女の子っぽい男の子.2
神原優は僕たちの幼なじみの男子だ。ちょうど姉の綾夏の部屋の窓と優の部屋の窓がちょうどよく対峙していることもあって、今でもよく行き来している。
「じゃあいってくるね〜。」
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。」
なんで部屋の窓から窓へ移動できるのかというと、その原因を日本の住宅事情に求めるしかない。なぜなら、僕の家と優の家の間隔は、僅かに数十センチほどしかなく、その気になれば軽々とまたいでしまえる幅だ。...こうやって建物同士の間隔は近いが、互いに庭付き一戸建てというところに不思議を覚える。
「あれ、優いないね」
「ホントね、寝坊かな」
普段であればほぼ同じ時間に家を出て、だいたい優の家の玄関前くらいで一緒になり、学校に向かうんだけれど、今日に限って優は寝坊したのかな。新学年の新学期が始まる日だというのに、春休み気分いい気分で朝日を忘れていのかな、きっとそうだ。
「まだ時間あるし、ちょっとまってみる?」
「別に、待たなくてもそのうち来るでしょ? まぁ、涼が待つって言うなら待つけどさ...」
何この突然のテンプレツンデレ。目線泳いでますよお姉ちゃん。
「あら、綾夏ちゃん、涼ちゃん。おはよう」
数分待って、優の家の玄関が開いて人が出てきた。……玄関が開いた瞬間、姉が一瞬期待した表情になったのを、涼は見逃さなかった。姉は隠しているつもりなのだろうが、実は結構な人数にこの片思いはバレバレなのだ。
(今年こそ、伝えられるのかなぁ...)
と、思いながら涼は出てきた人物に挨拶をする。
「あ、彩音さん。おはようございます。……優はどうしたんですか?」
彩音さん。彼女は優の3つ年上の姉だ。今年成人式を迎えたんだけれど、その時の振袖姿、華やかだったなぁ~僕も着たいって言ったら「涼ちゃんならきっと似合いそうね」と苦笑された。ところで、僕の隣でとても面白くなさそうな顔をしている姉の扱い方をどなたか教えて下さいおねがいします。
「ごめんねぇ、優ったら、新学期早々体調崩しちゃって...綾夏ちゃん、今日の始業式のあと、お見舞いに来てくれないかな?」
「え! 優、大丈夫ですか?」
「うん。ちょっと食べ合わせが悪かったみたいで、トイレと仲良くしているわ。」
一体何を食べたんだろう...
「・・・涼、早く学校行って素早く始業式を済ませて帰りましょう!」
・・・え? おぉ、姉の顔がみるみると快復していく。
「じゃあ彩音さん、また後ほど!」
「えぇ、また。」
ええぇ・・・いきなり首根っこをつままれたと思ったら、そのまま勢い良く学校に向かって走りだしたせいでちょっとまってこれスカートがなびいて色んな意味でやばいからねえお姉ちゃんもそんな走るとスカートが翻って色々やばいからちょっと落ち着いて歩こうよってちょっと首締まってきてるんだけども呼吸というかこんな走ってるから体内の酸素が、酸素が、酸素がヤバイ!!
*
首根っこをつままれた状態で学校まで約10分。だいたい6分くらい過ぎた頃から、意識がもうろうとし始めて向こう側の世界が一瞬見えたり見えなかったりしていた。そして、僕の意識を奪いかけた原因は姉で、さらに無慈悲にも取り戻す原因もまた、姉に起因したものだった。
「ちょっと涼! 見てみてあの人だかり!!」
……姉の叫び声に薄らぎつつあった意識を覚醒させ、深呼吸を行い空になりつつあった肺に酸素を送り込むこと数回。肩で生きをしているような状態ではあるもののなんとか一命を取り留め、目を細めて姉の指差す方へ視線をむける。
「……多分クラス割じゃない? 終業式の時に当日発表って言ってたじゃない……。」
「ふぅん。見に行こっか」
「えっ」
というと、姉がまた僕の首根っこを摘もうとしてきた。なんでこの姉は僕の首根っこを摘んで連れ回すことがデフォルトでさも当然のように考えているのだろう。次やられたら本当に酸欠死してしまいそうな、そんな気さえしてきた。そんな僕の心情など全く考えもしない姉は自然な動作で僕の首根っこを再び摘むと、また当然のように人だかりに向かって走りだそうとスタートダッシュの体勢をとる。それと同時に僕は、心のなかで宛先すら無い遺書を、薄らと考えた。
前略、脳内神へ。今年x度目の遺書ですごめんなさい。原因はいつもの様に姉に起因する酸欠死です。別名を窒息死とも……(中略)……今度生まれ変わるのなら、できれば、女の子として生まれて、人並みに女性としての生活というものをしてみたいです……。
姉が今まさにスタートダッシュを切り、身体が後方へ引っ張られようとしていたその時、その暴走を止めるような声がした。
「おい綾夏……こんどこそ、涼のやつ死ぬぞ?」
「えっ……っと、あわわわわわわ?!」
「ぐぇ…っぁ!ケホケホッ!!」
その声の主は、首根っこを摘んだ姉の手を引き離し、意識も朦朧としてバランスを崩した僕を受け止めた。……そのかわり、スタートダッシュを失敗して同じようにバランスを崩した姉は、足をもつれさせて数メートル先で盛大に転んでいた。
「大丈夫か?涼。」
「ケホッ……うん。なんとか…。ありがとね。奏太。」
その場にしゃがみ込んでむせながら、三途の川手前で現世に戻してくれた感謝を伝える。
「綾夏なぁ……いくら弟だからって、何事にも限度があるだろうが…よっ」
――ゴォン!
「あいたっ」
「……(咳込んでる)……。」
奏太が綾夏の頭を叩いた。かなり鈍い音がしたけど、多分大丈夫だろう。叩かれた箇所…頭頂部を両手でさすり、叩かれた瞬間は反射的に叫んだのだろうけど、いまは無言で痛みに耐え、加害者(?)の奏太を睨みつけている。
「……いったぁ…いきなり何すんの?!」
ようやく抗議をできる程度に痛みを我慢できるようになったみたいで、片手で頭を撫でながら奏太に迫った。
「いきなりも何も、弟の首根っこ摘んで窒息させかけていた奴に言われたくないな。」
「えっ」
「え?」
……どうやら、綾夏は僕が窒息しかけていたことを知らないようだ。なんで今まで僕死ななかったんだろう……というか、気づいて、お願いだから。
「…っと、大丈夫か?涼。…っとに、ひどい姉がいるもんだ。」
「誰のことよぅ」
「「お前のことだ!」」
奏太の声ともう一人、聞き覚えのある声が聞こえた。その声の主は奏太と一緒に綾夏へ忠告をすると、ポンッと僕の背中を叩いた。
「よっ、涼。大丈夫か?」
「ケホッ…うん、なんとか生きてる…。」
ほれ、手ェ貸すぞ。と差し出された右手を握りしめ、なんとか立ち上がった。
彼は大平晴人。中学以来の友達で、僕と綾夏、奏太、そして今日は休みの優の5人でよくつるんではこうやってふざけて……ふざけ…うん、ちょっとこれはふざけ度合いがひどすぎるか。こうして去年、高校1年生を謳歌してきた。
「あ~まだなんかフラフラする……。」
「大丈夫か? 新学期早々災難だな。」
そういえば今日から新学期だった。まだ教室にも入っていないというのに、なんだろう、もう1日…数日が流れたような時間の流れを感じる…よくあるよね、十数分しか寝ていないのに何時間も寝てしまって寝起きでパニックになるやつ。いままさにそんな状態だよ…。やっぱり意識飛んでたんだろうな…。
「さて、教室に行こうと思うんだが。」
不意に晴人が問いかけてきた。
「……うん?」
「あの二人はどうするべきか、妹弟の意見を聞きたい。」
あのふたりとは、いま、まさに目の前で口論をしている僕の姉と奏太のことだろう。幸い始業時間までは余裕があるしそのまま喧嘩させておくのがいいんじゃないかと思った。
「……しばらく放置…もとい、奏太にきっちり叱ってもらおう。で、僕たちは教室に行こっか」
「相変わらず容赦無いな」
そんなこと無いよ~。と胸の前で手を振って、僕は昇降口へと向かった。
*
始業のチャイムから数分が経ち、担任の自己紹介が行われている最中のことだ。
「今年みなさんのクラスを担任します。去年までは国語の授業で会ったことのある人もいるかもしれませんが、よろしくおねがいしますね。」
木崎葵子先生。自己紹介の通り、国語担当教員で日本の歴史文学に詳しい。先生は「光源氏みたいな男性と恋に落ちたい。」と、ちょうど源氏物語の授業中に豪語していたが、それきっと遊ばれて終わりですよ。とツッコミを入れた人が少なからずいたようで……。年齢イコール恋人なしという20歳中堅女性である。
「あら、ふたりほどいないようですけど…」
木崎先生が綾夏と奏太がいないことに気づいた直後のことだ。息を荒げた姉と奏太が教室の扉を勢い良く開けて入ってきた。両者とも肩で息をして、奏太の顔にはひっかかれたような細い傷が数本、頬を上下に割いている。きっと姉……綾夏の仕業だろうと、今朝のいきさつを知る人はみんなそう思った。
「――高畑君は医務室へ行ってらっしゃい。北牧さんは始業式のあとお話があります。」
「はぁ?何で奏太だけ……っ!」
奏太との戦いを終えた直後の綾夏はどうやら血の気が多い状態のままらしく、新学期早々木崎先生へ突っかかっていった。
*
奏太は医務室での手当を終えて、連立って来ていたボクと晴人君の3人は遅刻覚悟おで始業式が行われている講堂へ向かっている。
「新学期早々災難だな、高畑。」
「なぁに……いつものことじゃねーか…。」
「綾夏の奴、今頃葵ちゃんに絞られてるんじゃねーか?」
「それで少しでもお淑やかになってもらえばいいんだけどな……な、涼。」
「あは、はは……妹としてそれは無理じゃないかと思うんだけど…?」
「……いや、お前は弟だろが」
奏太のツッコミが入って、晴人君は隣で笑っていた。
・・・
・・
・
「……で、これは一体どういうことなんだ、姉ちゃん……!」
新学期早々、休むはめになってしまった原因。俺の身体に起こった変異に対して納得の行く説明を、自分自身が納得できる説明が欲しく、偶然部屋に入ってきた姉に当たる。
「どうもこうも、あなたの身体が女性化してしまったということだけ。」
「いや、納得出来ないし……いつの間にか、声まで高くなって……。」
姉はただ目の前……俺に起きた変異……にある事実を淡々と言うだけだ。俺の叫びを聞いて部屋に入ってきただけなのだから、わからなくて当然といえば当然だ。でも、姉にはなにか思い当たる節でもあるのか、ため息を一つついてこう続けた。
「ふぅ……お母さんにはあたしから伝えておくから、優、あんたは少し横になってなさい。」
そう言って姉ちゃんは部屋から出て行った。
「訳分からないよ……!」
静かにしまった扉に対し、俺は叫ぶことしか出来なかった。自分の声とはとても思えない、女性らしい、綺麗な声で。