第三話『恩讐の彼方に』
[1]
敵方の少年がエクストリームから飛び降りて数分後、エスノに体の自由が蘇りつつあった。
ファーゴ・ダルオン……。苗字からしてクガル・ダルオンの息子に違いないだろう。
……。
なぜ私を殺さない?
マヒの効果が切れつつある今はともかく、呪文をはじき返されマヒした直後のエスノを殺すのは赤子の手を捻るより簡単なハズだ。 捕らえて捕虜にすることもできよう。
自分を慰みものにすることもできたはずだ。
そうこう思いをめぐらすうち、エクストリームは上昇をしつづけ、冷たい風がエスノの頬に当たってきた。彼女はゆっくりと立ちあがろうとした。地上を見ると、街の家々が炎上する中、黒いDTが次々と襲いくるマグに剣を突きたて、バタバタと倒している。あの黒いDTの中に自分を自爆から救った少年がいるかと思うと敵であるにもかかわらず、悲しくなり、想いは頬を伝う涙となった。
そうだ、彼は私をどうこうするよりも、彼自身の護るべき街のために急いで戦いの場に戻ったのだ。私を殺すか捕らえるか慰みものにする時間などがあれば、街の人々の為に命を賭けることに専念する純粋な少年だ。
彼女はもう一度少年の顔かたちを頭の中で思い浮かべる。六年前、彼女がある傭兵団にいたころ憧れたクガルに似ている。確かに……、あの人の息子だ……。
「それなのに、私は……、私は……」
エスノは号泣した。
「一時の方向、五○○メートル先に友軍のDTが浮いています。戦闘不能のようです」
一隻の戦岩の甲板員が大の字で寝たまま空中を漂い続けているエクストリームを発見し、その艦の艦長、グラーフの指示を仰いでいた。
地上では傷ついた防衛隊の隊員にオークの部隊が群がるところを敵の少年の乗ったDTの剣が一閃し、数匹のオークたちの胴体がまとめて寸断されていった。黒い機体に赤い返り血を浴びたDTは、上空から戦いを見守るエスノの目にはまさしく“鬼神”に見えた。
だが、少年に疲れが見えてきたのか、黒いDTの動きがしだいに緩慢になっていく。そこを味方が発射したマジックミサイルが三つも直撃した。
黒いDTは尻餅をつきながらも、オークたちのいる方向に転がって次々と襲いくるミサイルをかわしていった。逃げ遅れたオークたちは悲鳴と共に鬼神に潰されていったようだが、鬼神自体も丁度丘の影に転がっていったのでエスノの目からは残酷な描写が見えずにすんだ。
ベルディア艦を除く他の三隻の戦岩は、遂にステルの街の上空に入った。その戦岩から数十のDTとオークたちが降下し、防衛隊の隊員を一人、また一人と命を奪っていく。
不時着したベルディアの戦岩内の操舵室では、ベルディアが次々と戦況に応じて指示を下していた。
「ポーラの部隊を一旦戦岩に戻させろ。魔法使いどもの呪文が、味方のオークも焼いているぞ」
ふと、ベルディアは新兵器のことが気になりオペレーターの一人に問いかけた。
「敵の新兵器はどうなっている?」
「禁忌呪文を自動発射する兵器は破壊に成功しましたが、それを持っていた黒いDTは健在です。現在までに十二機のマグが破壊されました。……すさまじい戦闘力です」
「エスノめ……。しくじったな。いや、エクストリームが自爆しても無傷ということは、それだけ装甲が厚いのか? それともエスノが……、エクストリームからの連絡は?」
「依然として通信途絶。魔力反応もありません。自爆したか、もしくは敵に撃墜されたと判断できます」
「ふーむ」
ベルディアは首をひねる。
その時、何者かと交信していたヤスミンがベルディアに向き直った。
「ベルディア様、スパイ五号から連絡がありました。敵の黒いDTの名前は“ダークネス”というそうです。こちらに知りえる限りの設計情報が転送されています」
「でかした。メインスクリーンに出せ」
スクリーンに映ったのは人型の黒い機械の塊であった。頭は紡錘形になっており、肩の装甲はマグのものより厚く太く、肘から手まで半円を描くようなラインが形作られている。両脚の一部装甲も半円のラインが形作られ、両腕を半回転させてから人間のように屈伸運動をすれば、腕と脚の半円同士をつなげて輪が形作られるようだ。ベルディアはスクリーンを見て呆れた顔をした。
「これは……バーキンだな。エルダの兵装展示会では高すぎて手が出ない。こんな最高級DTをクストールが導入していたとは……」
「……いえ、バーキンに似ていますが頭部の金の角の装飾品はありませんし、バーキンよりもボリュームがあるような気がします」
ベルディアの脇でヤスミンが瞬時に分析するのを見て取った彼は、ヤスミンに指示を出した。
「ヤスミン。三○分だけ時間を与える。おまえはこのデータを工作室に持っていって、この新型兵器の分析をしろ。分析が終わるまで私はダークネスから味方のDTをなるべく遠ざけるようにする。奴の弱点を発見するンだ!」
ベルデイアの表情には鬼気迫るものがあった。ヤスミンは思わず生唾を飲み込む。
「わかりました。一人、オペレーターを貸してください」
「許可する。急げよ」
「はっ!」
ヤスミンと彼に声がかかったオペレーターが操舵室を出て行った。
予定より一○分早くヤスミンが戻ってきた。結果をせかすベルディアに対し、ヤスミンは興奮気味にダークネスの解説を始めた。
「敵の新兵器は全体的な外観こそエルゲシュ社の最新鋭DT“バーキン”に酷似していますが、中身は全く別物です。脚部、腕部の筋力、馬力はバーキンのゆうに三倍はあります」
「なるほど、それでダークネスは量産型のバーキンより三倍重いものを持ち、三倍早く走れるのか……。エルダの最新技術の結晶だな」
「まあ、正確にはかかる重量も三倍ありますから、三倍早く走れませんが……、バーキンと一線を画すのはどんな環境下でも戦える防水、防砂機構とセンサーです。特にセンサーは……」
解説しながらヤスミンは端末をポンポンと叩く。
サブスクリーンでは頭部の紡錘形の内部が表示されると、そこには昆虫の目のような器官が拡大表示され、さらに拡大されると六角形の格子がずらりと並び、同時に浮かび上がった文字の固まり“ゾヌ語記述”が現れた。ゾヌ語が読めるヤスミンがそれを読み上げる。
「この頭部の部分だけでもヤマトンボの目とンヤダク(コウモリ人間)の耳を持ち、人魚のソナー機能まで持ちえています」
「人魚……、水陸両用なのか。そんなことより動力は? 人間の頭脳にあたる情報処理と搭乗者とのインターフェースは?」
ベルディアは目をキラキラさせて、次の説明を待った。ヤスミンは子供のような表情を魅せる彼を見ながら、羊皮紙上に浮かぶキーを叩いた。
「残念ながら正確な動力は不明。普通のDTと同じであれば、人工心臓と筋肉代行管に燃料を通したエンジンです。情報処理には……え……、搭乗者ファーゴ・ダルオンの母親の脳髄がまるまる使われているようです」
「なんだってー! そうか、人間か……、道理でオークの脳では太刀打ちできないハズだ」
「しかし、これはロマニーの教義に反します。そして敵のクストール王国の一般良識にも反する……ことです」
「いや、これでわかった。開発陣はバーキンをベースにしながらそれを越える性能を目指した常識を超えたカスタム機を作ったことは明白であり、敵の次期主力DTのプロトタイプなのだろう。我々も……」
「おやめください! ナルセー卿からそのことについては教義に反すると再三警告されていることではないですか……」
ベルディアは急に自身の頭を乱暴に掻き毟り、瞳に凶暴な色を浮かび上がらせた。ヤスミンをたじろかせるほどに……。
「教義! 教義! 教義! ううーっ、イライラするんだよぉ! ぐずぐずしているとダークネスは量産されるぞ! そうなったら戦況は一変するぞ! ズクやマグ、ザイック、エクストリームをいくらぶつけても敵に倒される恐怖を……、上の軍議のやつらは何一つ知らな過ぎる」
――おそらくベルディア様の頭の中には量産されたダークネスが味方のDTを次々に撃破して、我々の首領イコルス・ナガの住まうドリューゲン要塞に迫る悪夢――を見ているに違いない。ヤスミンは心を痛めた。
(なんとかしなければ、そうだ!)
ヤスミンは無理に笑顔を作り、スクリーンにダークネス制作スタッフ一覧を映し、画面の一角を指差してこう言った。
「ベルディア様、落ち着いてください。ほら、ここに設計者の名前があります」
「読んでみろ」
「主設計者、ヴァン・ナコッツ」
「奇形だと? ペンネームくさいな……」
「副設計者は……、クガル・ダルオン」
「! 我々が今、相対している敵の隊長の名前ではないか!」
「そうです。彼を捕らえることができれば、教義に反することなく、ダークネスと同じ機体を作ることが……、うわっ!」
突然ベルディアがヤスミンをどかしたかと思うと、彼はマイクをむんずと掴んで半ば興奮した口調で命令を下す。
『敵の隊長とおぼしき者を殺すな! 必ず拘束しろ。隊長を拘束し、禁書を発見した者はオークであっても六○○万ゴルの報酬を与えるぞ。さらに敵の黒いDT、ダークネスを破壊すれば二○○万ゴル、破壊せずに捕らえた場合は八○○万ゴルを与えよう! さあ、戦え、戦え、戦え!』
このベルディアの言葉に勇気付けられたオークたちは益々士気が上がり、街中での強奪と殺戮に身を投じていった。
興奮気味のベルディアの後ろでエスノは口をぱくぱくさせてから発声した。
「あのう……ダークネスの弱点は……脚部間接なんですが……」
味方の勝利は確実だったが、今のエスノにとって敵の黒いDTとその中にいる少年は注視するにたる特別なものだった。だが、黒い影がエスノをすっぽりと包もうとする。エスノが上を見上げると、いつの間にかエクストリームごと一隻の戦岩の陰に入っていた。
彼女より高いところを浮遊する戦岩が緑色の牽引呪文をエクストリームに照射し、彼女と彼女の乗っていたDTの回収に取り掛かろうとしていた。
「ファーゴ、再戦の日まで生き残ってよ……」
戦岩の下部ハッチが開き、八本の植物の蔓のような触手が出てきた。エクストリームがハッチに近づくと触手はゆっくりとDTごと彼女を包み込み、そして艦内へ回収された。
[2]
「この戦い、勝てそうだな……。はっははっ!」
不時着したベルディアを乗せた戦岩の操舵室では、司令官の高笑いが響いていた。だが彼は自分の命を狙う存在が、艦内に静かに潜入を試みていることを気がついていなかった。
ベーコンはぼろぼろに破損した鎧を脱ぎ捨てて、軽装のまま未だ燃え続けている炎と煙の中、そして戦岩の甲板に設置された二つのサーチライトの明かりをかいくぐり、不時着した戦岩に近づいた。
敵ロマニー軍の警備兵がわりのオークが戦岩のまわりを警戒し、二人の工作兵が壊れた岩盤の応急処置をしていた。
ベーコンは炭になった木々に隠れ、様子を見ながら考えた。壊れているところは丁度、一人が入れるぐらいの岩盤と装甲が剥がれ落ちており、オークと工作員たちさえなんとかすれば、艦内にいるのは数人の警備兵と魔法使い、オペレーターぐらいのものだ。うまくすれば敵のリーダーに肉薄できるかもしれない。悔やまれるのは、先ほどのオークとの戦いで防衛隊と連絡できる携帯念話機をどこかへ落としてしまったことだった。これでは応援が呼べない。だが一旦、防衛隊本隊と合流しようにも、森にはまだ敵のDTとオークたちがいるし、仮に本隊に戻ってこのことを伝える頃には敵の修理が終わって、戦岩は再び空中に浮かび上がり、リーダーを倒すことが困難になる。
一刻の猶予もなかった。しかし今は敵地には彼しかいない。闇雲に突入しても敵兵に殺されるのがオチだろう。慎重に行動して敵を一人ずつ倒していくしかない。
ベーコンはオークたちの注意を引くために、手近な小石を拾い、一匹のオークの近くにある響石の岩へ向けて投げた。響石とはクストールの国中によく見かける緑色の石で、この世界での楽器の材料にもなる。
ベーコンの投げた小石は、削りだされて加工される前の響石の岩に当たる。すると……。
『コ――ン! コ――ン!』
燃え尽きた森の広場で、場違いな景気のいい音が鳴り響いた。
「ぁ、メシかぁ」
「食いもんだーぁ」
周りのオークたちが、音に反応して響石のまわりに集まってきた。彼らの集落では昼飯時に響石の音が鳴るため、人より知能が低い彼らは食事かと勘違いして、本能の赴くままに音のしたほうに近よってきただけなのだ。
「おい、オークども! どうした?」
一人の工作兵が異変に気がついたが、次の瞬間、彼の肩から胸にかけて戦斧が叩き込まれる。
「げっ!」
もう一人が自分たちの敵の存在に気がついた時には、すでにベーコンと彼が振るう斧の切っ先が視界に入った後だった。
オークたちはまだ響石のまわりに集まったままで、異変を気づかれる様子はなかった。
二つの死体を、炭化した木々の下に隠したベーコンは、自身の巨漢な体を静かに艦内に潜入させた。
[3]
少し時間を巻き戻す。
ファーゴはダークネスを駆り、前線へ戻った。
戦場となった街のあちこちで何かの発射音や、叫ぶように魔法の呪文が発せられ、爆発音が響くたびに家々が瓦礫となって燃え落ちる。
ステルの街の一角で、傷ついた防衛隊の隊員にオークの部隊が群がるところをファーゴのDTの剣が一閃し、数匹のオークたちの胴体がまとめてバラ肉になった。
『ファーゴ! そこはもういい、早く教会に降りた敵DTの迎撃に向かえ!』
「ロトスたちのDT部隊は? どこにもいないんだ!」
『ファーゴ! ロトスたちはもう……、残ったDT乗りはおまえしかいない!』
「なんで……、なんでだ!」
『泣いているヒマがあったら手を動かせ! 走れ! 俺も出る』
「父さん! だめだよ!」
『隊長と呼べ!』
ファーゴは父親との念話機での会話の最中にも、向かってくる敵のDTを袈裟斬りにし、涙を拭い、戦岩から降下してきたDTの胴体へ向けて剣を突いた。
だが、多勢に無勢、ダークネスがいくら活躍しても、ダークネスを除く防衛隊のDTは全滅した事実に変わりなく、ファーゴはたった一人で敵のマグDT部隊と戦わなければならなかった。
やがてファーゴは疲れてくる、と共にダークネス自体も動きがしだいに緩慢になっていく。そこをマグが発射したマジックミサイルが三つも左肩のアーマーに直撃した。
肩のアーマーが損壊し、ダークネスの左腕は生体組織むき出しの状態になった。
「うわっ! わっ」
ダークネスは尻餅をつきながらも、オークたちのいる方向に転がって次々と襲いくるミサイルをかわしていった。
トーチカの中にいたクガルは携帯念話機を自身の耳と口の前、それからボタンがいくつもついた呼び出し機を左腕にセットし、右の義足を一歩踏み出した。それからクガル自身を警護していた三人の少年兵に、街のはずれにある鍾乳洞の警備という新たな任務を与えた。戦えない街の女子供たちは鍾乳洞へ非難していたからだ。さらに負傷した兵もそこへ運ばれていた。
少年兵たちがトーチカから出て走り、夜の爆撃の中、無事に丘を越えるのを見届けるとクガルは早速、左腕の呼び出し機からウィルダムを呼びだした。
「ウィルダムよぅ! そっちにジムたちを送った。一緒に鍾乳洞を守ってくれ」
『前線はどうなっている。私もファーゴと共に戦わせてくれ!』
今は鍾乳洞に続く道を守るウィルダムであったが、彼自身はこの前線から四キロ離れた現場にいることが腹立たしかった。
「そいつはできねえ、おまえは女、子供たちを守り通すんだ! ステルの街は終わっても未来は……、未来だけは必ず守りきってみせろ」
『クガル、ジムたちをこっちに送ったといったな、まさか……』
「そのまさかだ、俺が前線に出る」
『やめろ! 死ぬ気か!』
「ウィルダム……、おまえは防衛隊でないにもかかわらずよく働いてくれた……、歳の取らねえおまえには“人生の引き際”とか“花道”とかには無縁なんだろうが、俺はここまで生きてきて充分なンだ」
クガル・ダルオンの遺言を念話機ごしに呆然と立って聞いているウィルダムの後ろで、夜の闇に乗じて動く四つの影があった。
「あら、ウィルダムさん……。話し中のようね……」
そのとき、雲に隠れていた月が再び姿を見せ、四つの影の正体が明らかになった。
全長三メートルもあろうかという巨大な黒い犬三匹と、彼らを従えた大富豪の娘、ラフィ・エルドリッチだった。
「そぉっといくわよ。アルマーニーはあっち、シャネルはこっちにまわって……。そう、いい子」
アルマーニーとシャネルと呼ばれた巨大な犬はラフィの言うとおりに黙って草むらの中に身を潜めた。
『俺は恨まれてもいいからファーゴをダークネスに乗せたことは正解だと思っているよ。じゃあな』
前線に立ったクガルからの通信が切れた。
「おい、こんな戦場で命を落とすことはないだろう……、なぜだ! なんで私の愛した子たちは……」
ウィルダムが人と何かの気配に気がついて、後ろを振り向くと、巨大な犬にまたがった少女がいた。
少女の顔には見覚えがあったが、その彼女がイワガメの甲羅を胸に留めてミニスカートというちくはぐな軽装戦闘服に剣を腰に下げ、ピンクの髪のポニーテールをなびかせて笑顔をふりまいている。
「ごきげんよう、ウィルダムさん」
「どこに行くつもりだ?」
ラフィは無駄だと思いつつもウィルダムに対してしなを作って、唇に手を当てて媚びるしぐさを作った。
「もちろん、ファーゴ君を救いに。わたし、てっきりウィルダムさんがその役目を受けていると思っていたのに……、二○○年も生きていると臆病風に吹かれるのかしら?」
ウィルダムは喧嘩を売られたと思い、表情が厳しくなり槍を構えなおす。
「君たち街の住民を守るためにここにいるんだ。君はこのまま引き返してもらおう」
「いいえ、家の財産でもある使用人たちが、敵の軍勢に殺されたままで逃げるなんて、エルドリッチ家の恥ですわ」
「来月にもエルダ王国に留学中の君の兄さんが帰る前に、君は……自分の命を失うことになるぞ!」
ウィルダムとラフィの視線が交差した。もしこの場に第三者がいれば、両者の間で魔力と魔力がぶつかり合って火花が飛び散っているさまを見ることになるだろう。
「いずれにしたって、ロマニー軍はここへ攻め上ってくるわ、それにわたしは鍾乳洞の奥で殺されるのをガタガタ震えて待つよりは家にある最後の軍事力を最大限に使いこなしたいし、わたしにはその資格があるの」
ウィルダムは少女がまたがっている巨大な犬を見た。それは人間の住まう世界とは異なる別の世界から召還された地獄犬、別名“ヘルハウンド”という忌まわしき火を吹く犬であった。犬は舌を出し、犬特有の早い呼吸声と共に牙と舌を覗かせたが、年中炎を吹いているせいか牙と舌が黒く、まん丸い目だけが鮮やかな紅色に染まっている。黄金の首輪に“グッチ”と刻印が刻まれている。明らかに飼い犬だ。
「その犬……、ヘルハウンドだな? どうやって手なづけた?」
ヘルハウンドは魔界を離れない。過去この人界に呼び出すことに成功した魔導士もいるが、凶暴すぎて何もない部屋をうろつきながら侵入者に出くわすのを待つ番犬の役しかつとまらないのだ。
「別に……、鍾乳洞に作った犬小屋……、今は負傷した人たちの病室になっているけど……、そこで夜な夜な通っては水浴びとか、この子たちと寝たりしただけよ」
「あ……、悪魔の犬と……。けっ、けがれている!」
「……。年がら年じゅう男の子のケツばっかり求めているあなたに言われたくないわ。もういいから、どいて」
ラフィが右手で髪をかきあげるのと同時にヘルハウンドのグッチが一歩を踏み出すと、すかさずウィルダムは彼女たちの前に回りこんで立ちふさがる。
「おまえにファーゴ君を渡すわけにはいかない!」
「本音が聞けてうれしいわ。けど、時間がないの。アルマーニー!」
「ゲーイ!」
ラフィがそう叫んで右手を天にかざすと、草のしげみに隠れていたもう一匹のヘルハウンドが吠えて、ウィルダムに向けて炎を吐いた。
「うわっ!」
ウィルダムに持たれていた槍形態の“メラム”は襲い来る火炎から主人を守ろうと炎に向けて膨らみ盾のようになった。だがウィルダムが火炎をよけようにも火の勢いは思いのほか強く、メラムが熱に耐え切れずに人間形態に戻り、遂には吟遊詩人のトレードマークであるウィルダムの帽子が瞬時に灰になった。ウィルダムは倒れこんで服についた火を消そうと地面を転がる。
「メラムさん、ごめんなさい! こいつはどうでもいいから、鍾乳洞の人たちを守ってね!」
そう言うなりラフィはグッチの腹をけって、三匹のヘルハウンドは走り出す。ステルの街へと。
後に残ったのは土まみれのウィルダムと、褐色の肌があらわになったメラムだけになった。ウィルダムにとっては屈辱だった。よもやヘルハウンドを三匹もてなずける少女、しかも名門エルドリッチ家からそんな子が現れたことは彼にとって驚き以上の何ものでもない。
「くそっ。メラム! サターン形態で奴を追うぞ!」
「ダ、ダァメ。アタシ……、ヲ嬢サマに勝てない……。アタシ、エルドリッチ家にツ、造られたカラ、ヲ嬢サマ、弱点知ってイる……」
「ならば、私だけでも行くぞ!」
立ち上がるウィルダムだが、メラムはなおも彼に取りすがった。ウィルダムの足にメラムの腕と胸がつくと、急にウィルダムは頭から血の気が引いた。ウィルダムの最も苦手な女性しか持ちえない胸のふくらみの感触が足にふれたからだ。
「ダメ。敵が来る。ご主人サマはここで戦う」
ラフィはメラムの弱点を知っていたが、そのメラムもまた彼女の使い手であるウィルダムの弱点を知っていた。ウィルダムは足がわなわなと震えてしまう。彼の足からジンマシンが全身に広がりかけたとき、彼は思わず悲鳴をあげた。
「ヒィィ! わっ、わかった。戦うから、武器に戻ってくれぇ~」
一方、クガルは両手で持つ炎状の刃の大剣フラムベルジュをかついてトーチカから出撃し、襲い掛かるオークたちを次々となます斬りしていった。
それから、ファーゴに次の指示を送る。
「北の森で生き残ったオンド隊員たちを救い出せ。鍾乳洞まで誘導するんだ。森に辿り着いたら、直接交信しろ。番号は九一三だ」
『森……。ベーコンさんたちはまだ生きているの?』
「残念だが、あいつ自身はもう呼びかけに出ない」
『……。そんな』
ベーコンは念話機を落としていたのだが、親子には知る由もない。
「だが、オンドたち三人の隊員は無事だ。早く行け!」
『了解!』
ファーゴはコックピットの中でクガルが示した地図上にある森の中の水車小屋で点滅する三つの光点を確認すると、再び目をつぶり、ダークネスの視点となって北へ向かって機体を走らせた。途中、戦岩から降りてくる敵の集団を見かけた。彼らは馬に乗り、無骨な鎧を装備した敵の騎士集団だ。二○騎ほどいる。
彼らは森に向かうダークネスを追う気配を見せず、ファーゴの父親のいるトーチカへ向かっていった。
このときファーゴは知らなかった。防衛隊のほとんどが壊滅し、トーチカにいるのはクガル・ダルオンただ一人であったことを。
「豚ども! さあ、来い!」
オークたちが群れをなして一本道の先にあるクガルに向かって突進する。クガルは豚の二足歩行を笑い、挑発する。
「そこでボン!」
一匹の豚の蹄が何かに当たり、爆発する。
「プギィ――――!」
炎が広がりオークたちが悲鳴をあげて焼かれていく。
クガルはトーチカの周囲の路地のあちこちに地雷や魔法爆雷を仕掛けていた。
二機のマグがトーチカに向けて火炎放射を開始した。クガルは手元の呼び出し機のひとつのボタンを押した。
「ピン」
トーチカの覗き穴から熱源に向けて自動的に魔法の杖が向く。
「ポン」
魔法の杖から一条の光線が放たれた。光線は一機のマグが持つ火炎放射器に命中する。
「パン」
瞬時に放射器が爆発して、放射器を持っていたマグは胴体から上がなくなり、隣にいたマグも爆発を受けて右肩から胴体が燃えて倒れこんだ。
「全く、なんで敵のDTはこうも脆いのかね」
次に敵の騎士集団が馬に乗ったままトーチカに向かってくる。
クガルはトーチカの中に戻り、ハシゴを登って、魔法の杖のある部屋に入ると、杖を取って光線を連続発射した。先頭の三騎に命中したが、騎士たちはなおも突進して、トーチカの周囲にある家々に取り付くと、馬の上から屋根によじ登りはじめた。
「どうやら、豚たちよりも脳みそがありやがる」
さらに家々の屋上からトーチカに向かってくる敵に向かって、杖から光線を連続発射したが、五人ほど倒したところで、杖の先端のレンズ部にひびが入り、八人目を倒したところで、もう杖を振っても何をしても光線が出なくなった。
「高かったのに、これで打ち止めかよ」
敵の騎士はまだ七人いた。
そこに突如叫び声が聞こえた。
『オジサン! いま助けるからね!』
と、聞き覚えのある少女の叫ぶ声が聞こえたが、まさか戦場のど真ん中に彼女はいるハズがない。
「幻聴が聞こえるなんて、俺もヤキがまわったぜ」
クガルはこの声を幻聴と断じて無視することにした。
敵の騎士たちはトーチカから光線が出なくなったことを確認すると、トーチカに向かって走り出した。
「くそっ!」
クガルは呼び出し機の赤いボタンに手をかけた。
彼は家々にしかけた爆雷全てを爆破させたのだ。騎士たちは爆発の炎にくるまれ家々ごと炸裂する。
「家のローンが残っているザワトカさんには悪いが、俺はまだまだ敵を道連れにしなきゃならないんだ」
だが、爆発の炎は予想以上に大きくなりトーチカに迫る。
「流石に全部はやりすぎたぁ!」
クガルは慌てて伏せた。
視界が真っ白に染まっていく。
ファーゴの乗ったダークネスは敵のDTや、オークの集団を斬りながら森に辿り着いた。
さらに森の木々を切り倒し、防衛隊の三人が残る水車小屋まで歩き始める。ダークネスの限界……四時間ある戦闘可能時間が近づいている。極力、無駄な動きは避けなければならない。ファーゴはダークネスを歩かせながら、水車小屋にいるオンドと交信しようと念話機のチューナーを合わせようとした。
「確か九一三だったな」
羊皮紙上に浮いた青く光る数字を合わせて、実行ボタンを押す。数秒の呼び出し音ののち、オンド隊員が出た。
『はい』
「オンド隊員ですか? ファーゴです。助けにきました」
『ファーゴ? 隊長の息子だったおかげでDT乗りになれた奴か』
ファーゴは少々、ムッとしたがこれからDTで水車小屋に行くということを告げると通信を一度切った。
ふと彼は地図上にある森の中の水車小屋で点滅する光点を確認する。
「――?」
数分前まで三つあった光点、隊員一人一人に支給されている携帯念話機を耳に付けたときに血の流れをはかり、隊員の生存を確認するための赤い光の点が今は二つしかまたたいていない。まさか通信に出ていないルルゥ隊員かディスカ隊員のどちらかの念話機が壊れたか、あるいは……。
ファーゴはいやな予感で胸がいっぱいになる。
[4]
「なんだと? エクストリームを回収したというのか?」
ステルの街に入った戦岩の艦長、白髭のグラーフからの報告を聞いたロマニー軍第五艦隊司令官ベルディアはひどく狼狽した。
敵のDTと共に自爆させたはずのエクストリームとエスノが味方に回収されたからだ。
ベルディアは頭を抱えそうになった。
エスノがどのような行動をとるかが、気がかりだ。もしも自分の上官であるザンギュラ将軍に事が知れたらと思うと、いてもたってもいられなかったが、そこは部下の手前、平静さを装うしかない。
「それで、エスノは無事なのだろうな?」
『エスノ様はどうも敵のDTの攻撃にあってから、頭を天井にぶつけてしまい記憶が飛んでおるようです。現在、医務室で休ませています』
どうやら自分の不安は杞憂に終わったようだと、ベルディアは安堵した。グラーフは自分より若い司令官のその表情を恋人が救出されたことに喜ぶ青年と勝手に解釈して微笑ましく思った。そして若い司令官は彼の想像通りの言葉を発した。
「グラーフ。礼を言う。よくぞ私の可愛い秘書を救出してくれた」
『めっそうもありません。……ん?』
グラーフ一人が映っているスクリーンの中に彼の副官ゾノが突然割って入り、何事かを耳打ちした。グラーフは何度か頷き、眼球カメラの向こうにいるベルディアを見てこう報告した。
『司令官殿! 敵の隊長クガル・ダルオンが出てきました! 噂通りの鬼神のごとき剣技で、既に我が部隊のコナギをはじめとした八人の剣豪と三十匹ちかくのオークが斬られました! 援軍を……、急ぎ援軍をお願いします!』
「なんだって! よし、そちらにバークレイとポーラの部隊を向かわせる。こちらも艦に残らせたDTを全機出撃させる。それまで持ちこたえてみせろよ!」
ベルディアはグラーフとの通信を切り、グラーフと共にステルの街の上空に入った戦岩の艦長たち……、バークレイとポーラを同時に同一のスクリーン上に呼び出し、敵の隊長クガルの捕縛を命じた。バークレイはクガルの名前を初めて聞いた途端に狼狽していたようだが頷いた。
『クガル……、敵の隊長を……、必ず捕らえてごらんにいれます』
だが、艦長兼、女魔導士のポーラだけが紫色の顔を歪ませて言い渡された命令を不服に感じていた。
『なぜ、“殺す”ではなく“捕縛”なのですか?』
「なぜ、だと?」
『そうです。兵の命を預かる指揮官ならば、手心が加わる捕縛ではなく、“殺せ”とお命じなさるはず。それに私の部下はグラーフとバークレイの部下たちのような筋肉バカではなく、攻撃魔法専門の華奢な女の魔法使いとDT乗りばかりで……、手心というものを知りません』
『き、筋肉バカだと? 今の発言、訂正していただきたいものですな』
筋骨隆々とした上半身裸に腰箕とブロードソードを下げた、ひと目で蛮族の男と知れるバークレイが怒ったが、ポーラは赤いローブに包まれたマスクメロンが二つ入ったような胸を揺らして軽くいなした。
『あら、もうひとつ“性欲旺盛な”の修飾語を付けるのを忘れておりましたわ。一ヶ月前に数人のお宅の部下がウチの女子寮に侵入しようとして……、逆にケシズミになった事件は……、もうお忘れになりまして?』
『きっさまぁー』
「二人ともやめろ!」
危うく蛮族と女魔導士の罵り合いになるところを止めたベルディアは、なぜ敵の隊長を捕縛しなければならないかをかいつまんで両者に話し、ポーラには敵残存兵力の掃討と、街の住民たちが避難したという鍾乳洞への攻撃という新たな命令を下した。
『わかりました。我々の部隊……、DTと魔法使いたちを鍾乳洞へ向かわせます』
ポーラがスクリーンから消えた。残ったバークレイは首を捻って小言をつぶやく。
『信じられない……、あのクガルがなんで? それよりもその禁書って……、本でしょ? そいつのありかとダークネスっていう黒いDTの作り方を知っているのが、あのクガルで……信じランねェ……』
「いいから、おまえはさっさと行動しろ!」
ベルディアはバークレイが敬礼した瞬間を見て取って通信を切った。
どうやら女魔導士が理解できる話が、蛮族の男にとってはさらに混乱のタネになってしまったようである。やはり彼は筋肉バカのようだ。
頭を抱えながらベルディアは艦内に残してあった四機のDTマグをステルの街に向かわせるよう命令した。
ロマニー軍主力DT、マグ四機は戦岩の上部ハッチから艦内の浮遊呪文を唱えることの出来る魔法使いの助けと、新人整備員の怪力を借りて出撃した。
『なあ、ボブ』
『なんだ。任務中だぞ』
ステルの街に向かうマグの操縦者エイはふと脳裏をよぎった疑問を相方に投げた。
『いや、あんな海坊主みたいな整備員、ウチの艦に居たか?』
『居たんじゃないの。おまえが見ていないだけでさ』
『それにこのコックピット内、異様に血の匂いが充満しすぎているんだ。換気が間に合わない。本当に整備員が鼻血を出しただけなのか?』
『何を言っているんだ! ぐずぐすしているとベルディア様が文字通り雷を降らしてくるぞ!』
『いや、そうだった。くわばら、くわばら……』
『エイ、本当のところこの作戦に気乗りしないのは俺も同じだ。なんたって二年前まで同じ釜のメシを食った仲間とその息子さんを……場合によっては殺すことになるんだからな』
『……そうだな。これも傭兵の因果な商売だと割り切るしかないさ』
『ああ……』
DT乗りのボブは後ろの戦岩の中から男の悲鳴を聞いたが、気のせいだと自分に言い聞かせてステルの街へ向かった。