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アレス武勇詩(ハマーサ) ~捨て駒姫は自由に焦がれる~  作者: 桜井苑香
Ⅴ. 血濡られた酒楽詩(ハムリヤート)
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赤に似合わせる宝玉

  一方、アル・シャンマールの王都ハイヤートでは、新たな王誕生の噂で持ち切りであった。王妃になるという敵国の王女に対しては、積年の恨みにより快く思わない者も少なくなかった。しかしながら、この婚姻でようやく平和が訪れる、と多くの民たちは浮き足立っていた。

 そんな中、渦中の人であるシエナは感慨にふける暇もなく、付け焼刃の妃教育に追われていた。アル・シャンマールに関する知識など無に等しかった彼女にとって、礼儀作法をはじめ、異国の文字、歴史といった新たな学ぶべきものは膨大にあった。

 とは言え、途方に暮れている暇はない。かつて自国について学ばされていた頃とは訳が違うのだ。蛮族について学ぶなど、過去の自分が見たらきっと卒倒しただろう。けれども、今の彼女は不思議と苦にならなかった。

 何と言っても、「未来の王妃」が国に関して無知では、たとえお飾りでも、あまりに体裁が悪い。ここで怠けていたら、あの皮肉男に「アレスの王女は無能で自堕落だ」などと嫌味を言われるに違いない。ザイドの思い通りになるのもなんとなく癪だったが、見返してやりたい一心でシエナは半ば意地になっていた。

 そうして多忙な日々を過ごすうちに、いつのまにか彼と顔を合わせることはほとんどなくなった。やがて刻一刻と式の日取りは迫り、当の本人たちの思いは置き去りに、式の準備だけは着々と進んでいった。



                 ***



 ハイヤートの王宮の一室。花嫁となるはずのシエナは、少し前から着せ替え人形のように次から次へと衣装を取り替えられていた。背後からひしひしと突き刺さってくるのは、宿敵へ向けるも同然の厳しい視線である。彼女が取っかえ引っ変えされている衣装は、総じて裾を引き摺るほど長く、目にも鮮やかな真紅のものばかりだった。揃いのヴェールもやはり赤。こうも同じような赤色ばかり見ていると、いよいよ目がちかちかしてくる。

 彼女の後ろには三人の女たちが揃って腕を組み、ああでもないこうでもない、と本人をよそに熱い議論を戦わせていた。その中心に立っているのは、カティーフで顔を合わせた赤毛の女戦士アイシャだ。彼女のしなやかな筋肉と女性らしい身体付きは、鏡越しでも存在感がある。シエナよりも彼女の方がよほど赤が似合いそうなものだが、くっきりとした面長の顔は戦場にでもいるかのように真剣な表情を浮かべ、声を掛けるのもためらわれた。


「……衣装は本当に赤でいいのかい? あんたの国みたいに白にしてもいいけど……。にしても、こっちに西のドレスを作れるような職人はいたかねえ?」 


 西の王女は改めて、鏡の中の自らの姿を眺めてみた。プラチナブロンドは複雑に編み込まれ、頭の後ろでまとめられているようだが、もはや何がどうなっているのか自分でもわからない。赤いヴェールを下ろすと、繊細な髪はやや赤みを帯びた光を落とし、淡いピンクのように見えて新鮮だ。ドレスの首元から肩にかけてと腰の一部は、肌が透けるようなデザインで、アレス王国のものと負けずとも劣らぬほどに洗練されている。肌触りのいい生地には小さな真珠や宝石が金糸の刺繍に縫い込まれ、豪華でありながらも上品で、ため息が出るほど美しかった。


「郷に入りては何とやらって言うだろ。そんなことより、宝飾品は何を合わせるか、だろ?」


 一歩間違えれば騒音にもなりかねない少女の勇ましい声に、シエナは不安にうつむいた。アイシャの隣には、先の戦いでぱっくりと背中をやられたはずの弓使いの少女、レイラがいた。あの大怪我など嘘だったかのように、ぴんぴんしている。とはいえ、飾り紐のようなボタンがついた上衣から覗く肩は白い包帯で覆われ、痛々しい。彼女とは、この部屋に連れてこられた矢先で久々に顔を合わせたものの、つんと顔を背けられ、まともに言葉を交わさぬまま今に至る。少女の澄ました赤茶の目は、相変わらず隠しきれない敵意が滲んでいた。


「レイラ……あなたはよくもまあ、その状態でここまで来れましたね?」


 さらにその隣には、その双子の妹である医師ゼフラがあきれ顔で佇んでいた。彼女が首をかしげると、その動きに合わせて頭の上で結わえた二つの栗色の団子が角のようにぴょこぴょこと跳ねる。姉の敵意とは反して、彼女の興味深そうな眼差しは常に観察対象を眺めるように冷静である。

 こうして、奇しくもカティーフで面識のある女連中が一堂に会することになった。


「るせえな! アレス女がザイド様と結婚なんてぶったまげて、傷の痛みなんかどっか行ったんだよ!」


 レイラの粗暴な言動にはもはや慣れたつもりだった。けれども、うつむいたシエナの不安げな面持ちから察したのだろう。アイシャは、きりりとした赤い眉根を寄せると、わざとらしく嘆息した。


「レイラ。おひいさんはこれからあたしたちの主人にもなるお人だ。その呼び方、何とかならないのかい?」


 叱責にしては柔らかい声音であるが、切れ長の目には有無を言わさぬ凄味がある。その途端、弓使いの少女はさながら蛇に睨まれた蛙のようにすくみ上がっていた。さっきまでの威勢はどこへやら、あわあわと視線をさまよわせ、今にも消え入りそうな声でしどろもどろな言い訳を始める。


「……あ、アイシャ様! も、申し訳ありません。で、でもよお……あたしはまだ、認められねえ、っつーか……。」

「レイラ? それより前に何か言うべきことがあるのでは?」


 それに加えて、妹ゼフラも畳み掛けるようににじり寄る。小さな唇の口角は上がっているが、どんぐりのようにつぶらな赤茶の目は少しも笑っていない。二人に気圧されたレイラは億劫そうに、うなじまでの短髪をがしがしとかいた。が、じっと見つめたまま目を離そうとしない妹に根負けしたのだろう。勇ましい少女は、極まり悪そうに明後日の方へと目を逸らす。


「あの……えっと。あんたに八つ当たりしちまったことは、悪かったと思ってるよ。その……すまなかったな」

「……え、ええ?」


 まさかこの場で謝罪を受けるなどとは思ってもみなかった。シエナの方も一瞬何が起こったのか理解が追い付かず、疑問形になる。それを耳にしても、ゼフラは不出来な姉へ憐れみの視線を向けたまま、淡々と迫った。


「そうですよ。あれはあなたが目の前の敵に夢中で、背後への警戒を怠ったからです。私の毒がなければあのままやられてましたよ。」

「ちっ……うるせえな。んなことわかってんだよ!」


 あれほど粗野で怖いもの知らずなはずのレイラも、彼女を前にすれば一方的にやられっぱなしである。それが妙におかしくて、シエナの唇は気づけばふっと吐息を漏らしていた。


「……っ。」

「はいはい、その辺にしときな。おひいさんが呆れてるじゃないか。」

「そ、そんなこと……ない、わ!」


 シエナは慌てて否定したものの、青緑の目は心なしか細められている。そんな王女を一瞥するが早いか、レイラは先ほどの叱責も忘れて鼻息を荒くした。


「けっ。見世物じゃねえんだよ。」

「レイラ。そんな言い方はないんじゃありません?」


 尚も揉める双子を、女戦士は半ば呆れ果てたように見つめていたが、やがてその琥珀色の瞳は卓上へと向けられた。


「で、あんたたち。重要な任務を忘れてないかい?」


 円卓に置かれた宝石箱には、ありとあらゆる宝石をあしらった宝飾品が並んでいる。赤、青、黄色、紫、ピンク。滴型、六角形、花のような形など、デザインや透明感、輝きのどれをとっても遜色ない。その一つでアレス王国の辺境の家一軒は手に入りそうな代物だろう。ゼフラは品定めするようにあちらこちらへと目を走らせると、手前の耳飾りを手に取った。


「私はアメジストでしょうか。やはり紫は高貴な色ですから、ザイド様の隣にも似つかわしいかと。」


 しなやかなカーブを描く銀細工にあしらわれた宝石は、透き通るようなすみれ色だ。品が良く知的な彼女らしい見立てである。


「……なるほどね。レイラは?」


 アイシャの問いかけに、興味なさげに目を細めていたレイラが、慌てて腕を組んだ。それから困ったように眉をしかめつつ、今しがたまで悩んでいたようなそぶりを見せる。彼女は出し抜けに大粒のルビーをあしらった指輪を持ち上げては、日の光に透かしてみるが、どうにも歯切れが悪い。


「え? あ、あたしですか!? いやー、その、なんつーか……よくわかんねえけど……。あ、ここはびしっとこういう感じのルビーでいっぱいにして、統一感とか? 出してみたらどうですかね?」


 何とも奇想天外な発想に、シエナは驚愕のあまり言葉を失っていた。思わず視線を落とし、自らの衣装と彼女の手中にある燃えるようなルビーとを見比べる。赤に赤が重なれば、さらに目が痛くなりそうで軽いめまいを覚えた。現に、ゼフラはくすくすと声を抑えながらも可笑しそうに笑い転げている。


「花嫁衣裳は赤なのに、更に全身真っ赤ですか。センスないですね。」

「……るせえな! しょうがねえだろ、こういうの慣れてねえんだから!」


 騒々しい双子もそのままに、アイシャはまじまじと透明なダイヤモンドの腕輪を眺めていた。険しい顔の女戦士は、ふと思い立ったようにシエナの方を振り返る。


「あたしはこのダイヤモンドでもいいと思うんだけどねえ……おひいさんは、どうだい? 何か気になる宝石はあったかい?」

「……そう、ね……」


 シエナとて、宝飾品に興味がないわけではないが、王族であるにもかかわらず触れる機会はまるでなかった。腹違いの姉たちは、常に煌びやかな宝石を身に着け、これ見よがしに見せびらかしてきたものだが、シエナに関しては王室の行事も、誕生日すらも忘れ去られ、誰からも贈られたことは無かった。そのせいか、彼女は知らず知らずのうちに興味を持たぬよう自制をしていたのかもしれない。この目前にあるため息の出るほど美しい宝石と、自分というのがいまいち結びつかないでいるのだ。

 一つ一つの煌めきに恐る恐る近づいた彼女が注視を続けるうちに、ふと一つの輝きに目を引かれた。


「……これ。すごく、綺麗だわ」


 それは、雫型の青い宝石を嵌め込んだネックレスだった。深い青にちりばめられた金の粒は、星空のようにも、水面に光の差すオアシスのようにも見える。仄かな輝きはなんとも神秘的で、数ある宝玉の中でも異彩を放っていた。心躍るようなときめきと共にどこか懐かしさを覚え、彼女はいつしか我を忘れるほどに見入っていた。


「ああ、そいつかい。アレスにはきっとないだろ。ラピスラズリっていうんだよ。そういえば……ザイドの目の色とも少し似ているような。っと、こいつは野暮だったかい?」

「―なっ!」


 意味深な笑み。赤い唇を緩ませた女戦士に思いがけない言葉を投げ掛けられ、シエナはうろたえた。そういえばここ数日、ザイドとはまともに顔を合わせていない。まさか、知らず知らずのうちに彼を意識していたのだろうか。王女はあわててネックレスから手を離すと、そろりと元あった所へ戻した。


「そ、そんなわけ! ……えっと、純粋に、デザインが、悪くなかったから……」


 動揺を隠そうと張り上げた声は逆にひっくり返り、不覚にも一同の注目を浴びてしまう。思ってもみない失態に、彼女はかっと耳の裏まで熱が昇ってくるのを感じた。

 そうこうしているうちに、部屋の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「―姫君。少し話があるのだが、入ってもいいだろうか?」


 瞬間、どきりと心臓が跳ね上がる。彼の冷たく艶やかな声を聞くことは随分と久しい。咄嗟の返事も思いつかず、シエナはうろたえた。これでは、あまりに間が悪い。


「っと、噂をすれば何とやら、ってやつだね。いいかい? おひいさん。」


 アイシャをまともに直視することもできず、王女は小さく頷いていた。

 扉が開く。視界の端にザイドの姿を捉えたものの、なぜか顔を向けることが出来ない。視線を向けなくても、彼がこちらを見つめているのがひしひしと感じる。許されるなら、今すぐにでもどこかへ隠れてしまいたいたかった。


「衣装合わせか。……よく似合っているな。」


 真っ直ぐに向けられる深い青の瞳。こっそりと盗み見ると、先ほど手のひらの上で輝いていたラピスラズリを思い出すようだ。彼女はさっと目を逸らすと、焦りを隠すように突っぱねた。


「……っ。お世辞なら、いらないわ」

「なるほど、宝飾品を選んでいるのだな。どれも目利きの商人が持ってきた一級品だ。姫君にもよく似合うことだろう。」

「ザイド様はどちらがいいと思われますか?」


 空気の読めないレイラの提案を受け、ザイドまで真剣な眼差しで品定めを始めた。彼の彫刻のように麗しい横顔を盗み見ていると、あの夜告げられた偽りの契りを思い出されるようで、ちくりと胸の奥が痛む。


「俺、か? そうだな.......これは、どうだろうか。姫君の瞳とよく合うと思うが」


 しなやかな褐色の手が掬い上げたのは、青緑の耳飾りだった。透明な水に映る新緑は、どこまでも混ざり合い溶けあっていくかのよう。緩やかな菱形を描く金細工と、エメラルドグリーンを囲むようにちりばめられた小さな真珠は、赤色にもよく映えることだろう。


「……お互いの瞳の色を選んでいる……もしや噂通り、相思相愛でほの字だったりすんのか?」

「こら、レイラ。それは野暮と言うものですよ。」


 申し合わせたようにお互いの顔を見合わせる双子である。シエナはいよいよ穴があったら入りたかった。どこで何を噂されていようと気に留めるまいとは思っていた。しかしながら、噂話だけがふらふらとあらぬ方向へさまよっていくのを目の当たりにすると、相当な違和感と共に当惑を覚える。

 その上、女連中は何を勘違いしたのか、そそくさと帰り支度を始めた。


「さてと、お邪魔ものは退散しようかね。女手が必要になったら、また呼んでくおくれ。さ、あんたたち。行くよ。」

「あー! あとは若いお二人で、ってやつだろ。あたしでもそんくらいはわかってんだぞ?」

「レイラ。それはラジャブ様のようなおじ様が言ってこそ格好がつくものですよ?」


 嵐のように騒ぎ立てては去っていく彼女たちに、シエナはしばらくあっけにとられていた。この格好のまま置いていかれたことへの戸惑いと、変に気を遣われた気恥ずかしさが重なり、彼女は白金の睫毛を伏せる他なかった。


「……やっと行ったか。騒々しい奴らで、すまないな。」


 はたとザイドの方を盗み見ると、いつもの涼しい顔は変わらない。もしや、シエナだけがあれこれと気にしすぎているだけなのだろうか。赤いヴェールをそそくさと被った王女は、偽りの伴侶へどう接すればいいのかもわからず、口を開くこともできずにいた。

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