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太照眼球物語  作者: 桃栗柿太郎
3/3

#3【双眼鏡】其の参

 今回の依頼遂行において最も障害となるものは、その女流歌手が所属している高級クラブそのものであった。

 話を聞くに、そこはどこぞの都の名店よろしく一見様お断りとなっているらしい。

 鳴海は一度連れられただけなので、私達を連れて入ることができるか微妙な所である。


「と、言っても外でその女流歌手の話を聞かないし。やっぱり潜入した方が良さそうなんだよねえ」


 依頼を受けた翌日、毒独はそうボヤいた。

 傍からだと仕事熱心に見えるかもしれないが、そうでは無い事は直ぐに分かった。


「高級クラブがそんなに楽しみか?」

「うん」


 予想通りの返答だ。それはそれとして辟易する。

 屑だな此奴。

 帝国一奉仕精神に欠ける男は、遮光眼鏡を揺らしてヘラヘラと笑っていた。どうして私はこの男の下で働いているのだろうか。今一度真剣に考え直したい。


「でもさ、どうも本当に格式高い場所らしくて、僕らを連れてけそうな人が居ないんだよねえ」


 髭の無い綺麗な顎を撫でながら思案する毒独。

 この男はへやは汚い癖に身なりには気を使うきらいがあった。そんなことをしても性根の醜さは隠せないと言うのにご苦労な事である。

 私は毒独の顔を見た。


「フジ婦人がいるだろう」


 その言葉に、毒独はピシリと固まった。ヘラヘラとした笑いが顔に氷漬けされている。

 その顔を内心愉快に思いながらも、私は随分と悪くなった己の性格に思いを馳せた。まあ、それも全てこの屑の所為である。責任の所在は奴にある。永遠に責任を支払い続けろ。


「いやね? 彼女も忙しいと思うし」

「あの女はお前の為なら何時如何なる時も門戸と股を開いているだろ」

「あのさあ……」


 渋い顔で毒独は呻く。どうやら私の言葉遣いを責めているようだ。

 しかし何度も言うように、本来の私はもっと清純であり御淑やかな大和撫子である。口が悪いと言われるならばその原因は間違いなく毒独椎蔵と言う稀代の屑の所為であり、私の責任は一切存在しない。清純な乙女を黒く染め上げた糞野郎はここに居る。私は被害者だ。口を慎め。

 

「……まあ、いいか」


 諦めた様に息を吐く。どうやら己の責任所在地をハッキリさせた様だ。いやいやこれは愉快痛快。これだけで気分良く眠りにつける。

 疲れた顔をした毒独は蟀谷を揉んだ。


「じゃあ、婦人の所に行ってくるよ」




 あの飄々とした詐欺師の悶絶する顔が見れる機会に留守番を大人しくする私ではない。勿論彼の反対を振り切って付いて行くことにした。


 フジ婦人の家はこの裏通りの更に奥まった場所にある。

 酒臭い臭いをこえ、薄暗い道を進むその先にあるのだ。

 それは英国式の造りを模した屋敷である。モダンホォムとでも言うべきなのだろうか。

 薄汚い路地の中で、妙に綺麗で豪華な造りなものだから、なんだかちぐはぐで可笑しさすら感じてしまう。

 一般的な目線で見れば、だが。


「そう言えばさ」毒独が振り向く。「君にはこの家はどう見えているのかな」


 私は肩を竦めて答えた。


「蛇の巣」


 毒独は笑った。妙に力の無い笑いであった。


「違いないや」


 屋敷の中に入り、薄暗い廊下を進むと一際豪華な扉が私達を迎える。

 それを開けると、その先に彼女は居た。


「アラ、お待ちしておりましたわ」


 それは蛇であった。

 無論それは私の感想であり比喩表現でしかないのだが、的を射た表現だと思う。

 蜷局を巻いたような黒髪も、紅色の唇と舌も、その黄金色の目も、全てが蛇を連想させる。

 が、一番の蛇はその内面だろう。


「どうも婦人、お変わりないようで」

「七十三日と六時間と三十四分と十秒ほどぶりですが、貴方は少し御痩せになられたようで」

「…………そうですかね」


 愛想笑いをする毒独は既に借りて来た猫の様になっている。見ている分には面白いが、当事者である彼にはたまった物では無いだろう。正直私は彼女の正面には立ちたくない。

 フジ婦人はアンティイクの椅子から腰を上げると、地面を滑る様にして毒独の目前へと進む。

 人間性は兎も角、外面だけは良い二人なので揃うと戯曲の一場面の様にさえ思えてしまう。

 婦人は毒独の頬に手を添えた。その指先の爪は蛇の牙の様に鋭く、夜の様に黒い。


「イケナイ御仁ね」


 彼女の親指が毒独の頬をなぞる。

 爪を立てていたのか、その軌跡から赤い雫が零れ落ちた。


「オンナをこれ程までに焦らすなんて」

「え、ええ」


 完全に毒独は委縮していた。半分愉快であるが、半分同情する。

 フジ婦人の手が遮光眼鏡に掛かる。


「それにこんなに綺麗な瞳を隠してしまうのですもの」


 ゆっくりとそれを外すと、今まで隠されていた毒独の瞳が露になった。

 それは婦人の黄金色の瞳と対照的な、碧い瞳。


 設計の失敗なのだと。嘗て毒独は自嘲していた。

 親の設計図の複写失敗、毒独はイデンビョウ等と言っていたが、正確な所は分かっていない。

 この嘘だらけの凡人の唯一の異であり、呪いがこの眼だった。


「惚れ惚れする碧だわ……」


 睦言を言うように婦人は囁いた。実際に、婦人は睦言のつもりで言っているのかもしれない。

 受け取り手がどう思っているかは兎も角として。

 暫く舐めまわす様に毒独の瞳を堪能した後、その視線が下にずれる。


「アラ、怪我をしているじゃない」


 それは先程彼女が付けた毒独の傷である。

 お前が付けたんだろうが。

 私がそう思った瞬間、婦人が顔を傷に寄せ、その血を舐め取った。


「ひえっ」


 毒独の情けない悲鳴が漏れる。正直同情する。

 うっとりとした眼で彼の血を堪能した婦人は、ニッコリと微笑んだ。


「味が良くなっているわ」そう言って、少しだけ私に視線を向ける。「料理が得意な秘書を持ったみたいね」


 ぶわりと、私の背中に冷や汗が伝う。

 相手は微笑んでいるが、私としては蛇の口の中に居る気分だ。

 彼女次第で、何時でも腹に収められる。


「ワタクシも何時かまた振舞いたいものね」


 愛撫するような声色で婦人は囁く。その声に、毒独はガクガクと頷いた。

 その昔、彼女の料理を食べて大変な目に会ったと語っていたが大丈夫なのだろうか。

 私は思考をするのを止めた。


 狂女と関わりになるのは似非狂人の毒独一人で十分である。

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