第1話 死にたい…
「死にたい」
その美しい姫の口癖だった。
豊かな銀髪に宝石のような瞳、白磁のように美しい肌に、見事にすらりと背の高い身体。
彼女は間違いなく王族にふさわしい、類まれる美貌の持ち主であった。
彼女は才女であり、王族にふさわしい気品にあふれていた。
だが、彼女はその美貌をいつもけだるそうにして、この世に不満を放つようにいうのだった。
「死にたい」
それは口癖を超えた何かだ、と誰かが評したように、彼女はいつもその言葉を口にした。
例えば朝起きて、外を見ては、
「……死にたい」
朝食のハチミツ入りオートミールを食して一言、
「死にたい」
昼に、美術館の鑑賞に行って、生を賛美する絵画を見た途端
「死にたい」
夕方、夕日を見ながら、紅茶をすすりながら
「死にたい」
夜、お城の大広間で、豪華な宴を端から見て、
「死にたい……」
「姫様は死にたい、死にたい、そればかりですね」
姫お付きの侍女はそう言った。
ここは王城の姫の部屋。一軒家がまるまる入りそうな大きな部屋に豪華な装飾品が彩られている、
姫はそのベランダにある席に座って、城下の街を見下ろしていた。
侍女はその横で立っている。
「侍女は私に、死にたい、という自由もないというのか……死にたい」
侍女はため息をついた後、言った。
「もっと周りに気をお使いに――」
しかし、侍女の忠告は、大きなドアがノックされたことにより、中断された。
ドアの向こうから、執事の声。
「伯爵がお見えになられました!」
長年、王室に仕えた初老の執事は、声を張り上げた。
しかし、大声ながらも落ち着きがあり、怒鳴り声とは違った、彼にしか出せない上品さがあった。
侍女はすぐさま執事の声に応じ、ドアに向かう。
そうか、今日は例の若くて美形の伯爵が訪問するんだったな。
そうふと考えているうちに、ドアが開いて、美形の伯爵が一言ドアの前で挨拶をして、入室。
姫は無言で街を見続ける。伯爵などは見ない。
伯爵は姫の前で跪く。
「姫様、今日も麗しゅうございます」
あー、いやだなあ。
姫は思う。
この美形の貴族はよく私のところにやってくる。
そして、いらぬ貢ぎ物をくれたり、美辞麗句を長々と述べるのだ。
でも、姫は知っている。
この美形の貴族は、私の美貌と地位に目がくらんでいるだけなのだ。
チェッ、それなら適当な貴族の女と結婚すればいいのに。
でも、王の娘という地位は私しかいないしな。まあ、そのくらいの地位、誰かにやってもいいのだけど。
姫はそう思いながら、伯爵の南方からの美しい宝石とやらの長い説明が終わるのを待っている。
伯爵の隣にいる、跪いている伝えの者が両手をそえて、高々と頭の上にもっているものがそれだ
この最高級の宝石がいかに素晴らしいかを語っている。
そして、この説明の終盤にはこう言うだろう。
「この最高級の宝石は価値あるものが身に着けて、はじめて輝くものなのです……」
「そして、この宝石を伯爵が私に手渡す……という脚本か。なるほど。世の女性はそうやって伯爵に魅了されるのだな」
姫はそう言って、伯爵の長い芝居に無理矢理、幕引きを図った。
今度は姫の即興舞台がはじまる。いや、客払いというべきか。
「伯爵。前にも言ったが、私は貢物の類に興味はない。確かにいい宝石だが、私は要らない」
「いえいえ、姫様。これは貢物ではありません。私の、心からの……」
「貢物、だ。私からみれば。君が私にくれてやるものはいつも豪華で、珍しいものばかりだ。だが、私もいざとなれば、そのくらいは用意できる。貴方は私を何だと思っているのだ?」
姫は最後に言い放つ。
「それで私の気をひこうなどというのは、王族への侮辱に近い。以後、気を付けて」
そういって、姫はそっぽを向いた。
顔面を真っ青にした美形の伯爵は真っ青な顔をして、そそくさと、さらに礼を交えて退室した。
「あー、しんどい。死にたい」
姫は急にテンションが戻る。
「これはしんどいわ。あいつ、何度言ったらわかるのよ。のーみそないのかよ。あんなのの相手しなきゃいけないなんて私かわいそう。死にたい」
「そうですね。姫様はかわいそうですね。死なないでください」
侍女が棒読みで答えた。
「あー、本当にかわいそうだよね、私。あれ、実質、変質者だよ。貴族が変質者とかこの国の恥だわ。死ねよ。あと私は死にたい」
「姫様」
豪華なテーブルに突っ伏し始めた姫に、侍女がパシッと注意をした。
「死にたがりにしかり、先ほどの態度にしかり、姫様も、姫君としての立場をお考えになってください」
いいですか、と侍女は右手の人差し指を立てた。
あー、出たよ。侍女サマのお説教タイム。
と、姫は思う。
「姫様はこの国の王族なのです。もし、御身に何かがあったら困ります。特に今は姫様直属の近衛騎士がご不在の時。ただでさえ、命を狙う輩がいつきてもおかしくないのですから―――」
その時、ドアがバーン! と開かれた。
姫と侍女が身構えた。
だが、そこにいたのは、小柄な女騎士だった。
女騎士、だとはっきりわかったのはその正装だからだった。
近衛騎士団の赤い制服。誉れ高い王族の守護者。
しかし、そうでもなければ、彼女は女学生や、そこら辺の子供と思われても仕方のない容姿をしていた。
赤い髪をぼざぼざにしている。大きくくりくりとした目が印象的な騎士であった。
「あのっ、すみません!」
女騎士は慌てていた。
非常時には甲冑を着て姫の前にも出るだろうが、そういう様子でもないようだ。
「姫様のお部屋は、どっ、どちらでございましゅか!?」
噛んだ。
姫と侍女が同時に思ったことだった。
「ここだが」
姫がそう冷たくいうと、はっ、はひっ!? とまた驚かれた。
侍女は言い放った。
「どちら様かは存じ上げませんが、ここは姫様のお部屋。そしてこの御方が姫様にございます」
「へっ? へっ!? ひっ! ひっ!」
ひきつけでも起こしたか?
不審な来訪者に侍女は、近衛騎士を呼ぼうと思った。
こういう時に限って、姫様直属の近衛騎士がいないとは……と侍女は思う。
王族には最低一人、直属の近衛騎士が付いて警護に回る。
姫も警護される側だったが、姫の性格的に扱いが難しいので交代が多かった。
「ひっ、姫様でいらっしゃいますね!!」
小柄な女騎士は体に合わぬ声量をもって。叫んだ
「侍女から説明があった通りだ」
相変わらず姫は冷たく、しかしはっきりという。
「失礼いたしました! わっ、私は本日より姫様の直属近衛騎士を命ぜられました!!」
侍女の動きが止まった。
「よっ、よよ、よろしくお願いいたしまする!」
そういって思いっきりお辞儀をする。
しばしの沈黙。
それを破ったのは姫様だった。
「……死にたい」