表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鍵番の乙女  作者: ふさふさ
10/19

生命の水

 目覚めたのは、自分の涙によってだった。

 目の端を涙が伝う感触。ハルシオンが涙を指で拭おうとした時、ようやく彼女は自分が水の中に浸っていると気が付いた。

 そしてその途端、ハルシオンは顔色を変えた。

 ばしゃっ、と音を立てて、起き上がる。そして手の平で、腕や髪についた雫をぬぐい続ける。

――こんなもの、一秒でも触れていたくない!

 この水に対しての拒絶が現れるかのように、ハルシオンの肌に鳥肌が立つ。

――だってこの水は、人……

 「え……」

 ハルシオンは声を漏らした。

 白い髪についた雫が、するりと伝う。

 「私、どうして覚えているの。」

 その独り言は、水に吸い込まれ消えていった。

 ハルシオンの桜色の唇に、白い指が当てられる。

――私、あの鍵番の時のこと覚えている。

 あの時に感じた膨大な知識。それを現実化させる方法。そして。

――途方も無い、全てへの無感情。

 ハルシオンは水に腰から下を浸したまま、自分の体を掻き抱いた。

 寒さによるものか、感情によるものか、彼女は体を震わせていた。

 白い壁に、揺らぎ踊る水の光がうつっている。それはまるで人の魂のように、掴み所なく揺蕩う。

 「目覚めたのですね。鍵番の乙女よ。」

 「ヴェール・レース……」

 いつからいたのか、どこから出たのか。ハルシオンの目の前にはレース地のヴェールで顔を隠す女性が立っていた。

 杖の先の宝石が、水光に当たってきらきらと輝いている。

 ハルシオンは血の色が透ける赤い目で、ヴェール・レースを睨みつけた。

 「あなた、よくも……。この、人殺し。」

 その言葉に、ヴェール・レースは数秒の間言葉を失わせていた。そしてその沈黙の末に出た彼女の言葉。

 「鍵番の乙女よ……。まさか、鍵番の時のことを覚えておいでなのですか?」

 その言葉に、ハルシオンがより一層顔をしかめる。

 「最初に確認するのがそれなの?」

 「失礼、鍵番の乙女よ。しかしとても、大事なことですわ。」

 「私だって分からないよ。どうして自分が、今まで忘れてはずのことを、今回は覚えているのか。鍵番の時に、私の意思が目覚めた理由も。」

 ハルシオンのその言葉に、ヴェール・レースは黙りこくってしまった。きっとあのレースの下では何かを考えている、そうハルシオンは思いながら、彼女を見つめていた。

 ハルシオンが水の中から声を投げかける。

 「……なんで、こんなこと、するの。」

 ヴェール・レースが一拍おいて言葉を返す。

 「こんなこと、とは。」

 「死にかけた人や犯罪者を生命の水にする理由よ。」

 彼女は、淡々と答える。

 「生命の水は、人の命からしか作れないものだからです。その水は病を治し、傷を癒す奇跡の水。あなた方、鍵番の乙女もいつも使っているでしょう。人々を癒し、救うために生命の水は作り続けなければならないのです。」

 「嘘よ。あの時の私に聞いたら、それは権力者たちに渡して取り入るため、そうやって立場を守るためだって言っていたわ。」

 「……あの時の私?」

 「鍵番の時の私よ!」

 その言葉に対して、ヴェール・レースは まあ、そんな、人格が二つということかしら。と、ハルシオンの気になるところとは別の場所に興味を持ってしまった。

 ハルシオンは小さく舌打ちして、上目遣い気味に睨む。

――ああもう、その話がしたいわけじゃないのに!

 その剣幕にヴェール・レースも、意識を自分の疑問からハルシオンに向け直した。姿勢を正し、分かりやすく話を聞く態度を見せる。

 それを見てハルシオンも少し息を落ち着かせた。それでもまだわななきそうな声で、上手く言葉に表せない激昂を口にした。

 「正しくない、こんなこと、正しくないよ。」

 ヴェール・レースは淡々と、それでいて優しげな声を出す。

 「しかしそうすることで、助かっている人はたくさんいます。」

 「だからって、こんな、」

 その先は、言葉にならない。

――分からない。正しくないとは思うのに、何がどう正しくないと思うのかが言い表せない。

 黙って見てきているヴェール・レース、その見えない目が話のまとまらない自分を苛んでいる気がして仕方がなかった。

 ヴェール・レースは喋る。歌うような声で。

 「では、会ってみましょう。生命の水となる者、そして生命の水を必要としている人に。」

 「え……」

 ハルシオンにとって、予想外のその言葉。

 ヴェール・レースはいきなり、水の中にいたハルシオンの手を引き、ハルシオンを水からあがらせた。

 そのまま用意していたらしい柔らかいタオルでハルシオンの体をささっと拭き、言った。

 「身なりを整えさせます。準備ができたらそこに行きましょうね。」

 部屋の外から櫛や香水、花や服を乗せた台を転がした使用人たちがやってきた。

 ヴェール・レースが使用人たちに声をかける。

 「今日はやっぱり、人前に出る格好にして頂戴。」

 ハルシオンは急な展開に言葉を無くし、ただ椅子に座らされ、濡れた髪を拭かれるがままになっていた。

 有無を言わさぬその様子に、従ってしまっていた。

 ハルシオンは戸惑いながらも、その時、脳裏には生命の水にした老人の家族、その恨めしそうな顔が浮かんでいた。

 自分に向けられた悪意、それをものともしない鍵番の時の自分が、ヘドロのようにどろどろと胸の中を渦巻いて。

――知りたい。

 何を知れるのかも分からないまま、ハルシオンの心の中を回るヘドロが、その思いを練り上げた。




 最初に来たのは、この建物の地下だった。

 ヴェール・レース曰く、生命の水になることが決まり、その日が近かった者だから、ここに移していたらしい。

 心の準備もできないまま、ハルシオンは連れてこられた。

 ひんやりとした冷気に包まれた地下は、壁や床に石が敷き詰められていた。時々廊下の壁に備え付けられたろうそくが、頼りなさげに炎を揺らす。

 そしてろうそくの灯りによって浮かび出される、鉄格子。その奥に続いている、誰もいない狭い部屋。

 ここは間違いなく、牢屋だった。

 辺りに漂う冷気が気温によるものか、死者の無念によるものか分からなくなり、ハルシオンは冷えた自分の腕をさすった。

 「ここですよ。」

 ヴェール・レースが立ち止まり、とある牢屋を指差す。

 頼りない灯火の中。牢屋の奥はよく見えず、ハルシオンは気持ち前かがみになって中を見ていた。

 すると、もぞ、と何かが動いた。

 「う……」

 その人は、くるまっていた毛布をどかし、こっちを向いた。そして二人に気づくや否や、特に、ハルシオンの方を見るや否や、がばっと体を起こした。

 ハルシオンが、びくり、と体を震わせ、ヴェール・レースの後ろに隠れる。

 牢屋にいた中年が、ばたばたと音を立てて鉄格子に近付き、手をかけた。そして鉄格子の隙間から、できる限りその手を伸ばして来た。

 そして顔をくしゃくしゃにしながら、こう叫んだ。

 「た、助けてくれ! 俺はもう、本当に反省してるよ! もうあんなことしない、助けてくれ!」

 ハルシオンが上目遣いになりながら、ヴェール・レースを見上げて呟く。

 「この人、何をしたの……?」

 「何人もの人を、拉致監禁して、挙句に殺した男です。」

 ハルシオンはその言葉に息を呑み、もう一度、恐る恐る男に目を向けた。

 「助けてくれ……。死にたくない、ごめんなさい、ごめんなさい……。魔が差したんです。本当に、あんなことして悪かったと思ってる。どうか、許してください……。」

 男は途中から、ぽろぽろと涙を流し、鉄格子に頭をこすりつけながら必死に謝り出した。

 ハルシオンはつい、ヴェール・レースに目をやった。しかしヴェール・レースは何の反応も男に返さない。それどころか、怒っているようにさえハルシオンには見えた。

 「……ねえ、この人、そんな悪い人、なの……?」

 つい口から出た言葉に反応したのは男だった。

 「本当に、悪いことをした。俺はどうしようもない犯罪者だ……! もうあんなこと絶対にしない。だから、だからどうか殺さないでくれ!」

 哀願する男を見て、ハルシオンの眉が下がる。

――この人、自分が悪いことをしたって、こんなに反省してる。なのに、死刑にしなきゃいけないの……?

 「鍵番の乙女よ。」

 考え事をしていたハルシオンの意識を、ヴェール・レースの声が現実に戻した。

 低く、冷たく、ヴェール・レースは言う。

 「この犯罪者は、そう言って何度も刑を軽くされ、社会に戻って行きました。そして、その度に犯罪を繰り返すのです。この男を野に放ちさえしなければ、あれ以上犠牲者は出なかった。だからもう二度と、この男を野に放ってはいけない。何度もこの犯罪者の口車に、私たちは愚かにも騙されて来ました。同情を誘う。それがこの者のいつもの手口です。」

 男はそれを聞いている間も、床に頭をこすりつけ、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返していた。

 ヴェール・レースはさらに語りかけてくる。

 「他の犯罪者も見て回りましょう。」

 手を引かれ、ハルシオンはまた別の牢屋へと移動させられた。

 心の整理もつかないまま。




 牢屋の次に見に行ったのは、一階の病棟。生い先短い人たちがそこで寝かされ、生命の水になる日を待っている。

 そこは牢屋と違って明るくて、暖かい場所だった。

 ハルシオンは失っていた血の気がだんだん戻ってくるかのような感覚を覚え、ひとつ、大きく深呼吸をしていた。

 先ほど回った地下の牢屋。あそこではあの後、ハルシオンたちに汚い罵声を浴びせ続ける犯罪者や、ひたすら自分がして来た悪行を自慢げに語り続ける犯罪者など、ハルシオンにとって信じられないような世界だった。

 そして何より、一通り回って戻って来た時、あの許してくれと哀願していた男。

 あの男は、牢屋で大の字になって、いびきをかいて寝ていたのだ。

 本当に反省していたのか、そう思い言葉を失うハルシオンに、ヴェール・レースはぽつりと話しかけた。

 これが、この男ですよ。と。

 それ以上ヴェール・レースは何も言わなかったが、その一言だけでもハルシオンは、十分すぎるほど雄弁な一言のように思えた。

 対してこの病棟は、広い部屋でベットに寝ている人、その人を見守る家族らしき人が静かに佇む、まるでかつて自分がいた塔のような雰囲気のある場所だった。

 ヴェール・レースが一つのベットに近付いていく。

 ハルシオンは ふっと前に浴びせられた、家族からの怨恨の目を思い出し、気持ち足がすくんだ。

 ヴェール・レースは丁寧に家族とその本人にお辞儀をして、何かを話している。

 そしてその家族が、ハルシオンの方を向いた。

 びく、とハルシオンの指が小さく動く。

 駆け寄ってくる家族。しかしその人たちの表情は、悲しげではあるものの憎むような表情では無かった。

 深々と、家族の人にお辞儀をされる。

 「初めまして、鍵番の乙女様。どうぞ、父をよろしくお願いします。」

 この人の言う父、とは、恐らくこのベットで横になっている老人のことだった。

――よろしく、お願いします?

 ハルシオンは言われた言葉を頭の中で反芻した。そして、噛み砕ききれないまま、その疑問を口にした。

 「待って、ください。あの、よろしくお願いしますって、どういう……」

 その言葉に、娘さんは首を傾げた。ハルシオンはそれを見て、もう一度、慎重に自分の疑問を口にする。

 「その、お父さんを……殺し、てしまう、私が恨めしくないのですか。だって、前のあの人たちは、その……」

 それ以上は、言葉にならなかった。

 ハルシオンのその様子を見て、娘さんは ふっと柔らかく笑った。

 悲しげに。そして光に当たる花のように、柔らかく。

 「父は、治らない病に十分苦しんで来ました。生きている方が、もう辛い、父はいつもそう言っていて、今回、生命の水になることを志願しました。なので……悲しくはありますが、あなたのことを恨んだりはしませんよ。それどころか私には、あなたのことが父を救ってくれる天使様のように見えます。」

 ハルシオンは、言葉を失った。

 そして続けて、ベットから呻くような声が聞こえてくる。

 ベットで横になっているその人は、呻きながらも首をハルシオンの方に向け、苦しげに唇を動かした。

 「鍵番の乙女様。自分は、もうどうにもならないこの命が、最期に誰かの助けに変わるなら……こんなに嬉しいことはありません。生命の水にして、可能性のある誰かの命を救ってください……。それにようやく、これで自分も楽になれます。家族にも、迷惑かけて……。本当に、ありがとうございます、ありがとうございます。」

 そう言ったその人の目からは、透明な雫がひとつ、こぼれていった。

 見ると、彼を囲んでいた家族の人たちはみんなすすり泣いていた。

 それなのに誰一人ハルシオンを責める人はおらず、ありがとう、お願いしますと、その言葉を皆して繰り返していた。




 「……」

 外はもう、夕陽の色に染まっていた。

 窓から差し込む夕焼けの光が、広い廊下にこぼれ落ちている。

 先に歩くヴェール・レースをハルシオンは追いかける。その間、何度も窓から差し込む夕焼けの光をくぐった。

 「ヴェール・レース……」

 「あと一箇所ですよ。」

 私もう、いっぱいいっぱい。

 その言葉を、ハルシオンは飲み込んだ。




 最後の、生命の水を必要としている人がいる場所は、解放の土地の外だった。馬車に乗せられ、ハルシオンは落ちていく夕陽を見つめながら、繰り返し、繰り返し生命の水にされる方の人たちのことを思い出していた。

 記憶が最後までたどり着いては、またもう一度最初から追憶が始まる。まるでオルゴールのように記憶の追憶は止まらなかった。

 「……ここ?」

 着いたのは、解放の土地にあるお城ほど立派ではないものの、かなり立派な建物だった。ハルシオンの問いに、ヴェール・レースが答える。

 「はい。ここは世界でも名のある病院です。ここにたくさんの人が治療と……そして、生命の水を頼って訪れます。」

 入りましょう。ヴェール・レースに促されて、ハルシオンはその病院に足を踏み入れた。

 その途端目に入ったのは、ずらりと並ぶ人々。

 「ようこそ、ハルシオン様!」

 そして声を合わせ、歓迎の言葉を口にした。

 ハルシオンが来ると聞いて、待っていたらしい。

 適当な挨拶を酌み交わし、ハルシオンは病院を回った。

 「鍵番の乙女だ……!」

 「あの人、ハルシオン様だよ。私、あの人が一番好きなの!」

 やけに高揚した空気の中を突っ切るのは、ハルシオンにとって若干の居心地の悪さを感じさせた。

 ヴェール・レースが語りかける。

 「鍵番の乙女は、俗っぽい言い方をすれば人気商売なところがありますからね。あなたは稀有な美しさから、人気がとても高かったのですよ。鍵番の乙女の力をお披露目する時も、あなたの時は人が多かった。あなたをモチーフにした品もかなり売れていました。」

――私の知らないうちに、いつの間にそんなことが。

 道行く人の声から、"白い妖精"だ、そんな単語が聞こえてきていた。

 そんな喧騒から離れ、ハルシオンが辿り着いたのは病院の一室。

 子どもが管に繋がれて、ベットに横たわっている。母親らしき人がその側で、その子の手を握っていた。

 先ほど見た、病気の老人とその家族の光景にどこか似ていて、どこか対照的なその光景。

 それは、死のうとしている命と、生きようとしている命。

 「鍵番の、乙女様。」

 はっと、ハルシオンの意識が引き戻された。目の前にはいつの間にか、その子どもの母親がいた。

 母親は目を赤くして、震える手でハルシオンの手を掴んだ。

 その力の強さに、たじろぐほどの必死な剣幕に、ハルシオンは握られた手を、握り返すことも忘れていた。

 「どうか、どうか生命の水をよろしくお願いします。大事な娘なんです、あなた様の生命の水が、最後の支えなんです! お一人で作られるのは大変でしょうが、どうか、どうかよろしくお願いします……!」

 母親の目から涙が溢れてくる。

 哀願するその目を、ハルシオンはそらせなかった。

 すぐ隣では、ひゅー、ひゅーと子どもの苦しそうな吐息が聞こえてくる。

 死にたくないと懇願する罪人と、もう助からないのだから人のために生命を使いたいと決断した病人と、生きたいと願う命。

 生命の水を中心にして、それぞれの願いが入れ替わり立ち替わりハルシオンの頭の中を駆け巡っていった。




 「………………………………。」

 「………………………………。」

 夕陽の残光がかすかに見える西の空を見ながら、ハルシオンは馬車の窓に頬杖をついていた。

 馬車の天井に吊り下げられている、花の形をしたランプが絶え間なく揺れている。

 馬の足音と車輪の回る音だけが、ハルシオンとヴェール・レースの間を流れていた。

 しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはヴェール・レースだった。

 「今日の人たちを見て、どう思いましたか。」

 「どうって……」

 ハルシオンは視線をさ迷わせた後、虚ろな目で唇だけを動かした。

 「……なんだか、仕方ないのかな、って思った。」

 「仕方ないとは?」

 「生命の水になる条件は厳しく取り締まられてる、生命の水をあんなにも必要としてる人たちがいる。あの後も、たくさんの病室を回ったよね。あんなに……必死に必要としてる人たちがいるなんて、考えもしてなかった。

 だから、仕方ないのかな。って、生命の水にされる人の説明を聞いて、思ったよ。」

 犠牲者が出てしまうのは。

 ハルシオンはその言葉を、どうしても言うことができなかった。

 ヴェール・レースは、ハルシオンと二人きりの時に、馬車の中で生命の水になる人の条件を説明していた。

 犯罪者は、罪の内容や反省具合、それらから裁判官が裁判で刑を決める。その中で、稀に出る死刑囚。生命の水になることとは死を意味するため、処刑方法がギロチンや首吊りからこっちに変わったものだとか。

 そして、もう助からない、寿命の近い人。

 彼ら彼女らは、老いや難病など、もう助からない、激しい苦痛がある人のみ適応される。尊厳死、と言われるものだった。尊厳死と自殺は別のものとされていて、自殺志願者は生命の水になり得なかった。尊厳死は本人の意思と家族の同意が必要で、原則として本人がそうしたい、と言う意思が必要だった。ただ、本人が意識不明である場合は、家族の同意だけでも良いとされた。

 犯罪者の処刑と、尊厳死。厳しい審査のもと、彼ら彼女らは生命の水の材料となるのであった。

 ヴェール・レースは、ハルシオンの心境の変化に対して、何も言わなかった。それでも、ヴェール・レースはこの変化を喜んでいる、ハルシオンは、そんな気がしてたまらなかった。

 「ねえ、ヴェール・レース。」

 窓の外を見たまま、ハルシオンは言葉を続ける。

 「あんなに必要としてる人たちがいる。それでもやっぱり人の命を奪いたくないって思うのは、私のわがままなのかな?」

 外にはもう、夕陽の光は無くなっていた。

 夜の暗闇と月明かりだけが、その空を占拠している。

 ヴェール・レースは言葉を投げかける。

 「そんなことありませんよ。それは、当然な感情です。」

 また、沈黙。そして。

 「あなたはこれを見ても、まだ誰かの命を奪って、生命の水を作りたくないとおっしゃるのですね?」

 ヴェール・レースの優しげな声。その声が放つ言葉に、ハルシオンはさっと血の気が引いた。

 怖かった。

 それでも、体をヴェール・レースに向き直らせて。

 こくりと、強く、頷いた。

 「ならば、お教えしましょう。」

 ヴェール・レースが言う。

 「犯罪者や病人の命を使わずとも、生命の水を作り出せる可能性が、あなたにはあることを。」

 「え……?」

 「あなたは命が作れる真正の鍵番なのですから。」

 ハルシオンの脳裏に、アメトリンの宝石を雫にしたような、あのブドウがよぎった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ