【3】教会にて
炎に包まれた巨大な扉が消えてしまった。
あれからひょうたん池をどれだけ見渡しても扉どころか何の手がかりも掴めなかった。跡形もなく、そのままの意味で消えてしまったのだ。
「神父は外出中か。こんな時に呑気なもんだよ」
でも、神父に彼女を見られてもややこしいから良かったのかもしれない。
俺は金髪の女の子・アイリスを連れて教会へ帰った。みぞれと一緒に帰ってくるはずだった教会は静かだ。小学生の弟達はまだ誰も帰ってきていないようだった。
「みぞれはここで一人で居たところを狙われたってわけか……」
でも一体どうして? 何のために?
池に落ちたせいでびしょ濡れだった服を着替えながら考えるが、ガチガチに震える体のせいで頭が回らなかった。事情を知っているっぽい唯一の人物・アイリスに聞くべく、先に案内しておいた居住スペースの食堂へ向かった。あそこには暖炉もあるから暖まることもできる。
『アーロス』という世界から来たという騎士の少女。アイリス・テトラフィルス。
異世界なんて突飛な話、とても信じられるようなことじゃないけど目の前で起こった出来事は事実だ。
それに、アイリスがどことなく異国離れした容姿なのも納得できる。
「食堂に一人にして心細いかもな。扉が消えちゃって泣いてたし……」
鎧みたいなの身に着けてたけど俺と同じ年くらいの女の子だ。知らない世界に置き去りにされて、一人でまた泣いてるかもしれない。早く戻らないと。
「待たせちゃってごめん……!?」
食堂へ入ると、驚いた。アイリスは口を堅く一直線にして直立不動で立っていたのだ。
もしかして俺が部屋に戻ってる間ずっと立ってたのか?
「なんで立ってるの? 座って待ってれば良かったのに」
「私は騎士だ、もてなされるような立場ではない。それにショウ殿には迷惑をかけている。私が不甲斐ないばかりにモゲ達に大切な人をさらわれてしまった……」
「確かに、みぞれは大切な家族だよ。でもアイリスがそんなに思い詰めることはないさ。ココアでも飲んで暖まってよ」
「ココア……?」
みぞれが変な緑髪の男に連れ去られた時は混乱してたけど、今は不思議と落ち着いている。きっと冷静になろうとしなければいけないって脳が勝手に命令してるんだと思う。それくらい非常事態なんだって事なんだけど。
みぞれが普段使っているピンク色のマグカップでココアを作る。湯気が立つココアを、未だに立ったままのアイリスに差し出すと、アイリスは俺の手を不思議そうに眺める。
「ココアは向こうには無いのかな? 甘くて美味しいよ」
「……かたじけない」
おずおずとマグカップを両手で受け取って、アイリスはココアを一口飲んだ。
「!」
飲んだ直後アイリスの大きな目が更に大きくなった。緊張で真っ白くなっていた頬がマグカップみたいにピンク色に染まっていくのがとても面白い。
「なななななんだこれは! ドブの様な汚い色なのにとても甘くて……おいしい!」
「やっぱり寒い冬はココアだよね」
「冷たくなった体が一気に暖まるようだ。すごいな、まるで魔法みたいだ」
「気に入ってくれて良かったよ」
ドブって表現に苦笑いしたけど、柔らかな表情でココアを飲むアイリスを見たら、こっちも暖まる気がする。良かった。張り詰めていた緊張が溶けたみたいだ。
「モゲ、だっけ? あいつらは何でみぞれを連れていったんだ?」
「それは私にも分からないのだ。この世界の人間は輝力を持っていない。どうして力の無い人間を狙ったのだろうか……」
「輝力?」
首を傾げて考えるアイリスに問いかけた。
「私の世界『アーロス』では自然界の精霊の力を借りて魔法を使うことができる。その力が輝力だ。火を起こしたり、水を操るなどして、国の発展に役立てている。けれどもこっちの世界には精霊は居ないようだな。私は風を使うことが出来るのだが、さっきから全く魔法を出すことが出来ない」
アイリスは自身の手をヒラヒラさせながら説明してくれた。
成る程、さっきモゲ達に唱えた呪文は演技なんかじゃなくて、やっぱり本当に魔法を使おうと思っていたのか。結果は失敗だったけど迫力があったわけだ。
「君はどうしてモゲを追っていたの?」
「モゲは私が仕えるルードヴィク焔国の領土近くの森に住む地の小精霊。大人しい性格の筈なのだが、近ごろ国民に危害を加えるようになってしまった。それで私はモゲの身辺調査を行っていたのだ」
「モゲが人を襲う理由は?」
「それは……恐らく大地が熱くて住みにくくてイライラしているのだと思う」
「大地が熱い?」
「私が住む世界には自然界の精霊がいる、とさっき話した続きだが」
「うん、それで魔法が使えるんだよね」
「自然界の精霊の主が世界の調和を図っているのだが、何故だか数年前から世界中で自然の力が暴走してしまっているんだ。気温が上昇したり、大雨が降ったり。ルードヴィク焔国はその名の通り火の精霊の加護を受けている国だが、焔国もその他の国同様に異常気象が続いている。由々しき事態だ」
魔法が使えるファンタジーな異世界は楽しそうだな、なんて少し思っていたけれど、アイリスの話を聞く限り大変なことになっているみたいだ。
俺に説明してくれるアイリスの表情は曇っていた。本当に深刻なんだと伝わってくる。
「……関係の無い君達を巻き込んでしまって申し訳ない。私が非力なばかりに」
「頭を上げて。女の子に謝られるって苦手なんだよ」
「しかし……」
「楽観的かもしれないけど、モゲやアイリスがこの世界に来れたんだから、また扉が出てくる可能性はあるんじゃないかな。君が知っている情報をもっと教えて」
ようやく顔を上げてくれたアイリスは、少し戸惑っていた様子だけど安心させる為に俺は笑顔で見返した。
「困っている人を助けてあげろって、いつも神父に言われてたんだ」
「神父?」
「うん、俺やみぞれを育ててくれる人。俺達はここで生活してるんだ。教会だけど、いわゆる孤児院って感じのこともしてる」
「そうだったのか……私はてっきり二人は兄妹だと思っていたよ」
「ほとんどそんな感じだよ。あ、そうだアイリスに見せたいところがあるんだ」
俺は食堂から出ながら手招きしてアイリスをある場所へと案内した。そこは食堂からすぐ近くで、廊下を少し歩けば着いてしまう。
目的地に着くと、アイリスは目を大きくして驚いた。
「これは……」
「どう? 俺は何かあったらいつもここに来て気持ちを落ち着かせるんだ。冷静になって考えれば、みぞれを助ける方法が……って、アイリス?」
そんなに礼拝堂が珍しいのかな。アイリスはキョロキョロと周りを見渡して、そして正面の壁に大きく描かれているものを凝視していた。すごく真剣に見ているようだ。壁に何が書いてあるかというと……実際は俺にも分からない。
「それ、一体何の絵か分かる? 神父に聞いても教えてくれないんだよね」
その絵は赤い色で描かれていて、羽が生えたなんだかよく分からない動物みたいな妖怪みたいなもの。正直気味が悪いって子供の頃から思ってる。
「これは、炎の霊主・サラマンド!」
「え!? アイリス、知ってるの?」
「知ってるもなにも、サラマンドは焔国の加護精霊なのだから分からないはずがない。しかし、どうしてサラマンドの姿がこの世界に?」
そんなこと俺は初めて聞いた。この教会が何を信仰しているのか知らなかったが、分かる筈がなかったんだ。だってこの壁の絵は異世界の精霊様なんだっていうんだから。
「俺にもさっぱりだよ。神父ならきっと知ってると思うけど……一体何処に行ったんだ、アイツ?」
「……微かだが、精霊の力を感じる」
「精霊の気配? まさかモゲがまだ残ってるのかな?」
「いや、これは地の気配ではない。この懐かしい感じは……ルードヴィク焔国で感じるものと同じようだ」
アイリスは目を閉じて何かを感じ取ろうとしているみたいだ。そしてフラフラと歩き出し、祭壇の上にあるガラスで覆われている燭台を見つけると立ち止まった。驚いたような様子で蝋燭に灯る火を見ている。
「間違いない、これはあちらの世界の炎」
「あちらの世界ってアーロスだっけ? どうしてそんなものが教会にあるんだ?」
「もしかしたらこの教会は向こうの世界と何か関係があるのかもしれないな。ショウ殿、神父殿はどこに居るのだ?」
「う~ん、パチンコか……立ち食い蕎麦か……覗き屋か。神父はいつもフラフラと消えちゃうんだよな~」
「そうか……。しかし喜ぶべき事だ、この炎があれば向こうの世界に帰ることが出来る!」
アイリスは嬉々として燭台を掴んだ。しかし俺は不思議で仕方がない。
「なんでその蝋燭で帰ることが出来るの?」
「ゲートを開くには霊主くらいの強い力が必要だと聞いたことがある。加護がないと体は異世界を繋ぐ不和に潰されてしまうらしい。ただの蝋燭の炎に見えるが、これは間違いなくサラマンドの力を感じるのだ。あとは、向こうの世界への触媒が必要になる」
「触媒?」
「アーロスの物なら何でも良いんだ。さあ、池へ行こう」
水を得た魚のようにピチピチしたアイリスに促され、俺達は礼拝堂を出た。外に出ると冷たい風が折角暖まった体に容赦なく吹きつけてくる。
戻ってきたひょうたん池はやはり異常など無く、いつも通りの静けさだった。さっきまでの騒がしさはどこにもない。ゆっくりと降ってくる雪が、池の水に吸い込まれるように溶けていっている。
「そんな小さな火でゲートが開くのかな?」
俺は訝しげにアイリスが手に持っている蝋燭を見た。
「大丈夫だ、見ていてくれ」
蝋燭を俺に預けたアイリスは自信満々な表情をしている。数分前、この池で泣いていたのを、ふと思い出した俺はなんだか微笑ましい感情になった。
アイリスは池へと一歩進む。そして両手で自身の長い金髪を結んでいる赤いリボンへと触れ、一気に解いた。
サラサラと揺れる黄金の髪は、降る雪に反射してとても綺麗だった。リボンは一本だけ使うらしい。ツインテールだったのがポニーテールに結び直した。
「このリボンを触媒に使う。それでは蝋燭を貸してくれないか……? ショウ殿?」
「……」
「どうかしたのか?」
「……え!? ご、ごめん! ついアイリスに見とれちゃってぼ~っとしてた!」
笑いながら俺はガラスから蝋燭を取り出してアイリスに渡そうとした。
「アイリスって今まで会ったことないくらい可愛いからさ~、最初は芸能人か何かだと思っちゃったよ。……あ、あれ? アイリス?」
蝋燭を渡そうとしてるのにアイリスは受け取ろうとしない。不思議に思った俺は正面の彼女を見ると、アイリスの顔はゆでダコのように真っ赤になっている。
え? 何、どうしたの? 今度は俺が驚いてしまった。
「どうしたの、アイリス?」
「……そんなこと、言われたのは初めてだ」
「嘘だ! こんなに可愛いのに!?」
「や、やめてくれ! あまり私の顔を見ないでくれ!」
そんなに恥ずかしいのかアイリスは両手で顔を隠して後ろを向いていしまった。長いポニーテールがファサッと揺れる。
「アイリスを可愛いと思わない向こうの世界って、もしかして美男美女だらけなのか?」
「いや、いたって普通の世界だと思うのだが……」
これから行こうとしているアーロスという世界。精霊が居て、魔法が使える世界が普通の世界なわけがないだろ。
でも、アーロスの住人であるアイリスにとっては普通の世界で、こっちの世界の方が不思議で一杯なんだよな、きっと。
落ち着きを取り戻したアイリスが赤いリボンをはらりと地面へと落とし、蝋燭の火を着火させるのを見ながら、俺は今まで感じたことのない興奮めいた動悸を感じていた。
リボンに燃え移った炎は一気に大きくなり、俺たちより遥かに高く上がった。
「すげえ、こんなに激しく燃えてるのに全然熱くない」
「魔法の炎だからな。さあ、ゲートが現れるぞ」
アイリスが言うのと同時に、炎は左右に広がると巨大な扉を出現させた。これがゲート。モゲ達が通って消えてしまった扉と同じものだ。
「これが……異世界へのゲート!」
間近で見るとやっぱり大きい。頭を真上に向けないと全貌が分からない程だ。
やがて、ゲートは重低音を響かせて開き始めた。扉の中は、暗い。向こう側なんて何にも見えない。
『しょうちゃんなんて勝手にどっか行っちゃえばいいんだ!』
俺に捨て台詞を残して教会に走っていくみぞれを思い出す。
「まさか、みぞれの方がどっかに行っちまうとはな。待ってろ、早く助けてやるからな」
ゲートを見上げ、俺は拳を握りしめた。
「ショウ殿は頼もしいな。怖くはないのか?」
「どうだろ? さっきから凄く胸がドキドキしてるんだよ。でもこれは未知なる世界への恐怖心っていうより、高鳴りっていうのかな?」
胸を抑える俺の手を、アイリスは白くて可愛らしい手で優しく握った。
「大丈夫だ、私が住む世界は恐ろしいところではない。精霊たちの息吹を感じる、とても神秘的な世界だ。さあ、行こう!」
アイリスは俺の左手を掴んだまま、扉の中へと走り出した。引っ張られる形で俺も一緒に走り出す。
炎に包まれたゲートは、俺たちを誘うかのように大きな口を開けていた。