大蛇に拳を
「さてさて、と」
ソウタとレンと別れて、俺は再び森に戻っていた。
俺もソウタとレンのようにログアウトしようと思ったのだが、ツヴァルブでうまそうな話を耳にしたのだ。たとえば、上質なポーションの素材の取れる場所があるだとか、ゴブリンが最近増えているだとか、新種のゴブリンが見つかった……とか。真偽の怪しい情報から、たんに森の現状と様々な話を聞くことが出来たのだが、その中でも気になった話が一つ。
『すぐそこの森にはビックスネークがいるだろ?会ったことはあるかい?……ある?グッド。なら、気にならなかったかい?ビッグスネークって名前だが、正直アイツらは小さいだろう。大きいには大きいが、ビッグっていうほどじゃねぇ。あの程度なら、他にもいる。そりゃあそうだ。木に上に居るビッグスネークは子供なんだからよ。成体のビッグスネークは到底、木の上にゃあ居られねぇ。なんたって枝が折れちまうからな』
あの蛇は成体じゃねぇのか。アナコンダほどはあったのに。
そうなると見てみたいと思うのが、人間なわけで……居ても立ってもいられないで、森に向かっていたという次第だ。
「とはいえ、やっぱり深部だよな」
日は傾き始めている。この調子じゃ、深部につくころには夜になってしまうだろう。月明りがあれば、ある程度夜眼が聞くんだが……太陽光も遮る深部じゃ月明りなど期待できない。
「ギィ!?」
襲いかかってきたゴブリンを適当にあしらって、先に進む。さすがにはぐれのゴブリンには苦戦はしない。せめて、四体以上でかかってこないと、な。
そうやって、ゴブリンと戯れて十五分ほどで深部についた。深部とは言っても、明確な線引きがあるわけじゃない。だんだんと森が深くなっていくだけだ。そもそも深部って名前も、俺が便宜上つけているだけだしな。
「やっぱ、暗いな」
不安は的中……というか、真面目に何も見えやしない。一日おいてから、来るべきだったかな。
ひとまず、ツヴァルブで買ったランタンを点けて、っと。
…………これでも大して変わらないな。手元は見えるが、相変わらず遠くは見えない。
「まあ、せっかく来たんだし。やるだけやってみるか」
さすがにここで引き返すのは……な。
少し先も見えない森は、やはり怖い。原始的な恐怖とでも言うのだろうか。闇には不安を掻き立てる何かがあるらしい。
――シュル
そういえば、ゴブリンの姿が見えないな。さっき深部に来た時には四体で徒党を組んでいたのに。時間で変わるのかね。やっぱり。
――シュルシュル
ガサガサと近くの茂みが揺れる。
風は吹いてない。つまり、なにか生き物が動いたということだ。
「…………!」
一瞬の沈黙を経て――
「ギィギギッ!!!」
耳に残る不快な声をあげて、ゴブリンが飛び出してきた。
予想はしていたものの、暗闇で一瞬反応が遅れた。武器は……見えない。タイミングはギリギリ。
差し込めるか……ッ!?
「ギ!?!?」
短剣で迎撃しようとした――刹那。
腰に吊るしたランタンの光にゴブリンの顔が照らされる。
その表情は奇襲をしようとする捕食者の表情ではない。むしろ、その逆。被捕食者の顔、喰われる生き物の容貌だった。
「な!?」
昼間見た欲望に忠実な下卑た顔とは打って変わって、恐怖に塗れている。そう俎上の魚のような、今にも命の危機が迫っているような表情。
――事実、その感想は正しかったようだ。
襲ってきたはずのゴブリンが、瞬く間に消える。残ったのは、消え入りそうな断末魔。それだけを残して、ゴブリンは森の中に消えていった。
「…………」
無言で短剣を構える。
ゴブリンは消えていった。いや、連れ去られた。森の奥に。俺が構えたのを見て、転回したんじゃない。あのゴブリンは、おそらく捕食された。
ゴブリンが連れ去られた瞬間、ランタンの光に浮き上がったのは何かの鱗と縦に割れた瞳。
間違いない。あれがビッグスネークの成体だ。
――ズズッ
何かを引きずるような音がして、それは現れる。
ランタンの光に浮かぶ俺と同等の身体。口から垂れる血とはい出ている腕。泥のような色の鱗。
ああ、違いない。これがビッグスネーク。この森の夜の支配者。
「馬鹿でけぇ!!」
だからと言って、恐れるわけにはいかない。
「その身体じゃ、森の中じゃ動きにくいだろ!!」
無論、馬鹿正直に向かいはしない。その行きつく先は、あのゴブリンと同じ腹の中だ。あの巨体なら、腹の中でも生きていけそうなものだが……いや、蛇は全身が筋肉と聞く。締め付ける力も半端ないだろう。なら、生存も危ういに違いないな。
なおさら、一直線ではダメだ。木々を利用して、軌道を読まれないようにジグザグに距離を詰める。
蛇の相手なんざしたことはない。そりゃあ、対人ゲームしか触ってこなかったわけだし……とはいえ、この時代、テレビだの、映画だの、動画サイトでその手の動画は腐るほどある。
そのときの光景を思い出す。
一瞬だった。予備動作のない一撃。すぐ傍を、蛇が通っていく。
さっきのゴブリンを見るに、噛まれたら一瞬だろう。噛まれてしまえば、瞬く間にあの世行きに違いない。ああ、恐ろしいものだ。
「そりゃ、恐ろしい。泣きたくなるな」
俺のすぐ横で顎を閉じたビッグスネーク。
その姿が、ランタンの光で浮かび上がる。デカいなんてもんじゃない。
アナコンダ?そんなものじゃない。縦に割れた瞳孔が、俺の眼と平行線上にある。つまり、ビッグスネークは成人男性と同じくらいの高さを誇る。幅は知らんが、この大きさだ。それなりだろう。
「だけど、隙だらけ」
すぐそこにビッグスネークの眼がある。鱗がある。口がある。
こんなもの。絶好のチャンスだ。
短剣を振るう。狙いは、生物の弱点。鱗に覆われていない箇所。
「……ちっ」
瞳を狙って振るった短剣は、ビッグスネークが身をよじらせたことで外れ、眼球の下を斬り裂いた。
柔らかい。よし、なら倒せる。
ビッグスネークは、伸ばしていた胴体を戻していく。その頬にあたる部分には、淡い光が漏れている。……ダメージエフェクトだ。
その最中。ビッグスネークは、俺から視線を外さない。絶対に仕留めるという意思が伝わってくる。
「はん。コッチの台詞だ」
動きは見た。なら、あとは慣れるだけ。
再びビッグスネークが動き始める。あの動き……噛みつきか。
全身の筋肉が力んでいくのを感じる。
まるで弾丸のように。ビッグスネークが口を開けて迫る。その直前に斜め前に踏み出して、噛みつきを回避する。そのまま、胴体に短剣で切り付けていくが……効き目が薄い。
なにせ、このデカさだ。短剣だけでは致命傷には至らない。毒でもあれば、話は別なんだが。
ビッグスネークの動きに逆らうように足を踏み出し続ける。その合間にも、短剣で切り付けることは忘れない。
ちらりと後ろを見やれば、ビッグスネークの身体に光るダメージエフェクト。
「良し……がッ!?」
それに満足した瞬間、意識外から衝撃。
「何が……!?」
弾き飛ばされた先で、その攻撃を確認した。
俺を攻撃してきたのは、ビッグスネークの尻尾。畜生、そうか。蛇には尻尾があるんだったな!!
クソッ。経験の薄さが出た。人外ともっと戦っておくべきだったか。
———シュル
胴体が締め付けられる。
「この……!?」
飛ばされた先。それは俺の進行方向の真逆。
つまり、ビッグスネークが噛みついた方向である。すなわち、そこにはビッグスネークがいるわけで。俺はめでたくビッグスネークに捕まったという訳である。
「この野郎!」
短剣を突き刺しても、反応は薄い。むしろ、締め付けが強くなる。
それに満足したのか。ビッグスネークが口を開けて、上から迫ってくる。このまま喰らうつもりか。それとも、笑っているつもりか。
締め付けられて殺されるのが先か、嚙み殺されるのが先か。
どうやら、ビッグスネークは喰い殺すことを選んだようだった。俺の踊り食いか。結構な趣味をお持ちなようで。
牙が迫る。深淵のような闇が、口腔を満たしている。
「そりゃあ!!ダメだろ!!」
喰い殺される前に、短剣を口の中に刺し込んだ。
痛みに悶えているのか、締め付けが強くなる。HPが削れていく。
「デッドレースの開幕だ!!」
俺が息絶えるのが先か、テメェがくたばるのが先か。
逃れようとするビッグスネーク。逃がすわけないだろ。
短剣を更に刺し込んで、抉るようにしてダメージを与えていく。
果たして、デッドレースの行方は俺の勝ちだった。
辛勝。まさに紙一重の勝利。
光となって消えていくビッグスネークを見ながら、俺はごちた。
「油断大敵……今回は運だったな」
最後。ビッグスネークが噛みついてこなければ、負けていたのは俺だった。
削れていたHPを回復しておいて、踵を返す。なんかもう疲れた。今日はここまでにしておくか。