第三十九話「大司教への紹介状」
主な登場人物
レギオン 人族?【剣士】剣豪を志す戦士
ペーネロペ 人狼族【銀狼娘】獣人の戦士
アイシス 人族【尖り帽子】元魔法使い
雲ひとつない空を見上げれば、小高い丘の頂上にでんと構えるダナン城塞。宿屋の主人から借り受けた年季の入る二輪馬車でガタゴト揺れる。山を螺旋に巻いた通路を頂上へと向かう御者台には銀灰髪レギオン。荷台には見目麗しい銀髪の人狼ペーネロペが周囲を窺い、黒の魔法衣に杖を携える可愛らしい尖り帽子のアイシスは日向ぼっこ。なだらかな上り勾配を揺られて頂上を目指す。
「レギオンさま。そこの森に美味しそうな獣の匂いがするのです。あとで狩っては如何ですか?」
「そうだな。だが、長弓を馬車に置いたままだ。また今度にしよう」
このところ新鮮な獣肉を口にしていない。食事処の料理もたしかに美味しいのだが、慣れ親しんだ炙り獣肉を恋しく感じていたのだ。常闇の森の周辺で生まれ育ったペーネロペなどは鹿や猪などの肉を好んで食していたので尚更募るのだろう。日が高ければふたりで、その森にでも足を伸ばすことにする。
「どうやら獣人も住んでいるようです。森が豊かなので食べるのに困らないのでしょう」
「そうか。じゃあ、あとで長弓を取りに行ったら、ふたりで狩りに行くぞ」
「えっ? はい! すごく嬉しいです。もしかしたら同族に会えるかもしれません」
獣人、そして人狼は群れで営む種族だ。豊かな森を根城に広大な縄張りを占有しながら繁殖する。群れで育ったペーネロペが同族を恋しがるのは当然のことかもしれない。
なだらかな軍道を騎馬が三騎ほど駆け下りてくる。城塞の見張りの兵士がレギオンらの二輪馬車を見つけたのであろう。ほどなく出迎えた騎士の長槍を構える姿には見覚えがあった。
「先に訪ねてきた狩猟者だな。お勤めご苦労。して首尾は如何かな?」
「あぁ、この通りだ、です。お確かめを」
危うく言葉遣いを誤るところだった。わざわざ釘を刺した騎士団長のことだ。同じ過ちに寛大な処分をするとは思えない。無難に振る舞い報酬を得れば、もうここには用はない。さっさとおさらばである。
「うむ、確かに。我らの後について来られるがよい。さぞ団長もお喜びになるだろう」
(あんな物騒な武人も喜ぶ顔をするのか? 喜びついでに依頼されるのは勘弁してもらいたいが)
親父に似た雰囲気の武人に少々苦手なレギオンであったが、交わした約束を反故にするような男ではないことは分かっている。王都の大司教への紹介状さえもらえれば、あとは不具を癒す代償の問題だけだ。
騎士団長ルキウスの謁見の間には三人とも通されることになった。スナイデルらとは違い人数が少ないこともあるが、獣人と魔法使いらしき供を従える狩猟者は物珍しいのだろう。
「ドワーフ坑道から生還したのはおまえらか! あの地獄からよく戻れたな。詳しく聞かせてくれ」
案内された謁見の間では、重厚な執務机の上で持ち帰られた新たな坑道図と双王国の兵士の遺品、そして豪腕バルザックと呼ばれた騎士の紋章と金細工の指輪が見分された。騎士団長の側には紋章官も呼ばれ、その真偽も糺されたが紛れもない本物だとの結論に至ったのだ。
「信じられん! だが、この指輪は紛れもない風薫騎士団の証。バルザックなる騎士も実在の人物で、勇猛高潔な武人と伝えられていた。しかし慢心からか王の不興を買い、斬首に処されたと公文録に記されている」
坑道図も遺品の一部として持ち帰られており、信用に足ると認められることになったようだ。豪腕の騎士の指輪は依頼の中にはなかったが、騎士団員のみに身につけることが許されるらしく、ルキウスが風薫騎士団になり代わり謝礼という形で買い取った。
《 ルキウスさま ディネリンド鉱山の制覇は 王国の兵士だけではかないません 》
数多の命なき者ども、そして悪魔の存在を伝えることを忘れてはならない。どれだけ兵士を投入しようとも決して敵うことのない敵。神聖魔法の使い手たる聖職者、それも高位の術者を要するだろう。もしくは、すべての悪の覆滅を掲げる聖騎士に出征してもらう他ない。
アイシスの心話に驚きはしたが、地下に待ち受ける悪の軍勢の存在を知ったとしても、苦渋に満ちた顔色を変えることはない。解ってはいるがどうにもならないことが世の中にはあるのだ。
「では、約束の報酬を受け取るがよい」
封緘を施された革袋は三十五。びっしりと金貨が詰められている。レギオンの魔法鞄には空きはなく、金貨袋をペーネロペの魔法鞄に詰めていく。魔法鞄は三つ所有しているがもうじき一杯になりそうで、装甲馬車の改装が済めば、嵩張る金貨などの硬貨や戦利品を仕分けして収納できるはずだ。
「ところで、つぎの依頼だが」
「お断りします」
「ふっ、そう言うと思ったぞ。これを持って王都に行くがいい、カーン大司教への紹介状だ」
「深く感謝します」
いつもは下げない頭を垂れて感謝の意を示す。騎士団長を任ぜられるほどの武人が、縁もゆかりもない一介の若者との約束を果たしてくれたのだ。
「よろしい。仲間を思う気持ちを無視などできん。その思いを見事全うして見せてみろ。それとこれはいらん世話だが、騎士になりたければこの城塞の門を叩けばいい。以上だ」
用件を矢継ぎ早に捲くし立てるが早いか、返答は要らぬと武外套を翻して次の執務に向かう、水碧騎士団長ルキウス。不器用で一途な馬鹿を放っておくことができない男でもあった。
《 気骨のある武人ね さすが 騎士団を統率するだけのことはあるわ 》
「きっとレギオンさまのことが気に入ったのです。勇者を嗅ぎわける優れたお方なのですから」
依頼ごとを如才なくこなすことで、封蝋に印璽を打たれた紹介状を得ることができた。双王国の王都には、聖職者たちの本拠地である大聖堂がある。潰されたアイシスの喉を癒すことは容易ならざることだが、高位の聖職者が唱える神聖呪文ならば奇跡も起こすに違いない。そこへ持ってきて大司教となれば期待もいやが上にも高まるというものだ。
殺風景な謁見の間を退出すると薄暗い廊下を城塞門へと向かう。無骨な石造りの建屋に靴底の鋲が耳障りな音を立て、昨夜までいた暗黒の迷宮を連想させた。もう潜る用事はないが命なき者どもが潜んでいる限り、あったとしても好んで挑みたいとは思わないだろう。
(あの遺跡だけなら、また眺めてみたい。あんな星空の下でなら一生を終えるのもそう悪くはない)
城塞の中庭では幾人かの騎士が鍔迫り合いで睨み合う。殺意すら乗ずる斬撃を繰り出し、盾で巧みに弾いてこそ、お互いを高めあうことができるのだ。少し憧れの眼差しを向けるレギオン、足早に立ち去った。
勾配を下って鉱山町まで戻ると、改装のため馬車を預けた職人を訪ねる。銀狼娘との約束を守るのに長弓などを引き取りに行くためだ。尖り帽子アイシスは端からついて行く気もないらしい。レギオンらが狩りから戻るその間、家具の取り付けが済んだ馬車の中で、読書や魔法具の鑑定で暇を潰すことにするそうだ。
「ペーネロペ、さっきの森に案内してくれ。美味そうな獲物の匂いがするのだろう?」
「はいっ! レギオンさま。ありがとうございます」
元来た道を引き返して、美味い獣肉が狩れそうとペーネロペが誘う豊かな森へと分け入っていく。レギオンが頭上を見上げると、晴天に浮かぶ陽光は充分に高く輝き、日暮れには狩りを終えて帰り着けるだろう。木立ちを抜ける銀狼娘は生き生きと振る舞い、獲物の匂いを嗅ぎつけては嬉しそうにして主人をさらに森の奥へと誘う。とくに食糧に困るわけではないのだが気晴らしに連れて来て正解のようだ。
「レギオンさま! 見事な牡鹿がいます」
「よし、仕留めよう。頭をねらえ」
立派な鹿皮の敷物で装甲馬車を飾ることができそうだ。銀髪の主従は風下から三十フィートまで忍び寄ると、構えた長弓に矢をギリギリと番える。この間合いなら外すことはない。その刹那、繁みから躍り出る邪魔者が射線を遮り驚いた鹿に逃げられてしまった。
「そこの人族。誰の許しがあって、この猟場の獣を獲るのだ? この盗人めっ!」
繁みからぞろぞろと現れたのは、七人ほどの群れをなす狼の獣人族らしい。髪の色は様々だが一様に狼耳が突きだし、フサフサの尻尾が腰の辺りで揺れている。その中で一回りほど大柄な人狼が群れの長らしく横柄な態度でレギオンらに接していたが、付き従う者たちはおどおどした様子でこちらを窺っていた。
突然の無礼な物言いに憤慨する銀狼娘のペーネロペ。近くに居ることは匂いで分かっていたが、わざわざ邪魔するために出てくるとは思わなかったのだ。
「レギオンさまを盗人呼ばわりとは同族でも許さない! すぐに謝りなさい!」
「余所者の臭いがするかと思えば、人族の男に媚びる雌犬ではないか。恥を知れ!」
辺りには不穏な雰囲気が漂い、唸りをあげて威嚇し合う人狼の雌雄。確かに、余所の縄張りを犯したのはレギオンのほうなのだ。優しくペーネロペの肩を抱くと無言で頷き面前に進みでる。
「知らずとはいえ、おまえらの狩場を荒らしてすまん。俺たちはすぐに立ち去るから許してくれ」
「ふん、臆したか人族の盗人め。よかろう! 尻尾を巻いて逃げだすがよい」
「レギオンさまを馬鹿にすることは……このペーネロペが絶対に許さないのです!」
「やめろペーネロペ!」
仕える主人を愚弄されたペーネロペに制止の声は届くはずもなく、獣化した白銀の巨躯を激怒に震わす。風になびく鬣からは怒気に彩られた湯気が立ちのぼり、まさに怒り心頭といったところだ。
変化を目の当たりにした人狼たちも身の危険を感じて咄嗟に獣化するが、ペーネロペの強烈な殺気を浴びて身動きできずにいる。自分たちより遥かに上位の存在であることを本能で感じ取っていたのだ。
『弱い犬ほど吼えるもの。主人を罵った罰を受けなさい』
人狼を率いる雄長は格上の大狼に恐怖を抱いたが、腹心の人狼の幾匹かを鼓舞すると数を頼んで襲いかかる。ここで逃げれば同族の仲間から見放され、この豊かな森から追いだされる末路しかないのだ。
三方から躍りかかる獣となった同族を軽く一瞥すると、さらに高く跳び上がり格の違いを見せ付けるペーネロペ。空中で捉えられた人狼どもの眼は見開き、唸りをあげて迫る鋭き爪がそれらに映りこんだ。
『ふん。口ほどにもない。吠えるなら相手を選んでからにするといいのです』
ずたずたに引き裂かれた雄長たちの屍を認めると、身が竦み動けずにいた人狼たちは仰向けで寝転がり腹を晒して降伏の意思を表す。僅かでも抗えば情け容赦なく爪の餌食になることが解りきっていたからだ。
『あなたに歯向かいません。だから殺さないで』
『お前たちの長は愚かだから死んだのよ。でも安心しなさい。ペーネロペのご主人さまは、心優しき寛大な御方。これより配下として従うならば殺されることはないでしょう』
生き残った人狼たちは怯えたようにレギオンに恭順の意を示すと、悠然と座するペーネロペに擦り寄り伏せの姿勢から口許を舐めている。群れでの序列で力ある銀狼に、ご挨拶は欠かせないことなのだ。
「よろしい。お前たちの群れはこれだけなの?」
「あと二人いるの。梟熊と戦って怪我をして動けないの」
変化を解き露になる裸体を波打つ銀髪が覆い隠す。怒りに我を忘れて変化してしまい、単衣を引き裂いてしまっていた。魔法鞄から姿隠しの外套を取り出すレギオン、落ち着き冷静になった銀狼娘に羽織らせる。
「ペーネロペ、なぜ殺したんだ? 今のおまえなら軽く遊んだだけでも痛め付けれただろう?」
「いいえ。レギオンさまを馬鹿にする愚か者は許しておいてはいけないのです。それに、このペーネロペに歯向かうような身のほど知らずなら、生かす必要すらないでしょう」
狩りや戦を容易くするためには群れを大きくしなければならない。人狼たるペーネロペは愛しき主人のために、同族の手勢を増やそうと考えていたのだ。数ある獣人族の中でも人狼は戦闘を貴ぶ種族である。多くの人狼族を力で捻じ伏せ配下として働かせれば、延いては人狼族の勢力を拡大することにも繋がるだろう。
レギオンの名代としてペーネロペが群れを治めるには、群れの掟を厳しく守らせ秩序を乱す者は徹底して排除するべきで、そのためには邪魔でしかない輩を始末する必要があったのだ。
「レギオンさま。これからの道中には、この者たちが手となり足となり働くことでしょう。狩りでは獲物を嗅ぎわけ、野営では担い手として、戦いにおいても頼もしい戦士となるのです。このペーネロペと共に」
ペーネロペは同族の仲間に会いたいのではない。新鮮な獣の肉を食べたかったのもあるが、ペーネロペの意のままに扱える配下を手に入れたいと思っていたのだ。まさに、飛んで火に入る夏の人狼である。
「わかった。こいつらの世話はペーネロペに任せる」
「はい。お任せ下さい」
若く未熟な人狼たちを見ると、拾った頃の狼娘を思いだす。恐ろしいまでの食欲が印象に残り、この度はそれが六人もいるらしいのだ。食糧難に陥らないように頻繁に狩りをしなければならないだろう。仲間が増えることは吝かではないのだが、レギオンは喜ばしい悩みを抱えることになるのだった。