第三話「暗転」
主な登場人物
レギオン 人族?
シグルド 人族 連れ谷の長
ベルガリオン 人族? レギオンの兄
カーリーン 人族? レギオンの妹
キャスリーン 人族? レギオンの母
連れ谷の夜明けはいつも朝霧がかかる。
渓谷に沿って湿った風が流れこみ、辺り一帯を白濁とした濃厚なスープ鍋へと変えていく。森も里もなく呑み込んだ霧は、霧露の恵みとなり連れ谷一帯の豊かな森林を育む。それを棲かとする多くの獣や魔物を養い、その恩恵として人族に多くの狩猟の獲物として齎されるのだ。
勿論、人族にとって歓迎すべきものではあるが、用事もなく出向いて霧露を浴び、わざわざ朝から着替えることはない。暫し、温かいお茶などをすすり過ごすのが里の慣習であった。もちろん、例外はいることにはいる。
素っ裸に下穿きひとつ、一意に剣を振るう者がいた。
鍛え抜かれた体躯にはびっしりと玉の汗が噴き出し、傍から見ると鱗のようにも見える。振るう長剣からは鋭い風切り音が鳴り、とどめ置く残心に揺るぎない気迫が込められていた。谷風が吹き、朝霧がレギオンを包み込むと五体から湯気が立ちのぼる。
素振りとて、ただ闇雲に剣を振るうわけではない。戦場では一振りの斬撃が勝敗を決することがあるのだ。日々の戦いで得た感覚を繰り返し鍛錬することで、無駄な所作が削ぎ落とされていく。剣の使い手としての技量は未だ語るも恥ずかしいところだが、身体の成長限界はそろそろ絶頂期を迎えようとしていた。
「ふぅ」
左腕の力を抜くと使い慣れた鋼の剣を見下ろす。十五の成人を迎えたあとに、父より授かった鍛冶ドワーフが鍛えし剣。刃渡り三フィート余、装飾もなく無銘。魔物との戦いで砕かれぬよう焼けた鋼を重ね合わせ、身幅は広くさらに厚重ねに仕上げている。幾多の魔物を屠ってきた、いわば戦友のようなものだ。
軽く振り露のしずくを飛ばすと、油を染込ませた麻布で両刃を丹念に拭きあげていく。剣先に所どころ先日の狩りで生じた刃の欠けが見受けられる。
「梟熊の爪は厄介だなぁ。まったく、いやになる」
魔物によって、体躯を覆う表皮が鎧のように頑丈なものもいれば、角や爪、牙といった部位が、異常に硬度を備えていることがある。たとえ戦い傷ついたとしてもやつらは自然と癒えたり生え変わったりするが、こちらはその度に研ぎ直しをしなければならないのだ。
また、骨格そのものが頑丈な魔物や、膂力が尋常ではない巨大な魔獣を相手にすると武具そのものを痛めてしまう。痛み具合にもよるが、大方鍛え直すか下手をすると新たに武具を揃えなければならないのだ。全く厄介なことこの上ない。
(明日は称号を得る名誉な日。刃が欠けた剣ではみんなが笑いものにするだろう)
腕を組み思案に耽ていると、里の女たちが通り過ぎながらチラチラと恥ずかしげに目線を伏せている。怪訝に思い辺りを見回すと朝霧は文字通り霧散しており、館の前で仁王立ちしている下穿きひとつのレギオンがいた。
「レギ兄って~好いおしりしてるねぇ」
木窓から身を乗りだし頬杖をつく妹がうっとりとその臀部辺りに見惚れていた。レギオンは無言で鞘に収めると、木窓の縁に掛けていた衣服をひったくりそそくさと立ち去る。下穿きが湿って不快なのだが、四の五の言ってる暇はない。後でこっそり着替えることにする。別れ際に妹がなにか叫んでいたようだが、かまわず里の鍛冶場に駆けだしていった。
鍛冶場は共同で運営してるもので、心得があるものは誰でも使うことができる。長の館から百五十ヤードほど西にあり、河から水を引き込めるよう水門が設けてあった。その隣には炭焼き小屋が建てられており、もうもうと煙が上がるなか額に汗しながら炭を掻きだす光景がよく見られる。
レギオンは鋼を扱うことを許されていなかったが、粗鉄を細工することで鏃を造作し、矢の製作を手がけることには長けていた。狩りと休養の合間に鍛冶場に入りびたり、より精巧な矢を製作するにあたりその労力を厭わなかったからだ。
レギオンは長弓を狩りに好んで使う。
直に長剣で切り結ぶより、離れた間合いから矢継ぎ早に射かける事を得意としていたからだ。また、狙いも正確で無駄に矢を失うこともなかった。このおかげで、里で一二の狩猟数を誇る長弓の手練れであったのだ。故に、矢を一番に揃えなおすことが重要なのは言うまでもない。
「よおっ、坊主。今日はどんな用事だ?」
「俺の剣を砥いでもらいに来た。梟熊にやられたんだ」
通い詰めて造形の指導を受けていたので、もじゃもじゃ髭が似合う鍛冶稼業のおっさんともすでに顔馴染みだ。受けとった長剣を陽光にかざし丹念に探る。
「これを直ぐ研ぐのは無理だ。次の狩りまでに間に合うかもわからんぞ」
面倒臭そうに唇を歪めると、ため息をつく。
「そこをなんとか。明日はいるんだ。マジで」
「無理を言うな。おまえだけじゃないんだ。物事には順番ってもんがあんだ」
「でも」
しつこく食い下がってはみたがやはり無理そうだ。鍛冶のおっさんのすぐ後ろには大小さまざまな剣や斧、槍といった武器が立て掛けられており相当数の先客がいる。ど素人が見たとしても今日、明日ではとてもこなしきれる量ではなかった。
「まったく、下手が多くて困る。剣をへし折るやつは山ほどいるが、鍛えるやつはひとりしかいねえときたもんだ」
不機嫌に鞴で火を煽るおっさんに剣をあずけると鍛冶場を後にする。
「困ったな。こんなことなら、もう一振り揃えておけばよかった」
レギオンは普段から気に入ったものしか使わない性分で、大概のものは壊れてからでないと替えないのだ。ましてや、予備の剣などあろうはずもなく、いざ本番の前日に腰に帯びるものは、剥ぎ取り用のみすぼらしい小剣しかないありさまだ。そんな時、降って湧いたように脳裏にあるものが閃いた。
「あった! 背嚢のなかに! あれはたしかに剣だった」
小躍りしたくなるのを抑え館に向けて脱兎のように駆けだしていく。明日、特別な事はなにもない。剣を抜いて誓いの言葉を述べるだけなのだから。できれば装飾が施された見栄えのする剣でもあればなお良いが、贅沢を言ってられる状況ではない。剣であれば良しとするべきなのだ。
いつも行き当たりばったりだが終わり良ければすべて良し。帳尻があえばそれでいいのだ。肩で息をしながら、館の自分の部屋に飛び込むと無造作に置かれた背嚢をひったくる。
「あれ? ない!」
開かれた背嚢のなかには剣らしきものどころか、剥ぎ取った梟熊の羽毛すら入っていなかった。念のため革鞄も開けてみたが、鏃を入れていた小袋が鞄の底に転がっているのみで、魔物から剥ぎ取ったはずの魔晶石も一欠片もない。鞄を放り出すと少し離れた母親と妹の部屋に走りだす。
妹たちの部屋は館の一番奥にある。もし館が襲撃を受けたとしても、女子供が真っ先に被害を受けないように配慮されていた。部屋の扉も木製ではあるが、金物細工が施され頑丈に設えてある。
ノックもせずに勢いよく部屋の扉をひらくと、びっくりしたように振り返り栗色の瞳で息子を見据えた。キャスリーン母さんは、親父より年下で五つほど歳が離れている。しかし、四十の後半であるにもかかわらず、未だに瑞々しく美しさを保っていた。
定かではないが、母方には何代か前にエルフ族と契りを交わした者がいたそうだ。私が老けにくいのは長寿なエルフ族の血がそうさせるのではないか、と母から聞いたことがある。少し悲しそうな表情だったと記憶していた。
その当時、そのことが気になったことから親父に厳しく問いただしたことがあった。正直、母さんのそのことをどう思うかと言うものだ。いかにも子供らしい大好きな母を気遣うものだったと思う。
「うむ。わしは連れ谷一の幸せものである。おまえの兄弟が増えるのは当然のことなのだ」
もっとも、大真面目な親父の答えは、ばかばかしくて呆れるものであった。正直、心配して損したと感じたものだ。
「どうしたのレギオン? そんなに慌てて」
「母さん! 俺の部屋にあった鞄の中身を知らない?」
「それなら、カーリーンにお願いして……」
最後までレギオンは聞かず、一目散に妹の後を追い部屋を飛び出していく。
「レギオン! カーリーンなら」
「わかってる! 倉庫だろ!」
振りかえると、赤毛の髪を揺らしながら館の大扉から手を振る姿が目に映った。
屋敷の裏には、狩りの狩猟物や里の加工品などを貯蔵する倉庫が二棟、並んでいた。特に狩りで得られる魔晶石、魔物の皮や角などは高値で取引されることもあり、全てここに集積される。いままで、各々気ままに相場もなく取引していたのだったが、安く買い叩かれることを防ぐためと、安定した取引をするために必要な在庫を確保することで、有利な条件を行商人から引きだすことに成功していた。
その反面、狩りなどで得られたものは必ず一度は提出する義務が課せられており、レギオンとて例外ではない。持ち帰って、そのまま部屋に放置していたものを母が見つけ、この倉庫に運ぶように妹に申し付けたに違いない。
倉庫の開き戸にたどり着くと、倉庫の警固をしている護人と話している妹を見いだす。その手には見知らぬ剣が握られており、今まさに剣の柄に手をかけ鞘から抜こうとしていたのだ。
レギオンは急に不安に駆られると走りだす。
「待てっ! カーリーン。それは俺が拾っ……」
「レギ兄? どうし……」
駆けよりカーリーンに声をかけるのと、鞘から剣が抜かれたちょうどその刹那であった。妹が握る剣からまばゆい閃光と悲鳴のような唸りが溢れだす。魅入られたように立ち竦むカーリーン。
(なんかヤバい! 逃げろ!)
レギオンの直感がそう叫んでいた。
とっさに妹から剣をはたき落とし、妹を倉庫のなかへ突き飛ばす。刹那、轟くような轟音。そして、駆け抜ける疾風が全てのものをなぎ払う。レギオンは衝撃と共に倉庫の扉に叩きつけられていた。
(口のなか……切ったな……血の味がす……カーリーン……)
混濁する意識。
目の前が真っ赤に染まる。
どうやら倒れている。
腕すら動かない。
遠くで、誰かの悲鳴が聞こえる。
寒い。
徐々に目の前が暗くなる。
そして、レギオンの意識は真っ暗な奈落の底へと沈んでいった。
「さすらう剣士と魔物憑き」の設定など
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