最終話 死んじゃいそう
庭園での出来事からひと月が経った―――
「これは北方で、『炎の宝石』とうたわれている―――」
「伯爵様、お帰りなさってください」
いつもの姫の部屋。
件の美形伯爵は姫の前で跪いて、今度は自ら両手に白い手袋をして、赤い宝石を差し出している。
しかし、姫と伯爵の間には騎士がいて、仁王立ちをして、伯爵を見下し、にらみつけている。
「そこの騎士、邪魔だ。どけ」
「嫌です。どきません」
「伯爵の命令も聞けないのか?」
「私は姫のお付きの騎士です。姫のご命令に従い、姫をお守りするのが任務です。私は、姫から『伯爵の話を中断しなさい』との命令を受けております」
「おい、違うぞ」
背後から姫の声。
姫は椅子に座って、事の次第を見ていた。
「私は『こいつを黙らせろ』と言ったんだ」
「はっ、失礼を」
騎士はそう言いながら、姿勢を変えない。
それは意図した無礼からではなく、目の前にいる者を不審者として考えた場合、視線を少しでも離してはならない、という警備上の掟を守っているからに過ぎない。
しかし、これではらちが明かないな……。
姫は少し考えて、ふとあることを思いついた。
「いいんですか? いらなかったんですよね、これ」
騎士は驚いて聞いた。
伯爵が喜びに飛び跳ねて帰った後、ベランダで侍女と姫と騎士がいつものようにお茶をしている。
姫は白い手袋をして、その小石のような大きさの、赤い宝石を眺めている。
侍女は何事もなかったかのようにお茶を飲んでいる。
「うん、これはいらない。でも価値はある」
騎士は首をかしげた。侍女は相変わらずだ。
「侍女。これ、どのくらいの価値があると思う?」
「おそらく、お城に庭園がもう一つできるくらいですか?」
「ご名答」
姫が意地悪く笑い、侍女は表情一つ変えずにクッキーを食べ、騎士一人が開いた口が塞がらないまま、驚愕している。
「い、いいい、今、なんて……」
「この宝石には、お城にもう一つ庭園ができるくらいの価値がある。そういったんだ。様々な花々や木々、噴水やベンチも置けて、それを管理できる何人かの庭師が雇えるほどの」
騎士は失神しそうになった。
「しかし、それをどうするんですか?」
侍女がきく。
「これを宝石商に売ろう。もちろん、名義は私ではなく、別の第三者で。お金は私のところにくるようにする」
ひーっ、と女騎士は悲鳴を上げる。
「売っちゃうんですかあああ!?」
「ああ、好きにしていいって伯爵も言っていたからな。こんなのは、私はいらん。姫の名義で売るのはさすがに問題だが、第三者の名義で売って、その富をいったん私のものとする」
「いったん?」
侍女は首をかしげながら、姫を見た。
「ああ、それで、貧しい人々を助けるための資金とする。貧しい人にお金を配るとか、食事を配るとか、寝泊まりするところを作るとか、あとは病気で困ったときに医者にかかれるようにする……そういうのに使いたいんだ」
侍女はあー、と頷きながら、驚きの表情を隠し切れないでいた。
姫様がまさかこんなことを言い始めるとは思わなかった、と侍女は思ったが、同時に納得した。
侍女は納得する要因となった、貧困家庭出身の騎士の方に顔を向けた。
「お前の父上や母上みたいな――もっといえばお前や、お前のきょうだいみたいなやつを少しでも減らすんだ。どれだけできるかわからないが、姫としての私の務めだと思ってやってみたい」
それと、姫はティーカップを持ちながら言った。
「姫様」
騎士は起立をした。
直立不動。凛々しい姿。まさしく騎士。
「誠にありがとうございます。多くの国民が姫様に救われることでしょう。僭越ながら、国民を代表して、感謝の意を述べさせていただきます」
彼女はそういうと、深々と頭を下げて、一礼。
「騎士よ、頭を上げよ。席に戻れ」
そういって、姫は紅茶を飲んだ。
騎士はそう言われて、元に戻る。
「……まあ、お前は私を……その、なんだ……」
姫は顔を赤らめながら、ちょっと小声めで言う。
「私の、その……こころ、を、助けてくれたし……あれだけ、ほっとすることもなかった……し……お、お前には……」
騎士は首をかしげて、姫を見る。
侍女は悪い笑みを隠し切れないまま、姫を見る。
姫は、ついに言葉が出なくなって、ついに立ち上がり、騎士を見て、
「騎士よ、お前には感謝している! ありがとう!」
姫の行動に、騎士もびっくりし、侍女もさすがに驚いた。
だけど
「はい」
騎士は姫を見て、笑顔で言った。
「姫様、私も姫様には感謝しています! 大好きです!」
姫様は赤面した。
黙り込んで、両手で顔を隠して座る。
「もう……死んじゃいそう……」
「えっ、死ぬんですか?」
「お前で原因で私死んじゃいそう……」
「ええっ、それはどういうことですか!?」
「……皆まで言わさないで……もう……」
侍女は、姫と騎士のやり取りに、姫が久しぶりに姫が「死」というワードを使ったな、と思った。
姫は最近、死にたいという言葉を使わなくなっていたのだ。
これは本人が死にたくならなくても、騎士殿に何回も死にそうな思いさせられるな。
侍女はそう思いながら、もう死にたがらなくなった姫と、その姫が惚れたポンコツの女騎士が賑やかなやり取りを楽しく見ていた。