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鍵番の乙女  作者: ふさふさ
14/19

帰還

挿絵(By みてみん)


 怖かった。

 がむしゃらに頑張れば、許されると思った。


 生命の水にした人の影が脳裏にちらつく。

 食べている時、ベットで横になっている時、メゾとの何気ない会話にクスッと笑った時。

 何かの弾みで、ふいにその人たちのことが頭によぎる。

――どうして自分たちを殺したお前が呑気に生きているんだ。

――ハルシオン。お前たち鍵番の乙女に、幸せになる資格なんてないのに。

 誰もそんなこと言っていないのに。自分が平穏に生きていることを、亡者から責められているような感覚にいつも苛まれて。

 心を休めることすら、罪のように感じた。

 私は常に罪に苦しみ続けなければならない。

 一生、贖罪をして生きなければならない。

 そんな風に、自分で自分を追い詰めた。

 自分の罪が、恐ろしかったから。

 命を生み出す練習をしている時だけは、苦しまないで済んだ。

 だってその行為は私にとって、とても分かりやすい贖罪の行為だったから。

 自分を犠牲にして頑張れば。そのぶん人々に貢献すれば。

 そうしているその間だけは、何かから、許されるような気がしたから。

 『許されないよ。』

 突如として割り込んできた、少年の声。

 この声を、私は知っている。塔の中、階段の途中で出会った彼。

 私は思わず耳をふさぐ。しかしすぐに、私はこの声を、この誹りを正面から受けなければならない、そう思い、耳から手をはがすようにしてどけた。

 その声は、闇の底から響くような仄暗さを携えている。

 聞くだけで全身に鳥肌が立つ、憎悪と怨恨の塊。

 その声は響き渡り、私を包む。

 『許されるはずがないんだ。』

 だめ押しするように、もう一度発された言葉。

 その声に私は、深い深い闇へと引きずりこまれる。

 思わず私は、「彼」の名を呼んだ。「彼」に助けてと叫んだ。その名は亡霊の少年ではない。「彼」はぶっきらぼうな、でもとても優しい、私の護衛。

 でも私は、すぐに手を引っ込め、助けを求め声をあげるのをやめた。

 誰に手を伸ばすことも許されない。だって私は、罪人なのだから。

 引きずりこまれていく。自分の罪に怯える恐怖の中、永遠に誰に対してか分からない許しを求める世界へ。

 亡霊の少年の声が頭上で響く。

 『ハルシオン……』


 『僕たちが出会ったあの塔で、待ってる。』






 ハルシオンは、塔にいた頃の自分に戻ったり、ここに来た後の自分に戻ったりと、記憶が混濁しているようだった。

 生命の水を作る練習をやめれば、すぐに戻るだろうとヴェール・レースは言っていた。

 しかし、一週間経っても二週間経っても、ハルシオンの様子が良くなることはなかった。

 それどころか、とうとう起きている時間よりも眠っている時間の方が圧倒的に長くなっていった。

 メゾはそんな状況に歯噛みした。「だから言ったのに」「結局ろくに守れなかったじゃないか」そんな言葉が頭の中でぐるぐると巡る。

 今の状況に参っているのはヴェール・レースも同じらしく、もしかしたらメゾ以上に彼女たちは憔悴していたのかもしれない。

 結局のところ、ハルシオンがこうなった原因は分からなかった。

 きっと過度な命を作り出す練習のせいだろうとはメゾもヴェール・レースも予想していたものの、それを止めた今も、ハルシオンの状態は悪化するばかり。

 一体何が原因なのか、頭を悩ませていた。

 このままハルシオンは、死んでしまうんじゃないか。そんな不安がメゾの胸をかき乱す。

 今まで護衛として仕事をしてきて、何度か人の死と立ち会ったことはある。

 守れなかった命、依頼人を守るために自らの手で絶った命。

 一人だって、その失った命を忘れたことは無い。その命が無残に散っていく瞬間は、今も生々しく思い出すことができる。

 名も知らぬ相手を自分の手で殺めたことに、罪悪感だってある。

 しかしそれは、「仕方ないことだった」。今はそう思っている。

 だって相手は、自分たちを殺そうとしてきていたのだから。

 何より、「仕事だから」。

 この言葉はメゾにとって、どんなことすら割り切った気分になれる魔法の言葉だった。

――今回だって、仕事なんだから割り切れなくちゃならない。

 本当に人の死を割り切れたことなんてあったか? そう心の奥底から響く自分の声を、メゾは気付かないふりをした。

――とにかく今は、目の前のこと……ハルシオンのことに全力を注ごう。

 そう思い、ハルシオンの部屋のドアに手をかける。

 最近のハルシオンはいつも眠っているから、ドアをノックする習慣なんて、メゾの中から消え失せてしまっていた。

 だから、いきなり開いたドアに驚き振り向く小さな顔、その弾みで揺れる白金色の髪に、メゾは一瞬言葉を失った。

 ハルシオンが、起きていた。

 「メゾ……」

 桜色の唇が言葉を紡ぐ。自分の名を呼ぶ声に、メゾは、ああ、今回は俺のこと分かるんだ、と漠然と思った。

 胸の奥を嬉しさがこみ上げていたのも束の間、ハルシオンが神妙な顔を見せていることに、メゾは遅ればせながら気付いた。

 どうしたんだよ、そんな声をかけるよりも先に、ハルシオンは崩れ落ちるようにして頭を抱えた。

 「ああ、どうしてなんだろう。」

 細い悲鳴のように放たれたその声。

 「彼の顔すらもう、思い出せない。」

 一体誰のことを言っているのか。まだ記憶が錯乱しているのか、メゾはそう思わずにいられなかった。

 ハルシオンは言葉を続けた。塔の中で、亡霊を名乗る不思議な男の子と出会った、と。

 そこから続いた話は、メゾの全く知らない話だった。

 その少年と塔の中を歩き、花冠の部屋やステンドグラスの部屋という、かつての鍵番の乙女の残骸が置いてある場所、世間から忘れられた、まるでかつての記憶が眠るような場所を案内してもらったこと。彼から少しだけ、鍵番の乙女について教えてもらったこと。少年は掴み所がなく、どこか恐ろしかったこと。そしてここに来てから、その少年の夢を頻繁に見ること。

 「あんなに印象深い体験をしたのに、その彼の顔がもう、思い出せない。どんな声をしていたのかも。二人でどこへ行ったか、彼からどんな話を聞いたかは覚えているのに。どうして。彼に対する記憶だけ、まるで切り取られたかのようにきれいに抜け落ちてた。ううん、覚えている瞬間はあるの。彼に関する夢を見た直後……。その時は覚えているのに、また数時間もすれば、どうしてか彼の記憶が無くなる! まるで、寝起きの時しか覚えていられない、夢の中の出来事みたいに……。」

――覚えてなきゃいけないのか。

――そいつのこと、覚えておく必要はあるのか?

 メゾはそう思う自分の心をわきにおき、混乱しきった彼女の腕を掴んだ。

 「ハルシオン、落ち着け!」

 その声で、彼女は我にかえったらしい。びくりと体を震わせた後、少しだけ視線を宙に彷徨わせながらも、しっかりとした口ぶりで話をした。

 「ごめんなさい、メゾ……。怖い夢、見たの……。」

 「いいんだよ。落ち着いてよかった。」

――ああ、ハルシオンだ。

 ここに来てからの記憶がない時と違って、触れても迷惑そうな顔をしないハルシオンであること。それに対して、メゾはつい、柔らかい笑みがこぼれてしまった。

 しかし当の彼女はまだ様子がおかしかった。相変わらず顔色は悪い上に、指を口元に当て、眉根を寄せながら何かを考えている。

 少しだけ訪れた沈黙。先にそれを破ったのは、ハルシオンだった。

 「亡霊の少年がってこと、メゾには話してなかったよね。」

 「え? おう、そうだな。」

 「ごめんなさい。隠すつもりは無かったんだけど……。彼のこと、私、思い出せなく、て……」

 「そいつのことだけ……? なんでだ?」

 「分からない……」

 ハルシオンの細い指が、ぎゅっとベットシーツを握る。その手に自分の手を添えようとして、メゾはそれをためらった。彼の手が、空中を握って、引っ込む。

 「私、彼のところに行きたい。」

 メゾの動作に気付いていたのか、いないのか。ハルシオンはそう言葉を付け足した。

 メゾが返事をするまで、少し間が空いた。

 「……そうか。」

 ちりりと傷んだ彼の胸の奥が、返事を曖昧なものにさせていた。

 「私、彼に会わなきゃいけない。彼の元に行かなくちゃ。」

 ハルシオンは、体をわななかせながらその言葉を続けた。

 その様子に、メゾは首を傾げる。

 「ハルシオン……?」

 「お願い、メゾも一緒に頼んで。ほんの少しでいい。私が塔に戻れるように。」

 






 ヴェール・レースの返事は、あっけないものだった。

 ハルシオンの少しだけ塔に戻りたいという申し出は二つ返事で受け入れられ、さらにそれに対して、「ゆっくりしてきてください」という言葉まで送っていた。

 ただ、他にあった頼みは聞いてもらえなかった。

 乙女を鍵番へと変える、森羅万象の鍵を貸してくれないか、その頼みはすぐにはねのけられてしまった。

 「あの鍵は特別なものです。鍵番の乙女であろうとも、おいそれと貸すことはできません。」

 ちなみに、何故貸して欲しいと思うのか。それを聞いても、ハルシオンは俯くばかりで何も言わなかった。

 とにかく、ハルシオンは塔に戻りたいことばかりを繰り返し告げていた。もう許可は出たにも関わらず、焦るように何度何度も。

 ヴェール・レースにその亡霊を名乗る少年のことを話したらどうだとメゾが言っても、ハルシオンは首を振るばかりだった。そうして、言いたくないのと、か細い声で訴えてくる。

 メゾは腰掛けた白いベンチの背もたれに背を預け、天井に広がる水光を見上げていた。

 夜の暗闇に溶けていきそうな広い部屋。唯一差し込む月の光が、部屋一面に張られた水に当たり、きらきらした光の粒を瞬かせていた。

 暗い水面(みなも)に浮かぶ花は、まるで光っているかのように錯覚してしまうほど白い。

 そして水に漂う花の中で、同じように浮かぶハルシオンも。

 月の光が傾き、彼女の姿を照らす。

 彼女の周りの水面(みなも)と、彼女についた雫がきらきらと輝き出す。ハルシオンの髪やまつ毛が透き通るように光る。

――これが、人の命を使った生命の水だなんて。

 恐ろしい背景とは裏腹に、なんて神秘的な光景なんだろう、そうメゾは思い、ため息を漏らした。

 ハルシオンはあれからまた眠ってしまった。

 メゾが急いで運んで生命の水に入れたものの、一向に目を覚ます様子が無い。

 だからこそ、起きてた時には言えなかった言葉がつい、口からついて出た。

 「お前一体、どうしちまったんだ?」

 訝しげに放たれたその声を、水か天井かが反響させる。

――だってあの時のお前は、明らかにおかし……

 そこまで考えて、メゾは首を ぶんっと振った。

――ダメだダメだ、おかしいなんて考えちゃ。だって今のハルシオンは多少様子が違くても仕方ないんだ。記憶が混濁してて、意識も少し朦朧としてるんだから。今はいつものハルシオンじゃなくて当たり前なんだ。

 そう考えながらも、メゾの脳裏にはいつも淡白だったハルシオンが浮かぶ。

 自分が知らない少年のために取り乱す彼女を見た時、本当は、体中の血が沸き立つような、それでいて耳が凍りつくような感覚を覚えていた。

 その激しさは、全身に痛みを感じるくらい。

――自分の知ってるハルシオンは、誰かのことでこんなに取り乱したりしない。

――いや、俺が知らなかっただけで、そいつがハルシオンにそうさせるくらい……な相手なのか?

 そう思うだけで、またあの感覚が蘇ってきた。

 その感覚の名前は分からない。ただ、ひどく不快で居ても立っても居られない衝動が突き抜けてくる。

 「ああ、くそっ!」

 耐えきれず、彼は悪態をついた。

――自分がそれを認めたくないからって、ハルシオンの様子がおかしいことにするなんて都合のいい考え方すぎる。そうだよ、きっとハルシオンにとって、こうなっちゃうくらい重要な相手なんだ。

 「そうなんだろ、ハルシオン。」

 本当は、今すぐにでも起こして聞きたかった。なんでもないような態度で聞いて、その答えを聞いても平然と流して、それで終わりにしたかった。

 「俺は護衛だ。お前がピンチになったら助けに行く。」

 水面に浮かぶ花がゆっくりと、くるりと回る。

 「……それだけだ。」

 その場に跪き、メゾは水に花とともに浮かぶハルシオンを見つめた。

 二人を、月の光が照らしていた。

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