彼岸にいるあなたへ 17
「頑張ってね」
アインセン近郊のある森の中。
かの剣帝に通ずる唯一の場所であるそこにて、唐紅の月明かりに照らされて一匹の白蛇が言葉を紡いだ。
その蛇の視線の先には一人の男。
言うまでもなくカガチだ。
カガチの装備はゲーム内での前日と比べて変わりはない。
佩ているのは、ヒイロに鍛えられた『雷光』。その身を包むは、ランにて紡がれた鮮やかな着物。ゴードンとの一戦を経たはずであるが、その彩は変わらず美しいままだ。それも当然である。あの一戦では、その特性を活かされることなく終わったのだから。
「ああ」
振り返ることなく、カガチは短く返した。
その瞳が射抜くは、眼前の石板。
否。それすらも見てないのだろう。彼が見据えるのは、ただ一人。悲しき戦乱の末に産まれ落ちた剣帝という名の亡霊。
カガチの指が躊躇いなく石板に触れた。
──白に塗り潰されゆく視界の中、カガチは先程のことを思い返す。
「ほれ、これを持ってゆけ」
カガチとハクロが、ライガに挑むためにエバーテイルを発とうとした頃。
何時ものように、煙管を蒸したヤトが彼らに声を掛けた。
「これは?」
声を掛けられたと同時、ヤトから渡されたものにカガチは首を傾げた。
「見れば分かるじゃろ。盃と酒よ」
「いや、まあ……」
渡されたのは朱色の盃と瓢箪。どうやら瓢箪の中身は酒であるらしい。
渡されたそれらを、簡潔に言ったヤトの言葉に、カガチは困惑を浮かべるかのように顔を歪めた。
「なぁに、彼奴とて今際の際ぐらい好きな酒を飲みたいじゃろうて。まあ、彼奴にそれだけで足りるかどうかは別じゃが……」
「はぁ……」
「ま、引き受けてくれんかの?」
断る理由もなく、カガチは頷く。
「そうか、そうか。これで彼奴の未練も残るまいて」
── それがつい先程の出来事である。
徐々に視界に色が戻っていく。
そこには最早白に塗り潰された世界はない。
視界に広がるは無限の荒野。そこに乱立する数多の武具。
何処か懐かしさすらも感じられるその風景。それほど時間は経っていないというのに、帰ってきたと思ってしまう。
「そうだな。全てはここからだった」
もし、あの時ゴブリンに追われて、穴に落ちていなかったら。そして、コイツに会って、倒されてなければ。
結局は『if』の話に過ぎない。それでも、なんだかんだでカガチは、それを楽しんでいただろう。
ウォルターと、兄と遊んで、そしてグラーフに巻き込まれて……きっと、それはそれで楽しいのだろう。
だが、今ほど燃えるものだろうか?
「いや、こんなことを考えても意味はないか」
カガチは『雷光』を抜いて構える。
一陣の風に、荒野の砂塵が巻き上げられて、宙を舞った。
その紗幕から透けて見える人影。
それが完全に姿を表す前に、カガチは駆けた。以前とは比べ物にならないスピードで。
そして──
「さあ、始めようか」
「………!!」
──火花と共に金属音が響いた。
それが始まりの合図。
偉大なる英雄の葬送。その幕開けだった。
火花が散るたびに、甲高い音が響き渡る。
もはや、何合目かなど、カガチは覚えていない。
必死。
その言葉が、その戦いには相応しかった。
「──!!」
再び火花が散る。
ライガの刀が上段からの一閃ならば、カガチはそれをいなして攻撃に転じる。カガチが攻勢に転じれば、ライガは力を以て強引にひっくり返す。
そして、両者は一度離れてから、攻守を交代して繰り返す。時にカガチが、時にライガが、その命を狙って刀を振るう。
「シッ!!」
だが、カガチの方が上手だった。
正確に言うのならば、『呪』が戦闘というのを知らな過ぎたということか。
ライガの一閃が空を切った。
『呪』に感情というものがあるならば、多少は瞠目していただろう。
ライガの一閃が空を切った刹那、彼の腹部を鋭い鈍色が走った。
その身体は『呪』のものではない。いくら『呪』がライガの身体を乗っ取ったとは言え、それは乗っ取っただけだ。身体の制御権を有したに過ぎない。
ライガという剣帝が積み上げてきた経験、磨いてきた才能。それを十全に扱うことは『呪』には出来ないのだ。
だが──
「……やっぱりか」
──失うことも有ればその逆もあり得る訳だ。
『呪』がライガの身体を乗っ取ったことでライガの剣技を失ったのならば、ライガの身体が『呪』に馴染んでしまったことで、何か影響が出ることもあり得ない話ではない。
腹部を裂かれたはずのライガは倒れることなかった。
それどころか何もなかったように振り返る。
「再生能力……」
忌々しく、カガチは呟いた。
カガチが注視しているライガの腹部。そこには既に傷はない。
ただ見えたのは、何か黒い靄が集まったことで傷が消えたということ。
「結局のところ、悪い予感ってのは当たるモンだよなぁ」
頭で情報を整理しながらも、カガチは刀を構えた。
「さて──」
これからどうしようか?
そう続くはずの言葉と思考は、ライガの行動によって遮られた。
「──そう来るか」
紫電が迸る。それは霹靂の如く。
カガチの纏雷などとは比べ物にならないレベルのそれ。
空気が焼き切れていく。
それは暴虐な災害そのものだ。
そんなライガに対して、カガチが取れる手など決まっていた。
紫電が再び迸る。
ただし、それはライガのものよりもかなり弱い。
天災の如きそれと比べると、静電気のように弱々しかった。
「全く……」
張り詰めていく空気の中、唐突にカガチが口を開いた。
「できればやりたくなかったんだが……ま、無理だよなぁ」
『纏雷』を全開で起動している訳ではない。しかし、それでも身に纏われている雷はHPを確実に削っていく。
カガチは雷の化身のようなライガを見る。
「嫌だね。こっちは少ない体力をやり繰りしないといけないってのに……簡単に再生しやがって」
いくら剣帝ライガといえども、あのレベルの『纏雷』は自らの身を灼くらしい。
先程と同じように、黒い靄が身体に集まっていた。ただ、それは一過性のものではない。消える気配どころか薄れる気配もなく、集まり続けている。
「さぁて……?」
カガチが呑気に呟いた瞬間、ライガの姿がぶれた。白雷が尾を引く。
その白雷の先で、微かに地面を踏む音が響いた。
「チッ……!?」
小さく舌打ちして、その音の方向に反応するがライガの姿は既にない。
刹那、カガチの首元に冷たいものが走った。
「ちょっ!?」
反射的に動かした刀に衝撃。
「……………くぅ!?」
その衝撃に、そのまま吹き飛ばされてカガチは宙を舞った。
地面に突き刺さる武器たちを悉く薙ぎ倒しながらも着地したカガチが見たのは、土煙が舞う景色。そこにはライガの姿など見えやしない。
再び首元に嫌な予感がして、カガチは全力でしゃがんだ。
瞬間、頭の上を何かが切り裂いた。
「………チッ!」
小さく舌打ちをして、カガチは振り向き様に刀を振って、距離を取る。
手には斬り裂いた感触が残っていたが、眼前に佇むライガは依然として平然としていた。
「厄介な……」
自らの想像よりも何倍も速いことに、内心で舌を巻いたカガチであったが、同時に安堵していた。
──やっぱ、剣技にかつての鋭さはないな。
思い出されるは先程の攻防と、以前のライガの姿。
以前戦ったライガ。つまり、カガチが初めてここに来て時のことであるが、アレはライガ本人であった。
その時、彼が見せた剣技の冴え。鋼鉄で作られた二本のナイフをバターのように斬り裂いて、カガチで遊んでいたライガ。
仮に、あの剣技の冴えがあったのならば、カガチの首などとうに飛んでいるだろう。
「ふぅ………」
身体から不安を抜くように、大きく息を吐いた。
眼前には変わらず雷の化身のようなライガ。
数瞬の後に、奴はカガチに襲いかかるであろうことは想像に難くない。
ならば、と。カガチは自ら動いた。自らが紫電と一体化したような速さで。
そして、金属音が響いた。
それはカガチの斬撃をライガが防いだという証左。
それが一度、二度、三度と続き、戦いは熾烈を増していく。
時にフェイントを使い、時に緩急をつけ、時に地面に刺さった武具を投げ……ありとあらゆる手を使ってカガチは攻めるが──
「くそっ」
──届かない。
その刃が、ライガの身を抉ることはあれど、そんなものは直ぐに再生されてしまう。
その命には到底届くことはない。
再び金属音が響いた。
しかし、それはカガチの斬撃をライガが防いだ音ではない。その逆、ライガの斬撃をカガチが防いだ音だった。
いつの間にか立場は変わっていた。
「……ん、にゃろ!」
白雷の一閃が紫電に防がれる。しかし、それは余裕のあるものではない。間一髪のものだ。
次第に積もりゆく焦燥に、カガチは視界の端を盗み見た。
──残り僅か!
既に赤く染まってしまったHPバーに、心が騒めいた。早く回復しなければならない、と。
一撃で死に至るという危険性は問題ではあるが、最たる理由ではない。
一番の理由は、纏雷を使用出来なくなること。纏雷が使用出来なくなれば、このライガに圧倒されるのみだ。塵芥を払うように、一瞬で斬り裂かれてしまうことは想像に難くなかった。
いまでさえ何とか動きをおえているに過ぎない。それも『纏雷』があってこそ。
ならば、『纏雷』を解除するなど――
「だぁ!?くそッ!」
足元に刺さっていた直剣を乱暴に投げて、カガチは距離をとる。
当然のようにライガはそれを追おうとするが、投げられた直剣が迫っていた。もちろん、その程度、ライガの妨げにはならない。
刀を振るうことなく、身体に刺さる直剣を無視する。直剣は太ももを裂いたが、すぐに再生されてしまう。
そのことを気にもせず、その視線はカガチを捉えて離さない。
距離はおそよ十メートルほど。ライガの速度であれば、瞬き程の時間で距離を詰められる距離だ。
だが──
「────!?」
──足が動かなかった。
正確には、思うように足が動かなかった。足は動く。だが、何かに引っかかっているような感覚。
足元を見れば、片足が石化していた。
その原因は、カガチの投げた試験管だった。
直剣を囮にして、投げられたそれは見事にライガの右足に命中し、石化を果たしていた。
無論、完全な石化ではない。いくらハクロが作り上げた最高級の呪薬であれど、『呪』の影響を受け続けた剣帝を完全な石化させることは能わない。表層のみを石化するに留まっていた。
固まった泥が落ちるように、ライガが力を入れると石と化した皮膚が剥がれていく。その傷も、一秒と経たない内に再生された。
ライガが動けるようになるまで十秒も掛からなかったが、それほどあれば回復など容易なことだった。
ガシャン、と硝子が割れる音が連続して響いた。
それはポーションが入っていた容器。容器を返還すればポーションを割引してくれるが、今はアイテムボックスに入れている暇はなかった。
「ふうっ………」
積もった焦燥を吐き出すように、カガチは大きく息を吐いた。
彼にとっては一つ山を越えたような気分なのだろう。だが、生憎とこんなものは氷山の一角でしかない。
前哨戦、露払い、遊び、ウォーミングアップ、小手調べ………所詮はそんなものだ。
「さぁて、と」
一度、深呼吸をしたことによって、精神が落ち着いていくのを感じる。
余計な硬さも取れた。
勝てるビジョンなんぞ一つも見えないが……自然と言葉は出ていた。
「第二ラウンドだ」




