第3話 姫様すごくかわいそう
夜。
騎士は姫直属の近衛騎士に与えられる個室にいた。
実家や兵舎などとは違う、とても心地の良いベッド。
騎士はふかふかのベッドで寝ているはずなのに、眠れなかった。
緊張からだろうか、とベッドの上で己に問う。
いや、違う。
『姫様!! 死んではなりません!!!』
昨日、なんであんなことを叫んでしまったのだろう。
おまけに相手は姫様だ。
「なぜ、あんなことを……」
同じ頃。
姫の部屋。
「侍女よ、なぜだろう……」
姫が、城下町の夜景をベランダから見ながら、侍女に語り掛ける。
「人はなぜ死にたがるのだろう……」
「死にたがっているのはおおむね姫様くらいですわ」
「私はなぜ……」
「死にたがっているかどうかは自分でお考え下さい」
姫は侍女を睨みつける。
それも冷徹なものではなく、子供のように、しかし恨みがましく、涙目で。
「お前は主が悲しい思いをしているのに慰みもしないのか」
あー、出たよ。姫様の面倒くさい駄々っ子モード。
と侍女は思う。
「騎士殿の話でしょう? 死ぬなんて言わないで、言われたこと」
姫はまたじっと侍女を見る。
「死にたい、って言っちゃダメって、ひどくない? 人としてどうなの?」
「ひどくなくないです。『死にたい』って言ってる人のほうがやばいです」
わーん、と姫が泣き出す。
「侍女がひどいこと言った! 不敬罪だ! ギロチンにかけて街に吊るしてやるー!」
「吊るすのは絞首刑ではありませんか? 首が離れていては、手とか肩で吊るすしかないですね」
「じゃあそれ!」
「それじゃないでしょう」
さすがに侍女もきっぱりと言う。
「真面目にお話いたしますが、姫様は騎士殿に『姫様!! 死んではなりません!!!』と言われて、なぜそれほどまでに動揺されているのですか?」
うーむ、と姫は顔をしかめる。
「それは目下の者が失敬なふるまいをしたからですか?」
「違うわ」
「では、なぜでしょう?」
姫は、むむむ、と余計に顔をしかめる。
「真面目に姫様もお考え下さい。何せこれから騎士殿は、特に貴方に仕える方ですし。それに……」
「それに?」
「私は思うのです。なぜ、私や、他の方が同じことを言っていたのに、騎士殿のそれだけ、凄く気になっているのか……」
そういえばそうだな……。
姫は思う。
侍女とも長い付き合いだが、そんな思いは持ったことがなかったな。
他の者にも言われたことがある。だが、大抵は流していた。
でも騎士の同じ言葉にはとても傷……気になっている。
何故だ?
「それはですね、お日様を浴びることが少ないのでは?」
は?
騎士の発言に、侍女と姫がきょとんとする。
これは、午後のお茶で、侍女が、姫様の死にたがりには困ったものです、どうしたらいいんでしょう、といったものへの回答である。
「姫様の死にたがりはそこにあると思います。昔おばあちゃんが言ってました。お日様を浴びると幸せになりやすいけど、お日様を浴びないと気持ちが憂鬱になっていきます。
姫様は部屋や城にこもりっぱなしですから、そこでは?」
姫はこいつ、何気に失礼だな、と思っていながら、その言動を鼻で笑う。
「お前は面白いな。しかし、たいして関連性は……」
「あると思います」
「侍女!?」
侍女の思わぬ発言に、姫は驚く。
「王立大学の研究によると、お日様がよく出ていた月は、曇っていた月よりも精神的に落ち込む人は少なかったそうです。姫様は出不精のひきこもり怠け者ですから、それはありえますね……」
こいつ本気で失礼だな。姫は内心憤慨する。
「姫様は散歩とかしないんですか? 買い物とか?」
「騎士殿、買い物のところは置いておきますが、姫様は城どころか、自室からも出たくないひきこもりなのです。公務で外出はおろか、城内の散歩すら嫌がる年季が入った出不精なのです」
侍女はくすくす、と流し目でにやにや笑う。
姫はぐぬぬぬ、と侍女をにらむ。
さらに侍女の無邪気な発言。
「えーっ! 庭園とかきれいなのになぁ……。姫様すごくかわいそう」
プチン、と姫様の頭の中。
「ええぃ! かわいそう呼ばわりされるほど、私は落ちぶれていないわ! 死にたい死にたいいっているのはもっと違う理由だ多分! そこまでいうなら騎士よ!」
姫は騎士にびしっと指を指す。
いきなり指を指された騎士は驚く。
「庭園を一緒に散歩しろ! いいな!!」
騎士は目を丸くしながら、は、はい、と答えた。
その様子を、してやったり、とにやにやしながら見つめる侍女の姿があった。
しかし……と騎士は自室で報告書を書きながら思う。
心のどこかで、姫様に死んではならない、そういった理由がわからない。
自分の言ったことなのに、とっさにいったことなのか、全くわからない。
でも、姫様には死んでほしくない。
綺麗で、聡明で……。
死んでほしくないのは綺麗だから? 聡明だから? 姫君だから?
違う。どれも違う。
でも、なんでだろ。
(ねぇ、なんでだろう。父さん、母さん……)
そう思いながら、彼女は窓辺に立ち、満点の夜空を見上げた。
(結局聞けなかったな)
姫は自室のベッドから大人びた美貌を夜空に向けていた。
白い寝具に身を包んでいる。
(でも、私が死にたいという理由は何だろうな……)
姫は自問自答する。
答えが出てこない。
「何を考えているのですか?」
侍女がクッキーとホットミルクをトレーにのせて、運んできた。
姫は、これがないと眠れないのだ。
「……何を考えていると思う?」
侍女はベッドの近くの机の上に、トレーを置いた。
姫がクッキーを一つとる。
「この国の将来について」
「正解だな」
「嘘ですね。本当はあの騎士様のことでしょう」
「……正解」
姫がクッキーを悔しそうにかじる。
「お前は何でたと思う?」
侍女は姫の目を見て言った。真摯に答える人のまなざしだった。
「……姫様とは長くお供をさせていただいておりますが、恥ずかしながら、私もわからないのです。そして、私も知りたいと思っていたのです。でも……」
侍女はふと、大きな窓を見た。その向こうには夜空が見える。
「あの騎士殿が教えてくれそうな、そんな気がするのです」
姫は、無言でホットミルクのカップを両手で抱えて、一口飲んだ。
ホットミルクとクッキーさえあれば、夜は安心する。
しかし、今夜はどうにも落ち着かないことを、姫は胸騒ぎと一緒に感じていた。