【9】一時帰宅
紅蓮の炎は雲を突き抜け、天高くまで伸び燃えていた。
こんなにすぐ側にビルみたいな炎に包まれているっていうのに俺の体は燃えてなんかいない。むしろ熱いどころか、居心地が良いとさえ思えてくる。
炎の柱を上がっていくサラマンドを呆然と見上げていたが、急に胸元に何かが降ってきたから驚いた。
小さな手が俺の右手をぎゅっと握ってくる。
「……しょうちゃんの手は、やっぱりあったかいねえ」
「みぞれ!」
みぞれの氷が溶けたんだ。にっこりと微笑むみぞれの笑顔をなんだか久しぶりに見た気がする。良かった、いつものみぞれの笑顔だ。
両手でみぞれの頬を包み込む。氷の中にいたせいで、やっと触ることができたみぞれの頬はやっぱり冷たかった。
「俺の事信じてくれないなんて……あんまりじゃねーか」
「ごめん……ごめんね。しょうちゃん、みぞれの事嫌いにならないでくれてありがとう」
「当たり前だ、ばか」
「うふふ。みぞれは、しょうちゃんのあったかい手が……だい、す」
途中だったけど、そのままみぞれは再び目を閉じた。小さな身体が俺に倒れ込んでくる。
すると同時に俺はみぞれ共々一気に重力に従って地面へと落ち始めた。
「え!? 今まで浮かんでいたのか!?」
炎の熱気が風となって宙に浮いていたみたいだ。天高く昇って行ったサラマンドと一緒に炎は既にどこにもない。何十メートルもある大樹の上から真っ逆さまに俺達二人は落ちていった。
「うわああああああっ!!」
叫びながらもみぞれを放さないように抱きしめる。
でも駄目だ。こんな高さから落ちたら間違いなく、死ぬ!
なんとか大樹の枝に掴まろうと手を伸ばしたら、不思議と体がふわり、と軽くなった。どうなったんだ? 風に乗っている感じだ。
「ショウ殿!」
そのままフワリフワリと大樹の幹へと落ちていき、へなへなと太い根に座る……というか、もはや呆然として腰が砕けた状態だった。良かった、俺もみぞれも傷はない。
こっちに駆け寄るアイリスを目にして、これは彼女の輝力だって気が付いた。
「アイリス、さんきゅな。助かったよ」
「無事でよかった! しかしショウ殿、一体何があったというのだ!? さっきのはまさか……!?」
「さっきの? ああ、あの翼が生えてたのってサラマンドだろ? さすが霊主は迫力が違うな」
「そのサラマンドがどうして現れたんだ!? いくら加護を受けているといっても騎士剣では霊主を召喚できるわけがない、不可能だ!」
興奮しているアイリスは俺の両肩をがっちり掴んでゆさぶる。体が怠くて気持ち悪い時に揺らされたらたまったもんじゃないぞ。
「そ……そんなの俺に分かるわけないだろ~。やめてくれ、そんなに揺らしたらモゲドンと違って俺はマジで吐く……」
「はっ、そうだモゲドンは!? ドラゴンに押し潰されてしまったようだが……」
「「「モゲ~」」」
四方からモゲの大群の鳴き声が聞こえてきた。大樹の根元に居る俺達を囲むようにワラワラと緑色が犇めき合う。そしてモゲ達は積み重なり、ぐちゃぐちゃになり、一人の人型を形成し始めた。モゲドンだ。
「……うげ、気味が悪いな」
「二人のお陰でモゲの家が救われたモゲ。本当に感謝するモゲ」
「モゲ~」「モゲ~」「モゲ~」
モゲドンは深々と頭を下げている周りでモゲドンにならなかったモゲ達がピョンピョン飛び跳ねている。こいつら、意外と礼儀正しい精霊なんだな。
アイリスの肩に乗ったモゲピーも嬉しそうだ。
「まさか少年も輝力を扱えたとは驚いたモゲ。少年には何も感じなかったのに不思議モゲ」
「ああ、私も驚いたよ。ショウ殿は炎を扱えるのだな」
「……」
どこか興奮めいた様子で話すモゲドンとアイリスをよそに、俺は自分の手のひらを見つめた。
炎を扱う? 俺が? そんなこと一番驚いてるのは勿論俺だ。
アイリスが大樹の近くに落ちていた騎士剣を拾う様子を見て青ざめた。……やばい、騎士剣の刃がかなりボロボロの非常に最低な状態になってしまってるぞ。
「その剣ボロボロにしちゃってごめん。アイリスのものなのに」
「いいや、この剣が役に立って私は嬉しいよ。……私はまだこの剣を扱いきれなかった。私は焔国の騎士なのに、まだまだ精進が足りないな」
「アイリスはハーフエルフだから難しいのかな。でも風を使えるし、そんなに可愛い耳してるんだから精進しなくても良いんじゃないかな」
アイリスの白い肌に映える綺麗な金髪と尖った耳は、人間とは違ってとても神秘的だ。俺がじっと見つめるからか、アイリスはその尖った耳を真っ赤にしてしまった。仕舞いには両手で耳を隠してしまった。
「……あ、あまり見ないでくれ」
「エルフなんて初めて見たからさ、もっと見たいよ。隠さないで見せてよ」
「嫌だ!」
そんなにしつこくしたつもりはないのに、アイリスは俺に背中を向けてしまった。残念。
でも俺に背中を見せたままもじもじと体を動かして、身の上話を聞かせてくれた。
「……そうだ、私の父は焔国民で母がエルフなんだ。けれども両親はもう居ない。私は一人前にならなければならない。焔国の騎士として皆に認めてもらうのが私の目標なのだ」
「だから今回の騒動も一人で解決しようとしたわけだ? モゲを追って一人で俺達の世界に来ちゃうんだもんな。最後にはゲートに締め出されてるし。いくらなんでも無謀だよ」
「……むう」
俺の注意に気分を害したのか、アイリスはこっちを睨んで頬を膨らませている。これを無自覚でやっちゃうところが可愛いんだよなあ。
「皆に認められたいっていうのも分かるけど、もう無茶なことはしないほうが良いよ。アイリスがそんなんじゃ、元の世界に帰ってもアイリスの事心配しちゃうよ」
「元の世界に、帰る……」
「そうそう、教会に帰ってみぞれを寝かせてあげないとな。モゲピー、蝋燭を貸してくれ」
「モゲピー!」
アーロスから帰る為にちゃんと教会から持ってきた蝋燭の火は残してあるのだ。呼ばれたモゲピーはアイリスの肩から飛び降りて、群れの中からごぞごぞと忙しなく動いている。そして小さな体から伸びる細長い手を高く掲げ、蝋燭が入ったガラスケースを俺に渡してくれた。
「さんきゅ。さて、向こうに帰るには向こうの物を燃やすんだったな」
燃えるものなら適当で良いや。制服のネクタイを外して火を付ける。公立高校の二年生を示すえんじ色のネクタイはあっという間に火が燃え広がり、そして大樹と並ぶくらいの巨大なゲートが現れた。
ゲートが開く重々しい音を聞きながら、みぞれを背負った俺はゆっくりと歩き出した。
「ショウ殿……行ってしまうのか?」
「うん、帰るよ。確かめたい事もあるしさ」
「そうか……」
アイリスの表情が曇った気がする。きっと俺の勘違いじゃないはずだ。
俺の事を初めての友達って言ってくれたアイリスはやっぱり寂しいんだろうな。
「アイリス、お別れじゃないよ」
「え? でもゲートは消えてしまうのだろう?」
「確かにこのままだと消えちゃうね。でも、ゲートを燃やし続けば消えないさ。モゲドン、助けてあげた見返りに火守をお願いしても良いだろ?」
「勿論だモゲ。モゲ達が責任を持ってゲートを燃やし続けるモゲ。ここはモゲ達の家だから人間も近づかないモゲ」
アイリスの隣にいるモゲドンはビシッと親指を立ててくれた。凄い、初めてモゲドンを頼もしいって思えるぞ。俺達の会話を聞いたアイリスは、みるみる目を輝かせ始めた。
「それじゃあ、ショウ殿とまた会えるのだな!」
「ああ、友達なんだからいつでも教会に遊びにおいでよ」
「友達……! なんて素晴らしい響きなんだろうか!」
手を胸元で組んでアイリスは友達っていう言葉を噛みしめている。
俺だってアイリスと会えなくなるのは寂しいって思う。それに、今は眠ってるみぞれも故郷のアーロスのことをもっとよく知りたいと思うだろうし。
「じゃ、俺達は“一旦”帰るよ」
暗いゲートの中へ一歩足を踏み入れる。後ろを振り返り、手を大きく振った。緑の森、一際大きい大樹の前でアイリスとモゲドン、そして沢山のモゲ達が俺に手を振り返してくれていた。
「ショウ殿ー、気を付けて帰るのだぞー!」
アイリスの俺を呼ぶ声がいつまでも聞こえてくるようだった。