血より産まれしモノ 3
幌馬車の中。外界を遮断するような馬車。それは外からだけではなく、中からも外を遮断するようにできている。
馬車は高級なものではないのか、それとも単に道が悪いのか、振動で大きく揺れていた。
「痛いのじゃ……」
このような馬車には乗り慣れていないマリーは、小さく呟く。
揺れが大きいだけでなく、彼女は馬車にそのまま座っている。クッションも座席もない簡素な幌馬車が、一番の痛みの原因だった。
「──」
外から何か聞こえて来る。チラリと周囲を見渡しても、外の風景は見えず、積まれている木箱類しか見えない。
「はあ……」
一体何度目かだろうか、とマリーはため息をついた。
自分が重要な地位にいるのは理解しているが、こうして何度も誘拐される価値はない。どうせ今回だって、王女という名目だけを見て誘拐したのだろう。
──私には価値なんてないのに。
自分がいなくても王国は回る。兄と父のように重大な役目を負っていなければ、他の貴族の娘や他国の王女のように王女としての、女としての役目はない。
──何も、ない。
だから、自分には勝手が許されている。兄と父は、自分に自由に生きて欲しいと言っていた。王族としての責務なんて気にしなくていいとも。
だが、それは──
「私には期待していないということなのじゃ」
王族として、家族として二人を手伝いたい。いつも大変な二人を楽にしてあげたい。
少しでも手伝えるように、王都で民の暮らしを見ようとした。噂になっている異邦人と話をした。見聞を広めるために、アインセンに訪れた。
護衛をつける時もあれば、つけない時もあった。ただ一人で、自分の目だけで世界を見たかったから。
分かったのは、自分には何もできないということだけ。少なくとも、今の自分では。
少しして学園に通い始めれば変わるのだろうか。いや、その機会など訪れるのだろうか。
「まずは、ここをどうにかしないといけないのじゃ」
パンっと頬を叩いて、気分を切り替えたかったが、それは出来ない。身動きを取れないように、両手両足を縛られているためだ。
「さて、とじゃ」
身動きが取れなくとも、彼女は冷静に周りを見渡す。マリーにとって、この程度はもう慣れたものだった。
薄暗い幌馬車の中には、見張りは見えない。
好都合とマリーは、芋虫のように体を捩らせて移動を始めた。
もしかすると、何か縄を切るようなものがあるかもしれない。
「何もないのじゃ」
結果、手足の自由を縛る縄を切れるようなものはなかった。
仕方なく彼女は最終手段を用いることにした。靴の横にあるスイッチを押す。すると、爪先から小さい刃が飛び出て来た。これは、もしもの時のためにグラーフが作成した機構であった。
その刃で両手の縄を切ると、自由になった手で足の縄を解いた。
そして、ぐるりと周りを見渡す。やはり何もありそうにない。
「……出来れば武器になるものが欲しかったのじゃ」
爪先の刃はもうしまってある。そもそもあれは短すぎて、武器になりそうにはない。
とりあえずもう一度探してみようと、積み荷を退かそうとした時だった。
ガタンっと、大きく馬車が揺れた。
「──!!」
「──、──!?」
次いで外が騒がしくなる。
──拘束を解いたのがバレたのじゃ!?
マリーは不安で胸が埋まりそうなのを押し殺して、積み荷の影に隠れた。
「………ッ」
緊張感が増していく。手の平に汗が滲んでいく。睨むように、馬車の出入り口を見つめる。
「────!!」
「………!?」
「────!」
だが、いつまで経ってもその時は訪れない。それどころか、外の様子がどうにもおかしい。
外が騒がしいのは変わらないが、聞こえてくる声は怒声やつんざくようなものばかりだ。
それに、人の声に混じって金属と金属の打ち合う音が聞こえた。
「助けに来てくれたの、じゃ?」
正確な時間は分からないが、かなりの時間が経った筈だ。そろそろ助けに来てもおかしくない。
そう考える理性とは異なり、マリーは何か嫌な予感を押さえられずにいた。
きっとそれは、怒声と金属音に混じって人ならざる声が聞こえていたからだろう。
「大丈夫じゃ、大丈夫」
言い聞かせるように、何度も何度もマリーは呟く。無意識に足が震えてしまっていた。
金属音と『声』がだんだんと小さくなっていく。それに伴って、血の匂いが濃くなっていった。
嗅ぎ慣れない血の匂いが、マリーをさらに不安にさせていく。
辺りが濃い血臭で満ちた頃、やっと剣戟の音は止んだ。戦闘は終わったと見て、マリーは恐る恐る幌馬車から首だけを出して状況を把握しようする。
「──ギ?」
「……ひ」
──目が、あってしまった。
緑色の皮膚、小柄な体躯、ギョロリと血走った目。
何度か見たことがある生き物だった。ゴブリンという弱い生き物。
けれど、一人で見たのは初めてで──自分の声とは思えないほど情けない声がでた。
身体から力が抜けて、馬車から落ちてしまう。
「────」
血走った目が、マリーの端から端まで舐めるように動いた。それはまるで獲物を物色するような肉食獣のような仕草だった。
血走り、興奮した眼がマリーを射抜いた。
「あ……」
逃げなければ、と生存本能が警鐘を鳴らした。
未だ理性は固まったまま動かない。
「あ、ああああ……!!」
ドタバタと混乱したまま、身体を動かした。
身体は思うように動いてくれない。躓き、バランスを崩し、よろける。
いつの間にか、体が震えていた。
「ギッ……!」
「ギギ!」
当然、そんなに騒いでしまえば周りのゴブリンにも気付かれる。
周りで『何か』を物色していたゴブリンたちが、新しい獲物を見つけて騒ぎ始めた。
ゴブリンたちは、『戦利品』を見せつけるように掲げ、見せびらかして、嗤っている。
「いや、いやいやいや────いやぁ!」
『戦利品』──人の生首を。
光となって消える『それ』。不思議そうに眺めたのち、奴らは次の獲物に目を付けた。
「ひっ──!?」
醜悪な嗤いが、次の獲物を捉えた。泣き叫び少女に奴らは笑みを深くすると、マリーに歩みより始めた。
ゆっくりと、武器を見せつけるように──マリーが恐怖するように。
「ギッ!」
「キャー!!!!」
ひとしきり楽しんだ後、ゴブリンは武器を振るった。もう用済みだと言うように。
しかし、それはマリーには届かない。
「え……?」
「ギィ?」
薄い光の壁が、マリーを包んでいた。それがゴブリンの石斧を防いでいる。
あまりにも頼りない儚い光の壁。それに阻まれたことが不思議なようで、ゴブリンは呆然と光の壁を眺めていた。
「ゲゲ!!」
ペタペタと触り、確かめるように石斧を振るい、そのゴブリンは新しい『玩具』で遊ぶ。しかし、玩具はいずれ飽きるもの。
一頻り楽しんだゴブリンが飽きてしまうのは必然だった。
もう要らないというように、ゴブリンは石斧を振るうスピードを速めた。
ガンガンと石斧が光の壁に激しくぶつけられる。いくらゴブリンの攻撃が低いとはいえ、チリが積もればなんとやら……光の壁に罅が入る。
「ギ!!」
「ひぃ……!」
嬉しそうに鳴いて──ゴブリンの命はそこで終わった。
どしゃりとゴブリンの身体が倒れる。
「え、え?え?」
状況が分からず混乱するマリーに声がかけられる。
「大丈夫か?お姫様」
その声に聞き覚えがあった。
ゆっくりと頭を上げる。そこには刀を納刀したカガチの姿があった。




