザイドは思いとどまった。これでは、先ほどの豪傑のように叱責されてしまうに違いない。アイシャもまた、次期王妃であるシエナを心から思いやっているようだ。つくづくいい家臣たちに恵まれたものだと思う。


(―そろそろ覚悟を決めなければ。)


 式では、何が起こるかわからない。万全の準備を整えなければと焦燥に駆られる一方で、王女の涙は彼の心に深い爪痕を残していたのだった。


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