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にゃおん  作者: 藤雅
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にゃおんと俺と美衣の短い夏の物語

にゃおん 第一話


 遠く三浦半島を目の前にぼーっとしながら缶コーヒーを飲む。

八月ももう終わりだというのに今年はやけに暑さが続く。

視界の先の東京湾を滑るように進むクルーザーがあっという間に水平線にたどり着く。

船尾の白波がすれ違う大型タンカーに重なった。

結局この年まであんなクルーザーを乗り回すご身分にもなれず、さりとて大海を行く外洋船の勇にもなれず…。

俺はといえば生まれ育った小さな町で毎日馬車馬のように走り回って働いている。

 とは言え様々な人生とすれ違うこの仕事が嫌いなわけではない。

最果ての地で満天のオーロラに囲まれながらクジラを追う勇壮。

大型タンカーで喜望峰の荒波をかき分ける男たち。

そんな海の男たちの武勇伝が特に俺を惹きつけ、ある種憧れを持って聞き入った。

小さな町に生まれ育ち小さな町で死んでいく。

大海原に思いを馳せながら大地に目をやれば入道雲がかかった鋸山が清々しいくらいくっきりと目の前に飛び込んでくる。

『お前にはこの大地を与えたのだ』と言わんばかりの存在感で俺の前に立ちはだかっている。

人生は長いようであっという間だ。

次に我に返った時、俺は一体何歳になっているというのか。

残された時間がどれほどあるのかなんて誰にもわからない。

しかし今まで生きてきた半分、残された時間があるとしても…

それはあっという間に過ぎ去るだろうことは感覚的に理解の範疇に収めている。

光陰矢のごとし。

時間は刻々とその過ぎ去る速度を速めているように思えてならない。

そんなとりとめない想いで海を眺めている俺の目の前を、海猫がすっと横切り『ミャア』と鳴いた。

その鳴き声を合図とするように32年前の過去へと意識が飛んで行った。


にゃおん 第一話②

 射すような強い日差しに汗ばむ。

もう何度目の夏になるのだろうか。

成瀬家と書かれたバケツに水をたたえ柄杓を持つ俺は空を見上げた。

霊園の向こうの空にはまるで途方もなく高い山のような様相で入道雲が湧き上がっている。

『美衣? いつになったら約束通り俺の前にやってくる?』

空に目をやりながらそう心の中でつぶやくと墓標に目をやる。

成瀬美衣享年19歳

成瀬家の墓石の傍らには小さな白猫のオブジェがまるで誰かを待っているかのようにたたずんでいる。

その白猫の顎の下あたりをひとしきり撫で、もう一度手を合わせるとその場を後にした。

俺は乗ってきた黒いバイクに跨るとヘルメットを被ろうと空を仰ぐような格好になった。

 その時後ろから微かに、しかし確かに『にゃー』と言う猫の鳴き声が聞こえたのだ。

俺はヘルメットを被る手を止め慌てて後ろを振り向いた。

陽炎の中に白い小さな猫がほんの一瞬目にとまった。

『美衣…』

そう思わず声を出して呟き手を伸ばすが、次の瞬間には幻の様に消え去ってしまった…

俺は猫の見えたあたりの空に手をやるとそれをしっかり掴むように握った。

『もう…いや、いつもそばにいるのかもな…』

そう一度心の中でつぶやくとエンジンに火を入れ振り向かないように霊園を後にした。


にゃおん 第一話③


「暑い…」

アパートの1階掃き出しの窓から手を伸ばしそんなに多くない洗濯物を干す。

4月から大学に入学し新たな地で新たな生活が始まっていた。

自宅から通えない距離ではなかったが1,2年生時基礎科目が終わるまではどうせ毎日通学するならと、かりそめの住まいを構えることになった。

入学からのバタバタも切り抜け、どうにか前期テストも終え独り暮らしが始まってから初めての夏休みを迎えていた。

学校までは歩いても数分。しかし最寄りの駅までは20分くらいかかる。そして実家の駅まではおよそ1時間20分。これくらい近いとかえって実家に帰る気が起きないものである。実家の近くにある内科医院での月末のレセプトや掃除のアルバイトがある時、そして愛犬のことが気にかかった時以外は実家に足を向けることはあまりなかった。愛犬に関しては父が溺愛していたのでそれほど心配はなかったのだが自分のことを忘れられるのではないかとの思いが家へと向かわせていた。

学校から近いこともあって時折は基礎ゼミの仲間が訪れることもあったが生来あまり社交的な性格でもなく一人で過ごすことに苦はなかった。時折バイクでふらっと出かける以外自室でお気に入りの小説を読んでいることが多かった。

ともあれ食事洗濯掃除…とやらなければいけないことは日々こなさなければならず、また当然学業もあったのでのんびり過ごす時間は自分のためにも必要であった。

 『時間の流れが遅いな…』

同じような毎日を繰り返す中でほぼ自分だけのために使える時間を持て余すこともあった。

時間を他者に奪われずに過ごす。

考えて見ればなんと恵まれた時期だったのだろう。

有り余る時間は、しかし当時の私には退屈な日々としか映らなかった。

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