表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水彩画の中の君へ  作者: 昼夜
10/10

最終話

格式ある古い美術館。

今日ここで、日本水彩画の権威ある賞を受賞した画家の個展が開かれている。


私は美術大学の教授として、はるばるこの北の大地までやってきた。


本当に価値のある絵というのは、ブラウン管やフィルムを通しても美しくみえる。しかし、実際に足を運び、目の前で穴が開くほど眺めてこそ見えるものがある。昨今の便利な社会では、そんな感覚は時代遅れと笑われるかもしれないが。


私が絵画を美術館で鑑賞することにこだわる理由は他にもある。それは、一枚の絵に心打たれた人々の反応を見ることができるからだ。



「お父さん! この絵上手いね。僕、これテレビで見たことあるよ!」

「ああ、本当に。絵の中の人物が生き生きとしていて......まるで本物みたいだ」

「ねえこれ買ってよお父さん」

「あはは。そりゃ無理だ。この絵は売り物じゃないんだよ」


仲睦まじい親子が、一枚の絵の前で談笑している。

あの絵は今回の目玉となった絵だ。


評判通り、心を震わせる力を持っている。

きっと作者は鬼気迫るような想いで描いたにちがいない。

線の一本一本に執念のような愛情が感じられる。


幸せな日常を描いたようでいて、どこか切ないような、そんな哀愁を感じさせる絵。

描かれている人物は、どこか寂しげにもみえる。


この絵を描いた人物は素晴らしく繊細な神経を持った画家に違いない。そして、きっと深い孤独に苛まれたことのある人物だと思う。

でないとこんな絵は描けない。


自分のリアルが孤独でないと、どんな手段を持ってしても孤独を表現することはできない。


全て嘘になってしまうのだ。その嘘は隠れることなく見る者に伝わってしまう。

愛情を受けなかった子供がうまく人を愛せないように、孤独を知らない画家に孤独は描けない。


それはある意味、カルマと言えるだろう。

彼の人生には今も深い孤独がつきまとっているに違いない。


一体どんな人物なのか。

一目会ってみたいものだ。


教授は腕を組みながら、絵から離れられずにいる親子を遠目に眺めた。



少しの時間が経った。

すると、親子に近づく不気味な男の影があった。



その男は静謐な美術館にはあまりに不似合いな麦わら帽子を目深に被り、猫背な立ち姿で親子の横に立った。


「この絵、お気に召しましたか」


男は見た目に似合わず誠実そうな声でたずねた。

子供は父親の後ろに隠れてしまっている。

父親は一瞬訝し気に眉を潜めながらも、すぐに愛想のある笑みを浮かべた。


「はい。素晴らしい絵です。とても感動しました」

「そうですか。それは良かった」


男は麦わら帽子のつばを抑え、俯いた。


「......よろしければ差し上げましょうか」

「え? い、いいんですか」

「ええ。その代わり、そこの可愛いお子ちゃまをいただきましょう」


男は床に跪き、ワーッと、おどけた声をあげながら幼い子供に近づいた。子供は驚いて咄嗟に腕を振り回し、後ろのほうに逃げこんだ。

その小さな手がぶつかり、男の麦わら帽子が弾き飛ばされた。


男は笑い声をあげながら帽子を拾うと、そのまま被らずに胸に掲げた。


父親は、露わになった男の顔を確認すると唖然とした顔をした。


「修斗」

「久しぶりだな。俊太」


互いに名乗り合うと、それっきり深い沈黙が場を支配した。


先に沈黙を破ったのは、修斗のほうだった。


「来てくれてありがとう」

「......家に匿名で美術展の招待状が来たときは何事かと思ったよ。でも、招待状を見た子供が喜んじゃってね。『水野鈴斗』とかいう画家の名前はテレビで聞いたことがあったし、なんとなく来てみたんだ」

「子供、か」


修斗は俊太の後ろで恥ずかしそうにしている幼児を見つめた。


「もう、そんな歳になったんだな」

「ああ。俺もお前も、随分変わっちまった」

「......そうだな」


あれだけ筋骨隆々としていた俊太も、今ではお腹がでている。


修斗は頭を掻いた。

会話の穂を継ぐことができない。

昔はどんな言葉でも交わせたはずなのに、霧がかったように何もかける言葉が出てこない。

それは俊太も同じようだった。



「ここに鈴音がいたら、俺達もっとスムーズに話せただろうな」



俊太は苦笑しながら言った。


その言葉を聞いたとき、条件反射のように、忘れられた鈴音との約束の言葉がよぎった。


――いつか賞を取ったら、俊太と仲直りしてよね。

――あたし、三人で遊ぶの好きだったんだ。

――約束だよ。



あの日に帰りたいとは思わない。

俺たちは今を生きている。

そしてそれは、鈴音も同じだ。



「鈴音ならいる」

「え?」

「そこに」


修斗は一枚の絵を指さした。



真っ暗な夜の川辺。

白いワンピースを着た麦わら帽子の少女が、穏やかな微笑をたたえながら慈しむように黒猫を抱いている。

猫の額には白の三日月模様があって、首には赤い鈴付きの首輪をつけている。


題名:『水彩画の中の君』



「本当だ」



鈴音はそこにいた。

幻でも夢でもない。

たしかにガラス越しに微笑んでいる。



子供の頃からずっと、生きる意味がわからなくて何度もつまずいてきた。

孤独にふてくされて人を嫌いになることもあった。


でも、それでも何かを目指して歩いてさえいれば、少なくともただずっと傍観しているよりは希望が生まれる。その先にあるのは、暗闇かもしれないし、光かもしれない。


そうして人は失敗と出会いを重ねて、少しずつ心の財産を築いていくんだ。



それを教えてくれたのは鈴音だった。



今頃は新しい魂を抱いて、きっとどこかで生まれ変わってるだろう。

きっとまた、忘れたころに逢える。


修斗は胸に麦わら帽子を抱えたまま、瞳を閉じた。



今、この絵を捧ぐ。


水彩画の中の君へ。

ありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ