悲劇はトイレの中で
本日から1日1本ずつ更新していきます。
よろしくお願いします。
結局ニーニャとレフィアはその日のうちに起きることはなかった。
レフィアが寝ているソファの隣に布団を敷き、テーブルで寝ているニーニャを運び、明人と春奈はいつも通り夕食とお風呂を済ませるとそそくさと自室に戻りベッドに体を預ける。
今日の出来事についていろいろ整理しようと思っていた明人だが、窓から吹き込む心地よい風とベッドの気持ちよさにあえなく撃沈し、夢の中へと旅立った。
■
「…とさま」
まどろみの中声が聞こえた。
「あ…とさま」
はっきりとは聞こえない声で誰かの名前が呼ばれている。
「明人様!」
呼ばれた名前がはっきりときこえ、それが自分の名前だと気づいた明人は名前を呼ぶ主に応じた。
「ん……レフィアさん?」
ねぼけまなこを擦り、目を開けると、目の前で主張の激しい大きな胸がゆさゆさと揺れていた。
「明人様、おはようございます!」
明人が起きたことに気が付いたレフィアは、肩から手を放し少し距離を取ってから礼儀正しく挨拶をする。
もう一度目を閉じれば、再度レフィアに起こしてもらえて、なおかつ揺れる胸が見られるのではないかと割と真剣に思案し、行動に移すか考えていたところ――
「明人様、お休みのところ申し訳ございません。実は問題が起こりまして」
レフィアからそう言われ、周りに目を向けるとそこは自宅のトイレ前であった。
「あれ、そういえばベッドで寝てたような……」
「はい。先ほど私がここまで運ばせていただきました」
レフィアの説明を聞き、目を覚ました場所が自室でないことに納得はしたが、なんでトイレ前なんだろう。
そういえば、問題が発生したっていってたけど、トイレで問題が発生したのだろうか。
「問題って、トイレで問題が起こったんですか?」
「はい。実は……ニーニャ様がトイレから出てこないのです! 声を掛ければ返事はしてくれるのですが……」
おろおろしながら明人に状況を説明するレフィアは、主人がいなくなった犬を彷彿とさせる。
「えっと、ニーニャがトイレに入って、どれくらい経つんですか?」
「かれこれ40分ほどです」
「えっ、40分……」
明人からすると、トイレに入って40分とはそれほど長い時間ではなかった。トイレの中で携帯などをいじってもっと長い時間出てこない人もいるし、明人も昔トイレの中でゲームをやっていて2時間ほどトイレを占拠したこともある。
当然母親には怒られ、それ以降は長時間トイレを占拠することはなくなった。そんな経験もあったので40分程度で慌てる必要はないと感じていた。
「40分くらいだったら気にしなくていいんじゃいですか?」
「いえ、それが、40分でてこないだけでなく、扉の下から『お漏らし』が!」
明人に今の事態がどれ程異常なのかを感じてもらうため、レフィアは「お漏らし」の部分を強調して説明をした。
「ちが、お漏らしじゃないから! 何てこと言ってるのよレフィア!」
トイレの中からニーニャの怒号が聞こえた。
実際トイレの扉の下から水っぽいものが少し垂れてきているのが見えて――
「おおい! ニーニャ、今すぐ開けろ!」
明人は焦り、トイレの扉を激しく叩きながら大きな声で中にいるニーニャに扉を開けるよう促す。
ジャー
「大丈夫、大丈夫よ、ひゃ……ちょっと……止まりなさいよ、ねぇ、止まってよ」
中からはトイレの水が流れる音と焦りが少し混じったような声が聞こえてきた。
「いや、もう色々大丈夫じゃないと思うぞ、だから早く扉をあけろ!」
ドンドン―
「ほんとに大丈夫だか……うひゃああ」
「お前が大丈夫でもトイレがもう限界だよ! だから頼む開けてくれ!」
ドアノブに手をかけ、右に回すと。
ガチャリ――
どうやら、トイレの扉に鍵をかけていなかったようだ。そもそも、ニーニャは鍵のことや使い方などわからないのでは? などという考えも頭をよぎったが、そんな疑問よりも今は中の状況の確認だ!
勢いよく扉を開け、中を見ると、床、さらにはニーニャまでもがびしょ濡れに。
「止まれ、止まれ、止まってよ~」
そんな惨状の中、扉が開いていることに気づかないまま、水の溢れ出す便器の蓋を押さえつけながら呪文を唱えるかのように止まれと連呼するニーニャ。
パンツは足元に降ろされたままであるものの、ドレスのおかげで大切な部分は見えていない。いないのだが、濡れてまとわりつくドレス、トイレに向かって止まってと叫ぶニーニャ。
「これは……」
「これは、なかなか素晴らしい光景ですね」
明人が言葉を発する前にレフィアがそう言ったのが聞こえたので、レフィアの方を振り返ると鼻から赤い液体を垂らしながらすごく幸せそうな顔をしていた。
ニーニャがお漏らしの止まらない変な病気でなかったのと、すでにトイレの状態が取り返しのつかないところまできていたため、もろもろを諦めた明人は――
「ふむ、もうちょっと観察していますか」
とレフィアに尋ねた。
「是非!」
即答、その回答を聞き、明人はとりあえずニーニャが気づくまでもう少しだけ様子を見ることにした。
「なんでこんなに水が溢れてくるの? こんなの私の知ってるトイレじゃないよ?」
今にも泣き出しそうな悲痛な叫びを聞いて明人はふと疑問に思ったことがあった。
「あの、レフィアさん、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「はぁぁぁ…はい、なんでしょう」
目を爛々と輝かせながらニーニャを見ていたようだが、明人が声をかけるといつものキリッとした表情に戻る。
「ユグドでも排泄をする場所はトイレって言ったんですか? それに日本のトイレをどうやって使うのかをわかっているかのような雰囲気でしたし」
「そうですね、正式名称はトイレットで略式名称がトイレでしたね。様式としては日本のトイレに近いものがあります。違いとしては広さとバケツが置かれていないことですね」
「そうなんですね。でもバケツ常備って、ユグドではトイレを終えるたびに掃除でもしてるんですか」
「掃除といいますか、排泄物は排泄物処理場へ流す必要がありますので、水精に流してもらうのですが、精霊術の使えないものや水精と相性が良くない方はバケツに溜めた水で流すのですよ……もしや、日本では排泄物を流さず逆流させるのですか!?」
「それはないです! 日本のトイレはほとんどが水洗式トイレになっているので、あちらと同じように水で流す形で排泄物を処理しますよ。違いといえば、排泄物を流す時に水精もバケツにためた水も必要ないことくらいですね」
「なるほど、排泄物を処理するのに水精もバケツも必要ないとは。非常に便利ですね!」
「本当に、水洗トイレを考えた人は天才ですよ」
といい、トイレに目を向けると、ちょうどこちらを向いたニーニャと目があった。
「大丈夫か、ニーニャ」
「大丈夫ですか、ニーニャ様」
扉の前に立っている二人が同じタイミングでニーニャの心配をしていた風に声をかけるが、ニーニャは顔を真っ赤にして口をパクパクと開閉していた。
その様子を明人とレフィアが見ていると、押さえつけている便器の蓋から手を離し、濡れたパンツをいそいそとドレスの中に引き上げ此方を向き。
「さっきから大丈夫だって言ってるじゃない! その、ちょっとユグドとトイレの使い方が違ったみたいで混乱しちゃったけど、これもいい小説のネタになり……そう……だわ……」
顔を真っ赤にして、できるだけ体裁を取り繕い、なんとか発した言葉だったが最後の方は少し泣きそうな雰囲気を醸し出してた。
「とにかく、今は便器から溢れる水を止めよう」
そういって、ニーニャに一度トイレから出てもらい、代わりに明人がトイレの中に入った。
「明人、あなたは精霊を見ることすらできないのに、どうやってこの水精の暴走を止めるのよ!」
「これ」
と言ってニーニャの前に出したのは便器の隣に置いてあったラバーカップであった。
「え? 何これ? これでどうするの?」
ニーニャは見たことのない形状の棒をまじまじと見ていた。
「こうするんだよ!」
明人は手に持ったラバーカップを便器の中に差し込み、グポグポと押し付けたり引っ張ったりする。
何度か繰り返すと便器に詰まっていたものが取れ、便器にあふれていた水も流れ、便器内の水位も元に戻った。
「はい、これで元どおり」
その様子を見ていたニーニャは先ほどまでのしょげた様子から一転して、目をキラキラと輝かせていた。
「すごい! この棒一つで水精の暴走を止めることができるなんて! 魔法のアイテムなの!」
「ラバーカップっていって、トイレが詰まった時に使う道具だよ」
ラバーカップを貸して欲しそうに両手を出しているニーニャの手にラバーカップを置きながら簡単に説明した。
「今回便器から水が溢れたのは水精の暴走じゃないよ。そもそも、この辺りに精霊はいなんだろ」
明人はまじまじとラバーカップを見つめるニーニャはその言葉を聞き、忘れていたと言わんばかりの驚きの表情で明人の方を見つめた。
「そういえば、そうだった」
どうやら本気で水精の暴走が原因で便器から水が溢れていたと勘違いしていたらしく、便器に向かって止まってと連呼していたのは水精に語りかけていたようだ。
「ふぅ、とりあえず、トイレの掃除しないといけないな。ニーニャも便器の水でドレスずぶ濡れだからお風呂に入って体洗ってきたらいいよ。レフィアさんもニーニャと一緒にお風呂に入ってきてください」
「お風呂ですか?」
「あっ、もしかしてお風呂ってわからないですか?」
レフィアがお風呂という単語を聞き返したため、明人はあちらの世界でお風呂がなかったのだと思い、説明をしようとした。
「いえ、驚いただけです。日本にもお風呂があるのですね」
驚いているレフィアの隣ではニーニャがずぶ濡れのままはしゃぎだした。
「おっふろー! いっえーい! レフィア、お風呂だって、お風呂があるんだって! お風呂ってお湯を張ってもいいあのお風呂よね!シャワーとかもあるの?」
「うん、そのお風呂だよ。シャワーもあるから浴びるといいよ」
「やったー!」
お風呂という単語を聞いたニーニャは大はしゃぎしている。
「ニーニャ様はエルフには珍しくお風呂が大好きなので」
「へー、なら丁度いいですね」
二人をお風呂場に案内し、ボイラーの入れ方、お風呂の張り方、シャワーの使い方を一通り伝え、明人の監督の下お風呂の準備をしてもらい、シャワーも一度使ってもらった。
ずぶ濡れのニーニャにはタオルを渡し、脱衣所で濡れている髪の毛と体を拭いてもらっている。
「あと、服なんですが、とりあえず、今着ている服はそこにある籠の中に入れておいてください」
「えっと、それでは私たちが着る服はどうすればよろしいでしょうか?」
「そうですね、レフィアさんには母の服の中でも大きめのものを、ニーニャには男物ですが、僕が昔来ていた服を持ってきます。直ぐ持ってくるので少し待っていてください」
そういうと明人はそそくさと2階に上がり、衣類を持って戻ってきた。
「とりあえず、この衣類を使ってください。少しきつかったりサイズが合わないかもしれないですが」
そう言いながらレフィアとニーニャに衣類を渡した。
「ありがとうございます。明人様」
「ありがと。明人」
「春奈さんが起きたら、服を買いに行きましょう」
そういって明人はずぶ濡れのトイレを掃除するため、脱衣所から出て行った。
しばらくしてお風呂にお湯が溜まったので、お湯を止めニーニャの待機する脱衣所に戻る。
「それではニーニャ様お風呂が張れましたので、お先に入ってください。私は此方で待機しておりますので」
「えー、明人は二人で入れって言ったし、シャワーの使い方とかレフィアとか知らないのよ」
「うっ……しっ、しかし……」
「しかし……じゃなーい! はーいーるーのっ!」
「いや、でも、それは……」
「どうしても一緒に入ってくれないの?ここじゃ姫もメイドも関係ないんだよ」
子供姿のニーニャがしょんぼりしているのをみて、レフィアは罪悪感にかられ?
「うぅっ……わかりました」
「えっ! ほんとに!」
「はい……」
「やったー、レフィアと一緒にお風呂だー!」
レフィアの了承を聞きニーニャは大はしゃぎした。
二人は脱衣所で衣類を脱ぎ、明人に指定されたカゴの中に入れ、ニーニャに手を引かれながらレフィアはお風呂へと足を踏み入れる。
そう、これが惨劇の始まりだと知らずに。