第三十〇話「レギオン狩猟団」
雨にもかかわらず、石造りで三階建ての建屋の周辺には、雨具姿の狩猟者が溢れていた。掌には狩りで得られた獲物を携える者もいれば、レギオンのように何とはなしに集う者も多い。
協会の外壁には雨がかからぬように設けられた掲示板があり、幾枚もの獣皮紙が貼りだされて告知や換金相場、そして依頼などが張りだされている。なかには協会からの依頼のほかに、狩猟団からの団員の勧誘や共闘募集も含まれていた。
【 集え! 丘巨人討伐隊 隊員募集 東へ五十マイル フォーチューン山地 スナイデル狩猟団】
でかでかと貼られた朱色の獣皮紙。どうやら仕事と言うのはこれらしい。常闇の森の宿営地で、狩猟団の長らから聞き付けた新手の魔物だ。相当に難儀しているらしく、巨人どもの組織的な抵抗に遭い、討伐に向かった騎士団も多くの死傷者をだして失敗したらしい。
巨人族は人型の魔物で、背丈は小さなものでも十二フィートほど、最も大きな嵐巨人ではなんと、二十二フィートを超えることもあるという。知性や具わる力も千差万別で、城や砦を築く巨人族もあれば穴ぐらを掘り棲みかとする丘巨人などもいる。
このたびの巨人族は山岳や丘陵に棲みつき、略奪のために麓の集落や通りがかる旅の商隊を襲うこともあり、人族や亜人族にとっては退けるにあたって容易ならざる存在であった。
(丘巨人。見たことはないが、とくに戦う理由もないか)
話しを聞くまでもなく興味はない。当面はアイシスの声を取り戻す方法を探すことが先決だからだ。魔法使いとしての知識も得られるが、魔法を行使できる味方が加わることの意味合いも大きい。並みの剣や弓では屠れない格上の魔物を相手に、優位な戦運びを進めることができるからだ。
(まぁ、今宵はうまい酒を酌み交わすだけにしよう)
「まあっ! 大蛇殺しのレギオン様ですね。今日のご用向きはなんでしょう? なんなりと仰って下さい」
狩猟者が持ち込む魔晶石や魔物の素材が、狩猟者協会の主な収入源である。より多くの売り物を持ち込んでくれる者は協会にとっての上得意様で、稼ぎの少ない者と同格に扱うのは不敬というものだ。
女王蜘蛛の魔晶石はいまだ換金されてはいないが、レギオンの働きで大蜘蛛の巣ごと討伐されたと聞き及んでいる。何れは市場に持ち込まれるにせよ、叶うことなら協会に任せてもらいたい。大蛇殺しに掛ける窓口嬢の声が、期待のあまり上擦り裏返るのは仕方ないことなのだ。
「あぁ、次の狩りに出るのに、割のいい獲物の情報がほしい。何かいいのがあるか?」
「レギオン様に相応しい魔物ですか。そうですね。常闇の森では黒竜が残っていますが、他は討伐済みです。剣歯虎もありますが、レギオン様にはちょっと格下の魔獣になりましたね」
「話しは違うが、仲間に怪我で不具になった者がいるんだ。直す方法を知らないか?」
「うーん。専門外なので、ちょっと分からないです。すみません」
「いや、いいんだ。他に何かあるか?」
受付嬢は獣皮紙の束に目を通していくが、めぼしい魔物の目撃情報はなく、これはと思う魔物であってもレギオンは難色を示し、銀灰色の髪を振るばかりであった。
「そういえば、レギオン様は狩猟者協会に、狩猟者としての登録はされましたか?」
「いや、何もしていないが。しないと駄目なのか?」
「いえいえ、そうではありません。登録をしておくと功績にもよりますが、換金の手続きなどの優先特権が与えられます。レギオン様ならこのイシュルマルドで十指にはいるほどの御方。お仲間もいらっしゃることですから、狩猟団として登録なされたら如何ですか?」
聞くと不利益もないようなので登録を頼むことにする。登録すると言っても、獣皮紙で取り交わし書を二通書き連ねて、協会とレギオンが保管するといった簡単なものであった。
「団名は、レギオン狩猟団で宜しいでしょうか? あっ、途中でも変えられますから。大丈夫です、安心して下さいね。それから、登録は協会の支部ごとですので、他所に拠点を移されるときはお申し出下さい。そのときは、他の支部宛てに紹介状を出しますから」
「あぁ、わかった」
面倒臭いことは適当に聞き流して登録証だけを受け取った。分からなければ、また聞けばいいのだ。結局のところ、当面の行き先も見い出せないまま家路へと歩を返す。
途中の商工区で幾つかの武具商に立ち寄ると、長弓を一張と消耗したエルフ矢を百本ほど買い入れ、さらに獲物を捌くための狩猟小刀と、護身のために銀の小剣を一振りづつ手に入れておく。成長した銀狼娘のために買い換えるのと、尖り帽子にも身を守る懐剣を持たせるためだ。
ドワーフ族に誂えてもらった篭手を直すため、鎧鍛冶へ細かく注文を添えて依頼しておく。裂けた腕甲では、魔獣どもの爪牙を防ぐことが出来ず見栄えも悪い。いっそ買い換えたいところだが握りはエルフ族の革職人の誂えものなので、おいそれとは換えることができないのが困りものである。僅かなことなのだが、遠間で長弓を射ち合えばその僅かな狂いが勝敗を左右するのだ。
ベルタランの店先では、待ち人をいまかいまかと心待ちする銀狼娘が、手持ち無沙汰で足をブラブラさせていた。降り頻る雨粒を弾かせ、颯爽と歩む主人を見つけると尻尾をはハタハタとさせ駆け寄ってくる。
「お帰りなさい。レギオンさま」
「うん。ただいま」
素直に気持ちを受けるレギオン。ペーネロペは尽くしてくれる従者であり、主人の危機には身を挺して護ろうとする、もっとも信頼できる仲間のひとりなのだ。ぶっきらぼうな物言いで誤解を受けやすいが、気を許す銀狼娘には自ずと優しい口調になっているのだ。
「腹がへったな。遅くなったがなにか食べに行こう」
「はぁい!」
朝から出かけていたので食べることを忘れていたが、すでに日は高く昇りもうすぐ昼餉時であった。寝入っていたアイシスを叩き起こすと、腹を空かせたペーネロペを連れ、行き付けの食事処で食卓を囲む。このところ体調が戻ったのか、尖り帽子の食欲はなかなか旺盛で追加の焼き物を給仕に頼むほどだ。
獣人と魔法使い、とびきり妖艶な麗人に愛くるしい乙女。珍しい取り合わせを連れるレギオンに、好奇の目が向けられるのは仕方がないことかもしれない。そんな周囲をよそに、当の本人たちは食卓に並べられた昼餉を平らげることに忙しかったが。
「失礼。其処もとは大蛇殺しどのか?」
忙しいのになんだと見やると、紳士然とした装束に身を包んだ男が立つ。幾人か供を連れており、物言いや身なりからすると貴族かなんかだろう。
「ただの狩人だ。ついでに言うと、俺は飯を食っている」
「なんだその言いぐさは! 無礼な!」
「此方におわすはご領主の重臣、ヘンドリッケ様なるぞ! これ、非礼を詫びぬか!」
熱り立つ家来を素知らぬ顔で、トロトロの筋煮込みを麦酒で喉に流し込む。蒸し暑くなる夏には冷やした麦酒がたまらない。風呂上りの酒場で一杯が、疲れた体躯をさぞ癒すことだろう。
「貴様ー!」
「無礼にもほどがあるぞ。それが貴い御方を敬う態度か。恥を知れ!」
「俺は飯を食っているだけで、敬うも尊いもないだろうが。そっちが勝手に押しかけて来ただけのことだ」
貴族と聞いて怖気づく店主に支払いを済ませると、礼を言って大股で店をあとにする。貴族と名のつくやつに碌な者はいない。かつて連れ谷に押しかけて来た貴族も、勝手な都合を押し付けるだけなので、親父に叩きのめされ追い返されていた。
(面倒くせーのが絡んできたな。何の用事か知らんが、関わらんほうが良さそうだ)
「俺は忙しい。悪いが、他所をあたってくれ」
唸り声をあげる銀狼娘を宥めると、すまし顔で他人のふりを装う尖がり帽子を引き連れ家路へつく。今にも抜剣しそうな勢いの家来どもだが、人だかりができ始めたのを気にしたのか、ばつが悪そうに睨みつけるだけで近寄る素振りはない。憮然と立ち、ことの成り行きを傍観する初老の紳士。財力と武力、そして権力まで併せ持つ貴族は、敵に回すと厄介な輩で本当にたちが悪いのだ。
《 あれで良かったのですか お話しぐらいは聞いても良かったのでは 》
ずだ袋から石盤を取りだし、すらすらと危惧の念を伝える。魔法使いの住まう樹上街で育ったアイシスは、各国から依頼などのために訪れる貴族らと接する機会が多分にあり、彼らの人となりや手段をよく心得ていた。すべての貴族とは言わないが、ほとんどが人の皮を被った厄災のような存在なのだ。
「あぁ、かもな。だが、やつらは自分で解決しない厄介ごとを持ってくる」
《 どういうことでしょう 》
「金もあり、力ずくで解決できるのにそうしないのは、利用できそうな相手を試しているのだろう」
貴族の話しを聞けば、やはり受けざるを得なくなる。話しを聞いた上で断れば、それを理由に権力を振るい、しくじれば貶められ、成し遂げたとしてもその一派に取り込められる。何の道、碌なことにはならないのだ。
《 なるほど そうですね あたし見たことはあります そんなの 》
瞞しとの化かし合いでは、レギオンに軍配はあがらないだろう。さっさと退場することで、これより傷を広げないようにして見せたのだった。
(レギオンって人。ただの馬鹿じゃないみたい。ちょっと見直したかも)
情には厚いが、いつも長剣を振り回し、行き当たりばったりの脳天気な男と考えていたアイシス。こんな男の奴隷でしかない自分を情けなく思っていたが、存外、仕えてみるに値するかもと考え直す。
(でも、もうちょっと様子見よね。まぐれってこともあるし)
何の道、魔法を行使できないのだ。今のところは。尖り帽子アイシスはそんじょ其処らの魔法気触れと違い、多岐にわたる膨大な知識が詰め込まれている。
魔法と一口に言ってもいろいろある。魔法使いの体内より湧きいずる魔力を魔法行使の根源とするもので、
魔力を錬成することで無から生みだす創生魔法、
聖職者がいう神気を用いて行使する神聖魔法、
契約により精霊を使役させる精霊魔法、
死霊の邪気を用いて操る反魂魔法、
異世界から異形なものどもを呼びよせる召喚魔法などもあるが、
ただ知られているだけで、この限りではないのだ。
魔力の多寡は、使い手によりそれぞれ違う。呪文を唱えるたびに消耗していくが、安静にしていれば回復もしていく。そう、飲み干した筒杯に注ぐ、水のように。
(あたしは声を奪われた。でも、それを取りもどす方法は幾らでもあるもの。今に見てなさい)
悠久の監獄より救いだされ、肉体を縛る戒めは絶たれた。そして、抑圧され歪んだ精神もまた解き放たれる。魔法使いたるアイシスが内包する本来の精神が発露し始めたのだ。彼女は決してやわな精神の持ち主ではなく、気位は高く媚び諂うこと良しとせず、あらゆる手段を用いて克服しようとする果敢な気質なのだ。
(いつか魔法をこの掌に取りもどすの。そのときはレギオンさん、泣き縋っても無駄なのよ。うふふっ)
ああっ怖い。どこの世も女は強かで聡い、である。
もちろん助けられた恩は忘れてはいないが、それとこれとは話しが別で、仕えるかどうかはアイシスの自由意思なのだ。彼女が仕えるに値しない人物などそもそも論外、笑えない冗談でしかなく、舐めてかかろうものなら血祭り間違いなしである。
「ペーネロペ、跡をつけられてないか探れ。アイシス、先に帰って皆にここを離れる心積もりを伝えてくれ」
「はっ!」
こくりと頷き、駆けだす尖り帽子の姿が見えなくなるまで見送ると、大通りから外れて狭い裏通りへ人々をかわしすり抜けていく。もし尾行でもあれば、人混みで追跡を撒き易くするためだ。ペーネロペは暫く動かずに追跡者を探すが、その姿らしきものは皆無で主人の匂いをたどって帰りついた。
「レギオンさま。追っ手はありません」
「よくやった。念のためもあるが、遠回りして帰ろう」
よしよしとご褒美にあごを擽ると、嬉しそうに尻尾をフリフリ戯れ付いてくる。妖艶な成獣となったがあどけなさは僅かに残り、甘える仕草はまだまだ可愛いものだ。分別がつくようになれば落ち着くのだろうが、それはそれで寂しいような気もする。
(こいつは、このまま変わらない方がいい)
従順に付き従うペーネロペを快く思うレギオン。主人思いのよき従者であり、心和ませる愛玩人狼でもある。そんな彼女をいつの日か、末永く共に生きる伴侶と、見做す日がくるかもしれない。