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若者短編集

遅咲きの桜

作者: 鷹野 砦

 今となっては既に昔の事ではありますが、ある処に桜の木が植わっていました。

 その桜は植わってからまだ十何年しか経ていなかったので、他の名所にある様な堂々とした桜とは比べ物にならないほどひょろひょろとしていて、行きかう人々には全く見向きもされませんでした。

 春になれば人知れず花を咲かせ、夏になれば葉を茂らせる。秋になれば干からびた葉を振り落とし、冬になれば寒さに耐え忍びながら蕾を付ける。

 それを繰り返すだけ。ただそれだけの一生を過ごすだけでした。


 ある日、桜が葉を茂らせ始めた夏の始め。春の終わり。

 一人の少年がその木のそばで泣いていました。

 その少年は縫い目だらけで茶色の汚い着物を着て、泥だらけで傷だらけの素足を抱えて、幹によりかかって泣いていました。

 桜はその少年の事が気になって、話しかけてみることにしました。

 この話を聞いているあなたからすれば、植物が人間に話しかけることが奇妙な事のように思えるでしょう。

 しかし、実はどの植物でも、人間に話しかける力を持っているのです。どんな人間でも、植物たちの声を一度ならず、何度も聞いています。ただ聞いた時だけ覚えていて、しばらくすると忘れてしますだけです。植物たちの声は軽やかですから、覚えておくことは難しいのです。


 ともかく、桜は少年に話しかけました。

 「どうして泣いてるの?」

 少年は驚いて泣き止みました。

 「誰?」

 「私は桜。あなたの後ろにいる桜。あなたは誰?どうして泣いているの?」

 少年は最初こそ驚いていましたが、やがてぽつぽつと話しました。

 それによれば、少年の家は少年と母親だけで、母親が毎日出稼ぎに行くことで少年を食べさせていたのですが、その母親が病気で寝込んでしまったのです。

 少年は母親の代わりに稼ぎに出たのですが、どこも少年を雇ってくれず、どうやって稼ごうかと途方に暮れていたのだそうです。

 桜はその話を聞いて、少年をどうにか助けてあげようと考えました。

 しかし、桜には少年にしてやれることがほとんどありません。

 お金なんて当然持っていません。少年を雇うのも当然無理です。

 では何をしてあげられるのか。

 桜は考えるうちにある噂を思い出しました。


 桜は再び少年に話しかけて、自分の葉をいくつか千切って持っていくよう伝えました。

 少年はまた驚いて聞きました。

 「どうして葉っぱを持っていくのですか?」

 桜は答えました。

 「桜餅は知っているかい?」

 桜の葉は、塩漬けにして餅を作るときに使うことが出来ます。それを人々は桜餅と呼んでいます。

 桜餅は少年と桜のいる地域ではあまり知られていません。また、少年の母親は元々餅屋を営んでいた家の出身だったので、少年にも桜から聞いた作りかたで、大体桜餅がどのようなものか、どうやって作るのか直ぐに理解できました。

 少年は喜んで桜の葉を千切って持って帰りました。


 桜は満足していました。

 桜は風の噂で、桜餅が遠いところで沢山作られていて、人間たちに大変好評であることを知っていました。

 その地域の桜たちがひどい目にあっていることも。

 桜にとって桜の葉は目です。季節を感じるための唯一の手段です。

 人間は花や動物を見て季節を感じたりしますが、桜は葉っぱで空気を感じ、季節を感じます。

 桜に本当の目はありません。一年や一日の区別がつきません。

 その代りに葉っぱで空気を感じて、葉を落としたり花を咲かせたり、蕾を付けたりするのです。

 しかし、葉がまだ緑の内になくなると空気が感じられません。

 桜にとっての季節がずれるのです。

 桜にとって、春に花を咲かせるのが唯一の楽しみなのに、花が咲く時期が遅れてしまうわけです。


 しかし、その桜は満足しています。

 ただ春夏秋冬を繰り返すだけで、花も満足に見てもらえない自分が人助けすることが出来たのです。

 目立たない所に植わる桜にとってこれ以上ない幸せでした。


 これを機に、その桜は咲く時期がずれるようになりました。

 本来なら葉を落とし始める秋に、数輪の花をつけるのです。

 通りがかる人々はそれを少し珍しがるようになりました。

 桜は人より長命ですから、今もどこかで、遅咲きの花を誇らしげに咲かせているかも知れません。


 最後に、私がなぜこの話を語ることが出来たのでしょうか。なぜ植物たちが話すことが出来るのを知っているのか。それは秘密です。

 世の中、秘密はいくつでもありますから、気にしないほうがいいのではないでしょうか。

 それでは、またいつか会いましょう。

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