消えていく産声
窓から白い光が天使の階段のように降り注ぐ。
その下で、白いワンピースをふわりと広げて座る少女が居た。
花冠で飾られた白金色の髪は、まるで光そのものが髪になったかのように美しく、そこから覗く少女の肌もまた、光り輝かんばかりに白かった。
整った横顔からは浮世離れした雰囲気が漂う。
少女の手には、宝石のようにきらめく果実がつままれていた。
それを少女は口に運び、口の中で転がした後、飲み込む。
静かな空間で、その一連の動作だけが繰り返されていた。
そして、やがて少女の動きが止まる。
体を曲げて、苦しそうに身を捩り出す。
白くきゃしゃな手が、彼女の口元に当てられ、そして。
「あ……あああ……」
口元から離された彼女の手から、小さな小さな声がした。
「ハルシオン!」
ばたばたと音を立てて、部屋に入って来たのはメゾだった。
唯一草花が生えていない、白い石の道を通って、ハルシオンがいる部屋の中央に向かって来る。
「メゾ……どうして私がここにいるって分かったの?」
「ヴェール・レースから、ハルシオンがこの、人を生命の水に変える部屋にいるって聞いた。」
メゾの視線がハルシオンの手元と、白い床の上に置かれた二つの装飾された箱にいく。
ハルシオンは思わず、手に乗せていた薄紅色の塊を、手の平で包むようにして隠した。
「……それ、なんだよ。」
「あ!」
しかし、メゾの手によって無理矢理開かれてしまった。
「これは……」
それを見たメゾが独り言のように呟く。
ハルシオンの手の中には、もぞもぞと動く、あまりにも小さな人型の生き物がいたのだ。
あああ、あああ、と、その生き物は鳴き声をあげている。
それはまるで、赤子の産声。
メゾは、隣にあった箱に手を伸ばす。ブドウがたくさん入っているのが見える箱では、ない方。きっちりと蓋をされた箱の方に。
「や、やめて、メゾ!」
ハルシオンも慌てて手を伸ばす。しかしその弾みで、ころんと手に乗せていた生き物が転げ落ちてしまい、反射的にそっちを拾い上げた。
その隙にメゾは ぱかっ、と音を立てて蓋を開けた。すると。
中には、ハルシオンの手の中にある生き物にそっくりな、しかしすでに生き絶えた、元生き物たちが丁寧に並べ、入れられていた。
メゾは顔色を変え、その箱の中身を見つめ続ける。ハルシオンは唇を噛み、俯いた。
数秒間、音の無い、静かな時間が訪れる。
――見られた……。
理由の分からない羞恥心がハルシオンを襲ってくる。
俯いたまま、目を閉じた。
メゾが動く気配がする。真っ暗な視界の中では分からなかったが、恐らく自分の方に体を向けたのだろうとハルシオンは思う。
「ハルシオン、最近やつれたと思ったら、ずっとこんなことしてたのか?」
その言葉に、恐る恐る顔を上げた。
メゾの顔に、軽蔑の色がないことにハルシオンは人知れず安堵をした。
そのままおずおずと頷き上目遣いでもう一度メゾを見る。
手の中にいた生き物は、もうとっくに息絶えていた。
「どうして、こんなことを。」
メゾが聞く。ハルシオンはさっきまで動いていた、元生き物をそっと手の平に包み込み、祈るように指を組んだ。
「生き物を……」
そっと目を伏せて、ハルシオンは呟いた。
「生き物を産む練習をしてたの」
話は、数日前にさかのぼる。
ハルシオンとヴェール・レースが生命の水にされる人と、生命の水を必要としている人に会いに行ったあの日。馬車に揺られながら、ヴェール・レースは言った。
生命の水を作るために誰かの命を使うことは、いつの時代も人々の反感を買い、ヴェール・レース間にも迷いがあったこと。
どんな自然現象でも生み出し、原子すら生み出せる鍵番の乙女でも、どうしてか命だけは生み出せなかった。それは植物でも、動物でも。
ごく一部の鍵番の乙女を除いて。
そういった一部の乙女たちが命を作り出せるようになっても、簡単に生命の水作り出せるようにはならなかった。
かつての真正の鍵番も、体に命の作り方が馴染むまで、何度も「練習」しなくてはならなかったらしい。
最初は生み出す命もすぐにこと切れたものの、少しずつ慣れていけば、1時間、2時間と寿命が長くなっていく。
あまりにも寿命が短いものは、生命の水になり得なかった。
そして命を作る練習は、鍵番の乙女ではなくハルシオン本人がしなければならなかった。
生命の水を無から作るためには、ハルシオンの努力が必要不可欠だったことを、ヴェール・レースから知らされた。
「あそこのブドウ……アメトリンのしずくって言うんだけどね、あそこのブドウは……特別なの。まれにアメトリンのしずくに種ができてね、それを体に入れると、命が作れるようになるんだって。でも、種だけじゃダメなの。種は命を作る設計図みたいなもので、設計図を手に入れただけじゃ作れない。材料がないと……。その材料になるのが、アメトリンのしずくの果肉。だから私は、アメトリンのしずくを食べて、生き物が体の中で作られるのを待って、その生き物ができたら吐き出す、それを繰り返さなきゃならないの。体が覚えるまでその練習をしてやっと、私は鍵番の乙女の状態になっても、生き物を作れるようになるんだって。アメトリンのしずくを食べなくても。」
話の最後を、ハルシオンはそう締めくくった。
メゾはしばらく何も言えなかった。対照的に、頭の中で回る思いや疑問が、メゾの中でうるさく騒ぐ。
――ハルシオンは確か、ずっとブドウを食べて生きてたって言ったよな。そんな奇妙なものをずっと、食べさせられてた?
――ハルシオンが最近どんどんやつれていったのは、この「練習」のせいか?
――おかしい。鍵番の乙女の状態になるのも、今こうやって命を生み続けてるのも。今こうしてハルシオンの様子を見れば、明らかに体にめちゃくちゃ負荷がかかってるのが分かる。
――間違いない。人の体の限界を超えたことを、ハルシオンはやっている。
光の褪せた彼女の目をひたと見つめる。弱々しく見つめ返してくる彼女の姿に、メゾは胸が痛んだ。
「ハルシオン、なんでそこまでして、頑張るんだよ。お前がそんなに頑張る必要、あるのかよ。」
様々な思いが合わさり、メゾの口から言葉が出た。
本当は、もっと他に言いたかったことがあるはずなのに。そう、メゾは言葉にならない自分の中の何かを、もどかしく感じた。
「だって私は、鍵番の乙女だから。」
返ってきたのは、その言葉だった。
あの部屋で、ハルシオンはまだ命を生み続けている。
メゾは早歩きで、いやってほど窓から外の光が降り注ぐ、広い廊下を歩いていた。
――なんであの時、おれはもっと何か言えなかった?
あの時返された「鍵番の乙女だから」という言葉。それを聞いてメゾは、「そうか、それなら止めない。」と、それだけ言って部屋を出て行ってしまった。
――ハルシオンは、きっとおれとは違う、比べ物にならないほど大きな責任を背負ってるんだ。
――そうだよ、邪魔をしちゃいけない。相手はあの鍵番の乙女なんだ。
自分とは違うものを見ているらしい、彼女のその言葉。
――いや、違うだろ。
頭の片隅にいる冷静な自分が声を投げてくる。
――本当に感じた気持ちはそれじゃない。あの時おれは確かに。
「……ショック、受けてたよな。」
――あんな風に壁のある返答されて。そう言われたら、これ以上何もつっこめないじゃないか。
――本音を見せる相手にもならないって言われたみたいで。
――ああ、心、閉ざされてたんだって分かるのは、こういう大事な時だよな。
自嘲気味に、メゾは小さく笑った。
誰にも心を開かない、冷淡で美しいお姫様。
ハルシオンの第一印象をもう一度心の中でそらんじた。
「どうすればいいんだよ……」
あの行動を止めさせるべきかも分からない。それでも自分は、あれをやめてほしいと思っている。
――何でやめてほしい?
――ハルシオンが、どうしてか自分を追い込むかのようにあれをしてるから……
――違う、ああやって生き物を生み出すのがおぞましいって思ったからだろ?
――淡々と生き物を吐いて捨てるハルシオンが、嫌だったんだろ?
――違う、そうじゃない! そんなはず、無い!
――でも、ヴェール・レースに、「ハルシオンに何させてんだ」と憤りは、した。
――やっぱりあの行動が嫌なだけじないか。
――ハルシオンは理由があってやってるんだ。嫌だなんて思い方、したくない。
――それに、あれがハルシオンの使命ならおれはきっと止めない。おれが止めたいのは、自分を傷付けるように無理に使命を全うしようとするハルシオンだ!
自分の中で巻き起こる自問自答。
メゾは はあ、と最後に大きくため息をついた。
手で顔を覆う。ごつごつとした剣ダコが、顔に当たってくる。
自分の中から、言葉が湧き上がってくる。
――自分の知らないところで何が起こってるのか。ここで逃げたら、永久に知れないままだぞ。
メゾは顔を覆っていた手を勢いよく離し、元来た道を戻った。
ハルシオンが生き物を作り続けているあの部屋に向かって。
「自分を傷つけるようにして頑張ったって、救われないぞ、ハルシオン。」
そう言って、メゾは廊下を走っていった。
カンカンと、音を立てて。
メゾという少年は、鍵番の乙女の元へ走っていく。
「上々。」
ヴェール・レースは、嬉しそうにそう言って、くるりと身を翻した。
さわさわ、さわさわ。
光に紛れて人がいる。風に紛れて声がする。
「命を作るための設計図があるって知ってた?」
「それさえ手に入れれば、命が作れるようになる。」
「昔、ブドウの種を飲んだ子が、その子だけ、ブドウを生み出せるようになったことがあったの。」
「だって種には、その植物の設計図が入っているから。植物がどう育って、どう花を咲かせて、どんな風に体に栄養を行き渡らせるか全て。」
「人間に種があれば。種を飲んだ子だけは、人の命も作れるだろう。」
「でも人間には種がない」
「なら人間を、種のできる植物に変えてみるのはどうだろう」
「人間を生命の水に変えられるのだから、それだってできるでしょう」
「人間をなんの植物にする?」
「じゃあ昔話に沿って、ブドウなんかどうだろう」
誰が誰の声か分からないくらいごちゃごちゃになった辺りで、一陣の風のような声が聞こえてきた。
「ハルシオン。」
聞き覚えのあるその声。
「やっと、自分たちの罪を思い出したかい?」
馴染みの深い塔の中、夜の闇が被さる階段で、あの亡霊の少年が立っていた。
「……!」
そこで、ハルシオンは目が覚めた。
目の前には、広いベットの天蓋が暗闇の中で広がっていた。
亡霊の少年の声は、ぞっとするものだった。まるで化け物に追いかけられた夢のように、まだ背筋が冷たかった。
「私……」
むくりとベットから起き上がる。
「あの男の子のことについて、知らなきゃ」
ハルシオンは裸足のまま、まだ悪夢を見た汗も引かないまま、一人夜中の廊下を走っていった。
ただの夢ではない。
そんな確信を胸に、朝日が昇るのも待てず、ハルシオンは生命の水にされた人々の名簿を探し、城の中を彷徨った。