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琉球の風に吹かれて

作者: keisei1

 琉球の風が吹き込む縁側で、高校生の真鍋健也は本を読みながら、音楽を聴いていた。音楽は心地いいウクレレサウンドで、常夏の沖縄の情感と気風を表しているようだった。

 本の一節、「何一ついいことがなかったこの街を離れて、僕は行く。まだ見ぬ流浪の地へ」を目につけて、健也は零す。

「冗談じゃない。そりゃ、俺だってこの街で何一ついいことなんてなかったけどさ」

 そこまで口にして健也は考えを鞍替えした。今、本なんかに一々反論してる場合じゃない。残り少ない夏休みを存分に楽しまなければならないと。

 さて夏休みを楽しむにあたって、やっておかなければならない用事が幾つかある。夏休みの課題に、ひいおばあちゃんのお手伝い、残暑見舞いにエトセトラ、エトセトラ。

 取り敢えず厄介な課題は後回しにして、ひいおばあちゃんのお手伝い。健也のひいおばあちゃん、里美は87才になっても元気一杯の俳句詠みだ。健也が手伝うのは、里美の俳句をプリントアウトした小冊子の製本だ。

 里美は87才という年齢なのに、恋心一杯の句を詠むところが健也は大好きだった。里美は一句、一句詠みあげながら、健也と冊子を整えていく。


「逢引きの 恋儚きかな キビ畑」

「朱色染む カササギ触れた 君の頬」

「風に飛ぶ 麦わら帽子 君追いて」


 俳句の良し悪しについては、健也はよく分からなかったけれど、どの句も健也は好きだった。健也はアグラをかいて扇風機にあたりながら、里美に訊く。

「ねぇ、おばあちゃん。これはみんな、恋をしてるのはおじいちゃんとおばあちゃんかい?」

 里美はフフッとほくそ笑んで口にする。

「いいや。全部作りものだよ。おじいさんとだったら一回しか恋が出来ないでしょう。作りものだったら色んな人と何度でも恋が出来るじゃないか」

 「ふむ」と健也は納得した。「何度でも恋をする」。それが里美おばあちゃんの若さの秘訣だったかと。そう思って頬を軽く掻いていると、今度は里美から健也への質問が飛ぶ。

「そんなことより、健也の方はどうだい? 16にもなったら恋の一つや二つあるだろうに」

「じょ、冗談。俺にはそんな浮ついた話はまだまだなし! 勉強、スポーツに励む好青年なのであります!」

 そう言って健也は、洒落っ気たっぷりに敬礼してみせる。そんな健也が里美はまた大好きなようだった。4、5部ほど製本を終えた健也は、里美の許しを得て、今度は残暑見舞いを書き始める。

 健也の傍では里美が製本を続けている。健也はお世話になった先生や、知人、友人に残暑見舞いを書いていく。

「これまで通り何の変化もない毎日だけれど、わたくし健也は元気です! 暑い中いかがお過ごしですか? っと。これで一丁上がり!」

 そう勢いよく葉書にしたためていく健也の傍で、里美は句を詠み続ける。


「幼子へ 南風呼ぶ 恋話」


 その横で健也は筆を進めていく。文面を声に出しながら。

「辛い時、悲しい時、何かに負けそうになったらいつでも心に健也を一つ。暑さ乗り切るべ。我が友 浩輔へ。はい! これで終わり」

 健也は次々と残暑見舞いを書き上げていく。さて次の1枚といったところでふと健也の手が止まる。それは去年本土に転校していった香澄あての1枚だった。多分自分は、彼女に好意を寄せていたのだろうけれど、今となってはその想いを確かめる術もない。仕方なく、淡泊に、健也は彼女宛ての残暑見舞いを仕上げる。

「暑さをお互い乗り切って行きましょう」

 里美はまるで健也の心を見透かしたように、一句詠む。


「行く恋と 羽ばたき去りし トビの羽根」


 「『行く恋と羽ばたき去りし』か。たしかにこれは過去の話だよなぁ」と健也は、彼女への想いを何とか振り切って、残暑見舞いを全て書き終える。あと夏休みを存分に楽しむためには、課題が残っているが、はてさてここで一息ついてと。そう健也は思ったのか、窓越しに外を眺める。すると遠くから白い服をまとった、麦わら帽子姿の幼馴染、嘉穂が自転車に乗ってやってきている。

 どうやら彼女、嘉穂はまたも退屈しのぎに、健也の家へ遊びに来たらしい。健也は窓を閉めて塞ぎ込む。

「やめとくれっと。こっちは嘉穂なんかと遊んでるヒマはないんでね」

 そう言いながら健也の胸は切なく、甘く締め付けられる想いがした。その健也の心情を察してか、里美は一句詠みあげる。


「残暑での 新たな恋に 目を伏せる」 


 「新たな恋か」。そう健也は胸の内で呟いて、もう一度窓を開ける。すると麦わら帽子が風で飛ばされないように、左手で抑える嘉穂の姿があった。彼女の黒く長い髪は、美しい光沢を放っている。健也はなぜか胸が高鳴るのを抑えられなかった。嘉穂は右手にハイビスカスを翳して、健也に呼び掛ける。

「おーい! 健也ー! どこか遊びに行こうよー!」

「お、おお」

 そう応える健也の胸には確かに、新たな恋の始まりの予感があった。またも里美は一句詠む。


「乙女持つ ハイビスカスが 咲かす恋」


 その一句を耳にした健也は、こう里美に呼び掛ける。

「なぁ、おばあちゃん。新しい恋をしたら、前の恋が嘘だったって、そんなことはないよね」 

 里美は何も問題がないという様子で微笑む。

「もちろんだよ。健也。新しい恋の予感がしたら、走って駆け寄ってお行き」

「ありがとう。おばあちゃん」

 そう応えると健也は、出掛ける準備をし始める。外で待つ嘉穂にこう声をかけて。

「今行くよ! 嘉穂 海にでも出かけっか!」

「おおー! いいよー!」

 嘉穂は相変わらず元気がいい。彼女は絵本の中から飛び出してきたような女の子だ。こんな素敵な子がいたのに今までどうして気が付かなかったんだろう。健也はそんな想いに胸を覆われながら、シャツを着替える。

「じゃあ、行ってくるよ。おばあちゃん」

 そう健也が呼び掛けた所、里美の返事がない。里美は、最後にまるで辞世の句でも詠むように、一言こう口にして、動かなくなってしまった。


「琉球の 風に吹かれて 朱鷺立ちぬ」


 その一句を耳にした健也は慌てて、里美の肩を両手で揺さぶる。

「おばあちゃん! 待って! 死ぬなよ! まだまだおばあちゃんには知って欲しいこと、見て欲しいことがたくさんあるんだ!」

 すると里美は茶目っ気たっぷりに片目を開いて冗談めかす。

「なんてねぇ。時にこうやって、ひい孫に構ってもらうのも悪くない」

 健也は頭を掻いて呆れる。

「冗談きついぜ。おばあちゃん」

 「参ったよ。おばあちゃんには」そう健也は零して、靴を降ろすと、嘉穂のもとへと駆け寄っていく。自転車に乗って遠ざかっていく二人には、新しい光と未来が瞬いていた。その様子を見届けた里美はもう一句、句を詠んで、フフフと笑うのだった。


「残された 夏の課題よ 今いずこ」

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