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水彩画の中の君へ  作者: 昼夜
3/10

三話

土曜日の朝。

修斗はベッドに仰向けで寝転がり、天井を見つめた。

天井のシミとシミが繋がって人の顔に見える。


死んだ鈴音の部屋でみたあの未完成な水の絵。

あの絵の真ん中には意味深な空白があった。

そして、猫になって現れた鈴音。


何かこの世に心残りがあるとしたら、きっとあの絵を完成できなかったことに違いない。

その後悔で成仏できずに猫に取り憑いてしまったのなら辻褄が合う。


だとしたら、俺にも責任がある。

実現できもしないことを安易に吹聴した責任が。

怪魚『黒幕』のことだ。

きっとあいつは、絵の真ん中に『黒幕』を描きたかったはずだ。


さよならも言わずに旅立った友人。

その友人が叶えたかった願いがあるとして、それを自分しか叶えてやれないとしたら、何もしない理由があるだろうか。


「......やってみるか」


修斗は起き上がり、まだ新品のゲーム機と携帯を持って街へ買い物にでた。



白い水彩紙は机に広げると、予想以上に大きかった。まともに絵を描くのなんて小学校の図工の時間以来だ。絵の具と水の分量のバランスがわからず、全く思い通りの濃度にならない。


「わかんな」


つい独り言を言ってしまう。


絵の構成を考えてみる。

何をどう描けばいいのか全くわからないが、とりあえず記憶の中にある鈴音の絵の通り書いてみることにした。


透かした群青色で水を描き、くっきりとした緑で水草を表現する。しかし、細筆の使い方が下手くそなせいで青でベタ塗りしただけになってしまった。


水の色のムラがありすぎて、鈴音の絵のような透明感が感じられない。


修斗は水彩紙を掴み、くしゃくしゃにした。

手の平にべっとりと絵の具の色がうつった。

締め切りに追われる漫画家の気持ちが今ならよくわかる気がする。


少しでもうまくいかないと、最初から全てやり直したくなってしまう。

人生と近いものを感じる。


失敗の紙きれだけがたまっていき、明るかった日差しはいつのまにか宵闇に染まっていた。


「できた! あああ......やっと終わった」


まるで一仕事終えたサラリーマンのように、修斗は背筋をぴんと伸ばした。時間をかけただけあって、なかなか丁寧な仕上がりになった。


自分で言うのもなんだが、部屋に飾られていても違和感のない絵だ。修斗は完成した絵を何度も見返しては変な笑みを浮かべた。



楽しかったな。


なんだろう、この感じ。

自分で全て決めて描いてもいいというのが、新鮮だった。


とにかく早くあいつに見せたい!

そう思った瞬間、修斗は気を失ったように倒れ込み、深い眠りに沈んでしまった。



日曜日の早朝。

スズが河原で欠伸をしていると、ユニフォーム姿の俊太が一人できた。

彼と二人きりになるのは最近では珍しい。


「よ、スズ。おはよう」

「おはよう。これから部活?」

「ああ。部活の前にスズに会ってこうと思って」


俊太は重たそうなエナメルバッグを地面におき、大きな石の上に座り込んだ。

目の前にみえる太ももは鍛え上げられていて丸太のようだ。少し前まではもやしだったのに、いつの間にかボンレスハムになっていた。


「最近忙しそうじゃん。修斗が寂しがってたよ」

「まあ俺も色々あるからな。部活もあるし、他にも色々と」

「ふん、何よ。彼氏でもできたの?」

「バカ、それを言うなら彼女だろ。そんなことより、これプレゼント」


俊太は露骨に話題を変えようとした。

どうやら、スズの勘はまんざら外れでもないらしい。どうりで忙しいわけだ。


人は生きてる限りどんどん新しいものを得てゆく。

そして、それにつれて古いものはどんどん奥の方へ押し込まれていく。


寂しいことだけど、生きてく以上は仕方ない。変わらない関係なんてドラマの中だけだ。

俊太は、いや修斗でさえも、私は最優先の遊び相手ではなくなってゆくのだろう。



「なにくれるの? 鯖缶?」

「鈴付きの首輪だよ。これをスズの首につけよう。他の猫と区別つけたいし、野良猫だと思われて保健所送りにされたら困るだろ?」

「はえー、気が利くやん。流石リア充は違うね」


冷やかしは無視して、俊太は私の首に鈴付き首輪をつけた。

ついでに頭を撫でられると、なんだかペットにされたみたいで複雑な気分になった。

まだ野良でいたかったのに。なんて。


「......話変わるけどさ。スズ、この前逃げたよな。お前のお母さんに見つかった時」

「え? そうだっけ?」


スズははぐらかした。

俊太はどことなく物悲しそうな顔をしている。


「いや、別に責めてるわけじゃないんだ。ただ、なんでかなって思って」

「理由なんてない。ただ、あの場にいたくなかっただけよ」

「率直に聞きたい。あの日スズに、いや、鈴音に一体何があったのか。いきなり死んで葬式にも呼ばないなんて意味不明すぎるよ。鈴音、本当のところお前はどうして――」

「あんたには関係ないでしょ」


スズはきっぱりと言い放った。

それと同時に、全身の黒毛が逆立ち、尻尾がぴんと立ち上がった。低い唸り声が喉の奥から漏れている。

怒りつつ、スズはすぐに後悔した。


ああ。

俊太が悲しそうにしている。

あたしのことを想ってくれているのに。

怒りっぽい性格の自分が大嫌いだ。

悪いやつだな。私。死ねばいいのに。


その時、自転車のベルが鳴る音がした。

見上げると橋の上に修斗がいた。


「おっすお前ら〜! いやあ、今日もいい天気だなあ。まるで俺の一日を祝福してるみたいだぜ」


空気の読めない男の登場にスズはため息をついた。


修斗はあっというまに河原へ降りてきた。

何やら大きな鞄を背負っている。


「よう、俊太。これから部活か? ご苦労だな」

「お、おう。修斗こそ、今日は無駄に早起きだね」

「ああ。スズに見せたいものがあってな。きっと腰抜かすぜ」


そう言うと、修斗は大きな鞄の中から巻かれた一枚の紙を取り出した。

そして、それを広げるとまるで子供のように見せびらかした。


広げられた紙を見た瞬間、スズは言葉を失った。

そこに描かれていたのは、自分が死ぬ寸前に描いていた絵の続きだった。

細部は違うが、構図から配色までほとんど同じだ。


ただ一箇所、大きく違うところがある。



「これ......あたしが描いてた......」

「そうだ。うまくコピーできてるだろ?」

「あたしの絵、勝手に見たの?」



スズの声は少しだけ震えた。

絵を見られたことの恥ずかしさと、修斗が絵の続きを描きあげたことに対する複雑な気持ちが混じった。


初めて描いたにしてはなかなかの出来映えだ。

ここまで辿り着くのに、私は何年もかけた。


「上手いじゃん! でも、この真ん中の黒い魚はなんだ? これは鈴音の絵にはなかったと思うけど」


俊太は首を傾げた。

修斗が描いた絵には、確かに鈴音の絵には描かれていなかった魚の絵が加えられていた。


「ああ、それは『黒幕』だよ。俺が付け加えたんだ。俺、考えたんだ。なんで鈴音が猫になったのか。たぶん、この絵を完成させられなかったからだろ」


絵の中心に描かれた大きな黒い魚は、見たことのない形状をしていた。


恐らく魚の図鑑でも見ながら描いたのだろう。ポージングが若干不自然だ。

周りの風景と比べるとそこだけ浮いていて、絵全体を嘘くさくしている気がした。


「これ描くの本当に時間がかかったんだぜ。土曜日をまるまる潰したからな。特にこの黒幕の尾ヒレが――」

「だめね。全然。こんなんで私の絵を完成させたつもりにならないで」


スズがきっぱりと言い放つと、修斗は少しムッとした顔をした。


「そんな言い方ないだろ。お前のために一生懸命描いたのに」

「誰も頼んでないし。あんたが勝手に描いたんでしょ」

「まあまあ二人とも落ち着いて。修斗、俺はこの絵嫌いじゃないぜ」


俊太は苦笑しながら睨み合う一人と一匹の間に割って入った。


「でも、スズの言いたいこともわかるよ。黙っててごめんな。俺と修斗が勝手にスズの絵を見たこと」


まるで孫の兄弟喧嘩を取り持つ祖母のように、俊太はどちらの肩も持つような態度をとっている。

スズは俊太のそんな大人っぽいところが羨ましくて、同時に苦手だった。


時には怒りをあらわにして、ぶつかり合わないと本音を分かり合えないと思うからだ。

その点、修斗はうざったいくらい真っ直ぐだ。


「スズ。はっきり教えてくれよ。この絵のどこがダメなのか、猫でもわかるように具体的に!」


修斗は絵をスズの目線に合わせながら、挑戦的な顔つきで言った。

スズはそれを一笑に付し、少し考えてから口を開いた。


「いいよ。チンパンジーでもわかるように教えてあげる。まずこの川、水色を重ね塗りしすぎて色が濁ってる。次に河原。灰色とか黒とか色々な絵の具を使ってるけど、ところどころ汚く混じってるよね。ちゃんと乾かしてから別の色を塗らないとだめ。他には――」



修斗はおでこに手を当てて首を横に振った。


「あー、待って待って! 降参だ。降参。お前の言ってること、よくわかんないけど全部正しいように聞こえるよ......」


修斗は下唇を噛みながら、広げていた絵を畳みはじめた。

そしてこともあろうに、紙を折り曲げてくしゃくしゃにし、川に投げ込んでしまった。

俊太は驚きながら、悔しがっている修斗を宥めている。


その様子をスズはただ口を開けて見つめていた。


「何もそこまでしなくいいのに......」

「いや、いい。また描くから。今度はスズの度肝を抜くような、とんでもない作品を描いてやるんだ」


そう言うと、修斗は鞄を背負って二人に背を向けた。


「ちょっと待って修斗。まだ肝心なことを指摘してないんだけど」

「え、何だよ?」


スズは修斗の目の前に歩み寄ると、尻尾をふらふらと揺らしながら言った。


「『黒幕』はさ。やっぱり図鑑で見つけた適当な魚の写しじゃなくて本物が欲しいよ。あれじゃなんか嘘くさい」


スズがそう言うと、修斗は気の抜けたように口をへの字に曲げた。

そして、思い出したように破顔すると、言葉もなく鞄を地面に下ろした。


「そうだな。スズの言う通りだ。『黒幕』はやっぱ本物じゃねえと絵にならないよな」

「上手いこと言うじゃん。ま、本当にいるかは怪しいけどね」

「いるっつーの! 俺がお前らに嘘ついたことあるか?」

「ある」


二人は声を揃えた。

修斗はスズの身体を持ち上げると、釣り道具の置いてある小屋のほうへ足を向けた。


「おい、俊太。何突っ立ってんだ? 一緒に釣りしようぜ」

「ごめん、これから部活だから。今日は遊べないんだ」

「ああ。そうだったな」

「ふふん、色々と頑張ってね。俊太」


スズは肉球のついた前足を横に振った。

修斗はあっさりと俊太に背を向けた。絵のことでスズに質問をしているようだ。


楽しげに談笑しながら去って行く二人の後ろ姿を、俊太は立ちつくしたままずっと見送っていた。

続く。

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