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水彩画の中の君へ  作者: 昼夜
8/10

八話

新しい冬がきた。


突き刺すような寒さに顔を悴ませながら、修斗とスズは荘厳な建物の前に立った。こんな仰々しい建物に入るのは社会科見学以来だ。

ここでいつも有名な絵画の展覧会なんかが行われているらしい。


修斗とスズが描き上げた水彩画『渓流の黒幕』は二度の予選審査を通り、ついに本戦まで辿り着いた。

見事入賞した作品たちは、この建物の一番目立つところ、つまり入り口付近に展示されているという。

なんか受験の合格発表みたいだ。


それにしても、まさか本当にここまで来れるとは思わなかった。


このことを告げた時、親は眼が飛び出そうなほど驚いていた。子供の頃から無気力で、ついに学校にも行かなくなった息子のことを半ば諦めていたらしい。


部屋中にあったゲーム機を売り飛ばして、急に画材を揃えはじめた時は気でも狂ったようにみえただろう。

それが突然水彩画のコンテストで入賞候補になったんだから愕然とするのも当然だ。


久々に痛快な気分を味わっている。

もし最優秀賞なんて取っちゃったらどうなるだろう。



きっと世界が変わる。


少なくとも、自分を取り巻く鬱々とした世界は変わる。負けてばかり羨んでばかりの人生が、生まれ変わったように輝きだすだろう。

そしたらきっと、この捻くれた性格も少しはマシになるかもしれない。


修斗は振り返った。

スズは地面に座りながら、修斗を見つめていた。


頷くと、スズも頷き返した。


期待に胸を躍らせながら、修斗は会場に足を踏み入れる。その瞬間を、スズと共に迎えられないのは残念だ。彼女は猫だから建物には入れない。


目を瞑り、淡い期待を胸に歩んでゆく。


静謐な空間は、かすかに金木犀の花の香りがした。

ゆっくりと目をあける。


ロビーの壁は、色とりどりの水彩画で彩られている。


第19回水彩画ティーンコンテスト最優秀賞授賞。『夜』。


花飾りの装飾のなされた看板の横に、一枚の水彩画が飾られている。幻想的な夜の草原で、一人の少年が焚火をしている水彩画。星空の描写が見事で、修斗は思わず感嘆の声をあげた。


その横には、水彩画とは思えないくらい鮮明な線で描かれた街の風景の絵が飾られていた。


『始まりの街』と書かれたプレートの横に、優秀賞と書かれた紙が張り出されている。

数々の水彩画の美しさに、修斗は自分の絵のことを忘れそうになるほどだった。


しかし、はじからはじまで歩いてみても修斗の絵は見当たらない。


どうやら、入賞はできなかったみたいだ。


修斗は苦笑した。

そう簡単にいかないことは自分がよくわかっている。

はじめて一年も経ってないし、まだよく絵のことも知らない。


なのに、何故だろう。

胸を締め付けるような悔しさが途端に溢れだした。


修斗は口を真一文字に結びながら、館内を歩き回った。


「あ」


審査員特別賞。『渓流の黒幕』


「俺の絵だ!」


修斗は思わず叫んでしまった。

絵を鑑賞していた人々が好奇の目で修斗をみている。

恥ずかしくなり、思わず俯いた。


赤い絨毯を見つめていると、どこからか上品な香水の香りが漂ってきた。


「その絵。君が描いたのかい?」


顔をあげると眼鏡をかけた老紳士が微笑んでいた。

銀色の顎鬚を蓄えていて、どこかの大学の教授みたいな風貌をしている。


よくみると、黒いジャケットの胸のあたりに××美術大学準教授という名札がつけられている。

進学に興味のない修斗でも名前は聞いたことがある大学だ。


「は、はい。一応僕が描いた絵です」


教授は修斗の言葉を無視し、『渓流の黒幕』を見つめた。

眼鏡の奥の瞳は若者のように輝いていて、何かを見透かしているようだ。


「なかなか面白い絵だ」

「面白い、ですか?」

「ああ。水の描写は繊細で、様々な技巧的手法がとられている。たらしこみやぼかしの加減が絶妙だ。それに引き換え、この中心の魚の絵は少々直情的にすぎる。線をはっきり書きすぎかもしれないな」


教授の推察を聞き、修斗はギョッとした。

全てこの人の言う通りだ。

鈴音の模写から絵の世界に入ったとは言え、鈴音と修斗の描く線はやはり違うものになっていた。


経験を重ねていくうちに、修斗は自分独自の癖を身に付けていたのだ。


『黒幕』のはっきりとした描き方は、まさに修斗の癖が表面化したものだった。


「不思議だ。私には、この絵は異なる二人の人物が描いたようにしか思えない」

「......はは、そんなこと」

「だが、この絵にはそれを否定する要素もある」


教授は滔々と語りを続けた。


「全体的な統一感が感じられるのだ。水と魚、対照的な描き方をされた二つの被写物が、互いに心を許し合うかのように協調している」


修斗は顔を引き攣らせた。

この人、審美眼ありすぎ。


「私の推察を言った上でもう一度きこう。この絵は本当に君ひとりで描いたのかい?」

「......」


修斗は一瞬頷こうとして、すんでのところで思い止まった。ここで嘘をついたら、鈴音を裏切ることになる気がした。


もし本当のことを言って非難されたとしても、それは仕方ないことだ。

やっぱり友達には嘘をつきたくない。


「いえ。本当は友達と一緒に描きました。先生のおっしゃる通り、水を書いたのが友達で魚が僕です」


修斗は俯いた。

教授は顎髭をさすりながら、小さくなっている修斗を見つめた。

そして、すぐに相好を崩した。



「そうか。ならば特別賞の景品を二人分用意しないといけないな」

「え?」


修斗は顔を上げ、意外そうな表情で教授を見つめた。


「魚心あれば水心。君たち二人の絵は見事に親しみあっている。どんな事情があろうとも、作品の価値は不変だ」


教授は修斗の肩に手を置き、優しく叩いた。


「将来が楽しみだな!」


そして、豪快な笑い声を画廊に響かせながら去っていった。



残された修斗は両手をあわせ、ただひたすら頭を下げた。こんな菩薩みたいな大人は初めてだ。

世の中、まだまだ広いんだな。


帰り際、受付をたずねると、本当に二人分の景品がもらえた。あのおじさんはやはり相当偉い人らしい。そして粋すぎる。


受付いわく、あくまで特別賞ということで別日の表彰式には出れないが、絵は暫くの間展示されるということだった。自分の絵が知らない誰かに見続けられるなんて、気恥ずかしいけど夢のようだ。


早くスズにも教えたい。

きっと飛び上がって喜んでくれる。


修斗は寒空の下、二人分の画材セットを持って意気揚々と美術館を跡にした。


しかし、スズはいなかった。

先に小屋に帰ったのだろうか?



「ただいま! やー、寒いね今日も」


勢いよく開けると、ドアが外れた。


「あっ、やべっ。またやっちまった......おい、スズ。いい加減このドアなんとかなんないのか?」


修斗が笑いかけると、スズの気怠げな声の代わりに、木枯らしの吹く音が窓をならした。

いないみたいだ。


明日はパーティをするから出かけるなって言ったのに。しょうがねえなあ。

まあ、どうせすぐに帰ってくるだろう。

散歩かなんかにでてるだけだ。


太陽は西に沈みかけ、朧月が顔を出す。

まだスズは帰ってこない。

修斗は壁にもたれ、瞼を閉じて考えた。


おかしい。

もしかして、散歩の途中で車に轢かれたのか。

あるいは保健所に送られた?

いずれにしろ、行くあてのない彼女が長時間帰ってこないのは珍しいことだった。


修斗は携帯電話の番号を押そうとして、やめた。

自分にわからないのに他人にわかるはずない。

一つ可能性があるとしたら家族のところだろうか。


響にメールを出してみると、スズは来ていないということだった。同時に、コンテストはどうだったか聞かれたがなんとなく無視してしまった。

まだ誰にも教えていない。


スズはどこに行っちまったんだ。

街から山まで、あらゆる所を探し回ったけどスズはいなかった。


言い知れぬ不安に胸を圧迫されながらも、修斗は帰路につかざるをえなかった。



明日も、その次の明日も、その明日のさらにあさっても。



スズが帰ってくることはなかった。

修斗の心には、憤りと悲しさが同居していた。

結局、まだ誰にもコンテストの結果を伝えていない。

親も鈴音の家も変な気を遣ってるのか何も聞いてこなくなった。


なんでだよ。


なんで帰ってこないんだ。俺が何かしたのか?

馬鹿だし性格も頭も悪いから、そういうことは言ってもらわないとわからない。

頭の中がこんがらがりはじめた。


気分転換をしようと絵筆を握ってみた。

でも、全く何も思い浮かばない。


その時、修斗は気付いてしまった。


自分があれだけ沢山絵を描いていたのは、賞を取るためじゃない。初期衝動に魅せられたからでもない。

鈴音の人生をなぞるためだけでもなかった。


あいつに、スズに認めてもらいたかっただけなんだ。


スズを少しでも唸らせるだけで、修斗は心から喜ぶことができた。心を満たすことができた。

自分の存在に意味を見出すことができた。


そのために絵を描いていた。

それだけだった。

それさえできれば他には何も望まなかったのに。


空っぽの小屋の中、修斗は倒れこんだ。

川が流れる音だけが聞こえる。それも、徐々に意識のフィルターの外に弾かれて消えていく。


混濁する意識の中、ぼんやりと鈴音の笑う顔がフラッシュバックした。



そうか。

あいつ。

本当に死んじゃったんだな。


あいつとしか分かち合えないことが沢山あるのに。

どうすればいいんだろう。


修斗は鈴音が亡くなって以来、はじめて涙を流した。

それでも、彼女が戻ることはなかった。

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