序章2
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聖導歴3624年。世界の頂に鎮座する大帝国があった。
彼の国は三百年前に起きた北方魔族の侵攻を退け、魔軍を率いた『冥府の女神ヘル』を生け捕りにした『北戦争』の勝利により勃興した。
勝利に導いたのは当時十五歳の少年――エルマ。
勇者として生まれついた彼の者は、人類の悲願であろう南の魔族支配領域――暗黒大陸を奪い返すため遍歴の旅を続けていた。だが、北の異変に気付くと彼は踵を返しアルビノ島へ仲間と共に馳せ参じたのである。するとエルマたちは瞬く間に魔軍を圧倒し、その地に自らの王朝を開いた。勇者エルマは名をアマルデウスと改め、滅びかけていた旧王朝から国を引き継ぎ、新生『アルビオン王国』が誕生した。
アマルデウスは捕えた女神――ヘルを奴隷にすると、彼女に産ませた子供を土産物として妖精の国『フェアリランド』のエルフ達に貢ぎ、人類で初めて妖精国との国交を樹立。同時に軍事同盟を締結した。
北戦争から僅か一年で軍備を整えると、返す刀で大陸へと攻め込んだ。
魔族支配領域を奪取する為の聖戦ではなく――人の治める国々を。
人と妖精によって構成されたアルビオン軍は各国を怒濤の勢いで攻め落としていった。これに恐れをなした国も次から次へと併合し、瞬く間に版図を広げてしまう。
北戦争から一〇年足らず……アルビオン王国は世界を制覇してしまったのだった。
それから二〇〇年に渡る統治を経て、奪うだけ奪ったアルビオンは各国の独立を許した。
人々は彼らをこう言う――慇懃無礼・横行闊歩のアルビオン、と。
この傲慢な超大国に立ち向かおうとした者たちも歴史の中に現われた。
しかしアルビオンの圧倒的軍事力を前にしては無力であった。アルビオンが斯様な覇権国家としてあり続けるため、その世界支配を支えた陰の立役者というのが――魔術師という存在である。
世界の理に通じ、精霊と魂を通わせ、秘技を読み解く者。
アルビオンは勇者エルマと旅をした魔術師たちを国家の中枢に据え、魔術師の育成に取り組み、世界に先駆けて魔導国家の礎を築く。そして神秘主義を掲げ、世界に謳った。
世界の理は魔導にあり。
魔導の中心にアルビオンあり。
アルビオンに賢天の魔術師あり――。
「……はいそこまで。教科書は置いて良いわ。では、ここで問題です。賢天の称号を持つ魔術師――つまり賢天評議会から選定され、枢密院に承認された大魔術師は、アルビオンに何名いるでしょうか。わかる人は挙手!」
教卓に手をついてシンクレアは教室の子供たちを俯瞰するように眺めていった。すると彼らは元気よく手を挙げて「はいはーい」と声を張り上げる。弾けるような笑顔で皆一様に飛び跳ねていたが、誰に当てようかと迷っている内に「一二人!」という解答が漏れ聞こえる。指名されてから答えろと言って聞かせるが、箸が転んでも可笑しい十歳にもならない子供たちにそれを厳守させるのは難しい。
「はい正解。賢天の魔術師はアルビオンに一二名しか認定されていない凄い魔術師です。では、いま巷で一番人気があって強くて美人で格好いい賢天の魔術師は、いったい誰でしょう。さあ答えは――」
教室が俄ににざわつき始めると、女生徒たちが色めき口々に叫ぶ。
「マイヤー様!」「エンドルフ・マイヤー様!」「賢天の魔術師マイヤー!」
「すわッ! たーっオラ、ハズレだァ! マイヤーの名前なんか朝から聞きたくないの。不正解。昨日教えたでしょ? テストに出るわよ。さあ、答えは?」
教官の期待に満ちた視線が注がれると、生徒たちは彼女の意味深な笑みに隠された定型文をゆるい記憶から引き出した。昨日さんざん練習させられたのだから嫌でも覚えてしまう。皆が一様に立ち上がると、「せーの」とタイミングを合わせ歓呼の声を上げる。
「「シンクレア! 賢天の魔術師シンクレア! シンクレア大佐! 王立陸軍連隊長シンクレア! 群狼のシンクレア!」」
「素晴らしい! ああ……気持ちいいわ。みんな良い子ね! 内申点をあげましょう」
信者に崇め奉られる教祖のように両手を広げると、彼女は恍惚とした表情を浮かべた。
教室の熱は更にヒートアップして「シンクレア」の名を連呼しておだてていく。後席の生徒たちが顔を見合わせると「やっぱチョロいな」「大佐チョロい」とクスクス笑いが漏れ聞こえていた。
ウチはこの様子を教官補佐の立場で教室の後ろから眺めていた。そして胸に迫る感情の波に襲われ目頭が熱くなる。年端もいかぬ子供たちに自分を崇めさせ、自尊心を慰める上官、そして主人の哀れな姿に、胸を打たれた。
剰え幼心にすら卑しい性根を見透かされている!
「おいたわしや……おいたわしや大佐。何と惨めな姿ニャ。これがアマルデウス王の手ずから羽根付き獅子星銀勲章を授与された英雄の末路だとは……無様だニャ――ヒンッ」
主人を哀れんでいると唐突にチョークが飛んできて頭を弾いた。
「何か酷いことを言われた気がするわ。何も言ってなかったらご免なさいね、ケメット」
「痛いです……ひどいですニャ……落ちぶれたのはウチのせいではありませんのに」
こちらが頭を抑えて涙目で悶々としていてもお構いなし。
大佐は何事も無かったかのように授業を再開した。
「さて、今日の本題は『精霊圏』に関するお話です。これは将来、鉄砲玉になるかもしれない皆さんにとっては大切なお話。女子は幼年学校に上がらない子が多いでしょうけど、聞いておいて損は無い。もしもアルビオンが他国に攻め込まれた時、あなた達は壊走する軍隊と共に都市を追われるでしょう。そんな日が来る頃には、子供を産んで母親になっている人も居るはずです。自分や子供、そして仲間を守るため、魔術師と軍隊が精霊圏をどのように活用しているのかを知り、生きるための処世術を今日また一つ身に着けましょう」
真剣な語り口の大佐であるが、未来というなかなか想起し難い類の話は子供達にとっては常に第二義だ。彼らの関心は〝今〟楽しいか、そうでないか、である。
「先生! わたしも先生みたいな賢天の魔術師になりたいです!」
「話聞いてた? 結構真面目に話してたわよ。あとこの学校では魔術は教えません。魔術師になりたいなら準備学校が終わったら魔法学校に編入しましょう」
「お母さんが先生の本のファンなんです。今度お茶でもどうですかって言ってました」
「それはお父さんの年収次第です」
「先生はどこの魔法学校でたの?」
「先生は天才なので魔法学校は出ていません。小学校中退」
「どうして大佐は先生やってるの?」
「権力のお陰」
「先生! 権力が欲しいです!」
「偉い人に媚を売りなさい」
「先生は――……」
「あのね、あんたたち」
「先生――」
「ちょっと、いい加減に……」
「先――」
「ああああもう、うるさぁあい!」
どうにも収集がつけられなくなった状況に大佐は大声を上げるが、子供達は彼女に遊びの余地があると判断するや、水を得た魚のように――いや、撒き餌をした水面に鯉が押し寄せるように嬉々として殺到してくる。子供の好奇心に根気負けした〝先生〟は、もはや止む無しと覚悟を決めて、鷲掴みするかのように黒板に爪を立てた。
スポッと、準備の良いケメットが頭の上にある両耳に耳栓を突っ込むと、同時に黒板が引っ掻き回され、教室に子供達と大佐の悲鳴が木霊する。
阿鼻叫喚の教室でケメットは一人落ち着き払い、時計に目をやってひとりごちた。
「もう昼飯の時間だニャ」
アルビオンは今日も平和である。
ドーレス陸軍幼年準備学校。
そこはアルビオン王国の首都であるロンデニオンから西へ三つ山を越えた先にある田舎町ドーレスピーニャにあった。準備学校とは、ドーレス陸軍士官学校系列にあり、かつ幼年学校へ進学する準備期間に子供たちを教育する学舎――つまりは小学校。
その地に元々あった古い要塞を改装した士官学校とは異なり、準備学校の校舎は近年新築されたばかりの木造校舎だ。士官学校の敷地に隣接したローム河沿いに門を構え、男女共に幅広く受け入れていており、世間的には名門校という位置づけらしい。
軍隊風の規律を重んじ、己を律する教育法が上流階級の父兄らには人気があるのだろう。
半獣人の身としては、学校教育なるものが如何なものか興味深いので、無学ながらも面白おかしく学校を日々体感している。それに、泥に塗れて不快なことばかりの戦場を歩くよりは快適だった。
大佐に付き添い食堂で軽めの昼食を摂ってから、彼女に割り当てられた教官室で寛いでいると、「コーヒー」と端的な命令が下る。これにすぐさま対応できる従兵は古今東西を見渡してもウチだけであろう。
汎用性の低い自負を小さな胸に誇ってコーヒーを淹れていると、窓の隙間から一匹の訪問者が現れた。
妖精のピクシーだ。
子猫ほどの身丈で人の形をしており、トンボのような羽で自由に飛びまわる。猫よりも好奇心が旺盛で、人々に悪戯をしかけるのが大好きな害獣であった。
大佐はそのピクシーを膝に乗せるといつものように瓶から飴玉を取り出して餌付けを始めてしまう。害獣に餌付けなんて悪い習慣だと思いつつも、微笑ましい光景ではある。
とは言え、市場で売られているピクシーの姿揚げを思い出し、涎を禁じ得ない。
「そういえば大佐、書類とお手紙が届いていましたニャ。それです」
「ふうん」と興味なさ気に彼女は差出人を確認すると、あからさまに嫌な顔をした。
「ああ、また婦人会のリンドおばさまだ。決起集会に出ろって言うんでしょ。勘弁してよもう。こんな狭い町じゃ逃げ場が無いわ……」
「みな大佐を頼っておられるのですニャ。そう邪険にされては可哀想です」
「やーよ。政治に係るとロクなことが無い。来年の庶民院総選挙で女性参政権を争点にするってんでしょ? みんなあたしを革新の急先鋒だと思ってマスコットにする気満々だもの。わざわざ闘争の中心に殴り込みなんてイヤ。ただでさえ神秘主義派の賢天評議会から煙たがられてるのに。そのせいで連隊まで取り上げられてこのザマよ? もうウンザリ」
「連隊指揮から外されたのは日ごろの行いのせいだと思いますのニャ……」
「何か聞こえたわ」
「猫の鳴き声でしょうニャァ……アオーン」
それから大佐はピクシーを可愛がりつつ、婦人会への欠席の理由をあれこれ頭を悩ませながら認め、次の当番まで読書をしながら過していた。その傍らで自分は、タイプライターに用紙を噛ませて巻き取り、セッティングを完了させる。
これは以前より大佐から命じられていた仕事だった。重要度が低いために先に先にと延ばしてきたが、生活も落ち着いたので頃合いである。内容は彼女の軍事行動記録の記録文書作成というもの。大佐が関わってきた軍事行動を、正確かつわかり易くしておけとの命である。
これには私的な金儲けの臭いがぷんぷんしている。
彼女は前々から自分の立場を利用して出版社にコネを作ると、生来の速筆を活かして様々な著書を世に送り出していた。
代表的なもので言えば、他国の軍事研究論文から盗用したと噂される『戦車の行進』、軍隊のノウハウを経営に利用する『今日から始める陸軍マネジメント』、数々の家庭を崩壊させて私腹を肥やす未亡人の恋愛小説『ダリアの花束』などがある。大方、今回の記録文書は自伝を発表する為の資料にするのが目的だろう。ともあれ、仕事は仕事だ。
慣れない文書作成ではあるが、ベストを尽くせばご褒美がもらえるかもしれない。
ケメットは下心をモチベーションにして、打鍵音を響かせた。
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はじめに断っておくと、なぜウチが度々語尾に『ニャ』をつけているかということだ。
これは決して、ウチが猫を起源とする半獣人だから、などという安直な理由によるものではない。誰あろう我が親愛なる上官にして恩人、シンクレア大佐による命令だニャ。
ではいったい『ニャ』にどのような意図が隠されているのかと気になる読者も居られようが、今はその時ではない。何れ機会に恵まれたなら、この胸の内を開陳し、真実を語ることをお約束しよう。
全てが語られないことに釈然としない読者のために、代わりと言ってはなんだが、シンクレア大佐の本名がアリシア・ドナルドソンであることをここに明かし、話の枕としよう。ここだけの秘密。ウチと君との約束だニャ。
では、長らくお待たせした本題に移ろう。
これからお話しするのは、汚職が原因でシンクレア大佐が取り上げられてしまった、我らが栄光の部隊――『第七独立連隊』が巻き込まれた一つの事件だ。そして、大佐が左遷させられる上で、数少ない選択肢の中からこの地(ドーレスピーニャ準備学校)を希望した契機ともなったであろう出来事だとウチは推測している。
本文書は、各部隊から提供された膨大な資料と、綿密な取材、そしてこのチャーミングな目と耳で実際に見聞きし、ウチの鋭い洞察力と豊かな想像力で、あの事件を再構成するという試みだニャ。
可能な限り真に迫ることを関係者各位にお約束し、亡くなった全ての方へ捧ぐ物とする。
それでは、我らがシンクレア大佐の華々しくも奇妙な戦いの記録をとくとご覧じろ。
はじまりはそう、とある魔術師の心の傷から――。
ここで拍手だニャ。