やまんばとあなたの話
わたしのお話は、これでおしまい。
その顔は、信じてくれてるみたいね。嬉しいわ。
……え? この霧の中から出られないのに、どうやってこのお茶やお菓子を作ってるのか?
ほほほ……それは、秘密にしておくわ。多分、言っても理解できないと思うし。さっき少しだけ話したけれど、山姥にも、少しは不思議な力を使うことができる。そういうことよ。
それに、わたしが自分のことを話したんだもの。わたしも、あなたのお話が聞きたいわね。
……話したくない? なら、無理に聞き出したりはしないわ。
けど、これだけは分かるわ。
あなた、死にたいと思いながらこの山を登ってきたんでしょう?
でないと、この霧に入ってくることも、この家にたどり着くこともできないもの……
三百年以上生きてるけど、人間は本当に変わらないわね。
本当に大変なことが起きてる時には、なんとしても生きようとする……
ちょっと落ち込んだりショックなことが起きたら、すぐに死んじゃうことを考える……
もちろん、あの子みたいに、人間にとってはとても長い間、苦しんで、悩んで、もう限界だっていうくらい疲れて、それで死んじゃうことを決めたなら、仕方がないかもしれないわ。
わたしだって、一度は仲間がいない寂しさで、死んでもいいって思ったもの……
それでも、あの時死なずにこうして生きているおかげで、わたしには良いことがたくさんあったんだもの……
……分かってる。
あなたのこと何も知らないのに、誰かと比べて物を言うなんて、卑怯なことよね?
けど、どうしても、あの子と比べずにはいられないの。
あの子は、わたしなんか比べ物にならないくらい、とても辛い目に遭ってきたわ。ここに来てくれた時も、すごく疲れた顔してた。
けど、あの子は少なくとも、死にたいだなんて思ってなかった。生きていきたいって顔をしてた。わたしには分かるの。
将来、自分が死ぬって分かってたのかもしれない。それでもどうにかして、生きて帰ろうとしていたんだってお思うの。
だってあの子は、巫女さんとご主人の息子だもの……
……ごめんなさいね。あの子のことを思い出すと、今でも涙が出るわ。
ええ……もう、大丈夫。それに少なくとも、今のわたしは死にたいだなんて思ってないわ。
巫女さんの分も、ご主人の分も、あの子の分も、生きていこうって決めたから。
あの子の言った通り、この結界も、あと百年もしないうちに消えてしまうと思うの。多分それが、わたしにとっても、本当の意味での寿命になると思う。この山からも、この家からも、離れることはわたしにはできないから。
生きることが苦しいなんて、当たり前よ。誰だって疲れるに決まってる。山姥のわたしでさえ、巫女さんたちに出会うまでそう思っていたんだもの。
でもね、疲れるくらい大変だから、死にたいとも、生きたいとも、感じることができるの。生きていないと、どちらも感じることなんてできないのよ?
長くて大変な人生の中、ちょっとのキッカケであれ、長い苦しみであれ、それなら死にたい、それでも生きたい、そう思い至ることができるのは、人間も、山姥も、みんな同じ。
あなたも、この家に来られるくらい、死んでしまいたいって思えることがあったんだもの。よっぽど苦しい思いをしてきたんだと思うわ。
死んでしまいたいと思う理由しか、今のあなたの目には見えないでしょうね。
けど、もしかしたらすぐ近くに、生きたいと願う理由だって、あるかもしれない……
ただの山姥のわたしには、それを見つけてあげることも、あなたのことを癒してあげる力も無い。
悔しいけど……
せめて、お茶を飲んで、クッキーを食べて、ゆっくり休んでいくといいわ。
少なくとも、ここには、あなたのことを責める人間は、一人もいないから――
…………
…………
…………
あなたがどんな気持ちで生きてきたのか。よく分かったわ。
誰かに相談することもしないで、辛かったわね。
大丈夫よ。人間が聞いたら笑うようなお話だとしても、山姥のわたしは笑ったりしないから。
ええ……笑うもんですか。
だって、あなた、がんばってきたんだもの。どんなに苦しくても疲れても、死んでしまいたいと思うまでがんばってきたあなたのこと、笑うわけないわ。
よく今までがんばったわね……
おつかれさま……
おつかれさま……
……あら? 霧の形が変わったみたい。
今出ていけば、霧の中から元の場所まで戻れるはずよ?
……もう大丈夫なの? 出発する? なら、玄関から見送るわ。
わたしに会えて良かった? 本当……そう言ってくれるなんて、わたしもあなたに会えて良かったわ。
また遊びにきてもいいか?
ほほほ……またここに来られるのは、またあなたが死んでしまいたいと思うくらい、心が荒んでしまった時よ?
わたしは、あなたが二度と、この家に来られないくらい、幸せで前向きに生きていけるよう、願っているわ。
けど、生きていてどうしても、耐えられないくらい辛いと感じた時は、死んじゃう前に、またここへいらっしゃい。
わたしはずっとここにいるから。お茶とお菓子を用意して、いつでもここにいるわ。
がんばって……
……ええ。それじゃあ。
さよなら。
さよなら――
……あら?
また一つ、この山に信仰が集まったみたい。
新しい山姥が生まれるにはとても足りないけれど、またこの山が元気になったのを感じるわ。
それにしても不思議だわ。
山姥は生まれなくても、この国で一番信仰が集まってる、一番高いあの山でさえ、人間のゴミがたくさん捨てられて汚れてるって話なのに、ちょっと大きいだけの名前も無いこの山には、汚れなんてほとんど感じない。
これも、集まった信仰のおかげなのかしら?
何も無い山なのに、今のこの時代に、そんな人間たちの信仰を集めるようなものがあるのかしら……?
……あら? また誰か、この山を登ってきているようね。
今度は、この霧に迷い込んでこなければいいんだけど。
でも、またこの家に来ても、ゆっくりくつろげるように。
温かいお茶を淹れましょう。美味しいお菓子を作りましょう。
そしてゆっくり、お話しましょう。
いつでもここにいらっしゃい。
わたしはいつでも、ここにいるから……