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やまんばと霧の話

 さっきも言ったけど、わたしは三百年以上前に、この山で生まれたわ。

 このころには、もう山姥自体、わたしを含めても十人もいなくて、みんなおばあちゃんだったわ。

 ……ほほほ、そうね。山姥は生まれた時からおばあちゃんの姿をしているわ。見た目もそうだし、きっと考えてることもおばあちゃんなの。わたしもおばあちゃんだから、こうしてお茶を飲んで、クッキーみたいな甘いお菓子を作るのが好きなのかしらね。

 ……わたしは若い? あら、ありがとう。頭も真っ白で手も顔もシワだらけだけど、そう言われるとやっぱり嬉しいわね。


 ……ええ、そう。山姥は何事も無ければ何百年も生きていられるわ。その間、生まれた時からずっとおばあちゃんの姿だから、中には若くて美しい娘に憧れる人もいたでしょうね。

 だから、そういう若い人間を食べれば若返ることができるって、そんな迷信を信じてしまう人もいたの。それが、あなたも聞いたことがある、恐ろしい山姥のお話の元になったんでしょうね。



 そうやって人間に迷惑をかけたせいで、人間に仕返しされて死んでしまう人たちもいたわ。

 山姥にも戦う力があったんじゃないか?

 あらあら……そりゃあ、色々と怖いお話は伝わっているかもしれないけど、見ての通りおばあちゃんだもの。確かに、ちょっとくらいは不思議な力も使えるけど、基本的には、山の中で静かに長生きするくらいしか取り柄なんてないのよ。

 人間を食べることができたのは、騙したり、罠にはめることができた時だけ。


 そうやって、人間に迷惑をかけたせいで殺されたり、単純に寿命が来て死んでしまったり……

 山姥は人間みたいに、大勢生まれるような人たちじゃないの。何百年も生きてる山に、大勢の人間たちの、山に対する敬意や畏れ、信仰の気持ちが集まって、形を成して生まれるのが、わたしたち山姥なの。

 ちょっと難しかったかしら? 要するに、山に対する感謝の気持ちがたくさん集まった時、山姥が生まれるということよ。


 だけど、時代が流れて人間たちの生活が豊かになる代わりに、人間たちは山や自然に対する感謝の気持ちを忘れてしまったの。

 わたしの知る限りだけど、多分わたしがこの国で最後に生まれた山姥でしょうね。

 国中の山を探せば、どこかにいるかもしれないけれど、山姥は生まれた山を離れることはできないから、わたしにはそれ以上のことは分からないわね……



 時間が経つごとに、一人、また一人、仲間は死んでいったわ。

 死ぬと言っても、むくろが残るわけでもない。人間の感謝の気持ちに形なんてないから、元の通り、なにも無くなって山に還っていくだけ。

 思い出の品も何も残らないから、仲間が死ぬ時は本当に最後のお別れになったわ。

 当時は写真なんて無かったし。あったとしても、わたしたちは写らないんだけど……


 生まれて百年が経とうとした時だったかしら。仲間が全員死んでしまって、わたしが最後の山姥になったのは……

 もっとも、最後の一人になっても、やることは変わらないわ。ただ、生まれたこの山の中で、静かに暮らす。それだけよ。

 けど、人間たちは嫌だったみたい。


 あなたはさっき、この山は山姥の伝説で有名だと言っていたけど……昔も、この山には山姥が出るって話が人間たちの間に広まっていたの。

 わたしが生まれて百五十年くらい経ったころ。時代が新しい名前に変わろうとしていた時だったから、よく覚えてるわ。


 昔に比べて、お化けや妖怪、神仏を信じる人は少なくなっていたけど、ずっと信じてる人もいた。山姥のこともね。

 そんな人間たちの前に、うっかり姿を見せちゃったわたしも不注意ではあったんだけど、やっぱり人間たちの目には怖かったんでしょうね。

 わたしのことを退治してほしいって、陰陽師にお願いしたの。

 ……ええ。山姥だっているんだもの。陰陽師だっていたわ。その時代には、わたしと同じで本物って言える人はすっかり少なくなっていたけれど。


 それで、わたしのことを退治するために、その陰陽師の女の子……巫女さんはわたしの前にやってきたというわけ。

 それで、どうなったか? 残念だけど、今時の子が期待するようなことは、何事も起こらなかったわ。

 さっきも言ったけど、こんなおばあちゃんに戦う力なんてないもの。逃げようにも、わたしはこの山から離れることはできないし。

 だから、退治されるならそれで構わないと思っていたの。正直、一人でいることも寂しいって思っていたから。



 だから、巫女さんに退治されるのを黙って待っていたのだけれど……

 巫女さんは、何もしようとはしなかったわ。

 それどころか、何にも悪さをせずに、ただ静かに暮らしてるだけののわたしを退治なんてできないって言ったの。それに……わたしが、山姥の最後の一人だって聞いて、とても悲しんでくれたのよ。


 けど、いくら助けてもらったとしても、時間が経てば、いずれこの山にも大勢の人間たちがやってくるわ。

 そうなると、今まで通り静かに暮らすことも、隠れることだって難しくなっちゃうから、やっぱりこのまま、退治される方がいいって、そう思ったの。

 山がなくなったら山姥は死んでしまうけど、山姥が死んでも、山は生き続けるから……


 けど、巫女さんは、何もしないって、言ってくれたの。

 何もしない代わりに、あなたにずっと、この山にいられるようにしてあげる。自由に動けなくなってしまうけど、誰にも見つからず、今まで通り静かに暮らせることを約束してあげる。

 そう、言ってくれたの。

 わたしも、確かに寂しさはあったけど、やっぱり、このままこの山で生きていきたいっていうのが本音だったから。そのためなら、多少不便になるくらい構わないって……

 やっぱり、生まれてきたってことは、生きていきたいということなのよ。

 巫女さんとお話してみて、それがよく分かったわ。



 そうして、巫女さんが約束通り作ってくれたのが、この霧の結界なの。

 この霧の外には出られない代わりに、誰もわたしに近づかない、誰もわたしを見つけない、静かに暮らせる場所だって。

 それでわたしは、この霧の中に閉じ込められることになったんだけど……

 巫女さんはわたしが寂しくならないようにって、何度も遊びに来てくれたわ。

 そう……この結界の中に入った後も、その巫女さんとはとても仲良くしたのよ?


 たくさんお話しもしたわ。

 陰陽師を信じてくれる人間もすっかりいなくなって、もう巫女さんも廃業するって。

 新しいお仕事も無事に見つけて、それでなんとか上手くやっていってるって。

 そこで出会った男の人と結婚したっていう報告も受けたのよ。陰陽師だった自分のことを気味悪がるんじゃないかって不安だったけど、正直に打ち明けたら、受け入れてくれたって。

 その後、ご夫婦でも遊びにきてくれたのよ。ご主人もとても優しい人で、すぐに仲良くなったわ。



 それでね、面白いのはここからよ……

 そのご主人ね、若かったけど、人間たちの間でも評判な大工さんだったのよ。

 それで、霧の中で、ただ地べたで寝てるって話をしたら、そのご主人、わたしのために家を建ててあげるって、そう言ったの。

 とても驚いたわ。だってわたし、山姥だもの。屋根のある家なんて必要なかったのに、そんなわたしのために、家だなんて……

 けど、ご主人は作るって言ってくれたの。

 わたしが見つかってはいけないから、仲間は頼らずに自分だけで作るってね。


 本来のお仕事だってあるでしょうに、毎日夜にはこの山を登ってきて、この霧の中まで材料を持ってきてくれてね。

 巫女さん……奥さんも手伝ってくれた。彼女が一緒じゃないと、彼はこの霧の中に入ってこられなかったから。

 もちろん、わたしも手伝ったわよ。いくらおばあちゃんだって、若い男の人と同じくらいの力は出せるんだから。多分、体力だけなら、あなたにも負けないんじゃないかしら?

 ほほほ……


 三人での家作りはとても楽しかったわ。

 三人しかいないし、大工さんはご主人一人だったから、そりゃあ時間はかかったけど、毎日笑いながら木を切って。たくさんお話しながら釘を打って。三人がかりで柱も建てて。屋根も組んで。余った材料で家具を作ったりもして……



 二人が夫婦になって、二年が経とうとしたころだったわね。

 そうしてできあがったのが、このロッジハウスというわけ。当時のこの国ではあまり見ない家だったみたいだけど、今でも気に入ってるわ。


 家が建った後も、夫婦そろって遊びに来てくれた。

 使わなくなった家具や道具、古着なんかを持ってきてくれてね。

 彼女からはお菓子作りや料理も教えてもらった……この山のことしか知らないわたしには、教えてあげられることなんて何もなかったけど、そんなわたしに、夫婦そろっていつも寄り添ってくれたの。


 どうしてそんなにわたしのことを良くしてくれるのか、聞いたことがあったわ。

 それで、話してくれたんだけど……

 彼女のおばあちゃんもお母さんも、陰陽師だったそうなの。けど、二人ともお仕事で命を落としてしまって、それが、彼女がまだ小さなころだったらしいわ。

 だから、わたしを見て、二人のことを思い出したみたい。

 二人のことは尊敬しているし、誇りに思ってるけど、それでも、一緒にいたかったって。生きててほしかったって……

 だからせめて、わたしみたいな優しい山姥には、二人にできなかった分、優しくしてあげたいんだって。


 嬉しかったわ……山姥は人間のお母さんになることはできないけど、そこまでわたしのことを思ってくれていたなんてね。

 それからもたくさん、彼女たちは遊びにきてくれた。彼女もご主人も、わたしのことが好きだっていてくれて。

 山姥に子供は産めないけど、彼女に子供ができたって聞いた時は、まるで本当に孫ができたみたいで、とても嬉しかった。

 おかげで、こんな霧の中のロッジハウスに一人しかいなくても、寂しい思いなんてせずに済んだわ。



 ……でも、最後に遊びに来た日から、ぱったりここに来ることが無くなってしまったの。

 ずっと待ったわ。二人がこの山へ来るのが嫌になるような素振りは見せなかったし、きっと、子供もできたことだし、なにか事情があったんだろうって。

 それでもまた、ここに来てくれるって、この霧の中の家でずっと待っていたの……


 でも、とうとうここには来なかった。

 後で知ったことだけど、そのころこの国で、とても大きな争いがあったみたいね。

 大勢の人が死んで、とても大変だったのは想像できるわ。霧の中に引きこもってはいるけど、山の近くのことなら何となく耳に入ってくるの。わたし、山姥だから。

 あの二人も、すごく苦労したことは分かる。だからせめて、子供だけは無事に産まれて、親子そろって元気に育ってほしい。それだけが願いだったわ……



 二人が最後にここに来た日から、二十年が経ったころだったかしらね。あの子がこの山に来てくれたのは……

 一目で分かったわ。この男の子は、巫女さんだった彼女が産んだ子だって。

 この霧の中に入ってこられるのは、この霧の結界を作った彼女自身と、彼女と一緒にいるご主人と、彼女の血を引く人間だけ。

 そういう理由もあるけど、そんなことを抜きにしても、わたしには分かった。きっとこれは、山姥も人間も関係なく分かる感覚なのね。


 話を聞いたわ……


 大きな争いの混乱の中、自分を産んだ後も、ものすごく苦労してきたって。この山にも来たかったけど、とても大変な中で子育ても合わさって、とてもそんな時間が無かったんだって。

 それでも、自分が小さなころから、いつもこの山のことを話して聞かせてくれた。いつかきっと、三人であの山に遊びに行こう。きっとあなたもおばあちゃんのことが好きになるからって……


 けど、その願いが叶うことはなかった。

 お母さんは、子供を産んだ後に患った病気で動けなくなって、彼が五つを数える前に亡くなったって。

 お父さんは、そんな彼女と子供を養うために、今まで以上に働いたけど、無理がたたって過労で倒れて、そのまま亡くなったって。

 その後は父方の親戚に引き取られたけれど、あちこちたらい回しにされて、とても寂しくて辛い思いをしてきたみたい。



 それでもどうにか時間を見つけてここに来てくれたのは、お母さんとの最後の約束を果たすためだって。

 その約束は、この霧の結界を無くすこと。

 自分たちがいなくなったら、わたしは本当に一人ぼっちになって、寂しい思いをさせることになるから。せめて、この結界から自由にして、山から出ることはできなくても、こんな狭い霧の中の家じゃなくて、山の中を自由に歩き回ってほしい。それが彼女の願いだったの。


 その約束を果たすために、彼は来てくれたんだけど……

 わたしは、その約束を断ったの。

 確かに、彼女とそのご主人が死んでしまって悲しいわ。二人が来なくなってからの二十年間、寂しくてたまらないって思った日もたくさんあった。

 それでも、わたしはこの家が好きだから。わたしと、あの二人と、三人で一緒に作ったこの家が、好きだったから。


 けど、もしこの霧の結界が無くなれば、人間たちはこの家を見つけるわ。そうなったら、怪しいと思ってこの家を無くしてしまうかもしれない。

 この家はわたしの住む家で、帰る家で、それ以上に、二人との思い出が詰まった大切な場所だから……



 彼にそう話したら、彼も分かってくれたみたい。結界を無くすのはやめてくれたわ。

 でも、お母さんが死んでしまったから、少しずつその結界は弱くなって、いつか消えてしまう。そう教えられた。

 そして、彼も、もうここに来ることはないとも……


 彼ね、この国のために戦う兵隊さんになることが決まっていたの。

 お別れしてから数年後に、外国との戦争でアッサリ死んでしまったみたい。

 彼女の息子だもの。きっと、この家に来てくれた時には、自分の生末が分かっていたのかもしれないわ……




 それからずっと、わたしはこの家にずっと一人で住み着いているというわけ。

 彼の言った通り、この霧の結界が、時間が経つごとに弱くなっていくのが分かったわ。

 わたしは相変わらず出られないし、普通の人は見つけられない。見つけて近づいても、ただ通り過ぎるだけ。

 けどあなたのような……

 普通の人間とは違う、生きた人間でなくなってしまいたいって強く思う、そんな人が引き寄せられて、この家まで来ることができる。そんな霧に変わってしまったというわけ。


 そうなった理由はわたしにも分からないわ。

 けど、もしかしたら、自分が死んでしまった後も、せめて、わたしが誰かとお話できるようにって願ってくれた、彼女の気持ちなのかもしれないわね――



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