石の部屋
かつかつと、ハルシオンと亡霊の少年――ミゲルは、塔の階段を登っていた。
「ここ、入って。良いもの見せてあげる」
ミゲルはそう言って、ハルシオンをステンドグラスの階、さらにその奥の部屋へと連れて行こうとした。
ハルシオンは抗うこともせず、ミゲルの言葉に従った。
暗いステンドグラスの階。あの時は気付かなかった、別の部屋につながる通路。古ぼけたカーテンをくぐって、その先にある扉を開ける。
中は暗闇だった。窓も何も無い、閉ざされた場所。
少年が壁をまさぐり、ぱちんとスイッチを押した。
すると天井にあったらしいシャンデリアが眩い光を放った。
一瞬で部屋が照らされる。そこは思いの外小さな、小部屋だった。
そして真ん中に鎮座するのは。
「……石?」
金色の、不思議な光沢がある石。それが台座に置かれ、静かに佇んでいた。
ハルシオンはその光沢に、見覚えがある気がした。
「それは森羅万象の鍵……つまり、君を鍵番に変える鍵の原石さ」
ミゲルが後ろから言葉を投げてくる。ハルシオンはその、欠片といってもいいくらいの小さな石を、ガラスケース越しに眺めていた。
「鍵はこの石を削って作られたんだ。でもこの石にはもう大した力は無いよ。小さすぎるからね。……ほら、こっちに来てご覧よ」
そう言って、ミゲルは鍵の原石を通り過ぎ、その後ろにあるもう一つの石を指差した。
「オマケみたいにあるこっち。見覚えがあるんじゃない?」
そちらの石はガラスケースにすら入っていなかった。むきだしのまま置かれているのは、水を宝石に変えたような、透明な石。
水晶だ。
ハルシオンは呟く。
「これ……水晶、ヴェール・レースが杖に付けている……」
「ご名答。でも彼女たちの付けている石、そしてこの石は普通の水晶じゃない。構造は、普通の水晶なんだけどね」
「どういうこと?」
「触れてみたら。そっちの金の石に。それで全て"伝えてくれる"。し、触れずとも、その石に触れたことで、僕がした解釈を説明してもいい」
ミゲルの意味深な言葉に、ハルシオンは眉根を きゅっと寄せた。
しかしハルシオンは彼の解釈を聞くより先に、ガラスケースを外すことにした。金の石があらわになる。
そのままガラスケースをわきに置き、ハルシオンは金の石に向かって恐る恐る手を伸ばした。
白い指が、とん、と石に触れる。
次の瞬間ハルシオンを襲ったのは、一瞬、ほんの一瞬の情報の洪水だった。
「っ……!」
ハルシオンは、足をふらつかせ、後ろによろめいた。ミゲルは手を差し伸べることはせず、片足に重心をかけたまま微動だにしなかった。
「今のは……」
ハルシオンが自分の頭を押さえたまま呟く。白金色の髪がさらりと流れ、シャンデリアの光に当たってきらめいた。
ミゲルが片方の唇を上げて聞く。
「何が見えた? 教えてよ、鍵番の乙女様」
芝居がかったようなその口調に、ハルシオンは流れた髪の隙間から彼を睨め上げた。
しかし彼女はまた金色の石を見て、顔を小さく歪めた。そして唇を、震わすようにして動かす。
「最初に感じたのは……大きな力と膨大な知識の量。森羅万象の全てを知ることすらできそうで、それを起こすための力もあった」
普段の状態で情報の洪水を浴びたことに目をチカチカさせながら、それでもハルシオンは懸命に足を踏ん張り、唇を動かした。
目の前の彼に、弱みを見せまいと。
「でもこれは……鍵番の乙女の状態でも感じたことがある、いつもの感覚」
ようやくそこまで言い切り、ハルシオンは目を伏せた。
再び目を開けた時彼女の目に入って来たのは、ミゲルがいつも浮かべているあの笑顔。
ハルシオンはそれがひどく、不気味なものに思えた。
「……そう。君たちにとってこれは、いつもの感覚なんだね。じゃあ、この石に触れ、君たちと同じ感覚を味わったことで僕がした解釈を伝えてもいいかい?」
ハルシオンはこくりと頷く。この不気味な少年が何を考えているか、知りたかったから。
ミゲルはハルシオンから背を向け、壁に向かって歩き出す。カツ、カツと硬質な音が、シャンデリアから降り注ぐ金の光に包まれた部屋に響き渡る。
「僕はね、この石を……"意識をつなぐ石"だと思ってるんだ」
「意識を……?」
「そう。そっちの透明な石の方……そっちに触れれば分かる」
ハルシオンはその言葉を受けて、水晶が置かれている台座へと足を運んだ。
水晶に被せられているガラスケースへと手を伸ばす。
がしっ。
ハルシオンの手が、ミゲルによって掴まれた。
いつの間にか近くにまで来ていた彼。彼女は一瞬驚いた表情を見せた後、厳しい目で彼を見た。
「ああ、でも、さっきの反応を見る限り、触れても意味ないんじゃないかな?」
その声は、彼と出会った時に見せられたような、どこか圧のある笑顔。
ハルシオンは彼の手を振りほどき、そうね、とだけ言った。
ミゲルはうっすらと笑顔を浮かべながら、また部屋の中を歩き出した。
「その石に触れると、全ヴェール・レースの意識と繋がる。ヴェール・レースたちはその石を常に持っていることで会話をせずとも、お互いの意思が分かるんだ」
「どうして、そんなこと……」
「さあ? 会議の時間を減らすとか、価値観の違いによる衝突とかを防ぐためじゃない?」
向こうを向いていたミゲルが、くるりと振り向いた。
「そしてその金の石、それが繋ぐのは……」
彼の笑顔に、黒さが増す。
「自然そのもの……言い方を変えれば無意識の世界、または、神……。つまり、神様の意識と繋いでいるんじゃないかって、僕は思うんだ」
その言い方には、どこか毒づいた響きがあった。
吐き捨てるようなその言葉に、ハルシオンが言い返す。
「いきなり、抽象的ね」
「僕の解釈に過ぎないからね。神様の意識と繋がってるって考えるのが、一番分かりやすいかなって思ったからこの言葉を選んだだけ。神様は、万能だからね」
そう言って、ミゲルは肩をすくめた。
「だから、ヴェール・レースの使っている透明な石も、鍵番の乙女が使っている金の石も、元を辿れば同じ種類の鉱物だと思う。強いて言うなら、ヴェール・レースの石の方が劣化版かな」
ハルシオンはミゲルが向こうを向いている隙に、さっと透明な石に触れた。
シャンデリアの光にあたり、無機質にきらめくその石に。
石の冷たさが指先に届いた瞬間、ハルシオンの頭には複数人の意思が流れ込んできた。
――真正の鍵番をどうすればいい?
――彼女を失ってしまえば大きな損失になる。無から生命の水が作れない。
――私は生命の水を作ることよりも、「真正の鍵番」が生まれたという事実に意義があると感じる。だから、彼女が死ぬまでの華々しい道筋を立てる方向がいいと思う。
――あなたは民衆からどう思われるか、それによる影響力のことばかり。
それはどうやら、会議の真っ最中のようだった。頭の中で彼女たちは話し合い、感情すら石を通して交換している。
ハルシオン自身を心配している感情もあれば、真正の鍵番という商品がなくなるかもしれない焦りの感情、自分たちの立場が危ぶまれることに危機感を持つ感情、様々なものが錯綜していた。
もう少し深く集中すれば、それぞれが前意識として持つ価値観や、それまでの生い立ちまで見えてくる。
――こんな、プライバシーも無い状態で彼女たちは生きていたのね。
ハルシオンは、そう思わずにはいられなかった。
そんな状態になってでも彼女たちがヴェール・レースになることを選んだ理由まで、触れていれば探れるだろう。ハルシオンは彼女らを、何か他の物のために自らの自由を捧げた、自己犠牲の人々だ、そう漠然と思った。
それほどまで彼女たちは、ある意味鍵番の乙女という存在に心酔しているように感じたから。
ハルシオンは初めて、ヴェール・レースたちが単なる人間であると感じた。
――きっと私が今感じている思いも、彼女たちには筒抜けだろう。
――だからこそ……
ハルシオンは、そっと透明な石から手を離した。
音もなく、ガラスケースを閉じて。
「……ハルシオン?」
ミゲルが振り向いた。彼の黒い髪が揺れる。
「なに」
「なに、じゃないよ。僕がヴェール・レースの石の方が劣化版かな、って言ったきり黙り込んじゃって。どうしたの」
「いえ、別に……。何をもってそっちが劣化版だと思うのかなと思って」
「それはやっぱり、繋がる対象さ。繋がるものがただの人間か、否か」
「そう」
また、二人の間を沈黙が流れた。
二度も石に触れたからか、くらくらする体を懸命に奮い立たせながら、ハルシオンは聞いた。
「ねぇ、ミゲル」
彼は ぱちり、と瞬きをした。彼の目をふちどる黒いまつ毛が、光に当たってつやめく。
「どうしてあなたは、私をこの塔に戻って来させようとしたの?」
「前にも言わなかったっけ、僕はこの塔の地縛霊みたいなものだから、遠く離れてもらっちゃ、話せなくなる……って」
「私と話したくてここに呼んだの?」
「そう、僕はたった一人で、暇だからね」
「……あなたは嘘つきね」
そう言った後、ハルシオンの視界はぐらりと揺れた。
床に体が叩きつけられる。倒れたのだ、そう彼女が気付いたとにには、もう目の前が暗くなっていっていた。
ただでさえ彼に生命力を奪い取られていた体に、石と触れることで体にかかった負荷。
ハルシオンの意識は、遠のいていった。
完全に意識を手放す直前、立ちはだかり見下ろしてきているミゲルから声が降ってきた。
「ハルシオン」
「ステンドグラスの階で……決着をつけよう」