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水彩画の中の君へ  作者: 昼夜
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一話

忘れられたかのように静まった画廊の白い壁。

飾られているのは色とりどりの水彩画。


仲睦まじげな親子がひとひらの絵の前で足を止めている。そっと耳を澄ませてみると、こんな会話が聞こえた。


「お父さん! 僕これテレビで見たことあるよ!」

「ああ。大きな賞をとった有名な絵だからね。いやー、それにしても本当に生き生きとしてて......本物みたいだ」

「可愛い絵だね。でもね、僕も皆から絵上手いって言われるよ!」

「ははは。じゃあ、お前も将来は一流画家だな」


親子の会話に、私の顔はにやけた。

絵をみている人々を見るのが好きだ。それぞれが思い思いの感想を呟く。人によって感性は違うから、必ずしもそれぞれの意見は合わない。


どんなに仲睦まじい家族や恋人でも絵の感想は正反対だったりする。

そこで価値観の混ざり合いがおきて、様々な化学反応が引き起こされるのが面白いのだ。


人々は喧嘩したり、分かり合ったり、距離感があったり。その時の立場や心境によっても感想は変わるかもしれない。


そう、絵はみた人の心を切りとることができる。それはある意味、写真では映せないものを浮き彫りにしてくれる。


あの美しい絵を描いた人はきっと、人の心を切りとる絵の描き方を知っているだろう。余程絵に殉じて生きてきたに違いない。


胸を震わせる絵を描くためには、まず自分の胸が絵に震わされていなければならない。人の痛みを理解するためには自分も痛みを知らないといけないように。


どんな人なのだろう。

できることなら、一目でいいから会ってみたい。





「また明日、川のそばで! 二人共遅刻しないでよ!」

「バーカ。鈴音が一番心配だっつーの! いつも遅れてくるだろ」

「それはちょっと家でやんなきゃいけないことがあったからさ」


鈴音はかぶっている麦わら帽子を手でおさえた。


「はは、嘘つけよ。お前は暇の擬人化だろ! そんじゃ、また明日な」

「はーい。また明日」


翌日、鈴音は来なかった。

遅刻どころか無断欠席だなんて。

なんなんだよ、あいつ。


夏風が吹き抜ける街の片隅で、修斗と俊太は空を見上げていた。鈴音が来なかった原因を知ったのは、高校の緊急朝会だった。



「皆さん、とても悲しいお話があります。昨日、三年一組の宮野鈴音さんが不慮の事故で亡くなりました」


丸眼鏡の校長が言った。滝廉太郎みたいな眼鏡の奥が涙に濡れている。修斗は顔面を思いっきり殴られたような衝撃を心に受けたが、意外にもすぐに冷静さを取り戻した。


ああ。


なんで校長先生が泣いているのだろう。鈴音のことなんて顔も知らないだろうに。鈴音と大して仲の良くなかったクラスの女子たちまで泣きだした。


男勝りな鈴音のことを散々仲間外れにしてたじゃないか。修斗は呆れた。


人ってやつはどうしてこうも白々しいのだろう。楽しくもないのに笑い、悲しくもないのに泣いて。そこには一体なんの意味があるのだろうか。


他人によく思われないことより、自分に嘘をつくことの方が何倍も疲れることだと思う。


かくいう修斗は、悲しみの涙を流すことができなかった。ぽっかりと心に穴が開いたような気持ちはあるものの、それが感情の露となりそうな気配はない。


どうやらそれは俊太も同じようだ。


「修斗。俺さ、変なんだ」

「知ってる」

「真面目な話だ。俺、鈴音が死んだっていうのに全然泣けないんだ。鈴音とほとんど話したことない母さんですら泣いてたのに、俺が泣けないなんて」

「安心しろ。俺も同じ症状で悩んでたところだ」


修斗は用水路の中をめがけて小石を蹴飛ばした。

鈴音が死んだなんて信じられるもんか。

この前まで、捨て猫を助けたことを散々自慢していたのに。悲しみどころか、苛立ちにも似た感情が心を駆けめぐる。


「やめだ!」


修斗はおもむろに叫んだ。


「どうした急に」

「鈴音のこと考えんのはいったんやめだ。無理やり泣こうとするなんてセンスねえよ。んなことより、今から川で釣りしようぜ。今日こそ『黒幕』を釣り上げるんだ!」


黒幕というのは、近所の川にいると言われている怪魚のことだ。修斗は過去に不気味な黒い影を見たことがある。最も、存在の信憑性はネッシーくらいだ。


「黒幕かあ。本当にいんのかな」

「いるに決まってんだろ。今まで俺が嘘ついたことあるか?」

「っふ。よく言うよ。何度も先生達を騙してるのに」

「あんなのは別だよ。覚えとけ、俺は友達には嘘をつかない」


修斗がそう言うと俊太は鼻で笑った。どうやらあまり信用されていないらしい。


いかに自分が正直な人間か語っているうちに、二人は川にたどりついた。この河原の傍らに誰も使っていない小屋がある。最も、小屋と言っても物置ほどの広さしかない。


扉の建てつけが悪く、横の壁を蹴らないと開かない。

壁を蹴って薄暗い小屋の中に入ると、修斗は置きっ放しの釣り道具を手に取った。


「あれ、俺の釣竿、糸が切れてる」


俊太が意外そうに呟いた。


「ああそういえば、前に柿を盗んだときにお前の釣竿使ったっけな。そん時に切れたかも」

「ええ! あれ俺のだったの? 修斗のかと思ってたのに。最悪」

「まあまあ。そう怒らないで。あたしの釣竿使えばいいじゃん」

「あ、そっか。その手があった」


俊太は笑いながら修斗を眺めた。

俊太とは対照的に、修斗は真顔で口を開けている。

まるで鏡に映る自分を警戒する犬のような表情だ。


「どうした修斗。そんな顔して」

「いや。今なんか......鈴音の声が聞こえた気がしたから」

「は? 鈴音はもういないんだよ」

「わかってるよ!」


修斗は声を荒げ、ため息をついた。

やっぱりどうかしているのだろうか。


友達が急に死んで、その日のうちに釣りに行くなんて無茶だったのかな。でも、そうでもしないと色々と考えこんでしまう。


「ピリピリすんなよー。カルシウム足りてないんじゃない? たまごボーロ食べよ」

「うるせえな鈴音! そもそもお前が死んだせいで――」


修斗と俊太は互いの顔を見合わせた。


「うわああああ!」


二人は慌てて小屋を飛び出した。

腰が抜けたのか、俊太は途中で派手にずっこけた。

今のは間違いなく鈴音の声だった。でも、あいつは死んだはずだ。


幻聴なのか?


「修斗。い、今の声って」

「ば、ばーか。幻聴に決まってるだろ。お前も言ってたじゃん。あいつは死んだんだよ」

「でも修斗だって逃げ出したじゃんか」

「そ、それは……とにかく、もう一度小屋にはいるぞ」


修斗は俊太の腕をつかみ、無理やり前に押しだした。

喚く俊太の背中に隠れたまま、なんとか小屋の入り口まで戻ってきた。

扉は開いたままで、中の深淵がこちらを覗き込んでいる。


誰もいないはずの静寂が、とても不気味に感じられる。まるで黄昏時の墓場前みたいだ。


二人は並び立ち、呼吸を合わせ、せーので小屋に踏み込んだ。


そこには古ぼけた戸棚と釣竿があるだけで、鈴音の姿などどこにもなかった。

恐る恐る、天井を見上げてみる。


――いるはずないよな。


修斗は安堵と寂寥のこもった笑みをこぼした。


その時だった。


「......呪ってやる......呪ってやる......」

「ぎゃあ!」


俊太がおもむろに飛び上がった。そして、錯乱したように暴れはじめた。

修斗は慌てて俊太を抱きとめ、

「落ち着けって。どうしたんだよ。何もいないだろ」と言い聞かせた。


「今なんか、足に触った。何か生温かいものが確かに俺の足を――」

「はあ? き、気のせいだろ。お前馬鹿だから、きっと自分の手で触ったんだろ?」

「流石にそこまで馬鹿じゃないって。修斗、俺の代わりに足元見てくれ」

「は!? なんで俺が!」

「俺は......お前の弱みを握っている」


修斗は舌打ちをした。

俊太はふざけてるのか本気なのかわかりにくい。


仕方ない。もし仮に幽霊の手があったとしたら、思いっきり踏んづけてやりゃいいだけだ。

修斗はゆっくりと、一ミリずつ測るように首を動かした。



見下ろすと、そこには確かにいた。



黒い子猫が。


額に特徴的な白の三日月模様がある。



「なんだ、猫かよ。あははは。俊太、見ろよ。お前の足を触ったのはコイツだよ」


修斗は小さな黒猫を抱き上げた。


「え、猫? うわ本当だ。俺猫アレルギーだからあんまり近づけないで」

「失礼な! あたしだって近付きたくないっつーの」


黒猫が言葉を喋った。

喋ったというより、二人の頭の中に直接響いた。

それは確かに聞き覚えのある声で、間違いなくあいつの声だった。


俊太は顔を真っ青にして沈黙している。

修斗は自分の腕の中にいる黒猫をまじまじと見つめた。


「......鈴音?」

「そうだよ。おはよう二人とも」


修斗は頬を引き攣らせた。

鈴音は人間だ。でもこの前死んだ。

こいつは猫だ。でも鈴音の声で喋ってる。そして元気に生きている。

つまり、どういうこと?


「なんでお前は猫になってんだ」

「知らない。気付いたらこうなってた」

「んな馬鹿なことあるか」

「実際起こってるんだもん。現実として」

「それは確かに」


修斗が猫と普通に会話をしている様子を見て、俊太は動揺した。

これは幻聴じゃないのか。

友達を失った精神的ショックで、自分達は頭がおかしくなったんじゃないか。


「修斗、本気でこの猫が鈴音だと思ってんの?」

「......だってあいつの声が聞こえるし」

「そうだけども。いや、うーん」


俊太はどこか解せない顔をしている。


「わかった! じゃあお前の呼び名、とりあえず『スズ』な」

「え? なんでよ」

「お前は猫だけど、確かに鈴音の声と性格を持っている。つまり、半分鈴音だからスズだ。本物と区別をつけたいしな」

「ふーん。別にあたしはどうでもいいけどさ......」


スズは苦虫を潰したような顔で考え込んでいる俊太を見つめた。

じれったくなったのか黒猫は腕の中から飛び出した。


とことこと歩くと、自分の身体よりもずっと巨大な釣竿を前足で引っ掻いた。

釣竿が床に倒れ、カタンッという音が響き渡った。


「ほら、釣りに行くんでしょ。今日こそ『黒幕』とかいう怪物を見せてよね。ふふん」

「あ、お前信じてないだろ。本当だぞ。俺は確かに見たんだよ、でかい魚影を。なあ俊太」

「いや、俺も見てないし。でも多分、流木と見間違えたんじゃないか」

「馬鹿言うなよ。俺が木と魚を見間違えるとでも?」

「うん」


自信満々な顔をしている修斗の問いかけに、スズと俊太がシンクロした。二人と一匹は笑いあった。

修斗はもう、猫か人かなんてどうでもいいような気がした。

いないはずの友達が帰ってきたのならそれは喜ぶべきことだ。

例え猫の姿でも、鈴音は鈴音だ。


「よし。そんなに見たいなら見せてやるよ。ついてこいお前ら」


修斗は川に向かって歩き出した。

その後ろを戸惑う俊太とスズがついていった。


結局、その日はメダカ一匹釣れなかった。

続く。

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