第八十三話「その後の話と従者会議」
主な登場人物
レギオン 人族?【剣士】剣豪を志す戦士
ペーネロペ 獣人族【銀狼妃】上位の人狼
アイシス 人族【魔女娘】魔法使い
エアルウェン エルフ族【エルフ巫女】精霊使い
オリガ 獣人族【大狼娘】上位の人狼
ジゼル 獣人族【大狼娘】上位の人狼
火の国グラシオス
ザナ ハーフ・エルフ【頭領】火の国グラシオスの王
シーラ 人族 ザナの妻【影の頭領】神聖魔法の使い手
サマンガン ハーフ・エルフ 隻眼の魔法使い
ハサウェイ ハーフ・エルフ 騎士長
ウィドマーク ハーフ・エルフ 騎士長
パルトロー ハーフ・エルフ 騎士長
「と、いうわけなのよ。わかった? あたしの呪いは完全には解けなかったの。ハイ、おしまい!」
火の国唯一にして、国の中枢でもある町テイルパースに帰り着いたレギオンとその仲間たち。早速、ザナの居城近くに居座り続ける、アイシスの木傀儡へと足を運んでいた。随分と待たせたことに違いないのだが予想に反して機嫌は良い。どうやら魔女娘にとって良いことがあったらしく、聞かれもしないのに解呪の経緯を話してくれたのだが、肝心なところでいまひとつ要領を得なかったのだ。
「ふーん。それで? その残った呪いの印とやらはどこにあるんだ?」
「そっ、それは……あっ、アソコよ!」
「アソコ?」
「あそこと言ったらアソコなの! ばっかじゃない! そんなこと淑女によく聞けるわねっ! このヘンタイ!」
素朴な疑問を口にしただけなのだが、真っ赤になって怒りだすアイシス。女心に無頓着なレギオンに、魔女娘のご事情などまったく理解できていないようで、怪訝な顔色で眺めるばかりであった。
三つある呪縛のうち、解除されたものは二つ。この二つは解かれることが前提らしく、魔法の手練であればさほど難しくはない。そうして術者殺しの罠が尽きたと誤認させ、恥ずかしい部位にある呪印が油断した術者を抹殺するのである。
「今は放っておくしかないの。下手に障ったらドカンって、なるかもしれないもん」
「ひぇぇ! アイシスさんが爆発するのですかあ!」
「アイシス! レギオンさまから離れなさい! このペーネロペの愛しき主人を危険な目に合わすことなど許さないのです!」
「だっ、大丈夫だって! ちゃんと封印してもらったんだから。そう簡単には発動しないわよ」
今現在、危険を犯さず解く手立てはない。実のところお手上げなのだ。どのような術式なのか解明できれば対策を講じることも叶うのだが、相手が悪いことに独創魔法なのである。対策どころか呪文の効果すら未知数で解明する糸口すら見つからないのだ。
「そうか。それは残念だったな。まぁ、いつか解ける日がくるさ」
「うん。でも、いいこともあったの。ふたつも呪いが解けたのよ。あたしの魔力を吸いとり枯渇させる呪いと、魔法の成り立ちを邪魔して弱める呪いが消えたの。どお、見違えたでしょ?」
えっへんと、偉そうげに胸を反らせるアイシスであったが、相も変わらずうっすい胸である。だが、魔眼を通して感じる魔女娘は、レギオンが護衛のために峡谷に向かった頃と比して、似ても似つかぬ別格のなにかへ変わっていた。
それは例えるなら、羽化したばかりの蝶。葉を食み、草木の葉上を這うしかない芋虫が、蛹という殻を食い破り空を舞う新しき姿となったの如く。華奢な身体に渦巻く魔力は火吹き山の溶岩のように輝き、その螺旋のうねりは荒れ狂う竜巻を凌ぐ。深紫に煌めく瞳に、波うつ艶やかな女髪。アイシスの内に潜む真の姿は、レギオンをして掛け値なしに美しいと感じさせるには十分であったのだ。
「いま見とれちゃってた? グッと女っぽくなったでしょ?」
「あぁ、そうだな……おそらく背が伸びたんだろう」
「もうっ! 小馬鹿にして。あたしのこと、ちゃんと見てよね」
左眼を閉じれば変わらぬ姿形の魔女娘がいた。呪いは解けだが、容姿や背格好には目立った変化はなく、良くも悪くも普段通りのアイシスだ。だが、握られるレギオンの掌にはじっとりと汗がにじんでいるのだ。
「ところで。あたしがいない間、マスターたちは何してたの? まさか、遊んでいたわけじゃないわよね?」
「みんなでザナさんのお手伝いをしてたんですよ! 魔物に襲われないよう柵を立てたり、谷へ砦が築かれるまで見守っていたのですから。だっ、だから帰るのが遅くなっても当然ですよね!」
「ふーん。それで?」
「えっ? えーと、それから……」
「もういいわ。あたしの分までちゃんと稼いできたんでしょ? ねぇ?」
「ええっ? えーと。なんていうか……」
しどろもどろで言いよどむエアルウェンから目をそらすレギオン。目を合わせたら飛び火してくるのは目に見えている。旅を続けるにも、息をするにも金貨が失われていくのだ。魔女娘から常々稼ぐようにと言われていたことを今更ながらに思いだす。ここは何とか誤魔化したいところである。
「そっ、そんなことよりもだな。おまえ、魔法の呪文をぜんぶ唱えられるようになったのか?」
「えっ。呪文? えーと、まだかな? どして?」
「やっぱり忘れていたんだな。俺の剣のなにかを解くために呪文がいるって言ったじゃないか」
「あっ? あー、あっ! そんなこともあったっけ? 忘れちゃってたわ」
この様子だと忘れていたと都合よく理解されるだろう。思わぬところで話を蒸し返された魔女娘は、とぼけた振りをすることで煙に巻くことにした。すでに創生なる呪文はすべて網羅している。呪文書ウールブールンを戦いで下したときに、希少な魔法と一緒にごっそりと掌中に収めたからだ。
(伝承の呪文。今のあたしは唱えることができる。たぶんだけど、マスターが手にする魔法の剣の謎も解けると思うの。でも……それをしちゃうと。あたしを必要とされることが無くなっちゃう)
アイシスが恐れていることは、レギオンから用済みとして見離されること。秘められた雷電の力がレギオンに伝われば魔法使いとしての役目は終わってしまう。狩猟団を立ち上げるという目的もレギオンの胸中では終っているようで、望まれない限り付き従う理由を失ってしまう怖さがあった。
(あたし。あたしが呪文を唱えちゃってもレギオンのそばにいられる? そんな……そんな自信なんてない)
喉を潰され囚われているところを救われたが、それを目的として救出されたわけではない。多頭水蛇を退治した際、行き掛かりのついでに拾われたからだ。魔法も行使することも、衰弱して動くことも儘ならない。路頭に迷うところを従者として働き、今日まで付き従うことになっていたのだ。
「そうか。それでは仕方がないな」
「ごめんマスター。呪文を手に入れたら、その魔法の剣にこめられた力を教えてあげるね」
愁傷に謝るアイシスに困惑する一同。未だ嘗て、これほどしおらしい魔女娘などお目にかかったことがない。感の鋭いペーネロペがその謝罪を聞くや否や、カッと見開く瞳の奥に疑いの眼差しが宿るほどだ。
アイシスとしても、魔剣の謎を解き明かしたからといって、即座にお払い箱になるとは思ってはいない。魔法使いを召し抱えることなど、願ってもそう易々と叶うものではなく、多少の不具合があっても目をつむるもの。だが、主レギオンはその型にはまらない。もし、己と相容れぬとなれば袂を分かつとしても、意思を貫くと容易に推察できる。あのアシャウの森のときのように和解できるとは限らないのだ。
お互い気まずい思いをうやむやにしつつ、当たり障りのない話題へと移っていく。主にはこれからの行く末のことだ。この地を訪れた目的はほぼ達成されたといってもよく、鉱山ドワーフとの問題も勝手に解決したようであるし、アイシスの呪いについても現状で満足する他ないだろう。
「あたしはこのグラシオスにこそ、マスターの拠点を置くべきと考えているのよ」
「ふーん。なんでだ?」
「よく聞いて。ここにはマスターの大嫌いな貴族がいないの。しょっちゅう厄介事に遭ってるでしょ? それにね、もし敵対することになっても、ここに逃げ込めばそう簡単には攻められないもの」
「ハンッ! 馬鹿なことを。おまえはレギオンさまにこの国へ仕えろというのか?」
「だからよく聞いて。マスターが兵隊になることを嫌いなのは分かってるの。だから仕えてなんて言ってないでしょ? だけど、無料で住まわせてもらえるなんて都合が良すぎるのよ。何かのかたちでこの国に貢献しないと、あのシーラって女が黙っちゃいないわ」
世の中すべては等価交換。無償の愛なんてものは我が子だけの話である。貴族が支配する双王国などでは、住まうだけでも金を納めなければならない。あらゆるものに税がかけられ、その対象となる者の稼ぎが多くなれば莫大な税金を課すことも可能だ。すでに火の国でのレギオンの評価は鰻上りである。暢気なザナは然程気にしなくても大丈夫そうだが、影の頭領でもある伴侶が策謀をめぐらすことに相違ないのだ。
「ちょっと待て。俺はここに住むとは言ってないぞ」
「じゃあどこに行くのよマスター? これからどうすんの?」
「うっ。それは……」
「はい、終~了~。マスターは邪魔だからお酒でも飲みに行ったら? なんか決まったら教えてちょうだい」
レギオンはすぐに蚊帳の外へと追いやられた。今までの経緯で行き当たりばったりなのは皆も承知しているからだ。どうせそのうち何とかなるだろうと酒場に繰りだすのが関の山で、まず物事の解決には至らない。頼もしいのは戦場だけで十分と、さっさと従者連中だけで話題が進んでいく。
「やっぱりマスターには剣豪になってもらうの。なんか剣豪に仕える大魔法使いアイシスって、響きが良くてかっこいいじゃない? なんとかの騎士ってだけじゃ地味なのよね~」
「へー、アイシスさん。そういうのにこだわるんだ」
「あったり前でしょ! かっこ悪いおとこに仕えるなんてまっぴらごめんよ。ああっ、想像するだけでも寒気がする! あたしのマスターにはもっと、もっと、かっこ良くなってもらうの」
「アイシス。その話もいいのですが、レギオンさまのことを決めるのです」
天下無双の剣士となったレギオンの妄想で話し合いが滞っていたようだ。ヨツシャー、と自らの頬を叩き気合を入れ直すアイシス。乙女心を主人愛へと切り替えこれからの算段を始める。
魔女娘が解呪されてから、レギオンたちが帰り着くまでに随分と余裕があったが、ただ無為にときを過ごしていたわけではない。山積していたことをすべて片付けていたのだ。今までに得られていた魔法具などの鑑定を済ませ、土傀儡や戦傀儡の製造、魔法使いの手足たる使い魔の召喚、買い溜めた書物の読破など、白黒エルフたちの助力もあり一気に済ますことが叶う。
このグラシオスについても情報を集め一通り国情を把握もしている。将来有望な資源はふんだんにあるが、それを生かすだけの人材が不足していた。それは末端の労働者から、国防を担う兵士、果ては国を運営する官吏すらわずかでしかない。要するに物事を解決する上で同時に幾つもの処理が不可能ということだ。
「ペーネロペはどうすればいい?」
「つまりどういうことですか? 私にはよくわかりません」
「そうね。もし、エアルウェンの森が火事になったどうする?」
「たいへんです! 消さなきゃってなりますよ絶対に!」
「そうよね。じゃあ、そんときにあんたの妹がひざを擦りむいてぐずったらどうするの?」
「そんなの後回しに決まってます!」
「そう。そういうことなのよ」
「へっ?」
物事を解決するには優先すべき順序がある。まず大きな問題が目に付き解決を図ろうとするだろう。国政なら尚のこと。大事の前に小事は後回しにされるか、些細なことと無視されることになるのだ。この火の国でも然り。あのドワーフとの鉱山の問題ですら長年にわたり独力で解決には至らなかったのだから。
「マスターとあたしたちが、この国で起きた小さな問題を解決する役目をするの。魔物を退治したり、探し物をしたり、どんな依頼でもいいのよ。もちろんお金をもらってね」
「面白そうですが、そう上手くいくのでしょうか?」
「さあねぇ。べつに上手くいかなくてもいいのよエアルウェン。あたしたちが必要としているのは、この国に住むための建前なんだからね。それにマスターって飽きっぽいでしょ? いつここを離れることになるかわからないもの。それまで適当に依頼をこなしちゃえば食べてはいけるんじゃない?」
「まあ、そうですが。そんな適当でいいのでしょうか?」
「あんた心配しすぎなの。それに商売なんてそんなもんよ。何屋さんって決めちゃうから上手くいかないんでしょ? いろんな依頼を受けて、上手くいったらそれだけすればいいの。どうせ誰かが真似するし、次の手を考えなくちゃなんないのよ」
魔女娘には商売の何たるかなど分かってはいない。しかし、その本質は言い得ている。何かしらの需要があり、それを供給するものが無ければ解決しない。商売敵がいないか、少なければ自然と儲かるのが道理なのだ。そこには競争の原理も働き難い。
「ペーネロペにもレギオンさまのお役に立てることはないのでしょうか? これだとただのお荷物なのです」
「心配しなくても大丈夫よ。この世から魔物がいなくなることなんてないもの。魔物退治の依頼があれば、あんたに敵うヤツなんてそうはいないもん」
しょんぼりと消えた、主人が不在で物事は進む。明確な行く先を決めぬ限り、この地で過ごすことになりそうなレギオン。麦酒を片手に日が暮れていった。