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「ねぇ、あんずちゃんは何食べるか決めた?」
昼休みの戦場の様な食堂で、綾乃はあんずに問いかける。
「えっとコロッケラーメンにしようかな…綾乃は決めた?」
「うん、きつねうどんにしたいんだけど…無理かな?」
ただでさえ小柄な綾乃がますます縮こまって見える程に、この時間帯の食堂は人で溢れ返っている。
ざっとみて7、8人か………
「まぁ、任せといて!」
そう答えるや否や、まさに猪突猛進。おっとりとした外見からは想像できないパワフルさで突き進でいくあんずの姿があった。
「ありゃあ、巨乳猛進って感じか?」
呆れたように吐き捨てる誠司に、綾乃が気づく。
「あ、誠司君。誠司君も今日は食堂なの?珍しいね。」
愛らしい声で話しかけてくる綾乃は小学生の頃から何一つというか、
今ひとつというか、代わり映えしない子だった。
今でも小人料金でオールオッケーな外見は、一部の人々には素晴らしい逸材に映るんだろうなと、誠司は心密かに思っていた。
案外、外見とは裏腹に勝ち気な性格もポイントが高いとクラスのムードメーカー兼トラブルメーカーの中田が吹聴していたし。
「ああ、今日はあんずと飯食う約束してたから。」
「え?あんずちゃんと誠司君が?」
ただでさえどんぐり眼の綾乃が、さらに目を丸くする。
「なんか変か?」
「変っていうか明日は大雪でも降るんじゃないかって思う。いや、悪口の嵐かな。」
思わず噴き出してしまう。こうも差はっきり言ってくれるのは案外気分がいいものだから。
「失礼ねー、綾乃は。そのない乳を揉んでしんぜよーか?」
おぼんにうどんの器を2つのせたあんずが先頭に立ち、3人は食堂の奥へ移動する。
改装と増築を重ねたこの学校の食堂は入り口側の手前が新しく、奥に行けば行くほど古めかしい造りになっていた。
そのせいか、奥の方はまったくと言っていいほど人がいない。
「何か悩み事なの?私に聞いて欲しい事って?それに誠司君まで。」
「まぁねー、何というか色んな角度から物事を見ておきたいというか。」
なんとも釈然としないあんずが、
がっつりスープの染みたコロッケを箸で持ち上げると、水分を含みすぎていたコロッケが脆くも崩れ、またラーメンの中にダイブした。
「あっち!おい、ばか乳!お前のラーメンの汁がとんだだろうが!
「はい?うるさいやつね!少しくらい我慢しなさいよ!」
「まあまあ、はいハンカチ」
2人が顔を合わせるといつもこうなるのは嫌でもわかっている綾乃だからこそ、どうして今日はお昼ご飯を一緒に食べるのか疑問だった。
いつもは極力、学校では接しない2人なのに。
だからこそ、
誠司君は学校でもトップクラスの物静かな秀才、
あんずちゃんはおっとりとした可愛い女の子で通っているというか、通せているというか。
まだ言い争いを続ける2人を眺めながら、
これはこれで仲良しなのかなとも思う綾乃だった。
とりあえず言い争いをやめた2人の話はこうだった。
2人のお兄さんの蓮さんが詐欺にあいそうになっているから、
詐欺師の女の身元を調べているというなんとも学生らしくないお悩み。
あんずと誠司の小学校からの友人である綾乃は、もちろん兄である蓮の事もよく知っていた。
というよりも雨野家は有名だった。
2人が小学生の頃に両親を亡くしてから、蓮さんが
まさに男手一つで家族を養っているという美談がこんな娯楽の少ない片田舎で噂にならないわけもなく。
けど人の注目を集めるのはいい事じゃないというのを、
2人と共に高校まで進学してきた綾乃は知っている。
2人が異様なまでに、自分達に近づく人間に警戒心を抱く事も。
「それで、その詐欺師の女がこいつ!」
ばしんっと、年季の入った食堂のテーブルに叩きつけられたのは一枚の紙。
びっしりとうちこまれた文字と、
ご丁寧にカラー印刷までされた写真付きの立派な調査書と言っても過言ではない代物だった。
「よく調べたね、こんなに細かく。」
素直に感心するぐらいの出来栄えに、
綾乃は、内心舌を巻いた。
「まぁ、今は色んなSNSがあるからな。尾行して名前さえ知れれば後は簡単だ。」
「後はそれを裏付けるだけ。幸いにも私達は学生だから、怪しまれずに調べ物もしやすいしね。」
「2人ともドヤ顔してるけど若干法に触れてないかな、これって。」
2人の渾身の出来である調査書を、手に取る。
西屋敷 百花
市役所に勤める27歳の女性
その顔写真の下にはずらずらと年表の様に、出身校やクラブ活動での受賞歴、習い事等が細かい字で続く。
「活動的な人なんだね、それに凄く綺麗な人。」
年表には、毎年のように書道やピアノ等の受賞歴が並んでいた。
それよりなにより目を引いたのが本人の写真だった。名前の通り、百の花にも負けない可憐な美人が写っている。
「それに、西屋敷さんってあの大きなお屋敷の人?」
平凡な高校生の綾乃ですら知ってる、地元の大地主の家。
確か家の近くに貼ってある市長選のポスターにも、西屋敷姓の立候補者がいたような………
「そうなの!お兄ちゃんと同じ職場にこんな女狐が飼われていたなんて!おっぱいなら私の圧勝なのにっ…。」
怒り心頭といった様子で、あんずは唇を噛みしめる。
「それにこれを見てくれ。」
誠司がさっと指を指した項目には、私立高校でのサッカー部マネージャー経験の文字があった。
1年生から3年生まできちんと活動しているみたいだけれど………?
「基本的にマネージャーとはビッチがする活動だ。部員との複数交際は当たり前だと聞く。この項目は見逃せない。」
「…それどこの情報よ。全世界のマネージャーに土下座して謝れ、童貞。」
綾乃のツッコミを無視して、2人はまだあった事もない西屋敷百花をつらつらとこき下ろしていく。
「髪だって私の方がツヤツヤで」
「この項目も見てくれ。アメリカに短期留学とある。海外の学校は日本よりも性に対して開放的な環境であると」
「よーするに!2人ともこの人が気に入らないんでしょ?違う?」
少し呆れたように綾乃が笑うと、2人の掛け合いはぴたりと収まった。
「こんな相手とは思わなかったわ。もっとお金目当ての女だと思ってたから。」
「…むしろこの西屋敷百花が相手だと、兄貴の方が金目当てみたいに見える。」
珍しく意気消沈といった様子の2人。
「それってさ、本当に蓮さんの事を好きでいてくれる相手って事じゃないのかな?」
むしろ、そうだという他ないと綾乃は思える。
「そんな人、いないよ。」
俯いたあんずから聞こえてきたのは、案の定否定の言葉だった。
「お兄ちゃんには、私や誠司みたいなのがいるからさ。面倒には関わりたくないのが人間でしょ?
利益がなきゃ近づいてこないよ。」
「同感。結局、同情心で偽造したお節介な輩か、周りで噂したいだけの輩のどっちかなんだよ。」
本当にこの2人はーーー
「「!?」」
ばしんっと、頭に走った衝撃にあんずも誠司も思わず顔を上げる。
「なに言ってるの!…もういい加減誰かを信じてみないと何も始まらないよ。」
少し怒ったような、それでいて悲しいような表情でそう言った綾乃は、2人には少し大きく見えた。