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鍵番の乙女  作者: ふさふさ
12/19

ヒビ

 ぱり、ぱり。

 歩くと、枯れた草がひび割れていく音がした。

 ひゅう、と風が吹けば、乾いた土がかすかにまきあがる。水を失い、こちらもまたひび割れた大地が枯れた草の間から覗いている。

 そしてそこに、白金色の髪を柔らかになびかせながら、鍵番の乙女が降り立った。

 無数の視線が、光の化身のような美しい少女に集まる。見ているのは乾いた肌に疲れきった顔をした、この大地の住民たち。

 鍵番の乙女が、くっと空を仰ぎ見る。

 灼熱の太陽が彼女を照らし、その周りにある萎びてしまった作物にまでその光を浴びせた。

 鍵番の乙女の目が鋭くなる。

 何がとは言えない、しかしどことなく変わった場の雰囲気に、住民たちがどよめく。

 空がどこか、暗くなる。

 空に、黒真珠を煙にしたようなもやがかかり始めていた。

 やがてそれは厚みを増し、黒色を増していく。

 おおお、というどよめきが辺りを包んだ。答えるように、それは黒い身体に一筋の光を走らせた。

 突如として鳴った雷に住民たちは身をすくませた後、このあと起こるだろう出来事に、期待を込めて盛り上がった。

 ぽつり。

 空から、透き通った雫がひとつ落ちてくる。

 それは乾いた作物に当たって、透き通った輝きをばら撒きながら弾けた。

 ひとつ、もうひとつと雨粒は空に線を引きながら落ちていく。その光景に、見ていた人々の拍手喝采が響いた。

 住民たちは、それぞれのやり方で歓喜を表現した。両手を広げて、恵みを全身に浴びる者。口を開け、喉を潤す者。涙を流し、雨雲に感謝を捧げる者。

 やがて住民たちは鍵番の乙女に向かって跪き、こうべを垂れた。そして口々に感謝の言葉をこぼす。

 ざぁああ、と雨はさらに降りしきる。

 鍵番の乙女はスカートの裾を掴んでぺこりとお辞儀をした。そしてふわりとスカートを翻して、馬車に入っていく。

 後ろで傘をさしていたヴェールで顔を隠す女性や、護衛の少年と一緒に。

 雨が降り注ぐ中、傘もささず立っていた鍵番の乙女。彼女の長い髪も純白のワンピースも、一滴すら水に濡れることはなかった。




 さぁああ、さぁああ。

 雨粒が、馬車の屋根を優しく叩いてくる。

 メゾはその雨音の中で、かき消されそうなほど小さなハルシオンの寝息に耳をすませていた。

 ちらりとヴェール・レースの方を向く。しかし、彼女は相変わらずどこを見ているのか分からない。

 メゾの視線に気がついたらしく、ヴェール・レースはメゾの方に顔を向けた。どうしました、の一言を添えて。

 メゾは膝の上で指を軽く組み、ハルシオンに視線を落とした。

 それに対して、ヴェール・レースがぽつりと言う。

 「ハルシオン様のことが、心配ですか。」

 その言葉に、メゾは頭に かっと血がのぼるのを感じた。

――分かってるなら……!

 ハルシオンの負担を減らせ。その言葉をメゾはすんでのところで飲み込んだ。

 感情的になっては、できる話し合いもできなくなる、今までの経験で、そう感じていたから。

 メゾはヴェール・レースに気付かれないように静かに深呼吸をして、頭にのぼった血を落ち着かせるよう努めた。

 「……ずっと前から思ってたけどさ。鍵番の状態は、負担が大きすぎるんじゃないのか。だって鍵番になった後は、何日も命の水に浸かるなんて、明らかに限界を超えてるよ。」

 「そうですね。……人間が神の真似事をするのは大変だ、ということでしょうかね。」

 次の瞬間、見えないのにヴェールの中で彼女が嬉しそうに笑ったのが分かった。

 「まあ、ハルシオン様は人間の中でも、今や最も神に近い人間ですがね……。」

 その口ぶりに、メゾは背筋に寒気が走った。

――もし、もしヴェール・レースが盲信のあまり話の通じない人間だったら。

 嫌な予感を抱えながらも、さらに突っ込む。

 「……どういう、ことだよ。最も神に近いって。」

 「命を作り出せるのは神だけの御技です。ハルシオン様は、神としての条件を満たすことになるでしょう。」

 ヴェール・レースが大事そうに、手元の杖を撫でた。

 高揚したその話ぶりに、メゾの背筋はさらに寒くなった。

――なんだ? ハルシオンの話を聞いた限りじゃ、こいつらは生命の水だけに固執してるのかと思ったら。これじゃまるで……

 「神を作り出すこと、それがあんたらの願いか?」

 「私たちの願いはいつも、世界の平和に尽きますよ。メゾ。」

 にっこりと、笑っただろうその見えない顔が、メゾには恐ろしかった。

 自分たちの目の前で眠っているハルシオンは、確かに人間離れした雰囲気はあれど、ただの女の子だ、そうメゾは思った。同じようにヴェール・レースも彼女を見つめている。

――一体お前は、どんな表情で今、ハルシオンを見てるんだ。

 そのヴェールを剥ぎ取ってやりたい、そんな衝動がメゾの中で湧き上がって、消えた。

 「じゃあさ。今の状態はどうなんだよ。ハルシオン、どんどん顔色も悪くなってくし、眠ってる時間だって増えただろ。あんたらの言う神とやらになる前に死んじまう、そうは思わないのか。」

 「命を作り出す、その行いは色々と未知数なことばかりですからね……。一度でも良い、鍵番の状態で命を作り出す姿を、民衆に見せられたら。」

 ほぅ、とヴェール・レースはうっとりした吐息をもらした。

 「そうすれば、ハルシオン様は真正の鍵番として、いつまでも世代を超えて崇め奉られる存在となるでしょう。」

――あぁ。

――あぁ、そうなのか。

 ヴェール・レースのこの言葉を聞いて、メゾの中の謎が、一つの確信に変わった。

 「あんたたち、ただ信じられるものが欲しいだけかよ。」

 普段だったら言わなかっただろうその言葉。

 感情に任せて吐いてしまう。止まらない衝動に身を委ねて。

 「そりゃ、”鍵番の乙女”には分からなかっただろうな。あの状態、人の心には疎そうだもん。あんたみたいなやつは、何人か見てきたよ。信じられるものが欲しい、全てを預けられるような心の拠り所が欲しい、さもしい奴。そうか、ハルシオンはその欲望の餌食になってるだけだったんだな。」

 「信じる心を愚弄されるのは些か不快ですが、許しましょう。なにせ、子供の言うことですからね。」

 最後の言葉に、メゾは かっと頭に血がのぼった。

――うぜえ。

 「ってことは……」

 否定はしないんだな、その言葉を吐く直前で、メゾの口は止まった。

――いや、待て。

――ヴェール・レースが嫌味を入れてきた。今までこんなことはなかった。

――効いてる、ってことだ。

 今なら、ヴェール・レースが感情的になってる今なら。いつも以上に何か聞き出せるかも。そう思い、メゾは努めて明るい声で別の話を切り出した。

 「悪かった悪かった。でも、なんでそんな子どもに護衛なんか頼んだんだ? 事情を分かってる大人に頼んだ方が良かったんじゃないのか?」

 本当はずっと気になってたこと。

 何故わざわざ、子ども一人に護衛を任せたのか。

 「事情を分かってる、ね……」

 しかしヴェール・レースが反応したのは、そっちだった。

 「そうですね。我々としてもそうしたいところでした。しかし護衛と銘打ってる以上、外部から推薦された者を断りきれないところはありました。そうです。本当は部外者であるあなたを護衛候補に回したくなんてなかった。」

――来た!

――ヴェール・レースから本音が出てる!

 このチャンスを逃すかと、さらにメゾは食いつく。

 「じゃあ、他の護衛はヴェール・レースの意思をちゃんと分かってるし動けるのに、俺だけが何も分からないっていうのか?」

 なるべく理性を失っている風に。聞き出したい情報、「他の護衛二人は、ヴェール・レースにとって都合のいいよう調教された人物だったのか」ということを、隠しつつも聞き出せるように。

 「はい。」

 ヴェール・レースは答えた。護衛候補だったあとの二人が、ヴェール・レースの意思通りに動くという内容が、メゾの元に届けられた。

 「まさか俺なんかを選ぶとは、あてが外れたな。期待してたことは何一つ叶わなかったってことだ。」

――ハルシオンに取り入って、うまく懐柔させるとか、な。

 「いいえ。」

 ヴェール・レースの口調が、突如としていつものものに戻った。

 余裕のある、歌うような話し方。

 「先ほどあなたは、どうして同年代を選んだか、それについて聞きましたね。」

 「え、あ、ああ。」

――俺が聞いたのはどうして子どもを選んだのか、で同年代までは言ってないけど……

 冷静さをまだ欠いているのか、ヴェール・レースが勝手に出して来た情報。それをメゾは心に留めておいた。

 ヴェール・レースは言葉を続ける。

 「同年代、それも異性……」

 ヴェール・レースが とん、と馬車の床を杖で叩いた。

 やけにねっとりとした声が、耳へと入り込んで来た。

 「護衛を付けた本当の目的は、鍵番の乙女が恋をしてもらうためですよ。」

 「……は?」

 突然の言葉に、メゾはしばらく反応することができなかった。

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