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アレス武勇詩(ハマーサ) ~捨て駒姫は自由に焦がれる~  作者: 桜井苑香
Ⅳ. たがいの叙景詩(ワスフ)
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騎士たる者の呪縛

 砂漠に点在するオアシスは、息も詰まるほどの熱気を癒す。それはたった二人で砂漠を渡る者たちも例に漏れない。

 アルシャンマールの西端、人知れず小さな泉が湧くこじんまりとしたオアシス。その木陰には、リュシアンとセシルが身を隠すように身体を休めていた。共に戦地から命からがら逃げ延びたような、疲弊しきった顔をしている。

 セシルはベストを脱ぐと、泉に浸した布で額に浮かぶ汗を拭った。シャツのボタンをいくつか外してパタパタと扇ぐと、ぬるい風が肌を撫でる。白い肌は幾らか日に焼けたのか、微かに赤らんでいた。普段の彼からは考えられない着崩し方だが、この暑さを思えば致し方ないだろう。大きな水色の目は、透き通るような泉を映して燦然と輝いている。


「シルティグアイムまであともう少しですね。しかし日中は本当に暑いですね~」


 彼の呑気な口調とは対照的に、リュシアンは異国の木に持たれ、険しい面持ちを崩さずにいた。暑さのあまり脱いだシャツは木の枝にかけられ、露わになった小麦色の上半身には、あちこちに傷や痣が見受けられる。彼は悔恨と焦燥に、マメだらけの拳を握り締めていた。


「ああ……そうだな。」

「しかし、良かったんですかね? 騎士団について行かなくて。」


 あの後、アレスの騎士団らは行きとは打って変わり、昼夜問わず忙しなく進んでいった。そのためリュシアンは兄と話す機会もないまま、いつの間にか遅れをとり、はぐれてしまったのだ。彼は己の無力さに失望し打ちひしがれるあまり、行く当てもなく砂漠を放浪しようとしていたのだが、一人では危険だとセシルが慌てて引き留めたのだった。


「兄上は陛下への報告のため、王都へ帰られるようだったが……俺はまだ、この場所から離れるわけには行かない。こうしている間にも、姫様は―」


 そして胸が詰まったのか、精悍な騎士は鳶色の短髪をかきあげると、行き場のない苛立ちを拳に叩き付けた。

 思えば、加勢の数は充分だったはずだ。誤算だったのは、シャンマール攻略を勇み足で目論む王令であった。まさか騎士団長の手によって、シエナの奪還が阻まれてしまうとは。それどころか、かえって敵であるはずのザイドに、シエナを守ってもらうような形になってしまった。これでは、アレス王国から協力を得ることはもはや不可能だろう。


「でも無策では、また同じ轍を踏むだけですよ。」

「……。」


 悩む彼を無情にも突き刺す正論に、異議を唱える余地もなく押し黙る。事実、今のような孤立無援では、敵地への侵入はおろか近寄ることすらままならないだろう。


「……どうすればいい。このままでは姫様が……。ああ、どうしたものか。」


 なす術もなく頭を抱える騎士の目の前に、いつの間にか一抱えもあろうかという大きな木の実が差し出されていた。何事かと目を向けると、もう片方の手にはナイフが握られている。リュシアンは困惑したように木の実と童顔の青年とを交互に見比べた。


「……オルコット卿。いったい、何を?」

「この果実、飲用できる液体が入っていると、何かで読んだことがあります。良かったらどうです? よいしょっと―」

「……待て。俺がやろう。」


 危なっかしい手つきを見かねたのか、リュシアンはナイフを受け取ると、木の実の表面に向って、飲み口ができるようにざくりと突き立てた。ざらついた厚い皮にぽっかりと穴が空くと、ふわりと甘い香りが漂う。


「これでいいか?」

 

 恐る恐る覗き込むと、中には白濁した液体がたぷたぷと満ち溢れていた。セシルは何を思ったのか、強引にもそのままぐいと、穴の空いた木の実を差し出してくる。


「いいですか、ブラッドリー卿。郷に入りては郷に従えと言います。まずは飲んでみてください。」

「―え?」


 未知の木の実にいささか眉をひそめたものの、観念したリュシアンはおそるおそる口を付けた。途端に舌に広がる甘みと酸味。滴る雫が喉の渇きを潤すように滑り落ち、徐々に口内の熱を和らげていく。


「……っ。甘いような、妙な味だな。なんと言うものだ?」

「クコティエという椰の実の一種です。疲れた時には甘いものが一番ですからね。」


 そこからは無意識のうちに、喉をごくごくと鳴らしながら嚥下を続け、あっという間に飲み干していた。摩訶不思議な甘味は、疲労困憊の身体にじんわりと染み渡り、熱を溶かす。彼はふうと一息つくと、聡明な教育係に心底感心していた。


「……あなたには世話になってばかりだな。さすが姫様の教育係だけあって、幅広い知識があるようだ。」

「ええ。大陸にある書物はあらかた読みましたから。」

 

 自慢することもなく、平然と言ってのける童顔の青年を見て、リュシアンはふと考えを巡らせていた。―もし、セシルが読んだというありとあらゆる書物の中に、戦術も含まれていたとしたら。いつもは実戦と自らの経験則以外は、参考になどしない。だがこの際、改めて書物から参考にできることがあるなら、その教えを乞うてみるのも悪くはないだろう、と騎士は考えを改めていた。


「オルコット卿、つかぬ事を聞くが……。戦法や武器、どんなものでもいい。奴らの毒や火矢に、一人でも対抗できる手段は知らないか?」


 すると、教育係はまるでこの時を待っていたかのように、妙に落ち着いた笑みを浮かべてみせた。その童顔には見合わず、数々の修羅場をくぐり抜けてきたような貫禄がひしひしと伝わってくる。


「ブラッドリー卿。あなた、正面突破しか考えてはいませんか?」


 重々しい口調でそう投げかけられ、リュシアンははっとした。事実、正々堂々と戦うのは騎士としての常識であるが故に、先の戦いでも正面を切って剣を交えることしかしてこなかった。その悟ったような表情を知ってか知らずか、小柄な青年はさも得意げに鼻を鳴らすと、意気揚々とその知識を披露すべく口を開いた。


「こういうお話があります。遥か東方には、闇夜に乗じて小型の剣を投げ、背後から敵を倒すという暗殺者一族がいるそうです。書物では、まさに一騎当千だったとも。」

「名乗りも挙げず、宣戦布告もなしに……か。それではまるで、盗人のようではないか。」


 リュシアンは困惑したように頬をかいた。それもそのはず、彼の生家は代々騎士を輩出してきた名門家だ。幼い頃より、騎士道のいろはは全て叩き込まれてきた。謙虚に、誠実に、礼儀を重んじ、主を守る。繰り返し身体に染み付いてきた教えは、そうやすやすと捨てられるものではない。ましてや王女を守る護衛騎士ともなれば、なおさらのことだ。彼は衝撃を受け、図らずも全身から戸惑いが漏れ出ていた。


「正々堂々と戦うのが、騎士ではないのか……。」


 その瞬間、セシルはそれまでの重々しい振る舞いを崩すように深く嘆息すると、朗らかな顔を大げさにしかめてみせた。


「はあ……ブラッドリー卿。何度も言うようですが、それではまた同じ轍を踏むだけです。」

「……なんだと?」

「団長すなわち陛下からの支援も得られない今、手段を選んでいる場合ですか? 目には目を、歯には歯をというように、奴らが蛮族ならこちらも手段を選ぶ必要はありません。油を撒いて火をつけるなり、奴らの持つような毒を井戸に投げ込むなり、背後から討つなり……相手に気付かれず、始末するような方法を考えるべきです。」


 リュシアンは腑に落ちないまま、目を閉じた。たしかに、今まで正攻法で立ち向かおうとしたが、いずれもあちらの卑劣な武器のせいで失敗に終わっている。だからと言って、同じ手を使えば彼らと同じ蛮族に成り下がるのではないか、と騎士たる彼は無意識のうちに危惧していたのだった。


「そんな卑劣な手段を使えば、姫様まで危ういのではないか? おまけに背後から、などと……到底考えらない。それは卑怯者のすることではないか。」


 尚も尻込みする彼にしびれを切らしたのか、セシルは唐突に鋭い一喝を浴びせた。


「―あなたは! 殿下とご自分のプライドと! どちらが大事なんですか!」


 その途端、生ぬるかったはずの空気が、ビリビリと震える。明朗な声が初めて荒げられるのを目の当たりにして、騎士はしばらく呆気に取られていた。


「……オ、オルコット卿?」

「騎士たることにこだわらないでください。あちらは蛮族なのです。人の心を忘れろとまでは言いませんが、殿下をお救いしたいなら、自己を捨てる覚悟を決めてください。」

「……。」


 その剣幕に圧倒されて暫したじたじとなっていたものの、やがて彼は己を省みるように呟いた。


「俺は、姫様より自分を優先していたのか……。オルコット卿、感謝する。少し目が覚めた様な気がする。」

「まあ、相変わらず無策なことには変わりないですけどね。」


 それでも一人で思い悩むよりは、いくらか気が晴れたのだろう。彼は先程よりも清々しい気持ちで腰を上げた。

 と、不意に背後の木陰からがさりと茂みを踏みしめる音がする。何事かと目を向ける暇もなく、すぐに傍から降ってきたのは気だるげな男の声だった。


「あー……お取り込み中で悪いんすけど、ちょっといいすか?」

「―っ?!」


 リュシアンは咄嗟に距離をとると、傍らに置かれた剣を握ろうとした。と思うが早いか、木陰から姿を見せたのは首元まで布を巻いた見慣れぬ男。裾が広がった独特な衣服から察するに、アル・シャンマールの者だろうか。にしては、肌もどちらかと言えば白めで彫りも深くない。亜麻色の長い前髪の奥からは、表情の読めない三白眼が覗いている。


「お前は……蛮族か! いつのまにこんなところへ!」


 リュシアンが剣を向けようとすると、すかさず男は手のひら大の球体をこれ見よがしにちらつかせた。即座に、それが峡谷で苦しめられた煙幕であると気づくと、彼はそれ以上何も出来ずに静止せざるを得なかった。


「あんま騒がないで貰えます? じゃないとまたコイツでドロンするっすよ。」

「……目的は、何なんですか?」


 セシルも隠し切れない不安に押されて、じりじりと後ずさりする。すると男は、懐から一通の封筒を取り出した。彼が音もなく手を動かすと、それは吸い込まれるようにリュシアンの掌へと収まっていた。


「こいつを渡すように、ザイド様から仰せつかってるんすよ。」

「……あの男からだと?」


 彼が封筒を慎重に裏返してみると、そこには見慣れぬ紋様が刻まれていた。交差する湾曲した双剣に、コブの付いた猛々しい馬は砂馬だろうか。それが目に入った瞬間、セシルは驚いたように声を上げた。


「これは……間違いなく、アルシャンマールの国章ですね。あとは何が入っているかですが―」

「やばいものが入ってないか疑うってんなら、今開けてもらっても構わないっすよ。ちゃんとアレス文字で書いてあるんで、あんたらにも読めるはずっす。」


 気だるげな男は、これで話は終わったとばかりに再び木の陰へ消えようとした。


「待て。……これを、俺にどうしろと?」


 リュシアンが男を引き留めるように威圧する。睨み合いにも似た沈黙が流れた後、使いの男は臆することなく淡々と答えてみせた。


「アレス王まで届けてくれないっすか?」


 不躾な申し出にむっとする。なぜ他国からの文を届けに行かねばならないのか―他に良からぬ目的があるのではないかと、リュシアンは苛立ち混じりに手紙を突き返そうとした。


「……断る。」

「おひいさんの無事、知りたくないっすか?」


 その途端、リュシアンは反射的に息を呑んだ。どくどくと高鳴る鼓動。もし、シエナの居所がわかるなら。彼は動揺を隠しきれず、図らずも視線を泳がせる。それを見た男は、彼が食いついてくることなど想定内であったかのように、何食わぬ顔で続けた。


「今はザイド様と違う場所へ向ってるんで、もうあそこにはいないっすよ。俺が言えるのはここまでっす。ま、信じる信じないかはあんたの自由っすよ。」

「……そうか。」


 だが、はいそうですかと素直に従う気にもなれず、リュシアンは警戒したまま低く脅すように唸った。


「なぜ、俺に託す?」

「あんたたちアレス人なら、王都に行っても殺されないっすから。これまで何度使者送っても駄目だったんすよ。」

「……初めて聞きますね。本当にそんなことが?」


 セシルは要領を得ずに首を捻っている。それもそのはず、これまで二人がいたのはアレス王国の辺境だ。外交関係はおろか、王都の話が入ってくることはほとんどない。使者が来ていたことを知らずとも、無理はなかった。


「蛮族の言うことだ。だが……」


 敵の言葉を容易く信じるわけにはいかないが、否定もしきれない。現に、あのアレス王なら、使者を話を聞く前に殺していたとしても何ら不思議はなかった。先の戦いでは、シエナを殺せという前代未聞の命令もある。そのため、一概に聞き流すことも出来ず、リュシアンは考えあぐねていた。


「じゃ、そういうことっすから。頼んだっすよ」


 しかしながら、気だるげな男はこちらの反応など大して気に留める様子もなく、忽然と木陰に溶けるように消えていった。あとに残された彼らは、いまいち状況を飲み込めないまま、瞬きを繰り返す。それから、ゆっくりと託された文へと視線を移した。


「何だったんだ、あいつは。なぜ俺が、蛮族の使者を……」

「でも、捨てるわけにもいかないですよね。少なくとも、何が書いてあるか知るまでは……。後で厳重に封をしますから、ちょっと開けちゃいましょうか。」

「……いいのか?」


 セシルは返事を待たずに器用にも封を剥がすと、書かれている文字を素早く目で追った。リュシアンも傍らから覗き込んだが、内容を理解するにつれ、徐々に血の気が引いていった。

 こうして、王都へ戻る彼らに新たな目的が追加された。―アレス王への謁見。彼らには伝えなけば、そして確認しなければならないことがある。シエナが奪われたこと。騎士団長が彼女を殺そうとしたこと。そして、蛮族の使者から託された文。その一つ一つを考えると、気が遠くなるばかりであった。

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