二日目(後編)
『ミクトラ・テ・クートリ』
メキシコ系の中年男性。やや小太り。
元々医者であったが『蒼炎進化体』の被害に会い『ゾンビ』化
しかし『椿矢 凌』とある人物の支援により正気を取り戻す
今なおゾンビでもあるため、その肉体は幾つかの感覚が無く、自身が腐る感覚におびえている。
結果重度のアルコール中毒である。射撃の名手でもある。
扉のすぐ向うに、白濁した眼球を持ち、引きずるような足取りで両の手をゆっくり上げていく、骨と皮の様な『ゾンビ』、その先には半分身を乗り出した僕が、麻酔が抜けきらず動かない体でドアにもたれ掛る僕が一人。
その両腕が宙を掴もうかという時、僕は咄嗟にドアを閉めた。締りきる直前に骨のように細い腕がドアの隙間から潜り込み、宙を掻く。
ドアは激しく叩かれ、差し込まれた腕は暴れ、がたがたと揺れる。押戸であったのが幸いして、麻酔でふらつく体でもなんとか止めて居られる。助かることにドアを開けるだけの知恵はまわらないらしい。でもこのままじゃまずい。
「ヨシュア! そこに居るのか?」
この声は剣だ。
「剣! 『ゾンビ』だ。まったく、なんで居るんだよ」
「待ってろ、そのまま抑えてろよ!」
扉の向こうで何かを殴打する音が、剣の荒々しい声と共に聞こえる。そして、扉から差し込まれている腕に力が無くなる。
「よし、もう大丈夫だ。いや大丈夫じゃねぇんだけど。……兎に角逃げなきゃまずい、開けてくれ」
僕は扉に体重を掛けて扉越しに『ゾンビ』を押し出した。すっかり力のなくなった『ゾンビ』の腕を右手で御仕返した。『ゾンビ』が床に投げ出されたことが音で分かった。
扉を開けると、鉄パイプのような物を持って肩で息をする剣が居た。僕は剣に状況を聞くことにした。
「逃げなきゃって……そもそもなんで『ゾンビ』が? ここは安全じゃなかったのか?」
「『飯野 弥伊都』って、ほらがり勉が居たろう? あいつが出入り口を壊しちまって、揚句デカいモンスターまで呼び込みやがった。で、それを見た一部の女子が大声あげて『ゾンビ』まで来ちまった、そんなとこだ」
「モンスター……?」
「ああ、象ぐらいの大きさのウシ蛙だ。人間みたいな歯が生えてる」
それも人間を食べるのか? と聞こうとしてやめた。聞くまでも無いと言うことがわかるからだ。
「でも、椿矢さんが居れば何とかなるんじゃ?」
「一般の『ゾンビ』が一体ならな。入り込んだ『ゾンビ』を処理してる間に、二体ぐらいがこの奥まで走ってったんだよ。で、それを追って椿矢の奴は蛙をほっぽって行きやがった。ホールはパニックも起きて酷いありさまだ。誰がどうなってるやら」
つまり、さっきのが入り込んできたうちの一体なのだろうか? それとも、それとは別なのだろうか?
兎に角、ここから逃げないことには始まらない。僕は麻酔が抜けきらない体にやきもきしながら歩こうとした。だが、バランスがうまく取れない。
「おいおい、大丈夫か?」
そういって剣は鉄パイプを持っていない方の手、左手を……出しかけて一瞬戸惑い、持ち替えて右手で僕の肩を支えてくれた。僕は、言葉にしにくい感情が胸の中であふれるのを感じた。
「ありがとう。大丈夫」
そう言って、剣の肩を借りた、その時。
「伏せろ!」
剣は僕の肩を引っぱってそのまま地面に倒れ伏した。
突如頭上を何か大きな物が通り過ぎ、傍で倒れていた『ゾンビ』を踏みつぶした。バキバキと音を立てて潰れる。突如現れ、『ソンビ』の上に乗った物体はその場で何度も跳ねた。トラックほどの大きさの物体が、骨の砕ける音を楽しむ子供のように、その上で飛び跳ねる。
「な、なに、なんだよ……こいつ……」
「来やがった……立てるよな、逃げるぞ」
その巨大な蛙の様な化け物は、押し潰れた人型の物体が潰れる音をある程度楽しんだ後、ゆっくりとこちらを向いた。
僕らはホールにつながる通路へ走り、後ろを振り向かないように、振り向く余裕もないほどに走ろうとした。だが、
「おい、急げよ!」
「解ってる、解ってるんだよ!」
体は言うことを聞かない。麻酔が残る体は走る以前にまともに立ち続けることを拒否している。意識ばかりが焦りを産む。
そうこうしていると頭上を何かが通る音がする。そして、目の前に派手な音をさせて巨大な口が現れる。唇の奥から血にまみれた黄ばんだ、霊長類の様な歯が見える。吐き出される息は生臭く、思わず顔を逸らしたくなる。
「くそっ!」
思わず悪態をついて引き返そうとする剣に僕は言う。
「脇だ、通路に逃げちゃいけない」
その声に反応するように、その怪物は脇に先回りをする。咄嗟に踵を返して反対側へ、とそうするとまた前に回り込んでくる。
この化け物、もしかして……
「な、こいつ……! 楽しんでんのかよ!?」
剣が言う通り、きっとこの化け物は、
「ああ、僕らで遊んでるんだ」
今なら、まだ剣は助かるかもしれない。
「剣、僕を囮に……」
「ド阿呆」
「でも、僕は……」
「ド馬鹿」
「走れそうに……」
「知るか、この、こんちくしょぉぉぉお!」
剣は僕の言葉を遮り、最後は僕を肩に背負い始めた。
「剣! いくらなんでも無理だ。怪物が遊んでる間に……」
「嫌だってんだろうが! 今度は左腕だけじゃ済まねぇから嫌だってんだよ!」
僕は、無くなった自分の左腕を見て、自分のした行動の意味を改めて知った。
「生き延びなきゃ、いけねぇだろうが!」
剣の叫びも虚しく、怪物があざ笑うかのような表情をしたのを僕は見た。歯を剥き出しにして怪物の口角が上がる。
「絶対に、見捨てたりなんて……」
「剣、下ろして、もう怪物が来る! 頼むよ……」
怪物は大きな口を開けて僕らめがけて、その巨体で地に踏ん張り、そして僕らめがけ宙を飛んでくる。大きな影が背負われた僕の視界を覆い、その口の中に残る血と臓物の臭いが湿りと共にやってくる。
だが目の前でその大口は急に上に跳ね上がる。いや、正しくは吊り上げられている。
「今度は間に合いましたよ」
声の方向、僕らが来た通路の方向から椿矢さんが現れた。彼は全身から蒼い光を放っている。
吊るされた怪物をよく見ると、さっきまで無かった巨大なクレーンがホールの天井から生えており、そのクレーンの先が巨大な釣り針になっていて怪物を引き留めている。
「椿矢さん! 助かりま……」
「おせぇ! 間一髪じゃねぇか! ってか、これ、このクレーンみたいなのなんだ?」
僕の感謝の言葉を剣が怒鳴り声で散らしてしまう。
「すみません。生命線を守りに行ったんですが……残念ながら、そっちも無理でした」
そういって、椿矢さんは困ったような顔をした。いったい何が有ったのだろう?
「ともあれ、蛙を開きましょうか。下がっていてください。」
僕らは椿矢さんの後ろに隠れる。背後で何か重い物が落ちる音がする。振り返ると、先ほどの怪物が口から針を抜いて降りてきている。
「お二方『蒼炎』をご存知でないかと思います。今回の一件は少なからず『蒼炎』が関わっています。もうここに引き籠もれない以上、見せておこうと思います。『蒼炎』の一端。世界を作り変える物質を」
『蒼炎』……世界に『ゾンビ』を溢れさせた隕石、世界を滅ぼしたミサイルの弾頭。そうだ、たしか、蒼い光を放つって……
椿矢さんは蛙に向きなおり、深く呼吸をする。その呼吸に合わせて、背中から蒼い光が翼のように吹き出す。その光はあたり一帯を蒼い光で包み込む。そして彼が腰を落として居合の姿勢を取ると、彼の腰のあたりに収束を始める。
蒼光は美しい反りを持った棒状に収束し、深い呼吸音と共に脈動する。黒い細身の機械質の存在から広がる蒼い翼の色が薄くなり、そして、彼の手には一本の刀が現れる。微量に輝きながら存在する白い鞘を持つ刀、それはこの世の物とは思えぬ存在感を醸し出していた。
「汝の名、布津乃御霊命なれば、我が命に従い汝が言霊をこれに示せ」
椿矢さんがそう言う直前に、怪物は僕らの方へとびかかってくる。だが、椿矢さんは僕らの方へ向き直り、ゆったりと怪物に背を向ける。とびかかってくる巨体は椿矢さんの背後で、彼を避けるように裂けていく。二つに裂けてながら、大きな肉の塊が僕らを挟むように両脇に大きな音を立てて滑り込む。
「これが『蒼炎』です」
椿矢「これが『蒼炎』です(ドヤっ」
幸徳井「あ、このクリーチャー、こういう仕組みなんですね」
相沢「おいおい、俺こういうグロいの苦手なんだけど」
幸徳井「ああ、剣は蛙の解剖ダメだったもんねぇ」
相沢「やめろ、思い出すだろうが」
椿矢「(あ、あれ? 滑ってる? これ滑ってる? ねぇこれって……)」
作者「ああ、滑ってんね」
作者、笑いをこらえながら椿矢の肩を叩く。
椿矢、作者を全力で追いかけながら布津乃御霊命を振り回し始める
幸徳井「仲良いですね。あの二人」
相沢「俺、時折お前の神経の太さに驚かされるわ」