第七十七話「マンドラゴラの叫び 上」
グラシオスの頭領であるザナの居城は木傀儡の目と鼻の先にある。それほど深くはない堀の縁まで大転移の際に乗り付けたからだ。火の国にとっては迷惑な話なのだが、朝っぱらから追いだされたレギオンたちに行くあてはない。城にも近く、町中へ出るにも融通が利くため、しばらく居座る気でいた。
「あの大弓の矢を譲ってくれ」
開口一番、挨拶もおざなりに己の欲求を伝えるレギオン。一国の主に対して無礼な振る舞いなのだが、私室でもあり友人の来訪として迎えられていた。普段であればそれに気が付かぬほど鈍くはないが、譲り受けた竜髭弓の矢の大半を使い減らし、アイシスに言われ通りに手に入れなければと気が急いていたのだ。
「おいおいレギオン。こんな朝っぱらからどうした? お前らしくもないな。えらく騒がしいぜ?」
「すまん。ほかに手に入れられる方法を思いつかないんだ。なんとかならないだろうか?」
使い慣れた長弓の矢と違い、矢柄が別注で拵えてあるためこの大弓では射れない。かといって、こんな僻地では思うように武具を整えることも儘ならない。叶うのなら破魔の鏃を揃えたいところだが贅沢などいえないのだ。丈夫な矢柄と鋼の鏃で誂えた矢を買い揃え、これからの狩りや戦などで生かそうと考えていた。
「ないこともないが……嫁さんの許可がないと難しいぜ。アレ、俺のじゃなくて国の管轄だからさ」
「それでも四十本。いや、二十本でもいいんだ。魔法の矢とまではいわないから頼むよ」
「まったく、しょうがないな。今回だけだぜ」
頭を掻きつつ小城の武器庫へと向かうザナ。レギオンは私室でかなり待たされたのだが、矢筒に入れられた大弓の長い矢を見ると満面の笑みを浮かべる。まるで駄々をこねる稚児が望みを叶えられたかのようだ。
「ほらよ。まだ魔法を籠めていないが大弓の矢だ。帰るときはうちの嫁さんに見つかるな。ばれると後々面倒だぜ」
「わかった。ありがとう、ザナ」
忠告を聞き入れるレギオンは、礼を述べると木傀儡へと踵を返す。今しがた得られた矢を見つからぬように魔法鞄に収め魔女娘に渡すためだ。何でも火の国で誂えているこの魔法具の素材を解明できるらしい。そうすれば、グラシオスで破魔の矢を仕入れなくても、自前で生み出すことが叶うというものだ。
依頼を受けて町中に向かったペーネロペたちは、早々に道程に必要な物資を揃えたらしくアイシスの元へ戻っていた。とくに重要なものは飲み水で幾つもの水樽を仕入れている。冬の季の清水は腐り難い。たとえひと月、ふた月と彷徨ったとしても十二分に持ちこたえるだろう。
「ところで、ごはんの支度はどこでするのでしょう。火を使っちゃだめなんですよね?」
「そうよ。ここで火は絶対にだめ。どんな小さな火でも、お師匠さまの罠が発動するの。惨たらしく殺されちゃうから十分に気をつけてね」
荒野と呼ばれる部屋なら問題はないのだが、一歩扉を跨げば情け容赦もなく命を奪われる。魔女娘の師匠が残す呪文の制裁が発動する仕組みなのだ。ここは大魔法使いの書庫。希少な書物を護るため、静寂と火気の戒めを破るものには厳しい罰が下る。恐ろしいほど潔癖な性分のお師匠さまであった。
「ごはんはいいとして、水浴びとかアレとか、どうしたらいいのでしょう? なんか心配です」
「贅沢いわないの。旅をしているときは適当にシテるでしょ? 荒野の部屋があるんだしそれで我慢しなさい」
モジモジとするエアルウェンは素っ気無く否定されがっくりと肩を落とす。繊細な心情のエルフ巫女に比し、魔女娘のそこらへんは無頓着のようだ。レギオンに相談するには恥ずかしく、かといって銀狼妃たちは見るからに適当に済ませていることは明白なので、相談する気も起こらない。ひとり、どうしたものかと身悶えていた。
言わずもがな、すでに木傀儡は滑り出している。驚くほど静かな魔道具に感嘆するばかりで、いつ発したのか誰も気が付かぬほどであった。順調に行けば駿馬が駆ける如く、幾日も要さず目的地である森へたどり着くことだろう。快適な旅になれると後々大変なのだが今は良しとすることにした。
「こいつがあれば歩かずにすむ。なんで今まで使わなかったんだ?」
「ラリーに冬山なんて越えられないわ。水浸しなところとか、熱いところもだめなの。魔法使いじゃないと分かんないけど、魔法は万能でもないし制約もいろいろあるのよ」
「ふーん。難しいんだな。俺にはよくわからん」
「そう? わかり易くいうと火に水をかけると消えるでしょ? そんな感じ。でもね、火を強くし過ぎると土にひどく干渉するの。風が交じわればより火は強くなるし、打ち消すためにはもっとたくさんの水が必要になる。何となくわかったかしら?」
「もういい。ぜんぜんわからん」
「うふふっ。魔法使いじゃない人からすると、何でもできると思われるけどね」
金剛水晶から透かして見える景色は憶えるまでもなく過ぎ去っていく。風を感じることなく、においに触れることもない。唯、流れていくばかりなのだ。仲間と旅をしている感覚が希薄だけなのではない。ときが解決だけで、なんの悦びにも繋がらないことを暫く外を眺めていたレギオンは気が付いていた。
「魔法はたしかに便利なもんだなぁ。だけど、面白みがまったくない」
戸惑う魔女娘に木傀儡を止めさせると、するする蔦をつたい大地へと降り立つ。外の大気に触れたくて仕方がなかったのだ。春の季のような優しげな風が頬をなで好ましい香りが鼻を擽る。辺りは樹木も疎らな草原が続き、遠く向こうに暗き森と呼ばれる原生林が広がっていた。
「レギオンさま? いかがなされました?」
「やっぱり、旅はこうじゃないとな」
「はい?」
不審に思った銀狼妃たちがあとに続いてレギオンの元へと集う。木傀儡が不意に止まったので、魔物の襲来かと勘違いしたのかもしれない。油断なく周囲の気配を探るが、それらしき臭いもしないため困惑気味に主人の顔色を窺っていた。
「ゆっくり行こう。いや違うな。何かわからんが、こう何ていうか、俺の足で行きたい気分なんだ」
「はぁ? よく分かりませんが、ペーネロペの背にお乗りください。気がはやるアイシスのためです」
渋る主人を説き伏せると、上位の人狼たちは長弓の鏃の如く駆ける。レギオンの望みを叶えてやりたいが、旋毛を曲げたアイシスほど厄介なものはない。約束しているのはレギオンなのだが、気紛れな性分がわざわいして、決め事を疎かにすることがあるのだ。幸いにして、どちらの偏屈者も満足しているようなので、ほっと胸を撫で下ろすペーネロペ。困った人族の従者を勤めるのも大変なのだ。
「この森には魔物のにおいが満ちています。あまり嗅いだことのないものがたくさんあるのです」
「そうね。そこらへんにある森じゃないもの」
その日、陽光が傾く頃には目的の地へとたどり着いた。森のなかへと分け入り滾々と清水が湧き出る泉の畔を拠点とする。適当な空地があるためでもあるが、清らかな泉があれば身を清めることもできる。女ばかりの集団であるためか、身体や身の回りを清潔に保つことにより関心が深いようだ。
「このにおいを探すの。あたしのためだけで悪いんだけど、あんたたちなら簡単でしょ?」
括られた紐を解き、乾燥させた妖草を革袋から取りだす。木傀儡の居住棟には魔術を探求する部屋があり、術を用いるために要する希少な魔晶石や素材を保管している。そのなかには妖草だけではなく妖花もあったが、生かしたまま手に入れることなど滅多にない。大地から離れた魔草はそう長くはもたないからだ。
「すぐに死んじゃうから捕まえたら真っ直ぐ帰るのよ」
「あぁ、わかった」
「マスタァ。適当に返事しないの。もう一回いうわよ! すぐに帰るからね!」
「……わかったよ」
気のない返事は得心していない証拠。こういったときのレギオンは聞いているようで、まるで聞いてはいない。アイシスのためにここまで来たのだが、己の気がすまねば頑としていうことを聞かないのだ。
日が暮れるまでには今しばらくの猶予があった。銀狼妃たちが捜索に繰りだす間に、レギオンは大弓を携え近場で夕餉の獲物を狙う。ペーネロペらを労うためだ。エアルウェンは薪を拾い集めて夕餉の支度にとりかかり、アイシスは周囲に貴重な薬草などが生えてないかどうか、白黒エルフに綿密な調査を命じていた。さらに、転移の呪文で買い揃えた籠と使役のため幾十もの土傀儡を下ろす。
「せっかくだから拾えるものは拾っとかないとね。魔素をたっぷりと含む土があるみたいだし、泉の周りの土もついでに頂いちゃおうかしら?」
魔女娘は矢継ぎ早に命を下して、土くれの傀儡たちに労働を課していた。一体ずつではひ弱な存在なのだが、安価に量産することで物量で勝負できる。しかも失われてもそれほど惜しくはないのだ。
自然に堆積する、魔素をふんだんに含む土を根こそぎ集めると、拠点へと集積していく土傀儡。凡そ一体分毎に小分けされて野積みされていく。遠からず新たな兄弟たちが隊列に加わることだろう。
本来の趣旨とは違う魔道具の素材集めに奔走している頃、匂いをたどるペーネロペは首尾よくお探しのものを嗅ぎ付けていた。拠点の泉から北へ五マイルほど、幾つもの気配を捉えており間違いはない。他方を探っているはずの包帯組を呼び寄せるため、遠吠えを放てばふたつの咆哮が応える。暫く待てば集うことだろう。
『上手く嗅ぎ当てることができたのです。これでレギオンさまにお褒め頂けることでしょう』
『さすがはペーネロペ姉さま!』
『姉さま。これからどうするの?』
『ペーネロペは見つけるだけ。気持ちの悪い妖草というものはアイシスに任せておけばいいのです』
大地から生えているのだから逃げることはない。きみの悪いものには近寄らぬほうが良いと判断すると、くるりと鼻先を主人へと変えて地を蹴り立ち去ることにする。慣れぬ土地でもあり長いは無用だ。
日が落ちる頃には、役目を負って方々へと散った仲間たちが一同に会する。それぞれ得た収穫も上々のようだ。レギオンは巨大な野鹿を射抜き、魔女娘とその配下は希少な薬草と魔素がたっぷり含まれる土を持ち帰っている。一番の目的である妖草は、銀狼妃たちよって見つけだされ夜が明けたら捕獲する手筈であった。
「明日はこの子たちに抜かせるから大丈夫よ」
夕餉を済まし焚き火を囲む隣で、アイシスと忠実なる僕婢たちがせっせと土くれ人形を拵えていた。背丈は三フィート前後で、作り手により細身のものからずんぐりとした太めのものまで幾つもある。
「これは? 何に使うんだ?」
「土傀儡にするのよ。まず、ここで取れた土に魔晶石を粉末にしたものをよーく混ぜて、たっぷり捏ねるの。そしたら、人型の土くれ人形になるように丁寧に形にしていきまーす。えっへん! 上手でしょ? あとは魔源となる魔晶石を埋めこんで付与の呪文を唱えれば完成! どう、すごく簡単でしょ?」
「ふーん。これ、面白いな。そんなに簡単なら俺もひとつ試してみるか」
「面白そうですね。とっても、簡単そうですし」
何を遊んでいるのだろうと、怪訝な面持ちで見守る上位の人狼たち。
容易くみえるが作り手の感性が問われ、アイシスの魔道具として存続する限り、不細工な作品は末代までの恥となる。ただの遊び事ではなく、まさに真剣勝負なのだ。
そこへ剣豪レギオン、精霊使いエアルウェンの不躾な参戦により、アイシス姉さんの深紫の瞳がスッと細められた。ぽっとで如きが片腹痛いわと、怒気を含む後光が立ち昇る。いざ尋常に勝負。大魔法使いであるお師匠さまの名にかけて、何人たりとも負けられぬ戦いが今、始まったのだ。
端から見ると、大の大人が夜も更けるというのに、泥塗れで滑稽な光景が眼前に広がる。夜が白むまでの真摯な造形は、普段では成し得ないほどの傀儡の素体を生みだす。だが、あきれ果てたペーネロペたちが目にすることはなく、疲れきり倒れるように眠る一同が目を覚ましたのは、翌日の昼頃であったのだ。