誰だって、泥につかりたくはない
隣を馬車がゆっくりと通っていく。隣をカップルらしい男女が、談笑してすれ違っていく。そして———隣を白銀の青年が話しかけてくる。
「素晴らしいものだな。こうして、市井を回るのは」
なあ、そう思わないか?と王子様――ノーザ・I・レイクは問いかけてきた。
……ああ、王女様のお転婆さがどこから来てたか分かった気がする。妹がああなら、兄もこうなのか。そりゃあ、マリーちゃんも抜け出すわ。
「……いいのか?王子様が抜け出しても」
「はは、だからノーザでいい。こんなところで王子などと言ってみろ。すぐにバレてしまうだろう」
はあ、とため息をついて、俺は言う。
「じゃあ、ノーザ。なんで、こんなことを?」
「こんなこと?もちろん、理由はあるぞ。まあ、着くまでの秘密だ。ああ、あと俺が抜け出していることは気にしなくてもいい。時間通りに帰れば、誰にも気づかれん」
「……んな、悪質な」
マリーちゃんよりも質が悪いぞ。まだ、マリーちゃんの方が可愛げもある。この王子様、もといノーザは優秀極まりない能力を使って、抜け出しているのだ。一体だれが気づけるのか。あの老婆は気づきそうではあるが……それ以外は気づけないだろう。
「さて、着いたぞ」
「は?」
本当にここであっているのか?と聞き返さずにはいられなかった。
そこは王城から東にいったところであった。
決して、そこは絢爛、華美……そのような言葉が到底似合う場所ではない。華やかな王都の影とでもいうべきか……そこは所謂貧民街という場所だった。
街並みこそ王都らしく整っているものの、浮浪者が地面に座り、日々の生活費を募っている。無気力に地面に横たわっている者すらいる。
そんな貧民街において、俺や王子様はひどく場違いだった。俺も王子様も華美な恰好ではない。だが、俺も王子様も安くはない格好だ。
じろり、と濁った眼を向けられた気がした。
「……カガチ。気持ちは分かるが、やめておけ」
手が止まる。本当に無意識だった。無意識に手が刀の柄に伸びていた。
「悪い。ここは……居心地が悪い」
「そういうな。ここに居るのは王国の民だぞ。彼らがこのような暮らしをしているのも、俺の責任でもある」
「……立派なことで」
王子様————ノーザの言葉は本心のようだった。
本当に心から、その台詞を紡いでいた。
いつか倒れそうだな。政治のことはカケラも知らないが、それでも背負いすぎた人間がどうなるかは知っている。
「ここにはよく来るのか?」
「公務でも、それ以外でも定期的に足を運ぶようにしている。そんな俺を貴族たちは笑うがな。だが、実際に足を運ばねば分からんこともある。気づけることもある。そのためなら、なんと言われようが何度でも足を運ぶさ」
政治になんぞ関わる気はなかったが、ノーザの話を聞いていると力を貸したくなってくる。
「それで……ここに何の用なんだ?」
ここの様子を見る限り、慈善活動とか?漫画や小説でよく見るパターンだと、孤児院とかの炊き出しもあるな。
「すぐに分かるさ……お、来たぞ」
ノーザの視線を追う。
貧民街の奥から走ってくる人物がいた。その男は、貧民街には異質だった。
その姿は貧民街の浮浪者とは異なり、きちっと整っている。服自体も目立ちはしないが、上質な素材から作られている。
だが、俺たちと違うのは貧民街の連中の視線だ。俺たちに向ける視線は値踏みするようなものであり、隙でも見せようものなら奪おうと滾らせている視線だ。そんな連中が、あの男には値踏みするどころか畏怖を感じている。一目見て、視線を逸らし、決して関わらないようにしているかのような。
「けっ、こりゃ俺たちの分はねぇな」
「せっかく、上等なカモだったのによ」
浮浪者たちが口々に騒ぎ立てる。
やはり、俺たちを襲う気だったのか。いや、そんなことよりも浮浪者どもが嫌厭するあの男は何者なのか。
ノーザはあの男を待っていたようだが……
「お待たせしてすいやせん、王子殿。こちらへ。兄貴がお待ちです」
男に案内されたのは、貧民街の奥だった。
奥にいくにつれて、浮浪者たちの姿は見えなくなっていく。その代わり、建物の中から覗くような視線は増えていった。
最終的に着いたのは、ボロイ廃墟。廃墟は大きく、決して小さくはない。外から中の様子を窺うことは出来ないように、カーテンが閉め切られていたり、窓が木材で塞がれている。
そんな廃墟に、男に促されて俺とノーザは入っていく。
「コチラです」
廃墟の階段を上り、二階にいく。
人の気配は所々から感じる。それに、内部はしっかりと掃除されているようで埃の類は見られない。どうやら廃墟然としているのは、外見だけのようだった。
なんで、こんな廃墟を使っているのやら。内装を見る限り、かなり金をかけているようではあるが……それなら、建物ごと新しくしてしまえばいいものを。
「少しお待ちを」
男は重たそうな木製の扉の前で、そう言った。
続けて、扉をノックする。
「兄貴。お連れしました」
扉の向こうから、入れと聞こえた。
その声に従って、男は扉を開く。
ぎぎっと扉が開いていく、そして、部屋の中が露になる。
中に居たのは、壮年の男性だった。
黒いスーツに身をつつみ、髪型はオールバック。グラサンをかけ、葉巻を吸っている。
うすうす気がついていたが、絶対カタギじゃねぇ。どうして、こんな裏社会のボスみたいな輩のところに王子様が用あるんだ。
「まあ、座りな」
紫煙が宙に漂う。
じろり、と男の視線が俺たちを貫く。
たったそれだけの行為ではあったが、俺たちは……いや、俺は抗うことが出来なかった。
自分の意思で座ったわけではなく、座らされた。
スキルの力か、それとも別のナニカか。
「相変わらずだな、シド」
「ノーザ。何度も言っているが、ここは掃きだめだ。お前のような高貴な血がくるところじゃあない」
「知っているとも。だが、ここに来なきゃいけない理由がある。それはお前も知っているだろう」
平然とノーザは喋る。
それに、と続けて。
「シドが王城に来るかい?」
「馬鹿を言うな。それじゃあ意味がない。意味がないだろう」
「冗談だ」
長年の旧友のように、ノーザとシドは言葉を交わす。
それを俺とシドの取り巻きは、ただ眺めているだけだ。
「さて、本題に入ろう。進捗はどうだ?」
「いいな。良すぎるほどだ」
「……なにかあるのか?」
「まだなんとも。ウィルス伯爵の影響がなくなったことで、俺たちは裏社会を牛耳るところまで王手をかけられた」
俺も一枚噛んでいた話だった。
そもそもウィルス伯爵を捕まえたのは俺たちだ。グラーフから持ち掛けられた話だったが、どうあれ俺はその話に乗った。そこにどんな思惑があったのかは知らない。グラーフは純粋に王女様のためだったのかも知れない……そうは思えないのが、日頃の行いというやつなのだが。
まあ、兎も角。あのウィルス伯爵は王女様誘拐阻止とか、帝国への情報流出の阻止だけではなかったのだろう。
こうして、水面下で何かが進んでいるのだから。
「お前の思惑通りにコトは進んでいるさ。それは間違いない。だが、上手くいきすぎてる。こういう時には何かある」
「へぇ、それは|良≪・≫|か≪・≫|っ≪・≫|た≪・≫」
あ?とシドの眉が顰められる。
間違いなく不機嫌だ。空気が重たくのしかかるような錯覚さえ覚える。
だが、ノーザは平然と笑った。
「シド。覚えているか?昔、俺とお前が結んだ約束を」
「もちろんだ。俺とお前は対等で、絶対に裏切らない。一字一句違わずに言える」
「そうだ。俺とお前は対等だ。そう約束した手前、シドだけに任せている現状は心苦しくて、な」
ノーザの眼が、背後に佇む俺に向けられる。それに伴い、シドのサングラス越しの視線が俺に刺さる。
ああ、わかってしまった。分かってしまったぞ。
こめかみをさする俺を、ノーザが笑った気がした。
「とはいえ、俺は政務もあってなかなか忙しくてな。そこで、そこのカガチを使ってくれ」
「……役に立つのか?」
「少なくとも腕はたつ。それに頭の回転も悪くない。たまにぶっ飛んでいるがな」
沈黙が満ちる。その間も、シドは俺から視線を外さなかった。
たっぷり三十秒ほど経って、やっとシドは口を開いた。
「……オーライ。じゃあ、たっぷりとこき使ってやる。そうだな……まずはトーイ。お前、コイツと仕事しろ」
「兄貴……」
「構わねぇ。使えねぇと判断したら、殺していい」
「了解です」
こうして、俺は裏社会に足を踏み入れることになったのだった。




