彼岸にいるあなたへ 7
「じゃあ、行くよー」
間延びした声が、ハクロの部屋に響いた。
その声の主は、部屋の主でもある白蛇のハクロ。
「集え……」
ハクロがゆっくりと何かを集めて行く。それが何かは分からないが、刻一刻と『それ』は可視化する。
それが霧のように部屋に満ちた頃、ハクロはそれに命令を下した。
「………我が意に従い、大いなる力の礎と化せ」
霧の如く部屋に満ちていた『それ』が明確な意思を持ったかのように祭壇に注がれ始め、祭壇に用意されていたハクロの毒に吸い込まれて消える。曰く、最高級の呪いの受け皿らしい。つまりは、あの毒が呪いを受け止めたという事だろう。
「はい。これを、短剣に入れてねー」
尻尾の先で指された毒を、言葉の通りニードルビーの短剣に入れていく。
「それじゃあ、やろうか」
「ああ」
そして、その短剣を──
「待て」
──自らに刺そうとした時だった。
ハクロの部屋の襖が、ガラッと開いた。差し込まれる光が、薄暗かった部屋を照らす。
入って来たのは………蛇帝ヤト。
おそらく、もっとも呪術に精通しているであろうもの。
ハクロの呪術だって、元を正せば姐さんからのものであるらしい。ただ、それは基礎だけだそうだ。あとは、放任されているのだと。
「はぁ……ハク、それをやるのはまだ早い」
「けど……」
「分かっておる。ただ、妾とて屋敷が壊されるのも見ているだけではないのじゃよ」
「へ?」
着いてこい、と言う姐さんの言葉に従うしかない俺たち。
そうして着いたのは……
「ここは……」
……地下だった。
どうもハクロも知らないようで、キョロキョロと初めて遊園地に来た子供のように見回していた。
「ここでなら行って良いぞ」
くるり、と踵を返した姐さん。
そのまま帰るのかと思ったが、そうではないらしい。降りて来た階段。つまり、唯一の出口の横に、壁にもたれるようにしていた。相変わらず、二匹の蛇を侍らせているが、今回は真剣なようで、『ツバメ』の時のように酒は持っていない。
「それじゃ、やるか」
「うん」
ハクロの言葉を確認して、ニードルビーの短剣を手に持つ。
そして、クルリと逆手で持って、胸に突き刺した。
「ぐっ……」
毒が流れ込んで来るのを感じる。
だが、その毒の大部分は『呪』である限り、呪印を持つ俺には効かない。
「ん?」
変化は何もない。あるとすれば、刺突の影響でHPが減っているということだけ。
「はぁ、失敗かぁ……」
落胆を隠す事なく、項垂れるハクロ。
だが、そんな俺たちに怒声が響いた。
「ハクッ!!そこから、離れよ!」
「え……?」
姐さんの声が鋭く耳を突く。
異常に気づいたのは、ハクロではなく俺だった。
「あ……」
身体が熱い。身の内から焦がされるように熱い。インフルエンザの苦しみのようで、身体が新たな空気を求めて、自然と呼吸が喘ぐようになる。
「………ッ!?」
ドクンッ、と大きく胸が叩かれたような鼓動。それが一度、二度、三度。
その度に、身体が熱を帯びる。
「………だ、大丈夫!?」
「…………ッ」
苦しい。身体が灼けそうだ。
本能が理性を燃やしているような感覚。
鼓動が高鳴る度に、理性が侵され、衝動のように本能が牙を剥く。
「ッ!?早く……退けっ!!」
「うわっ!?」
未だ下がっていなかったハクロを掴んで、姐さんの元に放り投げる。
そして────
♦︎♦︎♦︎♦︎
「はあ……身体が重い」
足に錘がつけられ、俺だけ重力が倍になったように感じるほどの重さ。一歩を踏み出すのが辛い。
怠いだとか、そう言うものじゃない。アレは精神的なものだが、これは身体に直接きてる。例えるなら、全身筋肉痛なのに痛みだけがないようなそんな感覚。
「これがあと一日……」
リアル時間では、あの実験から半日経ったほど……まあ、ゲーム内時間での翌日。
実験の後遺症に悩まされていた。
実験は曖昧な結果に終わった。要するに、ある程度の成果を得られて、思い通りの成果を得られなかったと言う事だ。これを、成功と呼ぶのか、失敗と呼ぶかは、責任者であるハクロの判断だろう。
「確か……こっちだったな」
後遺症は、時間経過によるステータス低下だ。それも、リスポーンで治らない類の。
今のステータスは、健康体の時の半分以下。VITなんて、貫禄の1だ。正直、今ならゴブリンにだって負ける自信がある。
「ったく、ハクロの奴め」
歩きながら愚痴をこぼす。
それも、後遺症が重すぎるせいだ。これがあるせいで、半ば日課となっていた赤蟻討伐も行けなくなってしまった。
最近のアイツらは、手加減と言うことを忘れてしまったらしい。最初からわらわらと出てきて、青蟻による蟻酸の遠距離攻撃を仕掛けて来やがる。
しかし、レベリングのため行かない訳にもいかない。ただ、ハクロを簡単に連れて行けなくなっただけだ。
まあ、ハクロが居ない分、気兼ねなく纏雷を強めて、特攻できるんだけど……
「おっ、着いた」
さて、下らない悪態をついている間に着いたのはランの呉服屋。
装備が完成したと言うので、取りに来たのだ。
………ハクロ?アイツは、まあ折檻中だよ。何でも、あの実験はアイツの実力にそぐわないものだったようで、姐さんに怒られていた。
「……まあ、入るか」
今回は表ではない。
前回の騒動を顧みたのか、裏口からよろしくと言うのを伝えられていた。
コンコンコンと、ノックをする。
これで、誰か来るのかは分からないが……勝手に裏口から入る訳にも行くまい。
果たして………
「あれ?カガチさんじゃないですか……ああ、服のお受け取りですね」
中から出て来たのは、ハナノだった。
知り合いだったことに胸を撫で下ろして、緊張を解く。
「それじゃあ、着いてきてください」
その言葉に従って、数日前通った道を遡って行く。
その途中、ふいにハナノが口を開いた。
「カガチさん、あの糸凄いですね」
「へ?」
「耐刃性良し、耐火性も良く、それでいて強靭。撥水性もあります。肌触りは、絹とかと比べてしまうと落ちますが……それでも、気になる程度ではない」
「……あ、ああ」
「ラン様が、買い取りたいとも言っておりましたから」
………そこまで言われると、残りの糸も売りたくなるが………ユニークモンスター由来の素材だからな。同じようなものが手に入るかすら怪しい。
だから、そんなにホイホイと手放す訳にもいかないのだ。
「それで、仕上がりは?」
糸のことをそれほど褒めたのだ、装備の出来も気になると言うもの。
その問いに、ハナノは指を唇に当てて──
「それは見てからのお楽しみです」
そうお茶目に言ったのだった。
そして、襖の前に立って一言。
「ラン様、カガチさんです」
部屋の中からの入れ、という言葉に従って、ハナノは襖を開けた。
「おおっ………」
思わず声が出てしまった。
そこにあったのは、衣桁に立てかけられた紅と藍色の羽織に、藍色の袴、白の着物。
特に羽織は、色合いからして黎明の空を思わせるようなものだった。
「気に入ったかい?」
「最高だ。ただ………」
渡した糸の量と合わない気がする。
「ああ、餞別だよ。羽織と袴は兎も角、着物は………確か、こう言ったね。“ぷれぜんと”ってやつさ。ああ、勿論、代金には入ってないよ」
「………良いのか?」
「良いに決まってるよ。この店は私のもんさ。一体、誰が非難するんだい?」
側で、苦笑いを浮かべるハナノの気配がする。
どうも、今に始まった話ではないらしい。
「それじゃあ、有り難く受け取っておくよ」
「そうしな」
「それで、代金は?」
「………ハナノ」
「はい」
ハナノから手渡された紙を見る。
………ゼロが多いな。流石は、姐さん御用達の呉服屋。
だが、今の俺なら払えない額じゃない。
赤蟻や黒蟻どもの素材はあまり売れないが………この前のヒイロ育成プロジェクト、その折に、偶々手に入れていたラリムメナ宝石。その内の一つがかなりの大きさだったのだ。
よって、今の俺にこの程度は楽勝なのだ。
………ハクロが居なくて良かったな。アイツがここに居たら、新しい触媒を強請られていたであろうことは、想像に難くない。
「………はい、確かに受け取りました」
「それじゃ、なんかあったら来な。服のことなら、余程のことがない限り何とかしてやれる」
「そりゃあ、頼もしいな」
「………ああ、それと。外で、何か良い素材があったら頼む。この国のだけじゃあ、飽きてきてね」
外、それが何処を指しているかはすぐに分かった。
「ああ、分かったよ。良さそうなの見つけたら、持って来てやるよ」
その会話を最後に、俺は重い身体を引きずって、呉服屋から出た。




