花冠の階
「私たちの、花冠の階?」
「そうそう。」
亡霊を名乗る少年は、ある階段で階段の裏に回った。そしてそこには、隠れるようにしてドアがあった。かがんでようやく入れるくらいの、物置のようなドア。開いたドアを、ハルシオンが覗く。その先は薄暗く、唯一、間隔的に光がさした、広い空間が続いていた。どこかへ向かってまた二人で歩き出す。
歩くたび、足の裏を小石のような砂のような、小さいものが押し返してくる。
「……花冠って、誰が作っているの?」
「それは分からないよ。ヴェール・レースかもしれないし、とにかく外部の人間さ。」
「何のために。」
「それも。とにかく、話は行ってからだ。」
そう言って少年は、目の前に垂れ下がる縄ばしごに足をかけた。
――この塔に、こんなところがあったなんて……
ハルシオンは胸を高ぶらせながら、少年の後について行った。はしごを登りきると、窓のない、やや暗めな階に辿り着いた。
「わあ……」
そこは部屋中に蔦がはっていた。一歩歩くと、くしゃ、という音がして足の下の蔦がしなる。足元に這う蔦たちは部屋の先まで続いているらしく、暗くて見えない部屋の端に向かって、闇に吸い込まれるようにして伸びていた。
――この塔に、こんなところがあったなんて。
見慣れたものだけだった世界が広がる、不思議な感覚。
――さっきの扉もそう。あんなところに扉があるの、気が付かなかった。
何度も読み返しているはずだった画集に、知らないページがあった時のよう。そんな胸の昂りを感じながら、ハルシオンは蔦を踏みしめ、暗闇に向かって歩きはじめた。
暗闇に隠されたそこには一体何があるのか。
ハルシオンがそこに辿り着くよりも先に、少年が部屋に明かりを灯した。
部屋の壁に取り付けられたランプたちが、一斉に金色の光を放ち出す。
赤い絨毯、その上を這う蔦、そしてランプから放たれる金色の光を返すたくさんのガラスケースたち。
そしてそのガラスケースが守るのは、ガラスケースの数だけある、花冠たち。
一つとして同じ物のないそれは、透明な盾に守られ、蔦に侵されることなく静かに佇んでいた。
それは確かにかつて、その花冠を頭に乗せていた鍵番の乙女がいたという証。
その証たちが静かに並ぶ光景を見て、ハルシオンは呟いていた。
「……まるで、お墓みたい。」
ハルシオンの目は、かつて居た、しかし20の年を迎えてここから居なくなった、かつての鍵番の乙女の花冠を、確かに探していた。
「あれ、てっきりきれいだとか、こんな光景初めてだとか言って喜ぶと思ったのに。」
その言葉に、ハルシオンは振り向きもせず、空返事に近い声で答えた。
「感動してるよ。きっと、貴方の予想以上に。」
そう言って、ハルシオンはよたよたと歩き出した。壁一面に並び積まれたガラスケースとその中身に向かって。
「だったらそう言えばいいのにな。」
独り言のようなその言葉に、ハルシオンは内心うるさいな、と思ったものの、案内されている身だと思い出し、それを言うのは我慢した。
花冠は、本当にひとつひとつ違った。
淡い青の花や松ぼっくりが付いている花冠、そこにはこう書いてあった。
「彼女は秋の季節のように芳しい魅力を持つ。鮮やかではっきりとした美しさでありながら、どこかもの寂しげな雰囲気も持ち得ていた。」
これはかつての鍵番の乙女の評定なのだろう。ハルシオンは、そこに自分の名もあるのかが気になった。
自分の、つるにコーラルピンクのバラが一輪付いているだけの簡素な花冠。
神々しくて好きだったものの、ここに書いてある通りに解釈すれば、花冠はイコールで鍵番の乙女になってしまう。
――さすがに、自分で自分のことを神々しいとは思えないわよ。
ハルシオンは自分の花冠に抱いていた感想を、頭の中から追い出した。
後ろで適当に花冠を眺めている少年に、ハルシオンは声をかけた。
「鍵番の乙女にとって花冠は、ある意味『顔』なのね。」
その言葉に、少年が首をかしげる。
「なんでそう思ったの?」
ハルシオンは、花冠の墓場を歩きながら語り始めた。
「だって、花冠は大概ずっと同じ作りのものだし。誰かが私たちを見て、適切なものを選んで作っているのね。こんな風に歴代の花冠は置いてあるのに、名前や似顔絵は無いところを見ると、その誰かたちにとっては花冠が私たちの目印なのかしらって思って。」
ハルシオンのその言葉に、少年は ふぅん、と相槌を打った。
「ハルシオン、塔の中にしかいないのにお墓に名前を刻んだり似顔絵を飾ったりする事は知ってるんだ。」
その言葉に、ハルシオンの足が止まった。
少年が訝しげに顔を歪める。
「たしかに……。」
どこも見ていない目で、ハルシオンは呟いた。
「私、どうして知っているのかしら。」
少年は、静かな目でハルシオンを見ていた。
そして、部屋中に這う蔦の上を歩き始めた。
まるでハルシオンから、顔を避けるかのように移動しながら。
「鍵番の乙女は、何でも知ってるからね。」
ハルシオンが振り向く。少年の黒い前髪から、ちらちらと彼の表情がのぞいている。
感情の読めない顔だった。
「何でも知ってるし、何でもできる。」
「あなた……」
少年は構わず話し続ける。
「まさか、本人たちが何も知らないとは思わなかったけど。それもこんな塔の中で気楽に生きて。」
ハルシオンと声がかぶる。
「"鍵番の乙女"が何なのか、知ってるの?」
「生き物の頂点に立つお人たちなのにね。」
沈黙が二人の上をのしかかる。
ハルシオンの赤紫の目は、見開かれながら揺らいでいる。
少年の伏し目がちの黒い目は、闇のように暗かった。
少年がゆらりと顔を上げる。
「次は、ステンドグラスの階に行ってみる?」
「そこで、鍵番の乙女が何なのか教えてくれるならね。」
少年は暗い瞳で見つめたまま、いいよ、と答えた。
ほのかな笑顔を顔に浮かべて。