夏の日
「あ────……なんつーか、のんびりするよなァ──……」
淡谷くんが、砂浜に両足を投げ出してしみじみと言う。
首をひねって同意を求めるかのように私の方を見るので、うん、と頷いた。
確かに、のんびりしている。
サンセットビーチ──もちろん抜けるような青空に色とりどりの花が映える昼間も、日本の熱帯夜とはまるで異なる質感のある夜も好ましいのだけれど、私はこの南の島で過ごす時間のうちでは、今のような夕暮れ時が一番好きだ。
大きな太陽が、見渡す限りの水平線が保つ均衡に挑戦するかのように──その一角にゆっくりと没していく。空は一面、はっとするほど美しい茜色に染まり、それが永遠に続くかのような錯覚を引き起こす。しかし、見とれているうちにすべての陰影が濃くなってくることに気付く。日本にいる時にはまるで気が付かなかったけれど、昼と夜には明確な境目となる一瞬がある。それを越えたと自覚する瞬間が、たまらなく好きだ。
「変われば変わるものだな」
淡谷くんから少し離れた場所に座る柳くんが、おかしそうに言う。
きょとんとした表情で、淡谷くんが柳くんを見返した。
「何がだよ?」
「仲間内で一番のせっかちだったお前が今じゃそんなにのんびりしている所が、だよ」
「言えてる」
柳くんの隣で砂浜に落ちている流木を弄んでいた倉科さんが小さく笑った。
淡谷くんは心底意外そうに眉を上げた。
「そんなにせかせかしてたか? 俺って」
「してたよー。ここに来た当初もアレをやるコレをやるって一日中走り回ってさ、挙句の果てにはするコトが無ぇーってやきもきしてた」
「そーか……そんなだったか。そういえばこんな感じ、今まではなかったかもな」
「まあ、自然の成り行きと言えるかもしれないが」冷静な柳くんは、いつも通りに一本調子に話す。「人間は環境に適応するものだ。ここでいつも通り忙しくしようとしても無理な話だからな」
「まあ、その通りだな。なんつーか、生活のスケール感が全然違うっつーの? やっぱ大らかだよな。日が昇ったら起きて、沈んだら寝る。しないといけないことがそれだけって、普通の生活してたらまずあり得ねえもんなー。バカンス、来て良かったよな!」
「でも淡谷は多分、東京に戻ったらすぐまた元通りになるよねー」倉科さんはからかうように笑い、私の方を見た。「吉浦もそう思うでしょ?」
確かにその通りだと思ったので、頷く。
きっとそれもまた、柳くんの言う環境への適応ってことなんだろうし、つまりごく自然なんだと思うけれど──再びせっかち屋になった淡谷くんがあまりにも簡単に想像できてしまうので、思わず笑みがこぼれた。
「なんだよ吉浦ちゃんまでー」
淡谷くんがふくれっ面になる。もちろん本気で怒っているわけじゃないのだろうけど、柳くんが悪かったというようにとりなし顔で手を振った。
「まあまあ──別にバカにしてる訳じゃないさ。バカンスを有意義に過ごせてるってことだよ。オンオフの切り替えは日本人の多くが苦手としていることらしいし、そういう意味ではお前はすごいよ」
「そうか?」
淡谷くんが急に得意げな顔になる。調子がいいというか、気分屋というか……まあ、その屈託のなさが淡谷くんのいいところなんだけれど。
「でもさあ──こういうのんびりした時間もいいけど、だからこそなのかな──時間に追われる生活が、妙に懐かしくなっちまったりもすんだよな」
「それはあるねー。贅沢なことだけど」
「戻ったら戻ったで、今度は南の島での時間が懐かしくなるだろうにな」
「そうなんだろうな……まあ、とりあえず帰ったら米だな。米を食う。あと味噌汁」
「あー、やめてよー」倉科さんがぎゅっと耳を抑える。「私も食べたくなってきちゃうじゃーん」
「そうだな。今のはなかなか罪な発言だぞ」
「悪い悪い。お前らはなんか無ぇの? これをまずやりたいっての」
淡谷くんの問いに、倉科さんがぼんやりと視線を宙に飛ばす。
「んー……ショッピングかなー。もういくらもしないうちに秋物が出てくるし、チェックしとかないと」
「俺はまず自分の部屋のベッドでゆっくり眠るな。やっぱり、枕が違うと睡眠の質が段違いだからな」
「お前らしいな。吉浦ちゃんは?」
淡谷くんが何気ない調子で私に話を振ってきた。
どきり、と心臓が高鳴る。その反応に、我がことながらうんざりしてしまう。
私は極度の内気で、家族以外の人とは緊張してしまってほとんど話せない──仮にも友達同士のこんな会話でさえ、一生懸命覚悟を決めないと喋り出せないのだ。
私なんかが意見を言っていいのだろうか。
鈍くさい私の的外れな返事で、この場が白けてしまわないだろうか。
皆が好きだから、この和やかな雰囲気が好きだから──余計にそこに自分が混ざることにためらいを感じてしまう。私にとって友達と一緒にいる時間は、例えるならこの夕焼けに染まる南の島の風景と同じ──眺めているだけで満足してしまうものなのだ。
でも。
淡谷くんは黙っている私を、ずっと見つめてくれている。
柳くんも、倉科さんも。もう付き合いが長いから、私が話し出すのに時間がかかることを承知して、待ってくれているのだ。
意を決して、私は口を開いた。
「色々、あるよ。だからまず──早く救助隊に来てもらわないと」
「…………」
「それを言っちゃあ……」
「吉浦さあ……」
皆が一斉にため息をついた。
なんか──私、また空気読めないこと言っちゃったのかな……?
原因がわからず、ただ気まずさだけに苛まれた私はそっぽを向いて私達の家を見やった。
私達が寝泊まりしている、浜に打ち上げられた難破船──その入り口近くに設置された石の文様。
皆で一生懸命作った、石文字のSOS。
今日も──それを見つけてくれた人はいなかった。
筆者は南の島に行ったことがありません。