39 僕の愛する義妹は _セシル=シルヴェスター_
僕は8歳のあの時まで、義妹が苦手だった。嫌い、と言ってもいい。我儘な言動、身分の低いものを見下した態度。一般的な上流階級のそれとはいえ、常にお高く止まった表情や対美形に対する媚びるような視線も実に不愉快で、お茶会で触れる令嬢の視線と同じということにうんざりとしていた。
そんな彼女が熱にうなされていると聞いても「ああそうなんだ」としか思わなかった僕がわざわざお見舞いに出向いたのは渋々だった。父上に「お前もお見舞いに行けばエミリアが喜ぶ」と半強制的に行かされたのだ。
行ってみると彼女は何故か1人でうんうんと百面相を繰り広げていた。難しそうに眉をひそめ頬を膨らませているかと思えば、憂鬱げに溜息をつき、怒ったような表情からの唐突なにんまりとした笑顔、何かを思うような柔らかい笑顔を浮かべたあとの
「しんでもいい………っ」
彼女がどういう思考回路の末にその結論にたどり着いたのかは知らないが、どこか満足そうな愛らしい笑みに言葉を失った。しかしすぐにエミリアははっとしてまた難しい顔で何かを考え始めた。僕のことには未だ気づいていないようだ。暫くうんうん唸っていたがやっと解決したようで決意のこもった表情で拳を握ったあと、奇妙に笑いだした。若干怖かった。
エミリアの様子がおかしいとは父上に聞いていたものの、ここまでとは予想していなかった。記憶喪失も疑ったが、僕のこともしっかり覚えているようだから違うようだ。元からこんな変な子だったか…?と回想するも答えは否だ。僕が苦手とはいえ中身は典型的な令嬢だったはず。今の彼女は…変わり者でどこか抜けていて、百面相が見事で行動が読めない令嬢もどきだ。令嬢と言うよりは令息の方が正しい気もしてきている。
彼女はそのあとも武道をやりたいと言い出してみたり、女の人を片っ端から口説いてみたり人助けに精を出したりと、やっていることは粗方普通の令嬢とは違う。どうやらこの妹、相当のお人好しのようで新人メイドがお皿を目の前で割ったら「お怪我はありませんか…?ああ、美しい手が怪我すると悪いです。私が片付けましょう」と率先して割った皿を片付け、メイドを惚れさせるのだ。
男前といえばいいかなんというか。階段を踏み外しそうになった彼女を僕が助けようとしたら逆に抱きとめられて「大丈夫ですか、お兄様」と聞かれたことは正直黒歴史だ。デイヴの「お嬢様が守らせてくれない」という愚痴の頻度も年々増えてきている。
…しかし、そんな彼女が、たまらなく愛しいと思えるようになったのもわりとすぐだった。妹…いや、いつかは妻に、と望むようになった。謎に男前でお人好しで変わり者な彼女だが、それでいて可愛くて明るくて前向きな彼女に惹かれたのだ。まるで今まで出会った令嬢と違う彼女に。
とはいえ。…守らせてくれない武道を極めた強い彼女だが、こと恋愛方面に関しては果てしなく鈍感で、それでいて無防備なのだ。
彼女のその姿はやはりそれ以外の男も引き寄せてしまうようで、ミシェル王子とアレン王子という2人を筆頭に僕の親友であるロゼや何故かその妹のクレア、それ以外にも上げればキリがないほどに好意を持たれているようだ。ちなみにお茶会では綺麗な美貌を持つ彼女に声をかけたがる男も沢山いるようだが僕とアレン王子で特別に手を組み牽制して回っている。
デイヴも彼女にただならぬ好意をもっているのはわかっているが、いつまでも幸せそうな彼女と一緒にいられればそれでいいという彼に「僕が彼女を捕まえればずっとエミリア仕えにしてもいいよ」と提案したところ僕への協力を快く了承された。僕がいない間は手の早い悪い虫を代わりに追い払ってくれるに違いない。
そう。
僕のいない、間…。
「はぁ…」
「……セシル、どうかしたのか」
エミリアから届いた手紙とデイヴから届いた報告書を抱えてため息をつく僕の背後から声がかかった。小さな頃からの親友であるロゼだ。
ついでに言うなら今は生徒会中。勿論エミリアは側にいない。
「…エミリアが…アリスとやらに惚れてるかもしれない…って…」
「アリス…?あの少女、か…」
何やら覚えのあるようなロゼに勢いよく食いついた。「近い」と押し返されたがエミリアの惚れているらしい相手のことを知っているなどと聞けばやむをえまい。
ロゼは1人でしばらく何かを考えたあと「まあいいか」と声を漏らし、短く説明をした。
「アリスは確か、お忍びで出かけた街で出会った平民の少女だ」
「平民の少女だと!?」
平民の少女…前々からもしかして彼女は女が好きなのではないか?と危惧はしていたもののいざ現実に直面すると正直厳しい。
「エミリア…」
「……え、っと、セシル…」
「はぁ…」
「セシルっち♪どーしたん?」
遠慮がちに声をかけてくるロゼの声も届かず落ち込んでいると後ろから突然の衝撃。振り返るといたずらっぽく笑う同学年の生徒会役員であるメレディス=スタンスフィールドが抱きついてきていた。
「メレディス…お前な…」
「えー?なになに?メルって呼んでいいんだよ??」
「距離近いんだよ」
そういって全力でジャブをかましてみたがするりと避けて暴力はんたーいとケラケラ笑った。相変わらずしゃくにさわる。
「もしかして例の妹ちゃんのこと?」
「やめろ。妹が減る」
「だから話してもエミリアは減らないだろう」
「減る。特にメレディスには」
「あっはは〜!警戒強すぎじゃん〜?」
軽い口調で笑いながら手をひらひら振って去っていくメレディスに苦虫を噛み潰したような声で「どこへ行くつもりだ」と声をかけると「んー、僕を呼ぶ可愛い子猫ちゃんのところかな?」と呑気な返答が返ってきた。本気で殴り飛ばしてやろうかと思った。
メレディス=スタンスフィールドは常に態度が軽くのらりくらりとしているが、憎らしいほどに優秀な人間だ。僕、ロゼに続き学年で3番と言われているがどの試験でも毎回点数変わらず900点満点で888点をとっている、といえばわかるだろうか…そう、多分手を抜いている。本人にそう言っても「えー、本気でやってるよ〜?」といって笑うだけで相手にされないのもさらに憎い。
見た目もよく運動もでき、女子にかなりの人気らしい。それも僕達と違い軽く色々な女子と遊んでいるらしいと噂が絶えない問題児なのだ。まあ、男とも何故かスキンシップが盛んなのだが…。
「セシル…いい加減機嫌を」
「…ちっ…妹が減る…」
別に妹にさえ手を出さなければいい。だが彼がエミリアに強い関心を持っているようにしか見えないことが気になるのだ。
…絶対にあいつの手を振り払うためにも、生徒会入りが必須となったのだ。例え妹への手紙を書く時間が減ろうとも。ストレスが溜まっている僕は密閉袋にエミリアの手紙を入れ大事に保存しながら若干乱暴に雑務の書類を開いた。メレディスが処理するはずの書類をどうするかと目を通すと全て既に処理が終わっていた。尚更腹が立ち、ティーカップのお茶を一気飲みすると、自分の分の雑務を開始した。
「…ふーん、エミリアとアリスがこの時期に交流…しかもエミリアが好意的…ねぇ…」
一方その頃、メレディスは1人屋上で呟く。ふぅ、と吐いた息は長くどこか物憂げな様子。さらりと蜂蜜色の長めの髪が頬を撫でた。
「随分と違うこともあるものだ」
生徒会室へ仕掛けておいた盗聴器の電源を切ると小さくあくびをしてそのまま眠りにつく。暖かな風がメレディスを通り過ぎていった。




